表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイデンティティ・シンクロニシティ  作者: 伊藤沃雪
function Synchronicity(){ var files=
9/40

scene(2,Ⅴ);

 ヴァンテ宅を借りて休むことにしたクロエ達。研究所でも感じたことだが、ヴァンテは組織内での職位が高いのか、住居内の設備や家具調度品まで、値が張りそうなものが多かった。



「アンタさぁ……どこで寝てんのよ」

 そうして寝支度を整えていざ寝る、という頃になって、ヘレンが不満げに声を荒げた。ベッドから離れて、フローリングに布を重ねて寝転がっていたクロエは、思わぬ文句を喰らって驚いた。


「何か不満あるか? 換装身体(パーボディ)が同性でも、()()は異性なんだろうから気を使ったつもりなんだけど」

「チッ面倒ね、どっちでもいいでしょ。そんな所で寝たら余計に疲れるわ。許してあげるから早く入りなさい」

 ヘレンはベッドの逆端に向かってもぞもぞと進みつつ、苛立ちを隠さず言い捨てた。クロエは逡巡したものの、せっかく申し出をもらったのでお言葉に甘えることにした。ベッドは3、4人程度は入れそうな大きいものだったので、下手に触れてしまう心配は無さそうだった。


「結構優しいトコあんだな、お前」

 クロエが呟いた途端、ヘレンは即座に顔をこちらに向けてぎろっと睨んだ。


「フン! 普段は優しくなくて悪かったわね」

「あ⁉︎ 褒めただろ! 揚げ足取んなよ!」

「うるっさいわね~! 黙って言うこと聞いておきなさいよ! また殴るわよ」

「やめろ! 潰れちまうだろ!」

 不毛な応酬を何回か繰り返してから、クロエとヘレンは互いにふん、と不満げに背を向ける。


(本当なんなんだよこの暴力ヒステリック女は〜!)

(本当煩い、キャンキャン吠える金髪野郎ね)


 ふたりは怒りが収まらない様子で、悶々としながら黙りこくっていた。クロエからすれば、助けてやってんのに、という気持ちもあるが、とにかく性格が真反対すぎると思った。つい、上層階にいた時の大人しい姿を思い返してしまう。


「大体アンタ、何でわざわざ女性種体(じょせいしゅ)なんて着てんのよ。レース選手にしたって、性能的に不利でしょう」

 ヘレンは反対方向を向いたまま、怪訝そうな声を投げてきた。女性種体というのは換装身体のモデルの一種のことだ。平均的な生身の女性に近い身体能力を持った品種だが、他モデルと比較すると運動能力や戦闘能力では劣っている。


「女にしかなれねーし、使えねーんだよ」

「女しか? どういうこと?」

「生まれつきそうなんだ。男性種体(だんせいしゅ)とか軍用種体(ぐんようしゅ)に適合できない体質でさ。女性種体しか使えねえの」

 クロエはベッドから手だけ持ち上げてひらひらと振ってみせる。思わぬ事情を聴いたせいか、ヘレンの方が表情を曇らせた気がしたので、そのまま話を続けた。


「オレは身体は女にしかなれないんだけど、精神はほぼ男だと思う。でもそんな事は関係なく、思ったようにしてるだけさ。オレからすれば、上層階の連中が言ってる〝均等運動〟っていうのもワケわかんねーけどね。好きな身体で居たらいいだけなのに、わざわざ男女とか性自認とか、他人に気を使って自分たちの首を締めてる。不自由な奴らだなって思うぜ」


 〝均等運動〟は、換装身体は整った外見のものだけでなく、老若男女のものを均等に使用するべき、という主義思想だ。近頃の上層階ではスタンダードな考え方になりつつある。


 換装身体の登場は身体と性別に関するあらゆる問題を解決した。一方で本当の自分は何者なのか、どんな嗜好、才能、アイデンティティを持っているのか。それが分からずに思い悩む者、他社の権利を侵害する者たちを生み出し、一種の社会問題となっている。





