二人の会話 その5
1941年12月、日本
岡本晃司と園田一花の会話は、日本の歴史、特に大日本帝国が形成した大東亜共栄圏や韓国併合に
焦点を当てたものへと進んでいった。
一花は晃司に向かって、真剣な表情で言葉を紡いだ。
「史実通りなら、大日本帝国は韓国と台湾を併合し、アジア諸国に大東亜共栄圏を形成していますよね」
一花がふと目を上げて口にしたその言葉に、晃司の眉がぴくりと動いた。
「韓国併合についてはよく知られてるよね。園田さん、たしか戦史を専門にしたいって言ってたよね? かなり詳しそうやん。ちょっと教えてもらってもいい?」
「私なんて、まだまだ勉強中ですけど……そうですね、私が知っている範囲でよければ」
一花は資料を閉じ、口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「まず、日本は1895年、日清戦争に勝利しました。その後、清と下関条約を結び、
その第一条で朝鮮の独立が正式に認められたんです。これによって、朝鮮は清の属国から離れ、
名実ともに独立国家になりました」
「なるほど。朝鮮半島が他の大国の手に渡ったら、日本の安全保障は一気に不安定になるから、
独立させる必要があったんやね。属国のままやと近代化も進まへんし」
「ええ、李氏朝鮮はその後、1897年に『大韓帝国』と国号を改めます。
そして君主は、それまでの“王”から“皇帝”を名乗るようになりました。
これは朝鮮史上初めてのことです」
「中華皇帝の冊封体制の中で、“王”って称号は格下の意味やったからね。
“皇帝”を名乗るってことは、清から完全に離れたという象徴でもあるわけや」
「そうなんです。そして、漢城――現在のソウルですね――にあった迎恩門は取り壊され、
その代わりに独立門が建てられました」
「迎恩門……あれやね、清の使者を迎えるための門。三跪九叩の礼っていうんやったっけ、
額を地面に打ちつけて迎えるという……」
「はい。跪の号令で跪き、一叩で額を地面につけて音を鳴らす。
それを三回繰り返し、起の号令で立ち上がる。
それを三セット行うんですから、計九回額を地面に打ちつけることになります。
宗主国と属国の関係性を象徴する礼儀でした」
晃司は軽く目を見張った。
「ほんまに詳しいな……」
「いえ、それほどでも。でも続けますね。
日本は日露戦争後、大韓帝国を保護国として、漢城に総督府を置き、初代総督に伊東博文が
就任しました。
日本は大韓帝国を近代化して独立させるつもりだったんです。その後に保護を解く予定でした」
晃司は少し考えながら、
「なるほど、初代総督が伊藤博文というのは知ってたけど、総督府が漢城やったんやね。
日本は欧米のような収奪型の植民地政策を行うつもりはなくて、
朝鮮半島には資源が豊富じゃなかったから、併合するメリットもなかったわけか」と
感慨深げに言った。
一花は続けた。
「そうです。伊藤博文自身も併合には反対の立場でした。しかし、明治42年、伊藤博文が
ハルビンで朝鮮人テロリスト安重根に暗殺されると、状況が一変しました。
国内で併合論が高まり、大韓帝国政府や政治結社の一進会も日韓合邦を推進し始めたのです。
日本政府は当初、慎重でしたが、列強に併合を打診したところ、どの国も反対しなかった。
むしろ、東アジアの安定のために併合を支持するという意見もあったんです」
晃司は感心しながら、
「細かく覚えてるんやな。併合は武力によるものではなく、両国の合意のもとで行われたんやね」と
言った。
一花はさらに詳しく語った。
「そうなんです。両政府の合意のもとで行われたもので、国際社会も歓迎していました。
もちろん、朝鮮人の中には反対する者もいましたが、併合が非合法だとは言えません。
むしろ、日本は朝鮮半島に巨額の資金を投入して近代化に大きく貢献しました。
例えば、100校ほどしかなかった小学校を4,271校に増やし、識字率も60%にまで引き上げました。
また、全土に鉄道を敷き、農地の開拓や灌漑を行い、耕地面積を倍増させ、人口を30年で倍にし、
平均寿命も24歳から42歳に伸ばしました」
晃司は驚きながら、「ハングル文字もこのとき日本が普及させたんよね」と確認した。
一花は頷いて答えた。
「そうです。また、朝鮮半島には森林がほとんどなくなっていましたが、6億本の木を植え、
鴨緑江には当時世界最大の水力発電所を建設しました。近代化は驚異的でしたね」
晃司は同意しながら、「それでどこが収奪なんや、って感じやな」と苦笑した。
一花はさらに続けた。
「ですね。確かに『植民地』という言葉は使われていましたが、欧米の収奪型の植民地とは
全く異なります。
日本名を強制した事実もなければ、慰安婦狩りをした事実もない。
そういった誤解や捏造が多いんです。
ただ、韓国併合が結果的に失敗だったと言わざるを得ない部分もあります。
100年以上たっても未解決の問題が尾を引いていますから」
晃司は少し寂しげに言った。
「日本は大韓帝国を保護国として近代化させる道を取るべきやったかもしれんね。
彼らの自立は何十年も遅れただろうけど、それが最善の道やったかも。
戦後は韓国が謝罪を求め、日本はそれに応じて謝罪し続けたけど、
ドイツがオーストリア併合については全然謝らなかったのに比べて、
日本は過剰に謝罪してきたよね」
一花は同意しながら、
「確かにそうですね。韓国併合についての認識は、他の国々とはかなり異なっていると感じます」と
言った。
晃司は思いを巡らせながら、
「朝鮮半島の民族は『恨みの文化』で何千年も生き抜いてきたと言われてるやん。
