マルタ=スカヴロンスカヤは灰かぶりの夢を見るか~史上最大のシンデレラ物語~中編
マリエンブルクを占領したロシア軍に対して、グリュックの旦那様は、通訳としてご自分を売り込んだ。
それもご家族を守るためには致し方ないことだろうと思う。
実際、ロシア兵の乱暴な振る舞いの噂は、色々耳に入って来たし。
旦那様が仕えることとなったロシアの将軍は、シェレメーテフという五十歳くらいの人で、通訳である旦那様ご一家に対しては丁重な扱いを約束したものの、召使いであるあたしは、他のマリエンブルクの人たちと同様に、戦争捕虜として扱った。
マルグレーテお嬢様がとても悲しそうな、そして申し訳なさそうな顔をなさっていたことが、強く心に残っている。
あたしは、シェレメーテフ将軍の家の召使いとされた。
何、これまでの境遇とさして変わりはない。そう、何も変わりはしない――。と思っていたら、グリュック家にいた頃以上に、あたしはこき使われることとなった。
グリュックの旦那様は、養女という建前上、あれでも一応あたしに対して遠慮なさっている部分はあったらしい。
シェレメーテフ家で昼も夜もこき使われているあたしだけど、唯一の救いは、「夜のお勤め」まではしなくて済んだことだ。
シェレメーテフの旦那様曰く、デカすぎる女は好みじゃないのだそうだ。顔は良いのにもったいない、などと残念がっておられたが、あたしにとってはありがたい限り。というか、本人に聞こえるところでそんな話をしないでいただきたいのだが。
そうして、一年ほど経った頃。あたしの前に一人の男の人が現れた。
その男の人は、やはりロシアの将軍で、メーンシコフという人物。まだ三十そこそこの年齢だけど、大公殿下――このロシアの王様に、大変信頼されているお方なのだそうだ。
メーンシコフ将軍とシェレメーテフの旦那様との間で、どのような話し合いが行われたのか、詳しくは知らない。が、いずれにしても、あたしはメーンシコフ様に買い取られ、この方を新たな主とすることとなった。
メーンシコフの旦那様があたしを買い取った理由。それはすぐに聞かされた。
「え、あたしを大公殿下に献上!?」
「そうだ。きっとお気に召していただけるはずだ」
旦那様は、自信満々のお顔でそうおっしゃる。
「ですが、あたしはご覧の通りの図体ですし……」
お気に召していただけるとは、到底思えないのだけど。
「いやいや、それが良いのだよ」
旦那様がそうおっしゃった意味は、その時はよくわからなかった。
それからほどなくして、メーンシコフの旦那様はお屋敷に大公殿下をご招待なさった。
「殿下に召し上がっていただく料理を作るのだ。心するのだぞ」
旦那様はあたしにそう命じられたが、はて困った。あたしが作れる料理はそう多くないんだよなぁ。
仕方ない。肉じゃがでも作るか。
じゃがいもを一口大に切って、バターを塗った小鍋に並べ、塩を振る。
牛肉は厚めに切って塩を振り、たまねぎと一緒に炒める。
じゃがいもの上に炒めた肉を乗せてぎゅぎゅっと押えたら、その上からきのことサワークリームのソースをかけ、焦げ付かないよう少しお湯を差して、ペーチカに入れてじっくり焼き上げる。
焼き上がるのを待つ間に、水餃子を作ろう。
皮はすでにこねて寝かせてある。
たまねぎとにんにくをすりおろしたのを挽き肉と混ぜて、こねて包んで茹でる。
ペリメニが茹だった頃、ちょうど肉じゃがもいいかんじに焼き上がった。
料理を運んで行って、あたしは初めて大公殿下にお目にかかり、そこでようやく旦那様の言葉の意味が理解できた。
ほえー。大きい。
あたしが人を見上げないといけないのは、何時ぶりのことだろうか。
大公・ピョートル殿下は、とても大きな方だった。背丈はおおかた三アルシン近く(一アルシンは約71cm)もあるのではなかろうか。
そして、体つきも大変逞しい。
「なるほど、これほど頑丈そうでなおかつ美しい娘というのは初めて見た。これなら安心だな」
えーっと、何が安心なのでしょう。ちょっと怖いのですが。
でも、あたしに微笑みかけてくださった殿下の目は、思いの外優しげだった。
殿下がお席に着かれ、あたしが肉じゃがを盛りつけた皿を並べると、メーンシコフの旦那様の渋い顔が目に入った。
もっと殿下に食べていただくにふさわしい、しゃれた料理は作れなかったのか、と思っていらっしゃるのだろう。
そんなこと言われても……。
けれど、殿下は思いのほかあたしの料理がお気に召したようで、ぺろりと平らげてしまわれた。
「うむ、美味かったぞ。これからも俺のためにこの料理を作ってくれ」
「は、はい。身に余る光栄です」
こうしてあたしは、ピョートル殿下のご寵愛を受ける身となった。
同時に、あたしはロシア正教会の教えに帰依することとなり、名前も「エカチェリーナ=アレクセーエヴナ」と改めた。
そして、ロシア語の読み書きから、淑女としての立ち居振る舞いまで、様々なことを教え込まれた。
殿下はお体も大きい上に、大層力も強く、おまけに癇癪持ちということで、お側に仕える人たちは皆怖がっていた。
それに、ご気性も激しく、前の奥様とは気が合わず、離縁して修道院に入れてしまわれたという。
正直なところ、あたしも最初は怖いと思っていたのだけれど、殿下はあたしにはとても優しくしてくださった。
それと、あたしは頑丈な体に生んでくれた両親に、心から感謝した。
殿下は、銀のお皿を素手でくるくると筒状に巻いてしまえるほどお力が強い一方、驚くほど手先が器用で、ご自身で家具や小物なんかも作ったりなさる。
以前、欧州へ使節団を送られた時には、ご自身も身分を偽ってその中に紛れ込み、オランダのアムステルダムでは、船大工として働いたりもなさったのだと、おもしろおかしく語ってくださった。
「でも、ご正体がバレたりはしなかったのですか?」
「大丈夫。バレやしなかったよ」
本当かなぁ。バレバレだけど、皆気を使って黙っていただけなのでは?
また、殿下は時折頭痛の発作に襲われることがあり、長らくその持病に悩まされておられたとのことだが、どういうわけか、あたしが膝枕をして歌を歌いながら髪をなでて差し上げると、頭痛が収まるのだという。
「カテリーヌシカの声はまるで魔法のようだな」
あたしを愛称でそう呼び、まるで子供のようにそのまますやすやと眠ってしまわれた殿下のお顔は、妙にあどけなくてとても愛おしく思えた。