第十三話 悔しさ
俺が憩いの泉亭に戻った時。
そこにはリネアがいた。
店の椅子にポツリと座っている。
周りにガロンたちの姿はなかった。
「リネア、無事だったか……心配したぞ?」
「うん……」
「ガロンたちは……?」
「夜も遅いし、帰ってもらったわ……私はテオが来るまで待ってたの」
リネアは静かに告げると、チラリとカウンターに残っていたウォルターを見る。
何かを察したのか、ウォルターは店の奥へと引っ込んでいく。
二人っきりにしてくれたんだろう。
「ねぇ、テオ……話を聞いて……」
「もちろん。けど、大丈夫か? リネア」
リネアの隣にある椅子に座り、顔を覗き込む。
その顔は暗い。
無理もない。
あんな経験をすれば暗くもなる。
「大丈夫よ……怪我もしてないし……けど……」
リネアはつぶやいたあと黙り込む。
その様子を見て、俺は何も言わない。
リネアなりになんて言うべきか、頭の中で考えているのを知っているからだ。
子供の頃、嫌なことがあるとリネアはいつも考えてから言葉にしていた。
今ある感情を吐き出す前に、言葉にしたいからだ。
「……」
「……負けたの……」
しばらく待っていると、リネアはそう一言告げた。
それにどう反応すればいいか迷っていると、リネアは肩を震わせる。
「負けた……負けたの……何もできなかった……悔しいぃ……悔しいよぉ……テオぉ……」
「そりゃあ……負けることもあるさ。俺たちはまだまだ未熟だからな」
「わかってる……わかってるけどぉ……お母さまの命を奪った龍皇の下僕に……負けた……何もできなくて……助けられた……なんのために……十年過ごしたのか……わからなくなりそう……」
リネアはぽろぽろと涙を流す。
その涙は悲しい涙じゃない。
悔し涙だ。
負けた自分が許せない。
助けられた自分が許せない。
弱い自分が許せない。
だからリネアは泣いている。
強い意志を持つから、理想と現実のギャップに苦しんでいる。
けど。
「何のために十年過ごしたのか、それは明確だろ? 龍皇を討つためだ。そのために迷宮に挑んでる。強くなるためだ。その過程でいくら負けたって気にするな。命さえあればいい。だから俺たちは迷宮から撤退したんだ。無理せず、次に備えるために。そうだろ?」
「でもぉ……」
「そうだな。悔しかったな。けど、無事に帰ってきた。助けられたとしても、命を拾ったんだ。次に備えればいい。リネアが無事でよかった」
俺がそういうとリネアは鼻を鳴らして、そのまま頭突きするかの勢いで抱き着いてきた。
「ううぅぅぅ……うわぁぁぁぁ……!!!!」
「こうしてると、喧嘩で負けて泣いて帰ってきたときのことを思い出すな?」
「あの時は最終的に勝ったもん……!!」
「そういえばそうだったな。今回もそうしよう」
俺は顔を押し付けて泣き続けるリネアの髪を撫でる。
領主の一人娘だったリネアには二人のお付きがいた。
一人はミシェル。もう一人は俺だ。
俺が四歳の時、冒険者をしていた両親は死んだ。
当時のエスト・パラディでは珍しいことじゃなかった。
身よりもなく、路地で座りこんでいた俺を引き取ったのが、王都からやってきたばかりのリネアの母であるアリアーヌ様だった。
衣食住のすべてを保証してくれて、十分な教育を受けさせてくれた。
お付きといいつつ、リネアの友人として俺を育ててくれた。
第二の母のような存在。
それがアリアーヌ様だった。
誰からも愛される人だった。最期は俺たちを守るために、自分のために用意された避難所を起動させた。
あの時の無力感は今でも覚えている。
何もできず、大切な人を失った。
誰か助けてくれと、どれほど心の中で祈ったことか。
けれど、あの日、救世主のような存在は現れなかった。
現実は残酷で、奪われることを許容するしかなかった。
抵抗する力さえなくて、龍皇に向かって吠えることしかできなかった。
そこから十年。
あんな思いは二度とごめんだと思ってやってきた。
同じ思いをする子供を助けられる自分でありたいと思ってきた。
あの日、現れなかった救世主に自分がなりたかった。
理不尽に抗う力が欲しかった。
そのためにどんな代償を払ってもよかった。
自分の命すら賭けて、ただひたすらに力を求めた。
身を削り、命を削り、常に賭けのような行いの果てに力は手に入れた。
けれど、振り返る度に自分が今、生きているのは奇跡だと思う。
だから、せめて幼馴染たちだけは。
少しでも安全に強くなってほしい。
それくらいの力は手に入れたつもりだ。
「悔しいよぉ……テオぉ……」
「そうだな。悔しいな」
子供をあやすように俺は同意して、背中をさする。
泣けるうちは大丈夫だ。
悔しいと思えるうちは大丈夫だ。
現実を受け入れたら、人の成長は止まる。
それでもと、抗うからこそ人は強くなるのだ。
だから……俺は幼馴染たちを信じられる。
最大級の理不尽に対して、それでもと抗った者たちだから。
「テオぉ……強くなりたい……」
「じゃあ、まずは迷宮攻略だな」
「うん……」
「大丈夫。俺たちならできるさ」
落ち着き始めたリネアに対して、そう言って俺は頭を撫でる。
かつてアリアーヌ様が俺にそうしてくれたように。
それからしばらくの間、リネアは俺から離れることはなかった。