自分たちで独立した国を作ったことはほとんどないし、常に他国に支配されて、
その支配者を恨んできたんやろね。
韓国併合前には反日感情はなかったけど、アメリカが親分になってからは反日になって、
日本を下に見たいという中華思想が根強く残ってるんや」と語った。
一花は深く頷き、
「そうですね。韓国は自分たちの歴史を中華思想に基づいて解釈しているところがあります。
彼らは自分たちが兄で、日本を弟分と見ている。
それが実際には逆だから、どうしても日本を許せないという感情が強く残っているんでしょうね」と
述べた。
晃司は苦笑しながら、
「ほんまにやっかいやな。しかも北朝鮮はさらに中華に近いから、韓国よりも上と見なされてる。
これもまたおかしな話やけどね」と付け加えた。
二人の会話は、朝鮮半島の歴史から始まり、日本の近代化政策、さらにはアジア全体に広がる
文化的な認識の違いにまで及んだ。
話題は韓国から台湾へと移り、二人は過去の記憶と知識を頼りに、熱心に語り合っていた。
「私たちのいた時代となっては有名な話とはいえ、よく知っていますね」と一花が軽く微笑んで言った。
「俺もこれくらいは知っとるさ」と
晃司も笑みを返しながら、続けて言った。
「ところで、台湾についても教えてくれへんか?」
「はい、では台湾の歴史について少しお話ししますね」と
一花は姿勢を正し、頭の中で整理された知識を思い出しながら話し始めた。
「日本が台湾を統治した時代は、日清戦争の結果、1895年の下関条約によって始まりました。
その後、1945年まで続きましたが、日本が台湾に及ぼした影響は非常に大きかったんです。
たとえば、島の南北を貫く中央山脈は平均標高が3000メートルで、
その中でも玉山は4000メートル近くあり、日本統治時代には『新高山』と呼ばれていましたね」
晃司はにやりと笑い、小さな声で囁いた。
「だから、『ニイタカヤマノボレ』が攻撃開始の暗号だったんやね」
一花も笑顔を浮かべ、「有名ですよね」と頷く。
「でも私たちのいた時代、多くの日本人は台湾の住民がほとんど漢民族だと誤解していました。
でも、それは間違いなんです」
「そうなん?」晃司は眉をひそめながら、話に興味を持ち始めた。
「実は、台湾の住民の多くは漢民族ではなく、平捕族と呼ばれる原住民でした」と
一花は熱心に説明を続けた。
「平捕族は台湾の平地に住む原住民で、彼らの存在は私たちの時代の研究で明らかにされました。
もともと台湾には清朝時代以前から多くの原住民がいて、
彼らが本省人として後に認識されるようになったんです」
「なるほど。けど、オランダや鄭成功が台湾を支配したって話もあるやろ?」
晃司は少し驚いたような顔で尋ねた。
一花は頷きながら、
「はい。1624年にオランダが台湾統治を始め、その後鄭成功がオランダを追い出して
台湾を支配しました。
しかし、彼が連れてきた漢民族の数は少なく、鄭氏の支配が清に敗れてからは、
彼らも中国本土に戻されました。
清は台湾を海賊の拠点にさせたくなかったので、あえて台湾への移民を制限し、
できるだけ関与を避けたんです」と説明した。
晃司はしばし黙って話を聞きながら、台湾の歴史の複雑さを噛みしめていた。
目の前に広がる景色が、過去と重なり合い、まるで二人がその時代を生きているかのような
感覚があった。
「それで、1871年の牡丹社事件が起きたんやね」と晃司が話の流れを引き戻すように言った。
一花は少し申し訳なさそうに、
「はい、その事件でパイワン族が日本の朝貢船の乗員を殺害してしまい、
明治政府が清に抗議しましたが、清は『台湾は化外の地だから関係ない』と言いました。
そこで日本はやむを得ず、軍を派遣して事件を収めました」と語った。
晃司は感慨深げに頷きながら、
「台湾のことをそんなに重要視してなかったんやね、清は。まるでお荷物扱いやったんやな」と
つぶやいた。
「その通りです」と一花は答え、
「1895年、日清戦争で敗れた清は台湾を日本に割譲しました。
清側の代表、李鴻章は日本に対して『どうしてあんなところを欲しがるのか』と言ったそうです。
台湾を日本に押しつけるかのような態度でした」と続けた。
晃司は驚いたように目を見開き、
「そんな経緯やったんか。台湾って清にとってそんなもんやったんやな」と呟いた。
一花は「はい、台湾は日本にとって大きな意味を持ちましたが、清にとっては厄介な土地だったんです」
と付け加えた。
晃司はしみじみと頷き、
「それでも、日本が台湾を発展させたことは間違いないよな。教育を広め、インフラを整備して、
台湾の人々の生活を向上させた」と言った。
「そうですね」と一花も頷く。
「私たちがタイムスリップする直前の2024年の世論調査では、台湾で最も好きな国は日本という
結果が過去最高になっていました。
日本統治時代のことが今でも評価されている証拠です」
晃司は感心しながら、
「本当に台湾の人々にとっても日本の統治時代は特別なものだったんやな」と語った。
一花は謙遜しながらも、少し誇らしげに
「台湾に限らず、私たちの先祖はアジアの多くの国々に影響を与えました。
大東亜共栄圏の理念の下で、アジア諸国の発展に大きく貢献していたんです」と話を締めくくった。
晃司は静かに頷き、
「俺たちの先祖は、ただ戦っただけじゃなく、地域を発展させ、人々に希望を与えたんやね」と
感慨深く言った。
二人の会話は静かに続き、歴史の重みと共に過去の日本が果たした役割について、
さらに深く考えさせられる夜となった。
次第に夜が更け、風の音だけが静かに響く中、晃司と一花はまだまだ語り合い続けた。