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◇5◇


 猫の名前が決まらない。


 詩音(しおん)は今、一つの問題に直面している。

 飼い始めて一ヶ月以上が過ぎたが、流石に名前がないのは可哀想だと真樹(まき)に説得された。

 確かに固有名詞が猫というのは分かりづらい。

 何か無いものかとリビングのソファーに寝転がりながら、頭を捻らせた。

 だが、なかなかいい感じの案が出てこない。


「外、散歩しよっかな」


 窓から入ってくる暖かく心地よい風に誘われて、詩音は外に出る。

 猫の脱走劇以来、詩音はよく近所を散策するようになった。

 中学に入ってからは家と駅をただ行き来するだけ。小学生のころのように冒険し、遊びまわらない。だから、近所を歩くだけだというのに昔の景色が重なってしまう。

 逆らえないのだ。その景色を目にすればするほど、心の奥底から湧き上がる感情が詩音を虜にさせる。


「今日は駅まで行ってみるか」


 向かう場所は詩音がいつも使う駅ではない。小学生の時、通学途中にあった別路線の駅。

 本音を言うとこの前の神社にまた行きたいと思ってはいる。だが、またいじめに遭遇するのは嫌だから避けてしまう。

 いじめられているのが知り合い、というより昔の友達だというのに見なかったふりをするのは薄情なやつだと自分でも思う。


 しかし、面倒なのだ。過去の遺物に振り回されるのは勘弁したい。


 だから、詩音は今日もまた別の場所を目指す。

 そんな心持ちを神様なんてものは許してくれなかったのだろう。

 運命のいたずらかのように、駅まで続く道路を歩いていた詩音の前に彼女は現れた。


 曲がり角から姿を現した彼女は制服を着崩し、スカートは太ももが顔を出すほど短い。染めたであろう日本人にしては明るすぎる茶色の髪。胸あたりまで伸びたその髪は丁寧に巻かれていてウェーブがかかっている。顔もよく見ると頬に赤みがさしていて、化粧をしていると分かる。


 チャラいという言葉がよく似合いそうな女子高生だった。


 校則がそこそこ厳しい高校に通っている詩音にとって、目の前の女子高生はそれほど強烈に見えた。

 物珍しかったので、思わず凝視する。相手も詩音の視線に気づき、スマートフォンに向けていた顔を詩音に向ける。


 目が合った。


 知らない人と目が合うのは何だか気まずいわけで、詩音はすぐに視線をそらす。

 しかし、相手は詩音の気持ちとはお構い無しに、詩音をガン見しながら近づいてきた。


「もしかして、詩音?」


 女子高生から放たれる声はひどく聞き覚えがあった。

 明るく破天荒で、黒く短い髪をたなびかせながら詩音たちと近所を駆け巡った元気な少女の声。


「………えっ、空ちゃん?」


 一ノ瀬空(いちのせそら)


 翼の姉であり、詩音の幼馴染である少女。

 詩音の記憶の中の空とは別人のようではあるが、声色や話し方に面影を感じる。


「うわ、久しぶり。詩音、全然変わってないね。一目でわかったよ」

「私は全然変わってないのか……。逆に空ちゃんはすっごく変わったね」


 自分としては成長して変わったつもりでいたけど、どうやら違うらしい。この前、翼に会った時も直ぐに詩音だと気づいてくれたのは、変わってなかったからなのだろう。

 少し複雑な気持ちになりながらも、空の豹変ぶりに驚く。


「確かに変わったって自覚はあるかも!」

「それってやっぱりヒーローになるための準備とか?」


 冗談交じりで詩音はヒーローと口にする。

 小学生の時、ヒーローは空にとっての夢や憧れ、全てだったから。

 今はもう高校生。空はまだヒーローを夢見ているのだろうか?

 そういった興味本位で詩音は笑いかける。


「…………」


 しかし、答えは返ってこない。


「………え?」


 空の顔は苦しみなのだろうか? 後悔なのだろうか? 負の感情でに満ちていた。

 いつもはヒーローという言葉だけで希望に満ち溢れ太陽のような満面の笑みを浮かべていたのに。

 空のその表情を詩音は初めて見た。


「ヒ、ヒーローなんて……いつの話ししているの、詩音。ハハッ、あたしたち……もう、高校生なんだよ。ヒーローなんているわけ無いじゃん」


 無理に笑う笑顔はぎこちない。

 何かを誤魔化しているのが分かった。

 どうやら翼だけでなく空もどこか歪んでいるのだろう。

 震える空の手。

 詩音は思わずその手を触れようと自身の手を伸ばす。

 昔の、あの頃見ていた、景色が重なる。

 隣で嫌々言いながらも嬉しそうに走っていた翼。眩しいくらい上を見上げて自分の前を走っていた空。

 自由であたたかな空の手を、あの時の過去を求めて手を伸ばす。



 でも、過去を求めて何になる?



 ピタリと手を止めた。

 そうだ、結局は二人の問題。

 私には関係ない。

 手を引っ込め、詩音は自然な笑顔をつくる。


「そうだね、流石に高校生になってそれはないよね」


 この返しが無難で一番いい。

 そうして詩音と空は思い出話ではなく、今の話をする。

 学校の話、進路の話。

 当たり障りのない表面だけすくい上げるように。


「そうだ、流石にスマホとか持ってるよね? チャットの友達登録していいー?」


 小学生当時は持っていなかった連絡手段。

 使うことはない気がするが、とりあえず詩音も同意して連絡先を交換する。

 空のアイコンがスマートフォンに表示される。

 加工されたであろう犬の耳がついた自撮り写真。

 他人のようだ。


「えー、詩音のアイコンの猫ちゃんかわいいね」

「最近、飼い始めた猫なんだ」

「ふーん、名前は」

「まだ、ないよ」

「うそー! 名前つけてあげなよ」

「そうだね」


 そう言えば今日は猫の名前を付けようと考えていたんだっけ。

 ぼんやりと詩音は考える。

 けど、今日はもう、いい案が出ない気がする。

 その日も、詩音は決めるのを諦めた。








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