「そう……嫌な言い方して悪かったわね。しかし、そんな弱っちい身体で私を助けようなんて、よく考えたわね? その拳銃もまともに撃てないでしょう」


 本当に悪かったと思っているのか?と言いたくなるような辛辣な言葉が飛んできたが、クロエはいったん我慢した。殴り合いになったら負けるし。ヘレンは答えを受け取る準備をするように、ベッドの反対側でごろんと身体を反転させ、こちらを向いた。


 拳銃を持っていると気付かれていたことには正直驚いた。護身用にと少佐から貰ったもので、上着の内ポケットに入れている。実際、彼女の言うことも最もだ。女性種体は戦闘を考慮していないので、拳銃を発砲した反動だけでも耐久がゴリゴリと減ってしまう。とにかく戦うことに向いていないモデルなのだ。


 にも関わらず、なぜヘレンを助けたのか。『自殺病』の人間を助けて匿っていると知れたら、軍部から追われる。クロエに限ったことではないが、『自殺病』の人間を助けようとは誰もしない。軍部の方針に逆らえば、逮捕勾留、拉致監禁、何でもござれだ。

 あの時は必死だった。ヘレンが目の前で飛び降りようとしていて、止められるなら止めたかった。もう、人を見捨てるような──目を背けたくなかった。


 


「……わかんねえけど、オレはとにかくお前に死んでほしくなかったんだよ」


 クロエはヘレンの方へ再び向き合って、適切な答えが見つけられないまま声にした。軍部も関わっていると知ったいま、無力な自分にヘレンを救えるかどうか、自信はない。ただ、死んでほしくないという気持ちだけは真剣だった。

 ヘレンは目をみはるようにしてから、なぜか再び背を向けて、視線を逸らしてしまった。嫌悪感によるものではないようだった。何かを言わんとして考えている様子を感じたので、口を挟まずにいた。




「……私の換装身体(パーボディ)の姿、姉のものなの」


 ベッドの反対側で、ヘレンは背を向けてうずくまっている。


「姉のアノンは……『自殺病』で身を投げたわ。止めようとしたけど、間に合わなくて……。大好きなの。私の言うことを何でも受け止めてくれて。仕事から帰ると美味しい料理や甘味を用意して待っていてくれたりしたわ」

 ぽつぽつと語る声色がわずかに震えた。


「姉が飛ぶ瞬間を見て、受け入れられなかった。気づいたら、姉の換装身体を着ていたわ。ヴァンテは死んだって言っていたけど、なら何故ああやって死んでしまったのか……それを知りたい」

 決意の固さを表すように、ヘレンが身体にかけていたブランケットの端をぎゅっと握りこむのが見えた。


「……そっか。姉ちゃんのことも、お前の症状のことも、解決策が見つかればいいよな。それまでは、傍に居てやるからさ」

「……」

 クロエがそう言って笑う。ヘレンは何も言わず、深く深呼吸を繰り返している。息を整えているのが窺い知れた。


「……アンタには感謝してるわ。上に戻ったら私はまたお荷物ね。見捨てていって」

「見捨てるかはともかく、上に戻るって?」

「匿われているとはいえ、ずっとここには居られないでしょ。一旦下層階に戻った方がいいわ」

「ああ、そういう……」

 返事をしながら大きくあくびをした。今日の疲れが出ているのか、急激に眠気が来た。


「ま、明日の事は、明日……考えようぜ。おやすみ……」

 眠りに落ちる前のふにゃふにゃした声色で、何とか返答をした。睡魔に抗えなかったクロエは、そのまま眠りに落ちて行く。


「……」

 ヘレンは無言で、目は開いたままだ。廃墟層に薄暗いままの朝がやって来ても、彼女はベッドの上で考えごとを続け、眠れずにいた。

【用語解説】

男性種体だんせいしゅ女性種体(じょせいしゅ)軍用種体(ぐんようしゅ):換装身体の各モデル名称。用途や職業に応じてモデルがあり、性能差がある。

・〝均等運動〟:換装身体を優れた外見の者に限らず、老若男女のものを均等に使用するべき、という主義思想。上層階ではスタンダードな考え方。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