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◆私は、大丈夫◆


 お母さんのお見舞いのため、私は週に数回、病院に通っていた。少しでもお母さんと一緒にいる時間が欲しかったから。


 私はお母さんがもう長くないのを知っていた。偶然、お母さんとお父さんが話しているのを聞いてしまったからだ。

 ただ、お母さんはいつものお母さんであることを望んだ。お兄ちゃんにも私にも隠し通せなくなるまでは黙っていたいとお父さんに言っていた。


 だから、私も今まで通りの何も知らない、けど、病院にいるお母さんを恋しく思うただの子供として接した。


 心残りしないように、お母さんがいない世界が来ても大丈夫なように、伝えられる時に伝えるべき言葉を伝えた。できる限りの思い出を作ろうとした。


 悲しみが薄れるように。苦しみが軽くなるように。後悔なんてしないように。

 大丈夫、私は前へ進める。大丈夫に決まっている。

 だって、ほら、涙も出てない。私は乗り越えたんだ。


 だけど、この痛みは何だろう?


「ぁ、ああっ!」


 私は頭を掻き毟るように抑え、呻く。


 誰もいない家、部屋の隅でうずくまる。つーくんと別れて私は逃げるように、隠れるように、守るように、家に戻った。

 明かりもない、静かで真っ暗な自分の部屋。この見えない暗さがせめてもの救いだった。今は何も目に入れたくない。

 ただ少しでも自分の中にあるドロドロとした焼け付くような熱さを吐き出さないと、壊れるような気がした。


 頭がガンガン鳴り響き、痛い。胸が張り裂けそう。じわりじわりと苦しくなっていく。私はこの痛みを知らない。だけど、この痛みは誰かに言われてから襲い始めた。


『悲しくないのはきっとその気持ちにふたをしちゃったからだよ』


 それはおかしい。

 だって、自分はお母さんの死を受け入れたはずだから。大丈夫になるために、悲しくならないために、慣れるために、お母さんと接してきたのだから。


 悲しいはもう私から消えている。



「私は大丈夫。大丈夫。大丈夫」



 言い聞かせるように、刷り込ませるように、言葉にする。

 こんな痛みは知らない。こんな痛みに構ってる暇なんてない。


「そうだ、私は何をやってたんだろう……」


 私は思い出す。本来やるべきことを。


「大人にならなきゃ」


 勉強して、大学に行って、就職して、働いて、自立をして。

 負担をかけないように、迷惑をかけないように、安心してもらえるように。

 時間は早く進んでくれない。でも、大丈夫な大人になるためにはやることはある。


 まずは邪魔になるものは忘れてしまおう。離れてしまおう。捨ててしまおう。

 そうすればすっきりする。気持ちが軽くなる。


「ああ、ほら、やっぱりこれで合ってるんだ」


 先ほどまで感じていた痛みは消えていく。

 自然と笑みが零れる。


 笑って、嗤って、ワラッテ。


 心が空っぽになって、軽くなって、楽になる。


 反対に身体はだんだんと重くなっていき、指一つ動かすのも億劫になってベッドに倒れこむ。

 本当はお風呂に入らなきゃいけないし、洗濯もご飯も明日の準備もしないといけない。

 でも、今日はいい気がした。だって体調崩したし、熱中症になったし。


「……あれ? どうして熱中症になったんだっけ?」


 熱中症になった事実は覚えているのにそうなってしまった原因が記憶の中から出てこない。ちくりと頭が痛くなる。

 うん、変に考えるのはやめよう。忘れるってことはきっとその程度のことだ。

 瞼が落ちるのと同時に意識も徐々に遠のいていく。私はそのまま意識を手放し、眠りに落ちる。



 もう、今はどうでもよかった。





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