第三話 幼馴染
朝から昼。それが憩いの泉亭の一番忙しい時間帯だ。
客のメインは冒険者たちであり、冒険者たちは午後になればそれぞれ仕事に出かける。
夜になるまで客は来なくなる。
そのため、憩いの泉亭もいったんお店を閉めて休憩に入る。
「有用そうな情報はありませんな」
「そうですね。ただ、テオ様も馬鹿にした愚か者たちの顔はしっかりと覚えました。お望みなら二度と冒険者を名乗れない体にしますが?」
「恐ろしいことをサラッと言うな。そういうことはしなくていい」
本気でそう思っている目でアリスは告げる。
止めないとガチでやりかねない。
彼らは俺の正体を知らないし、知られないようにしている。
それなのに闇討ちしていたらただのアホだ。
「まだ時間はあるけれど、性格的に一人は確実に早く来ると思うんだが……」
「来ないという選択肢はテオ様の中にはないんですね……」
アリスはあきれたようにつぶやく。
言いたいことはわかる。
十年越しの約束なんて、普通は果たせない。
覚えていない可能性だってある。
けれど。
「来るさ。俺の幼馴染だ」
「これほど説得力のある言葉もなかなかありませんな。世界最強の魔導師。単独で淵界迷宮を四つ突破した淵王に〝俺の〟と言われたら何も言えません」
ウォルターはグラスを磨きながら、告げる。
何か言おうとしていたアリスは、それを聞いて口を閉じた。
「ということで、俺は出かけてくる。全員、目立つことは避けるように。とくにアリス」
「目立たず護衛します!」
「必要ない。看板娘が不在だと怪しまれるし、大人しくしていてくれ」
「それでは来た意味がありません!」
「大丈夫だ。都市の中で何かあるわけないだろ?」
そう言って俺は外に出たのだった。
■■■
「トロウルだ!! どうして都市内に!?」
何かあっちゃったよ……。
思わずその場で立ち尽くして、俺は現場を見つめていた。
デビュタントは淵界迷宮を中心に都市が形成されている。
四方には東西南北の門があり、俺がいるのは東門の近く。
荷物を運ぶ馬車の荷台から、突然、二足歩行のモンスターが現れた。
体長は八メートルほど。
名前はトロウル。
大柄な体を持つ人型モンスターであり、知能はそこまでではないが、とにかく力が強い。
とても馬車に入り切るサイズではないため、魔導具にでも封印されていたのが現れたんだろう。
危険度はカテゴリー7。A級冒険者が必要なモンスターだ。
「きゃぁぁぁぁぁっっ!!??」
「逃げろぉぉぉ!!」
トロウルは自分が潜んでいた馬車を弾き飛ばし、暴れはじめた。
人々が我先にと逃げ惑う。
「冒険者はどうした!?」
「早く討伐してくれ!?」
怒号が飛び交う。
都市内部にモンスターが潜入してくるなんて、滅多にないことだからだ。
ましてやここは迷宮都市。
大勢の冒険者がおり、彼らが周囲のモンスターを狩っている。
セキュリティだって甘くはない。
モンスターを封印できる魔導具は貴重だ。
普通ならチェックに引っかかるはずだが。
妙だな。
「あんた、冒険者だろ! 早くどうにかしてくれ!」
「無茶言うな! トロウルはカテゴリー7のモンスターだぞ!? 高ランクの冒険者を呼ぶしかない!」
近くにいた冒険者たちがそう言って、逃げてしまう。
まぁ自分より実力のあるモンスターに対して、なんの対策もせずに挑むのは馬鹿だ。
それにここは迷宮都市。
倒せる奴はそれなりにいる。
そいつらに任せるのが賢明だ。
ただ、誰かが来るのを待っていると被害は増える。
「きゃっ……!」
小さな少女が尻餅をついてしまった。
すぐに立ち上がれば問題なく逃げられただろう。
だが、少女はトロウルを見て足が竦んでしまったらしい。
「立って! 走って!! 早く!!」
周りの大人が少女を呼ぶが、少女は恐怖で動けなくなっている。
「アリスに怒られるのは決定だろうな……」
ため息を吐きながら俺は歩き出した。
トロウルはゆっくりと巨体を揺らして少女に近寄る。
その間に俺は立ち塞がった。
「おい、見ろ。あの呪印憑き、頭おかしくなったらしい」
「ああいう奴が早死にするんだよなぁ。正義感に酔ってたら冒険者なんてできねえっての」
周りで様子を見守っていた冒険者たちの声が聞こえてきた。
言っていることは正しい。
今の俺は呪印憑きの雑魚だ。
きっとトロウルを仕留めるだけの火力は出せない。
こんなところで淵王としての力は使えない。
なら、何もしないべきだ。
けれど。
それは俺の好みじゃない。
あの日。
絶望を叩きつけられた日。
俺は心底、この絶望から助けてくれる誰かを求めた。
結局、誰も助けてはくれなかった。助けられなかった。
だから十年、限界を超えて修練を積んだ。
命がいくつあっても足りないような修練を、綱渡りをしながら乗り切った。
それは――。
「あの日の自分を助けられる自分でありたいからな……」
幼馴染たちと身を寄せ合って泣きあった。
あの日の無力な自分。
二度、同じ想いをする人が出ないようにしたい。
大丈夫だと言える自分でありたい。
それは今も変わってない。
「ヴォォォォォォ!!」
