サンスーシに憧れて
「何のご本を読んでいらっしゃるのですか、殿下?」
リーザがのぞき込んできて尋ねる。
「プロイセンのフリードリヒ大王の著作、『反マキャベリ論』だよ」
「まあ。面白いのですか?」
「ああ、とても興味深い。例えばこんなことが書いてある。君主は人民の主などではなく、むしろ人民に奉仕すべきものだと」
「あらあら、まあまあ」
そんなやり取りを、ドイツ語で交わす。
リーザのドイツ語はまだ少したどたどしいところもあるが、私のために一所懸命に覚えてくれたものだ。
リーザ、本名はエリザヴェータ=ヴォロンツォヴァ。大貴族ヴォロンツォフ一族の娘だ。
皆は彼女のことを、醜女だの野暮だの愚鈍だのと言う。
確かに、正直美人とは言い難いし、あまり教養もなく頭の回転が速いほうでもない。
才媛の誉れ高い妹とは大違いだ。
けれど、とても健気な女性なのだ。
私の名はカール=ペーター=ウルリヒ。
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国(現在のドイツ北部からデンマーク南部にかけての地域)の公子として生まれたが、母とは幼い頃に死別し、叔母に引き取られ後継者とされた。
母の妹であり、ここロシア帝国の大帝ピョートル一世の娘、そして現ロシア帝国皇帝。エリザヴェータ=ペトロヴナ。それが私の義母だ。
ロシアでの私の名は、ピョートル=フョードロヴィチという。
率直に言って、私はロシアを好きになれない。
ドイツに比べて文化水準も低く、人々は粗野で垢抜けない。
正教に改宗させられ、ロシア語を覚えることも強要されたが、いまだにあまりうまく話せない。なにしろ覚える気がなかったからな。
今私の傍らにいるリーザは、正式な妻ではない。いわゆる愛人だ。
私の正式な妻は、エカチェリーナ=アレクセーエヴナという女性で、元の名はゾフィー=アウグステ=フリーデリケという。彼女もドイツの出身で、父方の又従妹に当たる。
義母の命で一つ年下の彼女と結婚することになった当初は、私も彼女と仲良くなりたいと思っていた。
ロシア語がろくに話せない私にとって、ドイツ語が通じる数少ない相手でもあったから。
しかし、彼女は私のことをひどく嫌った。
あまり体が丈夫ではなく、美形顔でもない私は、彼女の好みに合わなかったらしい。
いや、それよりも、私がロシアに馴染もうとしなかったことが気に入らなかったようだ。
私と同じくドイツからやって来た身ながら、彼女は早々にロシア語を覚え、また妃教育も懸命にこなして、周囲の人々に受け入れられた。
そんな彼女からしてみれば、私は愚鈍な怠け者に見えたのだろう。
彼女だって、内心ではロシアを野暮ったい土地だと思ってはいるようなのだが。
エカチェリーナ――カーチャは、私がドイツ語で話しかけても、ことさらにロシア語で返し、侮蔑の色を隠そうともしない。
そして、根っから好色な彼女は、次から次へと愛人をこしらえていった。
それでも、一応は夫婦の義務を果たし、息子も授かったのだが、やはり彼女と円満な関係を築くことはできなかった。
そんな私の前に現れたのが、十一歳年下のリーザ。宰相ミハイル=ヴォロンツォフの姪である彼女は、客観的に見て女性としての魅力にあふれているとは言い難かったが、私が気兼ねなく甘えることができる唯一の女性となってくれた。
私がフリードリヒ大王について熱く語るのを、リーザはにこにこしながら聞いてくれていた。
多分、話の半分も理解してはいないのだろうが、曰く、私の話を聞いているだけで楽しいのだそうだ。
いつだったか、ロシアの要塞についてついつい熱を入れてしゃべってしまった時も、楽しそうに聞いていてくれたしな。
フリードリヒ大王という方は、政治家として優れていることは言うまでもないが、一方芸術の素養も豊かで、また武人としても優れ、傑出した軍略家でもある。
ひ弱な私にとっては、あらゆる面で尊崇の対象だ。
せめて、あの方が行われたような政策を、このロシアでも実現できたらいいのだが。
「だから、ロシアもプロイセンを見習って、色々変えていかなくてはいけないんだ」
