◇7◇
夏休みが終わり、またいつも通りの日常を詩音は過ごしていた。
学校が終われば、塾か家。特に誰かと会うわけでもない。
「ねえ、詩音。……詩音っ」
ホームルームが終わり、クラスメイト達が思い思いの時間を過ごし始めるのをただ眺めながら、机の置いてあるノートやプリントをリュックにしまっていた。
「ねぇ、詩音ったら!」
座っていた椅子を引かれ、そこでやっと後ろから聞こえてくる声に気づき、振り返ると不機嫌な顔をした真樹がいた。
「……あ、ごめん、真樹。考え事してた」
「考え事って……最近無理してるでしょ?」
どうやら真樹の不機嫌はなかなか気づいてくれなかったことではないらしい。
ずいっと詩音に詰め寄って、両手で頬をつねる。
「ひょんなことないほ」
そんなことないと口では言っているつもりだが、真樹が詩音の頬で遊んでいるせいでうまく口が回らない。
「ほんと?」
「ん、んー!」
頭を上下に振って詩音は肯定する。その後、真樹はジッと詩音を見つめ、そして、手を放した。視線を教室全体に向ける。ぽつりぽつりとクラスメイトが教室から出ていくのを確認してから、真樹は声を小さくして言った。
「……まぁ、でも、考え事をしちゃうのは仕方ないか。だって、明日、だもんね」
「……うん」
明日は夏休みが終わって最初の休日。だけど、詩音にとってはその日だけは別の意味が込められている。
「中一の時だったからもうけっこう前だね」
「そうだね……」
明日で詩音の母が亡くなって五年の月日が経つ。
もう、母のいない日常が詩音にとっては当たり前になっていた。当たり前になってしまった。それがよいことなのだと詩音は思うようにしている。過去に引っ張られてしまうのはいけないことだと、かつての兄を見て学んだから。
だから、過去を見るわけにはいかなかった。
「……そういえば、詩音。この前の学校説明会、一ノ瀬翼くんに会ったよ。詩音の幼なじみの子でしょ? ほら、友だち登録しちゃった」
だけど、真樹が過去の欠片を詩音に突きつけた。
今、詩音が向き合いたくない者の一人、一ノ瀬翼の名前を口にした。
「どう、して……?」
真樹のスマホには翼の名前とアイコンが表示されている。
「詩音に会いたいんだって。会って、伝えたい言葉があるんだって」
違う。そういうことではない。
詩音は混乱する。真樹は詩音が過去を拒絶するのを知っていた。いや、知っているだけでない。それを受け入れ、協力してくれた。
今までずっと詩音の触れてほしくない繊細なところは避けて接してくれていたし、他者が踏み込もうとするときは誤魔化してくれた。
「翼くんに会ってあげなよ」
なのに、どうして今さら?
ノイズが頭の中でなり始める。うるさい。うるさい。
「詩音、今までごめんね。たぶん、アタシができることはこれだけだから」
詩音は気づけば手で耳を抑えていた。だけど、真樹はその手を取り、何も言わずただ抱きしめた。
今までの詩音の歪さを見ないふりしてきた、肯定してしまった真樹は、翼たちのように手を差し伸べることもできない。
できることはこれだけ。
真樹はまわしていた腕を戻し、リュックを手に取り、ドアへと向かう。
そしてふと足を止めて、背中を詩音に向けたまま言った。
「そういえば、結局、夏休みにバドミントンやらなかったね。夏休みは終わっちゃったけど、今度こそやろうね」
呆然とする詩音を残して、真樹は教室から去っていった。




