第26話 物語に出てくる王子様のよう
王都の下町にある教会。
教会を運営しているのはマルタン牧師とその妻アデル。
トーマ伯爵領の孤児院で働くイリスは、かつてアデルのもとで学び修道女を目指していた。
そして今は、イリスが育てた孤児のマルクがここで世話になっている。
マルタンとアデルにしてみれば、マルクは孫のような存在だった。
アデルがマルクをかわいがる様を見たら、かつて厳しくしつけられたイリスは驚くかもしれない。
イリスの孤児院で育った子供の多くは、トーマ伯爵領内で下働きの仕事を得たり、運が良ければどこかの商家の養子となり、それなりに幸せに暮らしている。
幼かったころのマルクは体が小さく体力がなかったため、日雇いの下働きであまり成果を上げられなかった。
警戒心ばかりが強く、人にも懐かない性格も災いして、ついに成人するまで仕事が見つからなかった。
半面、マルクは面倒見がよく、労働を厭わなかった。
警戒心の強さも裏を返せば慎重で思慮深い。
イリスはマルクを師匠のアデルに預け、ゆくゆくは自分の後継者に育てることに決めたのだった。
マルクには親の記憶がない。
物心ついたときには孤児院にいて、他の子どもたちと共に育って来た。
マルクにとってはイリスが母親でもあり、恩師でもある。
イリスに後継者になって欲しいと言われたとき、孤児院の足手まといと自分を責めていたマルクは、涙がボロボロとこぼれて止まらなかった。
アデルに及第点をもらってイリスの孤児院に戻る日を目指して、日々精進していた。
そんなある日、マリアベルに再会した。
思いもよらぬ王都の繁華街で。
痩せこけて体中あざだらけだった小さな少女は、美しく成長していた。
マリアベルは王立学院の制服を着ていた。
どこかの貴族の家に、もらわれたのかもしれない。
それとも、はじめから貴族の娘だったか。
幼いころからその美しさ、愛らしさは群を抜いていて、考えてみれば、そのへんの町娘であるはずはなかった。
(いつも腹を空かせていたけどな…)
マルクはくすっと笑った。
少ないパンとスープを分け合って食べた同士ではあるが、どこか心の中で別世界の住人と割り切る気持ちはあった。
「お前もここに住んだら?」
そう言ったときも、はじめから答えはわかっていたようなものだ。
困ったように笑うマリアベルを見て、少しだけ悲しくなったが。
ぱったり孤児院に姿を見せなくなって、もしかしたら死んでしまったのかもしれないと思っていた。
人の命は儚い。
孤児院にいた子供の中には、熱を出して翌日には死んでしまった子もいた。
親が死んで孤児院に来た子もいた。
だからマリアベルが生きていると知って、本当に嬉しかった。
マリアベルは貴族の娘となり、その髪も、肌も、輝かんばかりに磨き上げられ、近づけばよい匂いがした。
生きる世界が違う。
だから、こんなふうに偶然に会うことも今後ないだろう。
それでも生きていれば、いつかまた会える日もあるかもしれない。
好きだったマリアベルが、いまは幸せに生きていると知っているだけでマルクは幸せだった。
マリアベルのことを考えて口元が自然と緩んだとき、マルクは声を掛けられ視線を上げた。
「きみ。すまないが、こちらの教会にマルクという男性はいるだろか」
声の主を見て、マルクは驚いた。
見たこともないような貴公子がそこにいたからだ。
すらりと背が高く、整った顔立ち。
柔らかそうな茶色の髪が緩くウェーブしている。
仕立ての良い煌びやかなジャケットとトラウザーズに身を包んだ姿は、物語に出てくる王子様のようだ。
一見して身分の高い青年に、すぐさまマルクは低頭して答える。
「はい、マルクは私ですが…」
「そうだったか。頭をあげてくれ。私はアルフレッド・シモンだ。君には妹が世話になったと聞いて礼をしに来た」
「はぁ…妹さんですか…?」
「そうだ。クララベル・シモンだ」
マルクは心当たりがなく、首をひねった。