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二人の会話 その1

静かな夕暮れの光が窓辺に差し込む部屋で、園田一花は遠くを見つめながら言葉を選んでいた。

空気にはわずかに緊張感が漂い、彼女の声はどこか不安げだった。


「世界線ですか…」一花が静かに口を開く。

「私もそういうのはよくわからないです。私たち、元の世界に帰れるんでしょうかね?」


その問いかけには、彼女自身の不安と疑問が込められていた。

彼女たちがいるこの異なる世界は、どこか歴史から逸脱しているようで、未来の行方が全く見えない。

しかし、隣に座る岡本晃司は落ち着いた声で返答した。


「わからん。帰れるかどうか、この時代や世界で生きていくしかないか…どちらにしても史実通りなら、

 まだこの世界の日本は敗戦を免れる可能性はあるんや」


晃司の声にはどこか冷静さが漂っていた。彼は何かを見定めるように、思索を巡らせているのだろう。

一花もそれを感じ取ったのか、しばらく沈黙が続いた。


「ただ、政戦略的には…」晃司は言葉を続けた。

「もう日本は、アメリカの政戦略に乗せられた後やけどね」


一花はその言葉に深くうなずいた。彼女の視線は床に落ちていたが、

思いは過去の歴史を振り返っていた。


「ですね、ABCD包囲網による経済制裁で資源の輸出入は止められ、

 最終的にはハルノートにより武力的に先に開戦させられた後ですからね…もう」


彼女の言葉は静かでありながら、その歴史的事実に重みを持っていた。

二人の間に張り詰めた空気が流れる中、説明的な声が頭の中で響くかのように、

歴史の詳細が語られていく。


ABCD包囲網とは、大東亜戦争時の真珠湾攻撃以前から、日本に対して行われていた

貿易制限のことを指す。

アメリカ(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オランダ(Dutch)の

頭文字を取ったもので、これにより日本は資源不足に陥り、経済的に追い詰められた。

そして、アメリカから突きつけられた「ハルノート」は、まるで避けることができない

宣戦布告のようなものであった。

その内容は過酷であり、日本にとって受け入れがたいものであった。


晃司はため息をつきながら、再び口を開いた。

「せやね…ここから後、どうしたもんかな。何か手はないかな」


一花は不安げな表情で彼を見つめた。「先輩、何か考えてるんですか?何かするつもりなんですか?」


晃司は軽く微笑んだ。

「うん。世界線とかどうとかはわからんけど、ここは過去の世界の日本や。

 日本が負けんよう、何かできたらと思ってね」


その言葉を聞いた瞬間、一花の胸には驚きと同時に決意の色が浮かんだ。

「歴史を変えるつもりなんですね。反対はしません。それなら私も一緒に何かしたいですよ」


彼女の言葉には力強さがあり、晃司もそれを感じ取ったようだった。


「そうか、よし決めた」晃司は自信に満ちた声で宣言した。

「参謀本部に行って、俺たちの正体を明かして、使ってもらおう。園田さん、君も一緒に行こう」


参謀本部とは、大日本帝国陸軍の最高機関であり、作戦計画を立案する場所である。

その指揮下にある者たちは、日本の未来を左右する重大な決定を下していた。

そこに飛び込むのは、命を懸けた大きな賭けとなるだろう。


しかし、一花はその提案に強い反対を示した。

「先輩、それはだめです!信じてもらえる以前に、この格好ですし…相手にされないどころか、

 アメリカの密偵か何かだと思われて捕まるかもしれませんよ!」


彼女の言葉には現実的な危機感があった。晃司は少し悩んだ表情を見せたが、

それでも決意を変えることはなかった。


「そうかなあ…やってみないとわからんやろ。でも、もし参謀本部がダメなら、海軍の軍令部はどうや?

