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◇10◇


詩音(しおん)が消えた』


 夜遅く、寝ようとベッドに向かっていた(つばさ)を起こしたのは一つのメッセージだった。

 橘真樹(たちばなまき)。そのメッセージを送ってきたのは詩音の高校のクラスメイトである彼女から。

 真樹は中学からの仲の良い友人だけでなく、同じ塾に通っている共通点もあるため、保護者同士で家の連絡先を教え合っていたのだ。


 それで、今日、真樹の家に電話があったらしい。


『詩音のお兄さんから連絡があったの。翼くんは詩音がどこにいるのか心当たりない?』


 学校、墓地、病院、東屋のある公園。心当たりがあるところには電話で連絡したり、実際に行ったみたいだったが、詩音の姿はなかったようだ。

 翼は急いで姉の部屋に向かったが、ドアノブを握る前にドアが勢いよく開いた。


「翼っ! 詩音が行方不明だって!」

「あぶなっ……って、そう! 詩音ちゃんが消えたみたいで……え、なんで知ってんの?」

『それはわたしが聞きたいわよ。今の声が例の弟さん?』


 翼の問いの反応を示したのは(そら)ではなく、別の人物からだった。声が聞こえた方は空が握りしめているスマホから。どうやら電話の相手が答えたらしい。


「そ、あたしの弟の翼。で、トージョーさん、詩音が行方不明ってほんと?」

『ええ、本当よ。さっき、詩音のお兄さんがわたしの父の病院に来たの』

「わたしの父の病院……?」

「ああ、翼はトージョーさんのことよく知らないもんね。トージョーさんはうちのおばあちゃんがお世話になっていた病院の院長さんの娘さんだよ」

「……あ、じゃあ、詩音ちゃんのお兄さんがきたってことは」


 詩音の母が亡くなった病院でもある。全てを言わなかったにしろ、翼の言葉の意味を察したのか不機嫌な声色で一華(いちか)は棘を吐く。


『言っておくけど、わたしは詩音のお母さんが亡くなってたのを知ったのは夏祭りの時。それまでずっと知らなかったわ。……お父さんの子供なのに、詩音の親友なのに』

「なんか、ごめんなさい……」

『やめてよ。謝られると、むしろより一層、惨めになる』


 どうやら触れてはいけない部分に触れてしまったようで、翼の背中に冷や汗が流れる。

 しかし、そんな翼の心境を悟ってくれたのか、それともただ本人の意思なのかは不明だが、空気の流れを変えるかのように空が口を開く。


「あたしだってこの中じゃ詩音と一番付き合いが長いけど、知らないことだらけだったよ。っていうか、昔からだけど、詩音はあんまり自分から話すような子じゃないし……でもね」


 空は笑う。きっと電話の向こう側に一華も声で伝わってしまうだろうと思うくらい快活に笑う。


「あたし、トージョーさんが詩音の特別な友だちっていうのは知ってる。だから、トージョーさん、今までの詩音ならどこに行きそうとか、関わりのある場所ってわかったりする?」


 眩しいなと翼は思う。空の言葉はいつだって俯いた心がつい顔上げてしまいたくなる魔法がかかっているのだ。

 たぶん、一華も魔法にかかってしまったのだろう。行き詰っていた思考が動き出して、見過ごしていた出来事が頭をよぎった。

 つい最近あった、何気ない父との会話を。


『……もしかしたら、山に行ったのかも』

「山?」

『先日、父からこんな話を聞いたの。詩音のお母さんが最期にもう一度行きたかった場所があったって』

「それが、山?」

『ええ、でも、詩音のお母さんの体調ではもう行けなかったの』


 叶うことがなかった母親の心残りの場所。もし、そんな場所があると詩音が知っていたら、彼女はそこにいてもおかしくはない。


『その山には詩音のお父さんとお母さんが幼い頃に遊んでいた花畑があるらしいの』

「トージョーさん、どこの山とかそういうのは聞いてないの?」

『それは聞いてなかったわ……』


 山といっても、この町は田んぼだけでなく、いくつかの山にも囲まれている。けっして一つではないから、どの山にいるのかもわからない。仮に分かったとしても例の花畑がどこにあるのか知らなければ意味がない。


