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◇3◇


 詩音(しおん)が消えた。


 (そら)は誰もいない神社の木陰で腰を下ろす。もう夏休み終盤。夏休みが始まったばかりのころはセミの声がうるさかったのに、今はひぐらしの声が鳴り響いている。

 夏祭り以降、詩音は姿を現さなくなった。文句を言いつつも、声をかければヒーロー活動のために神社に来ていたのに。既読のつかない一方通行の会話。チャットに連絡しても反応は一つもない。


 (つばさ)も夏祭りの後から様子がおかしくなっていた。どこかを見つめ、何か思いつめたように考えるようになった。

 詩音と翼の間に何かあったのかもしれない。夏祭りから帰ってきた直後に聞いてみるべきだったかもしれない。


 しかし、空にはそんな余裕がなかった。夏祭り、一緒にまわっていた彩夢(あやめ)から思わぬ真実を聞いてしまったからだ。


 彩夢は詩音の兄だということ。


 本来なら空は打ち上げ花火が終わった後に彩夢に告白するつもりだった。だけど、花火が上がる瞬間に彩夢からその事実を伝えられ、思考機能が停止してしまった。

 それはつまり詩音も母親を失っていることを意味している。

 詩音が母親を慕っているのを知っていたからこそ、より胸が苦しくなる。


 詩音は今までどんな気持ちで空たちと接していたのだろうか? どんな気持ちで彩夢について語る自分を見ていたのだろう?

 そんなことをぐるぐる考えている間に気づけば花火が終わり、家に帰っていた。

 知らなかったとはいえ、もしかしたら詩音に言ってはいけないことも言ったかもしれない。詩音を傷つけたのかもしれない。

 たしか彩夢が母親を亡くしたのが中学三年生の時と言っていた。空と詩音が中学一年生の時だ。つまり詩音が母親を失ったのは空たちの前から去った後。


 詩音と離れてしまった空白の時間が重く空の心にのしかかる。

 彼女は大丈夫だったのだろうか? 苦しくなかったのだろうか?


 空はいじめは経験したことがあるが、母親を亡くしたことがない。空の母親は今も元気に仕事も家事もこなしている。

 祖母を失ったことはある。大好きな人で、当時は悲しかった。けど、やっぱり親と子の絆とは違う。たぶん、自分も父や母を今失ったら耐えられないかもしれない。

 家族仲が良い家庭だと思っている。子どものいじめに気づくことができないほど忙しくて鈍感な親だけど、空にとってはどうしようもないほど大切な家族だ。


 愛されている、守られている自覚もある。

 父と母は当たり前で大きな日常のひとかけらだ。当たり前すぎて失うのが想像できない。

 空は失っていない。だから詩音の気持ちを理解できない。


 でも、理解できないからと言って諦めたらダメだ。気持ちに寄り添うことはできる。分かり合おうとすることはできる。

 空は決意を胸に立ち上がる。急がないと手遅れになる気がした。

 スマホを手に持ち、今度は彩夢に連絡を入れる。

 サークルの合宿から帰ってきてからちゃんと話そうと思って待っていたが、あれから一向に連絡がこない。もう合宿も終わっているはずで、連絡がきてもいいはず。だけど、空のメッセージには既読がつくようすがない。


 彩夢は空の想い人。だから好きな人には嫌われたくなくて我慢していたが、もういいや。

 空は既読がつかないメッセージをいくつも送る。

 詩音と幼なじみだったこと。最近詩音と再会したこと。この前の夏祭りで彩夢と話して、二人が兄妹だと知ったこと。詩音は大丈夫なのかということ。

 こんな長文を連続で送り付けたら重い女だと思われてしまう。だけど、早く詩音のことをどうにかしたかった。


「姉ちゃん、来てたんだ……」


 その時、馴染みのある声に呼ばれた。空は振り返る。


「翼……」


 いつもの生意気な弟は影を潜め、今日はなんだかしおらしい。彼もたぶん、詩音のことだろう。

 そうだ、せっかくの機会だ。あの夏祭りの時、翼と詩音の間に何があったのか聞かなくては。


「ねぇ、詩音と何があったの?」


 この感じ、既視感があると空は思った。

 小学校の卒業式以降、何度も神社に来ても姿を見せなかった詩音。空も翼も突然消えた詩音に戸惑うばかりで、途方に暮れることしかできなくて、やるせなさで胸がいっぱいになったあの頃と似ている。


