第十二話 姫君
リネアが目を覚ました時。
そこはベッドの上だった。
まず初めに首に違和感を覚えて、手を動かすと、そこには首輪がつけられていた。
「魔封じの首輪……」
呪印を模して造られた魔導具だ。
対象の魔力を制限するため、魔法が使えなくなるうえに、身体能力も制限できる。
囚人を拘束するにはちょうどいい首輪。
それを見て、リネアは自分が敗北したことを痛感した。
何もできなかった。その悔しさが沸々と湧き上がってくる。
だが。
「目が覚めましたか? 姫」
バジルが部屋に入ってきて、慇懃無礼に一礼した。
捕らえた女を姫扱い。
趣味の悪い男だと思いつつ、リネアはバジルを睨みつける。
「そんなに怖い顔はよしてください。あなたがいけないんですよ? 私の言う通りにしないから」
「自分の言う通りにできないからといって、力づくで言うことを聞かせようとするのですら人として最低なのに、力が足りないからといって黒龍教に頼るなんて、人として終わってるわね?」
「……生意気だな」
そう言ってバジルはリネアに近づく。
手足は自由。
首輪をつけられて、弱体化しているとはいえ、隙をつけば逃げることくらい。
そう思っていたリネアの腕をバジルが掴む。
なんとか振り払おうとするが、全くビクともしない。
「っっ……放しなさい……!」
「軽く掴んでいるだけでも、振り払えないのに、命令口調とは……さすがに本当の姫なだけはある」
「なんですって……?」
「リネアティール・ド・ヴィシレット……滅びた都、エスト・パラディを治めたヴィシレット公爵家の一人娘にして、現エムロード王の姪。王家の血を引く正真正銘の姫君だとは驚きましたよ」
「……」
リネアは黙り込む。
それは一部の者しか知らない事実だからだ。
それこそ王家の関係者以外、知りえないことだ。
それを調べ上げる黒龍教。その情報収集能力にリネアは危機感を覚えた。
「なぜ姫が冒険者なんてやっているかは知りませんが、そろそろ姫に戻る頃だ。私の言う通りにしていれば、私が守ってあげますよ」
「お断りよ……! 私は誰かを守れるようになるために強くなったの! 誰かの後ろで怯える生活なんて、まっぴら御免だわ!」
そう言ってリネアは空いている手でバジルの頬を叩く。
大した威力は出ない。
しかし、予想外だったせいか、バジルは防御することができなかった。
はたかれた頬を触り、バジルはため息を吐いた。
「優しくしてあげようと思いましたが……まずは教育が必要なようだ」
そう言ってバジルはリネアの首を掴み、片手で持ち上げると、壁に向かって放り投げた。
「かはっ……」
受け身も取れず、壁に叩きつけられたリネアは、その場でうずくまる。
そんなリネアにバジルはことさらゆっくりと近づく。
「強くなったところで、私には勝てない。自分が弱いのだとしっかり教えてあげましょう」
「お生憎様ね……自分が弱いのなんて知ってるわ……それでも私は諦めない……強くなる意志は曲げない……たとえあなたに何をされようと、私は折れない。必ず、あなたの親玉である龍皇を討つわ!」
「それはそれは。なら、試してみましょうか」
そう言ってバジルの手がシャツに伸びる。
体が痛みで動かない中で、リネアは睨むことだけはやめなかった。
一つ、二つとバジルがシャツのボタンを外す。
バジルは愉快そうに笑った。
「許してくださいと懇願すれば許してあげますよ?」
「好きにしなさい。龍皇の下僕に何をされたとしても……私は気にしないわ」
「なるほど。では、ご希望に沿うとしましょう」
そう言ってバジルは改めて、リネアに手を伸ばした。
しかし、その手はどこからともなく現れた腕に掴まれた。
その腕を視線で追うと、ゆっくりと特徴的な黒い鎧に身を包んだ男が影の中から現れた。
「なっ……!?」
影の中からいきなり人が現れる。
異常事態にバジルはパニックになっていた。
しかし、すぐに敵だと判断して、頭を切り替える。
「なんだ!? お前は!? 騎士たる私と姫の一時を邪魔するな!!」
腕を振り払い、剣を抜く。
「姫を無理やり拉致して、襲う者を人は騎士とは言わん」
「なんだと!? この私を愚弄にするか……いいだろう。誰だか知らんが……私の真の力を見よ!!」
バジルは自分の中に宿る黒龍の力を呼び起こす。
そして。
「はぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
一気に間合いを詰めた。
勝った。
そう思ったバジルだったが。
「なっ……!?」
影から刃が伸びて、バジルの剣を防いだ。
しかもバジルの剣にはヒビが入った。
打ち負けた。
そのことに衝撃を受け、バジルは思わず後ずさった。
「勉強不足だな。騎士殿……影を操る魔導師……〝淵王〟も知らんのか?」
「そ、そんな……淵王……? なぜ、ここに……?」
「それについては知る必要はない。ここで死ぬ奴に説明する義理はないからな」
淵王の名はバジルも知っていた。
ただ、こんなところにいるはずのない男ゆえ、頭になかっただけだ。
本当なら勝ち目はない。
なにせ相手は人類最強の魔導師。
黒龍教ですら手を出せない規格外だ。
どうやって許しを乞えばいいか?
