二人の会話 その3
夜が更けて、静寂が二人を包む中、岡本晃司の表情には少し険しいものがあった。
彼の目は、過去の歴史を振り返りながら、深い思索に浸っているようだった。
彼は静かに、しかし力強く話し始めた。
「少なくとも動物には生まれながら闘争本能があるよな。そして、人間の場合、
その形態の一つが軍事というものに表れる。
違いは、人間はそれによって殺傷までするってことや。
もちろん、これを愚かにも賢明にもと捉える人がいるけどね」
晃司の言葉には、軍事というものの根源に対する冷静な洞察が含まれていた。
園田一花は、彼の言葉に共感しつつも、自分の考えを述べた。
「さっきも言いましたけど、アメリカは戦争で外からの大量殺傷を経験していない国です。
それゆえ、恐らく本質的に敵を求め、戦争を望む人種が多いんじゃないかと思います。
それに、アメリカには戦争で儲かる戦争産業があって、その辺りも世界の戦争に
大きく関与しているでしょうね」
その言葉には、一花の冷静な分析とアメリカに対する皮肉が込められていた。
晃司は少し頷き、彼女の見解に同意を示す。
「俺もそうじゃないかと思うよ。俺たちの歴史では、第二次世界大戦の大東亜戦争中に、
東京大空襲をきっかけに無差別爆撃が始まるよね」
「ええ、指揮したのはヘンリー・アーノルドに任命されたカーチス・ルメイですよね」と、
一花もすぐに応じた。
晃司はふと遠い記憶を思い返すように語り出した。
「戦後、ルメイは日本爆撃に道徳的な考慮があったかと質問され、こう答えているよね。
『当時、日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。
私が頭を悩ませていたのは、戦争を終わらせることだった』ってね。
そして、『もし戦争に敗れていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。
幸運なことに、われわれは勝者になった』とも」
カーチス・ルメイは、第二次世界大戦中に日本への無差別爆撃を指揮したアメリカの軍人であり、
その作戦は多くの市民を犠牲にした。
戦後、彼の行為はしばしば倫理的な批判を受けたが、彼自身はその決断を正当化し、
戦争を終わらせるための手段だったと語った。
しかし、勝者であった彼の言葉には、戦争の冷酷な現実と道徳的な葛藤が入り混じっていた。
一花はルメイの言葉に対して、冷静に理解を示す。「もちろん、それは知っています」
晃司はさらに深く追及するように話を続けた。
「ハーバート・フーヴァー、かつてのアメリカ大統領は原爆投下について、
『アメリカ人の良心を永遠に責め苛むものだ』と言っていた。
無差別爆撃も同じじゃないか? ルメイは戦争を終わらせることにしか頭がなかったが、
それはほとんど利己主義のようにも感じるんや」
その言葉には、晃司が抱くアメリカに対する厳しい批判が込められていた。
一花はその意見にうなずきながら、再び口を開いた。
「無差別爆撃などせず、ほかに戦争を終わらせる方法はなかったのでしょうかね…。
日本国内では、サイパン島の陥落以来、大東亜戦争の帰趨が決まっていて、
日本も戦争終結に向けた動きを模索していましたよね。
アメリカもそれを知っていたはずです。
ウィンストン・チャーチルも、『最後の攻撃の拠点となっていた海洋基地を押さえ、
突撃に出ることなく本土軍に降伏を強制することができたのは、
ただ海軍力のおかげだった』と述べています」
晃司は一花の言葉を噛みしめるように聞いていた。そして静かに、だが強く反論するように口を開いた。
「具体的にどうすればよかったかは、すぐには思いつかんけど、戦争がほぼ終結していた
状況での無差別爆撃は誰にでもできることや。
結局、非戦闘員、つまり女子供しか殺傷できなかったんや。
それを考えると、軍人としては無能を証明してるようなもんやろう」
その言葉には苛立ちが込められていたが、一花は冷静に応じた。
「確かに、そんなことは私でも考えつきますよ」
晃司はさらに感情をあらわにする。
「そして、ルメイが自分の行為を正当化する言葉を見ると、彼はまるで軍人が人間ではないと
言っているように聞こえる。
戦争犯罪人として裁かれる可能性があることを理解していたが、彼の言い分は卑怯で臆病者のようや。
欧米の白人たちの中には、黄色人種を人間以下だと誤解していた連中がいたから、
彼もそれに基づいて動いていたのかもしれんけど、結局どんな理由でも、故意に人を殺すことは罪や」
一花はその言葉に共感を示しながら、深く考え込んだ。
「無差別攻撃、非戦闘員への故意の殺傷には、やはり抵抗を感じますよ。
私も同感です。
