【第一章】『第一話』醜い左目は憂いをおびる
白魔術は神の力だと称賛され、黒魔術は悪魔の御業だと畏れられてきた。
理解できない現象を人は忌み嫌い目を背ける。
なにが正しくてなにが正しくないのか、その曖昧な境界線の中でこの世界の住人は今を生き続けている。
それが平和へ続く道だと信じているから・・・。
木製でできた鏡台の扉をそっ開ける。映りむ姿に微かな期待を込めながら。顔を上げると憂鬱そうな自分と目が合った。ピンク色の唇はふっくらと潤っていてやわらかそう。母譲りのチョコレート色の髪は薄暗い部屋に差し込む太陽の光でも艶めいている。白くて張りのある肌はまだまだ瑞々しい。ニコリと微笑んでみると鏡の中の彼女も微笑み返した。村を歩く女の子となんら変わりはない。そう、変わらないわ。
左目から手を離すと隠していた目がぎょろりと現れた。ゾっと背筋が凍りつく。濁った金色の眼球には縦細く黒い線の瞳孔。それはまるで蛇の目。耐えられなくなり鏡台の扉を閉めた。何度見ても慣れることはない。悍ましい左目に憎しみさえ覚える。この目が治るならどんなことだって受け入れるのに・・・。
物心つく前から毎日教会へ通い神様にお祈りをした。『この瞳が治りますように』と。古来から受け継がれている白魔術師の魔女の元へも通い高い薬やまじないも受けた。村で流行っている医療にすがるような気持ちで治療を頼んだ。痛みを伴う施術に何度も何度も絶えた。けれど全て効果はなかった。
重いため息が零れた。胸にある支えは吐き出せないまま私の中で大きくなっていく。
コンコン
「クレア、入るよ。・・・やっぱり。またこんなところにいたのかい。ちょいと村まで買い物に行って来てくれないか。薬草がきれちまってね。いつもの頼んだよ」
「おばあちゃん。また買い物へ行くの?私村には余り行きたくないわ・・・」
「頼むよクレア。今日はアリサが西国の救護活動に行っているから帰るのは日が暮れてからになりそうなんだ」
おばあちゃんは白魔術や占星術を生業とする魔女で薬毒に必要な薬草を村まで買い出しに行っている。私も色々習ってはいるけどまだまだおばあちゃんの域には達していない。お母さんは魔女は向いていないといって最近では西洋の医学を勉強しているみたい。
おばあちゃんはゆっくりとした足取りで部屋に入ってくるとテーブルに置いてあった私の眼帯に目を止めた。シワのついた手で大事そうに持ち、優しく微笑みながらそばまでやってきた。鏡台の扉を再び開いた。左目を隠すように黒い眼帯を後ろで結んでいく。
「これもぼちぼち古くなってきたね。気に入った布があったらついでに買っておいで。またおばあちゃんがクレアに似合うとびきりの眼帯を作ってあげるよ」
「うん。ありがとう」
本当はこんな森の奥で暮らすより村で暮らした方が便利にきまっている。それをしないのは私のせい・・・。この醜い左目に劣等感を抱いていることをおばあちゃんもお母さんも知っている。
昔は頑張って村の学校にも通ったけれど、頑張れば頑張るほど自分の秘めごとが罪のように思えて居辛さを覚えた。
この瞳が治らないと知ったとき、誰にも左目のことを話してはいけないとお母さんに厳しく言われた。そのときのお母さんがとても恐くて私は家族以外に絶対誰にも話さないと心に誓った。
だから学校へ通っているときも先生や友人にも瞳のことを相談しなかった。ううん。お母さんに言われていなくても自ら話すことはなかったと思う・・・。こんな目を持っていると知られたら村からお出されかねない。そうしたら家族にもっと迷惑がかかってしまう。
だから今は用がない限り村へは極力行かないようにしている。
「はい。結べたよ」
もう一度鏡を見ると左目は隠されている。ほら眼帯をすれば普通の子。
しわしわの両手で私の頬を包み込んだ。垂れ下がった瞼が瞳にかぶさっている。それは何年も生きた証。その目は私をしばらく見つめた。まるで心の奥にあるなにかを読み取られているような不思議な感覚。
おばあちゃんは占星術を使える。星を見ながら今後の行く末を案じるができる術。
占星術を使える人は先天的に備わっていることが多いらしくて、おばあちゃんは必ず結果を言う前に『当たることも当たらないこともある』と付け加える。悪いものが見えたときは注意しておけばいい。その程度のものだからと。
だけどその案じが外れたことはない。お父さんが死んだ時もがそうだったように・・・。
「大丈夫。クレアは立派な魔女さ、私やアリサのように人のために白魔術を使うんだよ。白魔術は人を幸せにするんだ。いつかその目だって治る日がきっとくる」
「おばあちゃん・・・でも」
「クレア」
さっきまで陽だまりのように優しかったおばあちゃんが語気を強めた。口をふさがれてしまうほどの重さを感じた。きっと私が次に言おうとしていることを察したのだろう。
この瞳は治らない。もし治るのだとすればいつどうやって。白魔術が本当に人を幸せにするならなぜ西側の内戦は終わらないの・・・。
「信じていれば必ず報われるときがくる。いつかきっとクレアを受け入れてくれる人が現れるよ」
百年ほど前、私たち魔女は不当な扱いを受けていた。ここパルタナス国と西国シーザスは長年、対立関係にあり争いが激化していた。劣勢だったパルタナスの国王はその原因をシーザスから伝わった魔女の呪いによるものだと決めつけ魔女狩りを実行した。村人たちも国王の命令に従い、それまで共に暮らしていた魔女を村から追い出したのである。追放された魔女は国を追われ散り散りに東西へと逃れて行ったという。
その後パルタナスは劣勢を覆し戦勝した。やはり魔女の呪いによるものだったと囁かれていった。しかし終戦後、徐々に平和を取り戻していくと国王は当時の魔女の扱いが不当だったことを突然認めた。国王がなぜそうような考えになったかはわからない。国王の裏で占星術師が糸を引いていたのではと噂もあったらしいが未だにわからないまま。それでも現代において魔女はパルタナスで貯法され村人とも平穏に生活送っている。拡散していった魔女たちもパルタナスに戻り生活するようになった。
しかし当時、横行していた黒魔術だけは今でも厳禁とされている。未だに西側の一部では内戦が続いていたりと、百年以上経っていてもその代償は大きい。
「なにも心配しなくていいんだよ。今がクレアにとって一番幸せなんだ。いいかい?決してその左目を誰かに見せてはいけない」
「うん。わかってる」
「良い子だ。さすが私の孫だ。元気に生きてさえくれればいい。さっ、村に行っておいで」
私にとっての幸せってなんだろう。昔のパルタナスのことを考えれば平和な今に生まれたことがすでにそうなんだろうけど。家族以外との関係を遮断して森で隠れるように生き続けることが本当に幸せなのかな。
いつからだろう。明日も明後日も簡単に予想がつく未来に期待を持てなくなったのは。でもそれを選んだのは私自身だ・・・。