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二人の会話 その6

晩秋の風が窓辺を揺らす中、岡本晃司は重い口調で語り始めた。

「さっき、日本国憲法の話をしたけど…このまま俺たちが何もせずに手をこまねいていたら、

 恐らくこの世界も、俺らの知ってる戦後を迎えることになるやろうね。

 今は大日本帝国憲法下やけど、ちょっと我々の世界について話してみよう」


園田一花は静かに頷いた。「はい、ぜひ」


晃司は少し間を置いて続けた。

「さっき、憲法九条の話が出たよね。九条削除とかも話したけど、実は俺、日本国憲法自体を

 認めてないんよ。

 その歴史をたどると、昭和20年(1945年)8月、アメリカ軍を主力とする連合国軍が日本を

 占領し始めた。

 とはいえ、実質的にはアメリカ軍による単独占領で、ダグラス・マッカーサーが最高司令官

 としてGHQを東京に置いた」


一花は静かにその言葉を聞きながら、少し眉をひそめるようにして耳を傾けた。

晃司はさらに深く説明を続けた。

「GHQの最大目的は、日本を二度とアメリカに歯向かえない国に改造することやったんや。

 それで、明治から苦心して作り上げてきた政治の仕組みを解体して、

 新しい憲法を作ることに着手した。

 1945年10月、GHQは日本政府に対して大日本帝国憲法の改正を指示したんやけど、

 これは実質的に帝国憲法の放棄を命令されたようなものやった」


一花は軽くうなずきながら、話に集中していた。「幣原喜重郎内閣が改正草案を作ったんですよね?」


晃司は頷いて続けた。

「そう。でも、その草案が発表前に毎日新聞にスクープされてしまったんや。

 天皇の統治権を認める条文が含まれていたことで、マッカーサーは不快感を示し、

 GHQの民生局に独自の憲法草案を作るよう命じた。

 もちろん、この時マッカーサーの念頭には、戦争放棄条項があったことは言うまでもない」


マッカーサーの指導の下、憲法草案の作成は急ピッチで進められた。

ハリー・トルーマン政権の方針に基づき、アメリカの民生局メンバーが日本の図書館で

他国の憲法から都合の良い文章を抜き出し、わずか9日間で草案がまとめられた。

このメンバーには憲法学者はおらず、短期間で作成されたこの憲法が、

後に大きな議論を呼ぶことになる。


「それにしても、たった9日で憲法を作ったというのは驚きです」と一花が言葉を挟んだ。

「本来、憲法というものはその国の伝統や歴史、価値観が反映されて然るべきですのに…」


「その通りや」晃司は頷いた。

「でも、日本国憲法には天皇のことが第一条に書かれている以外、日本らしさを感じさせる

 条文はほとんどない。

 防大でもよく議論されたことやけど、九条の話は特に問題や。

 憲法九条には2つの条項があって、これがいわゆる『戦争放棄』の条項や」


晃司は九条の条文を引用しながら、一花に説明を続けた。

「一つ目は、国権の発動たる戦争を永久に放棄するという内容。

 そして二つ目は、戦力を保持せず交戦権を認めないと明記されている」


一花は深く考え込むようにして言った。

「その条項、確かに議論を巻き起こしてきましたよね。自衛のための戦力すら保持

 できないというのは、日本が他国から攻められたときにどう対処するのかという

 問題にもつながります」


晃司はうなずき、語気を強めた。

「まさにそこや。GHQの民生局メンバーからも、『この条項は問題やろう』という反対の声が

 上がったと言われているんやけど、結局、文言の修正だけで通してしまった。

 これがいわゆる『芦田修正』やね。

 修正後の解釈では、自衛のためなら戦力を保持できるとされたが、

 実際には自衛の権利すら制限された状態が続いている」


一花は静かに頷いた。

「GHQは憲法草案を強引に押し付け、日本政府はそれを受け入れざるを得なかった。

 天皇の戦争責任が追及される可能性があったから、飲まざるを得なかったんですよね」


「そうや。幣原喜重郎は後に、九条は自分がマッカーサーに進言したものだと語っているけど、

 実際にはそれはあり得ない。

 九条は、トルーマン政権とマッカーサーの強い意向によるものやった」


幣原喜重郎は、戦前から外交官として活躍していたが、その政治的立場はしばしば批判されてきた。

彼がワシントン会議で日英同盟の破棄を許したことや、満州事変時に日本人居留民に自制を

呼びかけ続けたことなど、彼の政治判断には疑問がつきまとっていた。


晃司は目を細め、言葉を選ぶようにして続けた。

「幣原は、アメリカの策略に乗って日英同盟を破棄させた人物でもある。

 満州で日本人が嫌がらせを受けても、彼はただ自重を呼びかけるだけやった。

 だから俺は、この憲法の成立過程を見るたびに、日本がいかにアメリカに屈したのかを痛感するんや」


一花はしばらく考え込み、静かに語った。

「私たちが今ここでどう動くかで、もしかしたらこの世界の未来を変えられるかもしれませんね」


晃司は一瞬、彼女を見つめた後、静かにうなずいた。

「ああ、俺たちの行動次第では、この世界も俺らの知っている戦後とは違った道を歩むかもしれん。

 それがどうなるかは、俺たち次第やね」


二人の間に、未来への希望と同時に重い責任が漂い始めた。歴史の分岐点に立つ彼らは、

自らの選択がこの世界にどのような影響を及ぼすのかを慎重に見定めようとしていた。


晃司と一花は、自らの手で歴史を変える可能性に思いを巡らせながら、どの道を選ぶべきかを

模索していた。

彼らの決断がこの世界にどのような未来をもたらすのか、それはまだ誰にもわからなかったが、