 この時期の軍令部総長は見識が広いし、融通も利く人や。

 失策はあったが、物事にとらわれないと聞いている」


軍令部とは、日本海軍の中央統括機関であり、作戦と指揮を担当していた。

もしそこに話を持ち込めば、彼らの未来が変わる可能性があった。

しかし、その道は決して簡単なものではない。


一花は再び、考え込んだ様子で口を開いた。

「それもだめだと思いますよ、総長に会う前に軍令部の下士官にとらわれて、

 尋問を受けてしまう可能性が高いです。

 信じてもらえず、逆にアメリカの密偵か何かと疑われるでしょう。

 捕らえられるリスクは大きいですよ」


晃司は眉をひそめたが、まだどこか楽観的だった。

「そうかなあ…でも、正体を早々に明かしてしまえば、下士官にでも伝われば総長まで

 話が届くと思うけどな」


一花はその言葉に、少し困ったような表情を浮かべながら首を横に振った。

「厳密にはいつからか覚えていませんけど、開戦後は軍令部総長が次長以下にほとんどの

 責務を任せて、自らは戦死者の墓碑銘を書く日が多かったと言われています。

 もうそんな状況だと、やはり危険すぎますよ」


晃司はため息をつき、少し肩をすくめた。

「そうやったか…。確かに、やってみないとわからんとはいえ、特高警察のせいで、

 そこら辺で天皇陛下の陰口を言うただけで捕まったって、爺さんが言うてたもんな。

 今の俺たちの常識じゃ、測り知れんわな…」


特高警察とは特別高等警察の略で、国体護持を目的に無政府主義者や共産主義者、

さらには国家の存在を脅かす者を取り締まるために設置された、日本の秘密警察である。

特に戦時中は、思想弾圧を強化し、国民の言動にまで厳しい監視の目が向けられていた。

その恐怖から、当時の人々は自由に言葉を交わすこともままならなかったという。


「参謀本部とか軍令部とか、あまりにも中枢すぎて危険です。

 何か他の手を考えましょう…でも、確かに困りましたね」と、

一花は口元に手を当て、深く考え込んでいるようだった。


二人はしばし黙り込んだ。思わず訪れた沈黙の中、時折外の風の音が静かに響く。

彼らの中で、次にどう動くべきかの策がまだ浮かんでこない焦りが徐々に募っていた。


「先輩は関西弁ですし、関西のご出身ですよね?」ふと一花が問いかけた。


晃司は少し和らいだ表情で応じた。「うん、大阪よ。君は?」


「私は横浜です」


その答えに、晃司は軽く笑みを浮かべた。

「そっか。休みの日に町へ行くとしても、東京ばっかりで横浜にはあまり行ったことないなあ」


一花はその言葉にうなずき、少し遠い思い出を語るように話し始めた。

「横須賀からだと、どうせならって感じで東京に行くことが多くなりますよね。

 私も大阪には行きましたよ。

 泊まりがけで、京都や神戸にも観光で行ったりしました。

 関西は歴史が古くて、そういった意味でも観光する場所が多いですよね」


晃司は興味を引かれた様子で尋ねた。「観光好きなん?それとも歴史に興味あるんかな?」


一花は微笑みながら頷いた。

「歴史が好きです。昔から、特に戦史には興味があります。防大に入ってからは、

 ますますその興味が強くなってきましたね」


防衛大学校は、理系を主軸としながらも、歴史や戦略の研究を重視している。

学生たちは、理論と実践の両方を学び、将来の指導者としての資質を磨く場でもあった。

晃司もまた、その教育を通じて歴史や戦略に対する深い知識を培っていた。


「俺も歴史は好きやで。子供の頃から、ずっと歴史の本を読んできた。戦史も興味があってね。

 ただ、得意ってほどでもないけどね」と、晃司は照れくさそうに言った。


「でも、防大の皆さんは、そういった歴史や戦史をそれなりに学んできた人ばかりですよね。

 私も、歴史は好きで、特に古来からの戦史は興味があります」と一花が続ける。


「じゃあ、戦史の研究をもっとしたいんかな?」


一花は少し遠くを見つめながら、静かに答えた。

「はい、ただ、本格的に戦史を研究するとなると…大学院での研究が必要ですね。

 私も、戦略の研究には興味があって…」


晃司は彼女の言葉に賛同するように頷き、軽く笑みを浮かべた。

「そうやね、俺も戦略には興味ある。大学院とか博士課程まではちょっと無理やけど、

 防大で実戦形式の勉強はさせてもらったから、十分やと思ってる」


二人は互いの興味や過去の経験についてさらに話し続けた。

その間に、彼らの間にあった緊張は少しずつ和らぎ、今は少しだけ穏やかな時間が流れていた。

しかし、二人とも心の奥では、この世界でどう行動すべきかという難題が、

依然として大きくのしかかっていた。


晃司と一花は、現実の厳しさを前に立ち止まりながらも、互いの思考を深め合うことで少しずつ

未来への糸口を見つけようとしていた。

戦史や過去の知識は彼らにとって重要な武器となるが、果たしてそれだけでこの過酷な

運命に立ち向かうことができるのだろうか。

彼らの行く先は、まだ霧の中に隠れていた。


部屋に広がる夜の静けさの中、二人はなおも続けて会話を繰り広げるのであった。

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