scene(7,Ⅱ);
下層階のスラム地域。軍部隊、ノフィア、アウリスと3者入り乱れての銃撃戦がはじまってから、数刻が経過していた。
「っくそ、弾切れだ!」
アウリスの戦闘員が舌打ちしながら、使い終わった銃を投げ捨てた。彼のチームはスラム内を転々としながら戦っている。しかし敵に挟撃されて危機に瀕していた。軍部とノフィアは手を組んでいるので、アウリス側が不利な状況に立たされるのは当然だ。
そこへ、ぎゃりぎゃりと喧しい音を立てて何者かが現れる。砂埃と背の低さで、誰か分かるまで時間がかかった。
「お前ら、シケたツラしてんじゃねえぞ! ほら補給だよ!」
とても車椅子とは思えないスピードで飛び込んできたのは、ボスだった。すかさず彼女の護衛のふたりが、車椅子に積載されていた銃器を取り外して、戦闘員たちに投げ渡していく。
「ボス、ありがとうございます!」
「って言ってもボス、これじゃ消耗戦です。状況が変わらねえ限りは……」
「うるせえ、今そのひっくり返す準備をやってんだよ! お前らはここで敵の相手をして、踏ん張っとけ!」
ボスはそう叫んだあと、自身も散弾銃を手にしてマガジンを装填し、振り向かないままに後背に向かって撃った。銃弾は背後に迫っていた敵兵に命中し、倒れる。部下たちが息を呑むのは無視して、ボスは散弾銃を今度は正面に構える。
ところが、突如戦況の空気が一変した。戦っている最中のノフィアと軍隊側が、悲鳴を上げて逃げまどい始めた。
「うっ、わぁああー!」「床がっ、床がーっ!!」
今しがたまで立っていたスラムの地面が、徐々に狭まっていく。地面やスラムの家屋に続き、行き場を失った敵兵たちが足場を失って落ちていくのが見える。
ヴァンテが廃墟層から仕掛けたのは、下層階と廃墟層の、2つの層を隔てている床板──廃墟層から見た天板を開口することだった。敵をスラムまで誘導したのはこの為でもある。戦闘を有利に進めていた筈のノフィア達は突然足元をすくわれ、廃墟層へと落下していったのだ。
「ぼ、ボス! やつら突然消えて……」
「ああ、やっと来たね。おせぇってんだよな、あの金髪不良犬!」
待ち侘びていた合図が来たと理解し、すぐさま車椅子を旋回させる。
「じゃあ上に向かうよ! いくら廃墟層に落としたって全員じゃない。こんな所で割り食っていられねえ!」
続けざま大声で命じると、アウリスの構成員たちが自身を追い越して走り去っていく。護衛のふたりとともに。自身も上層階へと向かう。
「……てめぇ、待てよ。待ちやがれェーッ‼」
背後から、怒り狂った声が浴びせられた。声の主が誰なのか分かっていて、ボスは振り向きながら笑った。
「いいツラだねぇ、アナスタ……」
「キャンベル……いけ好かないババアだと思ってたがよお、とっとと殺しとくべきだったよなぁ!」
ノフィアの首領。先ほど床板が開いたエリアで、多くの部下を失ったはずだ。軟派な態度しか見せないこの男が、ここまで敵意をむき出しにしているのは初めてだ。
ボスとアナスタが向き合ったのと時を同じくして、層全体に洗浄雨が散水され始めた。雨水のようにして、5日に1回、【塔】内すべての層に降り注ぐ。人体には無害だが、もともと中心部に向かってなだらかな坂になっている各層のゴミや汚れを水流で流し、廃棄口へと回収していく。そう、蟻地獄のように。
「てめぇも……流して貰えよ。〝腐泥の王様〟」
「口の利き方に気を付けな。もうアタシは、てめぇを思う存分撃っちまっていいんだからよ!」
洗浄雨に降られる中、ノフィア達は姿を消し、アウリスは残った軍隊と戦いながら進もうとしている。この場に残されたボスとアナスタは対峙し、同時に銃口を向け合った。
上層階〈フォロ・ディ・スクラノ〉の管理司令部。
配下の兵士たちがあくせくと働くなか、その男だけはゆったりと革張りの椅子に腰を下ろしていた。感触を確かめるような拳を握っては開く、という動きを繰り返すたび、ぎゃり、という不自然な音を鳴らしている。
『報告します。下層階の戦力損傷、先行軍40%、ノフィア80%……』
『廃墟層から定時連絡上がってきてません』
『〈フォロ・ディ・スクラノ〉内に不審な運送業者の出入りあり、解析中……』
脳内に鳴り響く有象無象の報告。口を挟もうとはしないが、何を聞いても大して動じる様子はない。下層階での戦いが劣勢に追い込まれていることも、男にとっては些事だ。
『遷移エレベータ監視映像にノイズあり、姿は見えませんが何者かが上昇中です』
濁流のような声の中からそれを聞いた時、男はぐい、と笑みを浮かべた。実際には顔の左右で形が違っている醜いもので、不気味な表情だった。
『ユリアスだ。あやつめ、もはや骨の1本も残っていないものと思っていたが。牙が生え変わったのか?』
男が誰へともなく呟くと、機械類ではない者たちは揃って賛同の声をあげた。
『仰る通りです、総督殿!』『総督殿のお言葉に間違いございません』
『ユリアスごとき、総督殿の敵ではございません』
男が起こした波紋に、大波のような歓声の嵐。それでもこの男は──スクラトフ総督には、彼らの媚びへつらいなど聞く意味が無いと考えていた。価値を持つのはただひとつ、自分に哀れにも歯向かおうとする愚か者だけだ。
スクラトフはユリアスや下層階の勢力が何をしても、支配構造が引っ繰り返らないという絶対の自信を持っていた。エルゼノアの人々はいつでも意のままになる。思想も、物理的にも。醜い笑顔を浮かべたまま、スクラトフは兵士たちを見物していた。