そう思った時。
とんでもない殺気が淵王から発せられた。
体が硬直し、声すら出ない。
わかってしまったのだ。絶対に許す気がないのだ、と。
必ず殺すという決意を感じてしまった。
一瞬で部屋全体が影に包まれた。
何をされるのか。
恐怖で体が震え、涙があふれる。
そんなバジルに対して、淵王は何も言わない。
情報を引き出そうという素振りすらない。
ただ、殺す。
それだけが淵王から感じられることだった。
そして、部屋中の影から細い刃が一斉にバジルへ向かっていき、貫いた。
体中に穴が開く。
全方位からの攻撃を食らい、バジルはゆっくりと倒れていく。
しかし。
「あ、あ、ああ……」
バジルは絶命していなかった。
人とは思えない生命力。
それを振り絞り、なんとか右手を動かして、首にかけた小瓶を取り出す。
そこには黒い血が入っていた。
それをバジルは飲もうとする。
だが。
「それが力の正体か」
淵王がその小瓶を取り上げる。
最後の望みを奪われ、バジルは淵王に手を伸ばした。
「た、たすけ……」
それを聞き、淵王は膝をついてバジルのほうへ顔を寄せる。
そして。
「俺は決めていることがある。俺の幼馴染に手を出す奴は絶対に許さない、という決め事だ。残念だったな。お前は俺の逆鱗に触れた」
バジルにだけ聞こえるようにつぶやき、淵王はゆっくりと影でバジルを包む。
幼馴染。
その単語を聞き、バジルはまさか!? と思い至ったが。
時すでに遅しだった。
影がバジルの体を包み込み、一瞬でバジルを圧し潰した。
そのままバジルの亡骸は影へと取りこまれる。
「さて、この黒龍教のアジトは潰すが……俺がこの都市に来ていることを知られたくはない。助けたお礼というわけではないが、道化になってくれないか? 女冒険者」
言いながら淵王は影をリネアの首まで伸ばし、首輪をたやすく切断する。
それを見て、リネアは静かにため息を吐いた。
「私に選択肢があるのかしら……?」
「ないな」
「でしょうね」
淵王はフッと笑うと、影から一本の剣を取り出す。
それにはベットリと血がついていた。
それをリネアに手渡し、淵王は軽く腕を振るう。
その瞬間、アジトの中から無数の悲鳴が上がった。
「アジトにいる者は全員殺した。剣で斬ったように偽装したから、上手く誤魔化せ」
「……一つ聞いても?」
「質問はなしだ。俺はこれでも忙しいからな」
そう言って淵王はゆっくりと影の中へと沈んでいく。
そんな中。
「悔しいと思うなら強くなれ。悔しさこそが原動力だ」
そう言い残し、淵王は影の中へと消えていく。
それを見送り、リネアはポツリとつぶやく。
「……さすが世界最強の大魔導師……私なんて眼中にないって感じね」
遥か上に君臨する魔導師。
バジル程度に敗北した自分に興味を示さないのは当然。
そう思う反面、悔しさもあった。
「いつか、必ず認めさせてやるわ」
そう決意を新たにして、リネアは部屋を出たのだった。