トロウルは右手を振り上げる。
それに対して俺は杖を振って一つの魔法を発動した。
『弱撃魔法――レベル1――ロウアー』
人類で広く使われている対撃魔法。
紋章型の魔法陣を展開し、そこに魔力を注ぎ込むことで発動できる。
今、俺が発動したのは相手を弱体化させる魔法だ。
ただ、レベルの低い弱体化魔法ではトロウルの動きを止めることはできない。
普通なら。
「ヴォ!?」
腕を振り上げたトロウルはバランスを崩して右膝をついた。
振り下ろした腕は明後日の方向に振り下ろされた。
その隙を逃さず、俺は間合いを詰めた。
『強撃魔法――レベル1――ブースト』
蹴りに強化をかけて、トロウルの腹部を狙う。
トロウルはそんな俺を嘲笑った。
俺の身体能力は並みだ。ほかのモンスターと比べてもタフなトロウルに、打撃で決定打を与えられる攻撃力は持ち合わせていない。
だからトロウルは笑ったのだ。
しかし、次の瞬間。
トロウルの顔が苦悶にゆがんだ。
俺の右足がトロウルの左腹にめり込んでいたからだ。
トロウルの体の構造は人間と似ている。
あばら骨の少し下。横腹部分は防御が弱い。
そこを弱撃魔法で弱らせてから蹴りを入れたのだ。
強化と弱体化を主に使う付与魔導師。
高レベルの魔法を使いこなせるならまだしも、低レベルの魔法しか使えない付与魔導師は使えないと言われている。
けれど、何事も使いよう。
攻撃の瞬間の重心を読めれば、相手のバランスを崩すこともできるし、相手の弱いところをわかっていれば、そこをピンポイントで弱体化させて攻撃を通すことができる。
ピンポイントでの付与。
それが淵王としての力を封印した俺のスタイルだ。
とはいえ、そこまで単体性能は高くない。一人で戦うのには無理がある。
間合いを取り、俺は後ろをちらりと見る。
周りにいた大人たちが少女を連れて、下がっている最中だった。
まだ、注意を俺に向けている必要がある。
しかし、トロウルと俺は本質的に相性が悪い。
俺の打撃では怯ませる程度しかできないからだ。
さて、どうしたものか。
そう思った時。
「動きを止めて。私がやる」
「――承知」
後ろから声が掛かった。
俺の隣をフードで顔を覆った剣士が走り抜けていく。
一瞬、トロウルの意識がそちらに向かう。
その瞬間、俺はトロウルへ接近した。
俺に気づいたトロウルは、今度こそと拳を振り上げるが、俺は勢いそのままトロウルの足元を滑りながら通り抜ける。
『弱撃魔法――レベル1――ロウアー』
腕を高く上げた状態で、後ろを取った俺に意識が向く。
絶妙なバランスで成り立っていたその体勢中、突如として膝から力が抜けたらどうなるか?
答えは転倒だ。
トロウルは盛大に転び、頭を打った。
一瞬、トロウルの動きが止まった。
大したダメージじゃない。
しかし、それで十分だった。
剣士が空を舞う。
フードが取れて、明るい金髪が靡く。
『雷撃魔法――レベル8――雷迅一閃』
剣士の体を雷が包み込み、まるで落雷のようにトロウルへと突撃していく。
すべて一瞬の出来事だ。
気づけば、トロウルは黒焦げになっており、剣士が俺の前に立っていた。
ハーフアップにした明るい金髪に、淡い翠色の瞳。
卵型の小顔で、肌は雪原のように白い。
美人を表現する際に、目を奪われると言うが、そこまでの美人は滅多にいない。
だが、目の前の少女はその表現にピッタリだった。
剣を構える姿は戦女神のようだった。しかし、俺の方を向いて浮かべる笑みは親し気で、無邪気なものだった。
「十年ぶりね、テオ。変わってなくて、私、嬉しいわ!」
「もしかして……リネアか?」
「うん、久しぶりね。テオ!」
ニコニコと上機嫌な様子でリネアが軽く手を振る。
そんなリネアを見て、周りの人々が騒ぎ出す。
「煌雷のリネアだ……」
「一年でAAA級まで登りつめた最強ルーキーだぞ……」
「そろそろ淵界迷宮の攻略に乗り出すって噂は本当だったのか……」
周りの人たちの驚きは当然だろう。
リネアは一年前、彗星のごとく冒険者デビューしたルーキーだ。
特定のパーティーには所属せず、助っ人をしながら高難易度任務をクリアしつづけ、AAA級というランクまで到達した逸材。
最上位であるS級には淵界迷宮をクリアした迷宮攻略者にしかなれない。
つまり、冒険者として独力で登れるところまで登り切ったということだ。
今、一番有名な冒険者といっても過言ではない。
まぁ有名なのは実力だけが原因ではないが。
「やっぱり可愛いなぁ」
「俺も助けてもらいてぇ」
リネアは、その滅多にお目にかかれない華憐な容姿によって、多くの男を虜にしている。
そんなリネアが親し気に話しかける呪印憑き。
周りの目が鋭さを増した。
そんなことを知ってか知らずか、リネアは俺の手を取った。
そして。
「行きましょ! 積もる話もあるだろうし」
「ちょっ……!」
リネアは俺の手を引っ張り、走り出す。
周りの目が痛い。
お前はリネアの何なんだと無言の圧を感じる。
それに答えるとするなら、一つしかないだろう。
リネアは俺の幼馴染。
十年前、再会を誓った大切な四人のうちの一人だ。