それと…先輩が軍人に対して悪く言われることに反感を持つ気持ち、よくわかります」
晃司は軽く肩をすくめ、少し気まずそうに笑った。
「そうかもしれんね。政治家は直接武器を持って戦場に立つわけじゃないから、
そういうことが麻痺してるのかもしれん」
一花も深くうなずいた。
「政治家は確かにそうでしょうけど、軍の上層部はどうでしょうか…必ずしもそうとは
限らないんじゃないですか?」
二人の間には、歴史と戦争に対する複雑な感情と考察が交錯していた。
無差別爆撃や戦争犯罪に関する議論は、軍人としての倫理や、人間としての価値観を
問い直すものであった。
それは、彼ら自身が今後どのように行動すべきかを深く考えるきっかけにもなっていた。
晃司は静かに、しかし決して揺るがぬ決意を持って続けた。
「まあ、ただルメイは爆撃にあたる部下に向かってこうも言うているよね。
『爆撃する際、日本の女子供が悲鳴をあげているのを想像することもあるだろう。
しかし、そんな気持ちが少しでも起これば、ためらわずに一切捨ててしまえ』
…ってさ。俺は軍人になりたかったからかもしれんけど、日本人としても、
このルメイってやつだけはどうしても許すことができないんよ」
晃司は拳を握り締め、怒りを内に抑えつつ話を続けた。
「こんなやつがいたんやから、俺たちの時代のアメリカの政治家や軍の上層部にも素晴らしい
人物がいたはずやが、全員がそうじゃないってのは間違いない。
それが、俺がこの戦争を負けにしたくない理由や。
これから自分が連合軍の将兵を戦闘で殺傷することになったとしてもね」
彼の瞳は鋭く、決意がにじみ出ていた。一花はその強い感情を感じ取り、少し柔らかな声で返した。
「心中、お察しします」
晃司は一瞬だけ彼女の目を見つめ、少し安堵したような表情を浮かべた。
だが、彼の考えはすぐに次の問いへと移った。
「さっき言った無差別攻撃を避けて戦争を終わらせる方法やけど、原爆投下はどうなんやろね。
表向きは、日本本土への上陸作戦でアメリカ軍が大きな被害を出すのを防ぐためやって話やけど…」
一花は静かに頷いたあと、再び口を開いた。
「フーヴァー元大統領がこうも言ってますね。
『1941年の日米交渉では、フランクリン・ルーズベルトは日本側の妥協を受け入れる
意図は初めからなかった。彼は日本側の誠実な和平の努力をことごとく潰した』
さらに、アメリカ陸軍のアルバート・ウェデマイヤーは、
『ルーズベルトをはじめとする英米が掲げた日独に対する無条件降伏の要求が、
戦争を不必要に長引かせ、かつ必要以上に残酷なものにした』
と言っています」
晃司は一花の言葉に耳を傾けた後、深く息を吐き出した。
「ルーズベルト等は、戦争を長引かせたかったんやないかな」
「どうしてですか?」一花は疑問を浮かべながら尋ねた。
「原爆が完成するまで戦争を終わらせたくなかったんやと思う。実際、原爆投下は
ルーズベルトが決めたもんで、当初は日本の11都市に投下する予定やった。
その中には日本の古都、京都も含まれてたんや。
つまり、原爆投下は実戦における地上実験、さらには人体実験であったのやと思う」
晃司の声には、憤りと冷静さが入り混じっていた。
「日本に降伏を促すために原爆の威力を見せつけるのなら、広島で十分にその効果は出たはずや。
それやのに、なぜ3日後に長崎に、それも違う型の原爆を落とす必要があったのか。
それを考えると、彼らの目的は日本を屈服させるためだけではなかったように思えてくるんや」
「ほんとですね…」一花はしばらく考え込んだ後、つぶやくように同意した。
晃司はさらに、戦後の冷戦時代の影響について語り始めた。
「さらに、戦後の世界ではアメリカとソ連が覇権を争うことは明らかやった。
原爆の使用は、その覇権争いに対する抑止力、威嚇の意味もあったんやろう。
トルーマンはただ命令を実行しただけかもしれんが、アメリカはその圧倒的な軍事力を
世界に示すために、実際にその威力を使いたかったんやと思う」
一花は、その考察に静かに頷きながらも、晃司の洞察力に少し驚きを隠せなかった。
「なるほど、そういうことだったんですね…」
晃司の考察は、一花にとって単なる軍人の視点を超えた、より深い洞察を感じさせた。
彼の論理的な思考と冷静な分析には、単なる感情論を超えた説得力があった。
彼女は、自分の中で湧き上がる何か憧憬に似た感情を、
無意識のうちに感じ始めていたのだった。
晃司は一花の反応を静かに見守りながら、再び思索にふける。
彼らはこの戦争の真実を見つめ、その裏にある複雑な人間の感情と政治的意図を理解しようとしていた。
そして、それは彼ら自身が今後取るべき行動にも影響を与えるだろう。