その選択は一つの重大な運命を背負っていた。


岡本晃司は真剣な表情を浮かべながら、先ほどの話を続けた。

「さっき新憲法の話をしたけど、手続き上は大日本帝国憲法を改正する形式を取って、

 衆議院と貴族院で修正可決され、昭和21年[1946年]11月3日に公布された。

 そして、翌年5月3日に施行されたんやね」


園田一花も頷きながら返事をした。

「はい、そうですね。大日本帝国憲法から改正された形式ですけど、実際には占領下で

 強制的に進められたものですから、その意義については疑問を持つ人も多いですよね」


晃司はさらに語気を強めて話を続けた。

「そうや。アメリカを含む世界44カ国が調印しているハーグ陸戦条約には、

 戦勝国が敗戦国の法律を変えることは許されないって明記されてる。

 それやのに、GHQが日本の憲法草案を作ったという行為自体が明確に国際条約違反やん。

 それに、ポツダム宣言が無条件降伏だったって言う人もおるけど、

 あれはあくまで大日本帝国の陸海軍が降伏しただけであって、

 日本政府全体が無条件降伏したわけじゃない」


一花は静かに考え込みながら返答した。

「なるほど、確かにそうですね。GHQが憲法を強制した事実と、ポツダム宣言の本質を考えると、

 晃司さんが日本国憲法を認めない理由も理解できます。

 それに、国際法に反する行為が元にあるとすれば、その憲法の正統性にも疑問が生じますね」


晃司は満足げにうなずいた。

「そうやろ?今話したことが俺が日本国憲法を認めない理由の大部分なんや」


ハーグ陸戦条約やポツダム宣言の解釈に基づく晃司の主張は、国際法の視点から

日本国憲法の成り立ちを批判している。

その背景には、日本が戦後に受けた強制的な変革に対する疑念が色濃く反映されていた。


一花は思慮深い表情を浮かべながら、次の話題に移った。

「では、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判についてはどうお考えですか?」


晃司は少し考え込んだ後、口を開いた。

「連合国軍は日本を占領すると同時に、様々な報復措置を行ったけど、その最初が東京裁判やね。

 俺は、この裁判自体が罪刑法定主義に反してると思ってる。

 つまり、後からでっち上げた国際法で過去の行為を裁くという『事後法』に基づいてるわけや」


一花もその考えに同調したように続けた。

「まさにその通りですね。東京裁判は、法律の基本原則である『法律不遡及の原則』に反しています。

 過去の行為に対して、後から作られた法律で裁くというのは、近代国家では許されないことです」


晃司はさらに話を深める。

「そうや。東京裁判は、実際には国際法の専門的な基盤も乏しく、連合国軍最高司令官の

 マッカーサーが出した行政命令に過ぎなかったんや。

 つまり、法的な正当性を欠いていたってことやね」


東京裁判は、日本の指導者たちを裁くための象徴的な行為であったが、その法的正当性については

多くの疑問が残る。

裁判自体は、連合国の意図が強く反映されたものであり、法の正当性を疑問視する声も多かった。


一花は、さらに裁判の内容に言及した。

「連合国は、戦争犯罪をA、B、Cの3つのジャンルに分けて日本の指導者を裁きました。

 B、C級の戦犯は主に捕虜の虐待や殺害に関するものでしたが、多くの元軍人や軍属が

 死刑になっています。

 その中には、無実の人々も含まれていたと言われていますよね」


晃司は少し苦々しい表情を浮かべながら同意した。

「そうやな。無実の者が死刑にされたケースも少なくなかった。特に、B、C級戦犯に対する裁判は、

 感情的な報復の側面が強かったんや」


一花はA級戦犯についての話に移った。

「A級戦犯は、いわゆる『平和に対する罪』というもので、昭和21年[1946年]4月29日に28人が

 起訴されましたね。

 この日が昭和天皇の誕生日だったというのも、連合国軍による意図的な嫌がらせだったと思います。

 そのうち7人が死刑判決を受け、昭和23年[1948年]12月23日に絞首刑で処刑されました。

 この日もまた、皇太子の誕生日で、連合国軍の根深い悪意が感じられますね」


東京裁判は、日本の指導者たちを裁くための場として開催されたが、その根底には、

戦勝国の報復感情が色濃く反映されていた。

特に、判決が昭和天皇や皇太子の誕生日に合わせられたことからも、

連合国軍の意図的な侮辱が垣間見える。


晃司は、少し悲しげな表情を浮かべながらも、しっかりとした声で語った。

「A級戦犯に対する裁判も、結局は事後法によるものであり、法的な正当性を欠いていたんや。

 それに対して、インドのラダ・ビノード・パール判事は、被告人全員の無罪を主張していた。

 彼は、戦勝国の立場から事後法で裁くことは国際法に反すると一貫して言っていたんや」


一花は深く考え込みながら、その言葉に頷いた。

「そうですね。ラダ・ビノード・パール判事は、東京裁判における数少ない正義の声でした。

 彼の主張が当時受け入れられていたら、歴史はまた違っていたかもしれません」


二人の会話はまだまだ続く。戦後日本の歴史に対する深い洞察と、それに基づく思索が交わされ、

未来に対する思いが少しずつ形を成していく。


晃司と一花の会話は、戦後日本の歴史に対する鋭い批判を通じて、彼らの未来への思索を深めていく。

彼らは、過去の出来事が今後の行動にどのような影響を与えるのかを見つめながら、

自分たちの役割と責任を模索し続けるのであった。

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