第5話 何の胸騒ぎもせず
アーチュウ・トーマはオベール王国から遠く離れたスコルト国で日々研究にいそしんでいた。
この国の土地は農業に適さない痩せた土地が多く、食料の多くを隣国から輸入している。
国の東側は海に面しているが、ごつごつとした岩場が断崖絶壁となり、港として栄えている町は少なく漁業も発展していない。
そんなスコルト国を支えているのは研究と教育である。
国を挙げて研究施設に投資し、スコルト国は優秀な人を育て、他国に追随を許さない知識、技術を武器に成り上がった国である。
その技術を求めて、他国から多くの留学生がやって来る。
アーチュウもその一人であった。
オベール王国の王立学院を卒業したアーチュウは、スコルト国に渡り、魔道具の研究を始めた。
アーチュウが師事した魔道具博士がマッドサイエンティストとでもいうべき人物だったのが災いして、アーチュウは昼夜なく研究室にこもり、食事も睡眠もおざなりに研究に没頭した。
アパートの部屋の郵便受けには、あらゆる書簡が突っ込まれた状態で放置されている。
大家のマーサは夫を亡くし、残されたこのアパートを運営して生活をしている。
研究所が近いせいか、アーチュウのような研究廃人とでも言うべき人間が時々入り込んでくるのが頭痛の種だ。
研究者は生活不適応者が多いが、金払いが悪いわけではない。
ちょっと手間だが、毎月、郵便受けにたまった書簡をまとめて引っ張り出し、アーチュウのこもっている研究室へと突撃しては、家賃を取り立てていた。
この時も家賃の取り立てに、マーサが重い腰を上げて研究室へとやって来た。
「トーマさん!荷物を持ってきてやったよ。今月の家賃を払っておくれよ」
マーサの威勢の良い声が聞こえ、アーチュウはにらめっこしていた魔道具から目を上げた。
「あ、ああ。大家さん。もう一月たったのか?」
「そうさ、あんたがこもっている間に世間では時間が過ぎているのさ」
「いつもすまない。いま用意するから待ってくれ」
アーチュウは散らかった机の引き出しをガサゴソと探して、給料が入った袋を見つけると、家賃の金額にいくらか上乗せした額をマーサに渡す。
この上乗せ分でマーサは時々アーチュウの部屋の中を掃除してやるのだ。
「そういえば、魔術便が届いていたよ。急ぎの用事があるんじゃないかい。確認した方がいいよ」
「魔術便?そんなものを送って来るのは実家くらいなものか?はて。何かあったかな」
「それじゃ、また来月おじゃまするよ」
そう言ってマーサは帰って行った。
アーチュウはマーサが持って来た書簡の中から魔術便を見つける。
差出人はマクシム・シモンとなっている。
「マクシム・シモン?ああ、兄さんの奥さんの実家か。侯爵様が何の用だ」
この時になっても何の胸騒ぎもせず、アーチュウは封筒を開け、文面を読んだ。
「は、なんだこれは?!」
そこには、兄の遺児クララベルが伯爵家で虐待を受けていた件で伯爵家当主アーチュウの責任を問うとあった。
(兄の遺児…?兄は死んだのだったか?そう言えば爵位の継承がなんとかとクレモンがわざわざ知らせを寄越したことがあったな。兄には子どもがいたのか?兄から何の知らせもなかったが。いや、あったのか?何が起きているんだ?)
何年もの間、封を開けすらせずただ箱に入れておいた書簡たちをひっくり返した。
そこには大事な要件を知らせる書簡が何通も埋まっていた。
何時間もかけ書簡を読み漁り、事態を把握するとしばし呆然と、思考停止に陥った。
(やばい。これはやばいことになっている)
アーチュウは今にも倒れてしまいそうなほど血の気が引いて真っ青な顔でよろよろと動き出した。
こうしてアーチュウはオーベル王国へと帰ることになった。
実に15年ぶりのことである。