「そうなのですね。殿下が皇帝になられた暁には……」
そう言いかけて、さすがにリーザも声をひそめた。
義母エリザヴェータは、最近健康を害している。
本人も、死を予感してはいるのだろう。そしてその恐怖からか、「死」について話題に上らせることを、周囲の者たちに固く禁じている。
そんなことをしても、人の運命から逃れることなどできないのに。
「殿下、陛下がご危篤になられました」
その知らせを受けたのは、年が明けて早々のことだった。
義母は昏睡状態となり、1月5日にこの世を去った。
義母の跡を継いでロシア帝国の皇帝となった私は、早速改革に着手した。
教育制度を改め、貴族たちによる土地独占に制限をかけ、教会に対してもその堕落を取り締まり、拷問を禁じ、秘密警察も廃止し――。
まったく、やるべきことだらけだ。
そして、国内政治と並行して、外交面でもやるべきことがある。
他でもない、プロイセンとの講和だ。
義母は、オーストリアおよびフランスと同盟を結び、プロイセンと七年余りにも渡って戦争を続けてきた。
元はといえば、ハプスブルク家が先のオーストリア継承戦争で失ったシュレージェン地方を奪還しようとしたことから始まった戦争である。
フリードリヒ大王はその卓越した軍略でもって、最初のうちは優位に立っていたが、周り中を敵に囲まれ、衆寡敵せず、次第に追い詰められていった。
先年のクネルスドルフの戦いでは、大王は乗馬を二度も撃ち倒され、すんでのところで命を落とすところだったと聞く。
しかしながら、あの偉大な王を失うなど、世界の損失だ。
それに――、英雄をこの手で救い出すことになるのだと思うと、わが身が震えるほどの高揚感を覚える。
「陛下、少しよろしいでしょうか」
エカチェリーナが私に話しかけてきた。珍しくドイツ語でだ。
「何かな?」
「プロイセン王の唱える啓蒙主義思想には、私自身共感するところはあります。しかしながら、こたびの戦争で、ロシアは多くの犠牲を払ってきました。ここに来てプロイセンと講和するなど、誰一人納得はしないでしょう」
そのくらいわかっている。しかし、これは必要なことなのだ。
「私を心配してくれているのか?」
そう尋ねると、カーチャは冷ややかな眼差しを向けて言った。
「巻き添えを食うのはまっぴらだと言っているのです」
カーチャには苦言を呈されたが、私はプロイセンとの講和を実現させた。
そして、プロイセンとの停戦に応じないデンマーク=ノルウェーに対し、軍を進めるよう命令を発した。
しかし――。
私の方針に反発した軍や貴族、それに教会は、カーチャを担ぎ上げて反乱を起こし、私は幽閉の身となった。
サンクトペテルブルク郊外の館に閉じ込められて、私はリーザのことを思った。
どうやら、私がカーチャを廃してリーザを皇后に据えようと考えている、といううわさが流れていたらしい。
いや、正直そうしたい気持ちはあったが、あのカーチャが素直に廃されてくれるとは到底思えず、実行に移すつもりはなかったのだが。
リーザに危害は加えられていないだろうか。
彼女と二人、静かに暮らしたいなどという願いを聞き入れてもらえると考えるほど、さすがに私も楽観主義者ではない。
それでも、せめて一目会いたい。心からそう願った。
そんな私の許に、アレクセイ=オルロフがやって来た。
今回の反乱の首謀者の一人であり、兄のグレゴリーはカーチャの愛人の一人だ。
アレクセイは嗜虐的な笑みを浮かべ言った。
「先帝陛下、今上陛下より差し入れのワインをお持ちしました」
ワインに何が入っているのか、味見をするまでもなく想像はついた。
――Fin.
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馬鹿殿扱いされることの多いピョートル三世ですが、一定の知能も見識も持ち合わせていたようです。しかしながら、他人の感情というものへの配慮を決定的に欠いていたのが、彼の悲劇の原因だったのでしょう。
ちなみに、「才媛の誉れ高い妹」というのは、『女帝のお茶会』に登場したダーシュコワ夫人のことです。