「おれ、詩音ちゃんに、さよならって言われたんだ……」


 夏の終わりを感じる涼しい風が暑さの中に混じり、空と翼の肌を撫でた。


「途中で、詩音ちゃん、一華さんに会いに行くって走り出して消えちゃって……。でも、探したら見つかって、その時はどこかおかしかったんだ」

「えっと、どういうこと? 詩音、トージョーさんのところに行ったの? 断られたんじゃなかったっけ?」

「うん……。そのはずだったんだけど、突然」


 空が知らない間に色々と物事が進んでいたらしい。

 詩音の「さよなら」の言葉の経緯を、翼はぽつりぽつりと呟いていく。


「……それで、詩音ちゃんを見つけた時、おれ、告白したんだ」

「……えっ? 翼が? 詩音に?」


 空は頭が真っ白になる。彩夢が詩音の兄だと聞いた時も頭が真っ白になったが、今回は別の意味で頭が真っ白だ。

 詩音を心配しなければならないはずなのに、意識は翼の告白にもっていかれる。

 ヘタレだと思っていた翼はどうやらヘタレではなかったらしい。姉としてその事実は喜ぶべきなのだろうが、弟に先を越されたということにもなるため心境は複雑である。


「それで、詩音はなんて答えたの? フラれたの?」

「いや、フラれること前提で話さないでよ……」

「じゃあ、オッケーだったの!?」


 食い気味に空は質問する。恋愛話、しかも身内の恋愛だから気にならないわけがない。

 少しでも早く詩音に会わなければと思っていたのに、空の乙女心は暴走して止まらない。

 しかし、暴走機関車のように興奮する姉とは反対に翼は淡々と答える。


「オッケーだったのかどうかは分からない……。けど、詩音ちゃんに、一緒に『大人』になろうって言われた……」


 翼は、あの夏祭りの夜の、詩音の言葉を思い出す。


『そっかぁ、そうだよね……。あのさ、つーくん……このまま二人で一緒に『大人』になろうよ』


 首に絡みつく詩音の腕、頬にかかる熱い吐息。

 いつも一緒にいた、でも、いつもと違う幼なじみの女の子。

 彼女が何の理由があってあの発言をしたのか分からない。でも、あの発言が何を意味するのか翼でも分かった。

 できることならこのまま彼女を受け入れたかった。


 だけど、できなかった。

 彼女の瞳はどこまでも暗かったから。


「えっ? あの詩音が? ちょっと、翼、どういう……」

「姉ちゃん、詩音ちゃんをこのままにしちゃ、ダメだ」


 あらためて言葉にして、あの時を振り返って、翼は気づく。

 このままにしてはダメだと。

 全く同じではないけれど、翼にはあの暗い瞳に見覚えがあった。

 似ているのだ。ヒーローをやめると宣言した中学生の頃の姉の瞳に。


「姉ちゃん、おれ、詩音ちゃんとこのままさよならなんてしたくない」


 姉がヒーローをやめると言って、黙っていた頃とは違う。

 詩音が秘密基地に来なくなり、会えないまま何もしないで待っていた頃とは違う。


 もう二度と後悔なんてしたくない。

 勇気の花を咲かせた翼は、もう、言葉にするのを恐れない。


「分かった」


 だから、その真っ直ぐな言葉にヒーローは頷いた。


「次のヒーロー活動決まったよ」


 夏の太陽を背に、翼の大好きでかっこいいヒーローはニヤリと笑う。




「詩音を笑顔にしよう」




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