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◆◇そして  は言花を枯らした◇◆


「わたし、詩音(しおん)がうらやましかったんだ」


 夏草に寝転がり、星を見ながら一華(いちか)は隣で同じように寝ている詩音に話しかけた。


「うらやましかった? どうして?」

「ちゃんと自分を見てくれる親がいたから。詩音のお母さんがすっごい優しかったの覚えてるんだ」

「そう、だったんだ……」


 詩音と出会ったばかりの頃、病院で詩音と詩音の母が一緒に歩いているのをよく見かけて、その度に詩音の母は詩音だけでなく一華にも温かい言葉をかけてくれた。自分とは違う温かな家庭に何度羨ましいと思ったことか。


「でも、いざ親が再婚するってなったとき気づいたんだ」


 しかし、皮肉にも今日、気づいてしまった。


「やっぱりわたしは自分の親がどうしようもなく好きだってこと」


 どんな形の家庭でも、一華にとっては大切なものだったと。


「だから、すごく悲しかったし、嫌だったんだ」


 それが再婚によって新しく書き換えられてしまう時、手遅れになってしまう時、気づいたのだから。


「伝えられるときに伝えていけば大丈夫だよ。だってまだお父さんとお母さん、いるんでしょ?」

「何言ってるの詩音。どんなに頑張ったってどうしようもないこともあるの。詩音はまだ何も失ってないから分からないかもしれないけど、これだけは譲れない」


 詩音の両親は夫婦円満だったらしいが、一華の場合は違う。心が離れてしまったら戻らないのを一華は知っている。

 新しい絆を築くことに決意した一華ではあるが、やはり失ってしまったものを埋めることはまだできていない。


「それに後悔しないように全力を尽くしたって、悲しいものはどうしようもなく悲しい」

「悲しくないよ」

「ううん、悲しくないのはきっとその気持ちにふたをしちゃったからだよ」


 知らないからこそ、詩音はそんなことが言えるのだ。失ってないからこそ、悲しくないって言えるのだ。そう、思っていた。




「…………じゃあ、私は、本当は、悲しかったの?」




 詩音の今まで聞いたことのない、かすれた、消えてしまいそうな声を聞くまでは。


「え?」


 一華は寝転がっていた体を起こして詩音に顔を向ける。しかし、それよりも早く、詩音は壊れた人形のようにぎこちなく立ち上がり、ここではないどこかを見つめながら一人でぶつぶつと呟き始める。


「ううん、違う。悲しくなんてない。だって、だって、ちゃんと言いたいことは全部伝えた。残りの時間もちゃんと大切に過ごした。お兄ちゃんとは違う」


 頭を抱え、髪をぐしゃぐしゃにかきむしり、そのまま顔を手で覆い隠す。


「悲しくない。苦しくない。私は乗り越えた。お兄ちゃんとは違ってちゃんと未来に向かって生きてるもん」

「詩音……?」


 一華の言葉を一音一音聞き逃さないように耳を傾けていた先ほどの詩音とは違う。誰の言葉も聞こうとしない、いや、聞くことができない。


「約束したもん。大丈夫だって」


 吐かれる言葉も誰かに届けるためのものではない。自分に言い聞かせるためのもの。自分は大丈夫なのだと思い込ませる詩音にとっては魔法の言葉。




「お母さんが死んじゃったって、私は大丈夫だったもん」




 それが、一華には呪いの言葉にしか聞こえなかった。


「っ!」


 一華は息を飲む。言葉が出なかった。何か言わなくてはいけないと分かってはいるがのどに言葉がつっかかって吐き出すことができない。


『何言ってるの詩音。どんなに頑張ったってどうしようもないこともあるの。詩音はまだ何も失ってないから分からないかもしれないけど、これだけは譲れない』


 つい先ほど放ってしまった自分の言葉が重くナイフのよう一華に突き刺さる。どこかに行ってしまいそうな詩音の手を握らなければいけないはずなのに、体は伸びた草に絡まってしまったみたいに動かない。


「し……おん」


 どうにか発せられた音は陳腐で言葉にすらなってないと思われるほど。無論、相手に届くわけがない。ただ詩音が目の前で壊れていくのを見ることしかできない。


「お母さんの余命があと少しって聞いた時も、お兄ちゃんがお母さんにひどいこと言った時も、お兄ちゃんのせいで受験しなくちゃいけなくなった時も、卒業してみんなとさよならした時も、お父さんが仕事で家にいないのが当たり前になった時も、部活を続けられなくなった時も、お母さんが亡くなった時も…………全部全部全部全部全部全部全部全部全部、私は、大丈夫だった。だって伝えるべき言葉は伝えてきたもん」


 母の余命を聞いてから起きた悲しかったはずのこと、苦しかったはずのことはとっくの昔に全部乗り越えた。母のいないこれからを進めるように、後悔しないように、精いっぱいできることはやった。


 だから、今さら悲しいなんて、苦しいなんて、ありえない。


「ぁ、あっ…………」


 だけど、この痛みはなんだろう?


 母の笑顔が、声が、姿が、思い出が、脳裏に蘇る度に頭がガンガン鳴り響き、痛い。胸が張り裂けそう。

 詩音はこの痛みを知らない。


 だめだ、前に進めなくなる。ダメになる。忘れなきゃ、過去を全部。


「……詩音っ!」


 腕をつかまれた。振り返ると同い年くらいの女の子とハナがいる。真っ直ぐ自分を見つめる女の子。一緒にいたいけれど、つかまれた腕を振りほどかないといけない気がした。そうしないと痛みがどんどん強くなるから。


 自分はなんでこんなところにいるのか、目の前の女の子は誰なのか。身に覚えがあるくせに痛みで思考も視界もぼやけて機能しない。


「ごめん、なさい」











 だからその手を払って詩音は逃げ出すことしかできなかった。

 涙一つも零れない。

 悲しいも、苦しいも、分からない。











 いつまで経っても降らない雨に花々は「また」しおれていく。

 詩音は勇気の花も、愛の花も、絆の花も、全て、全て、受け取った言花たちを枯らしてしまった。














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