『でも、あなたたちのおばあさんがその話を聞いて、実際に山に行って花を持ってきたとも聞いたけど、覚えてないの?』


 しかし、手がかりならあった。

 意外なところで祖母の名前があがり、空と翼は思わずお互いを見る。

 そんなの知ってる? 知らない。言葉を交わさずとも分かるくらい。


『……似たような話くらい聞いたことないの?』

「山に行ってクマと戦ってきた話なら聞いたことあるけど……」


 山というワードで思いつくエピソードならこれしかない。突飛で奇天烈な祖母の強烈な思い出。

 だが、そんな摩訶不思議な出来事も翼は直接見たわけでもない。他者から聞いた話だ。それに祖母は嘘は言わないが、嘘も否定しない人だった。小さなことではあるが、それに翼は何度も引っかかったことがある。今回も同じだとしたら?


「姉ちゃん、もしかしてクマじゃなくて、花を取りに行ってたんじゃないの?」

「……え?」


 泥だらけになった祖母がスコップ片手に山から帰ってきたと大声上げながら帰宅したのを覚えている。近所の人に祖母は山でクマと何をしていたのだと聞かれたのも覚えている。自分が見たことと聞いたことが混同して、噂を事実だと思っていたのではないか?


「……もしかしたら、おれ、その場所分かるかもしんない」


 翼は祖母に尋ねたことがある。どうやって山でクマを見つけたのだと。

 ニヤニヤしながら祖母は冒険譚のように事細かく山の中でどう進んで、最後帰ってきたのかまで話してくれた。今思うと肝心のクマは出ていなかった気がする。

 怖がってクマに遭遇したくなかった翼は注意深く聞いていたから薄っすら記憶の隅に祖母の話が残っている。

 あれが本当は花畑の道のりなら、翼は行けるかもしれない。


「おれ、今から行ってくる」


 翼は急いで自室に戻り、パジャマとして着ていたハーフパンツを脱ぐ。ティーシャツを脱ぐ時間も惜しいのでそのままワイシャツを羽織って制服に着替える。一瞬で着終えて、玄関に向かうと、後からパジャマ姿のままの空が駆けてきた。


「ちょっと翼! 今何時だと思ってんの!?」

「だからだよ! こんな夜遅く、詩音ちゃんをほっとくわけにもいかない!」

「ああ、もう! お父さんとお母さんにはあたしから何とかうまく、説得しておく! これからあたしはトージョーさんと合流するからその後、あんたに電話かける。山にいる間は何が起こるか分かんないから電話は繋いだままにねっ!」

「分かった!」


 父と母が何事かと寝室から出てくる音が聞こえてくる。きっと二人が気づけば本格的に止められてしまうだろう。姉に心の中で感謝しつつ、翼は飛び乗るように自転車にまたがった。

 祭りの時と比べると涼しくて、でもまだ熱が残った風。どこからかコオロギの鳴き声も聞こえる。秋が近づいて来ている。でも、まだ夏は終わっていない。


「ふざけんな! おれはもうこれ以上後悔したくないんだ! もう二度と何もできないまま終わりたくないんだ!」


 翼は何も知らないまま、何もできないまま、失ったことがあった。

 ヒーローとして前を走り続ける大好きだった姉。

 そんな姉がボロボロになっているのを知らずに攻めて、裏切られたと勝手に思って嫌ってしまっていた。

 助けることも何もできずに気づいた頃には手遅れで、姉はヒーローをやめてしまった。


 でも、今回は違う。


 翼は今、詩音が傷ついていることを知っている。

 昔とは違って気づくことができた。

 だからやることは決まっている。


「俺が絶対見つける……っ! 見つけて詩音ちゃんの想いを、言葉を引き出すんだ」


 ペダルを力強く蹴って、翼は夏の夜に飛び込んだ。




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