◇猫に祝福されながら、少女たちは絆の花を咲かせた◇
「一華、誕生日、おめでとう」
六年前と一言一句変わらぬ言葉。頬に触れる詩音の手の温もりも、優しい表情も、あの頃の思い出と重なり一華は涙が止まらなかった。
わたしの隣で笑うあなたは確かにここにいる。
その事実だけで一華は心の底から安心し、今度は詩音に想いを吐き出す。
だけど、また突然消えてしまうのが怖くて詩音の手に自分の手を重ね、しっかりと握る。
「ねえ、詩音、どうして、どうして、わたしの隣からいなくなっちゃったの……?」
「……家の事情で他の学校に行かなくちゃいけなかったの。黙っていなくなってごめんね」
「わたし、詩音がいなくなっちゃった後、苦しかったの。お父さんとお母さんが離婚しちゃって。全部、わたしのせいで……」
「大丈夫、もういなくならないよ。大丈夫、一華のせいじゃないよ」
家の事情って何? なんで黙っていたの? 聞きたいことは山ほどあるはずなのに詩音の優しい声に溶かされて全部どうでもよくなる。
ただ、今は自分の中にある悲しい気持ちを、嫌な気持ちを、全て出してしまいたい。
「わたし、頑張れてなかったよ。けど、頑張ろうって思うことができないの」
「一華は頑張ってたよ。ただ、今は疲れちゃってるだけ。ゆっくり休まなきゃ、また頑張ろうって思えないよ」
「わたしが一番になれなかったからダメだったの? お父さんとお母さんは離れちゃったの?」
「ダメじゃないよ。ちょっとすれ違っちゃっただけだよ」
「一番になれないわたしはいらない子なの?」
「いらない子じゃない。それに、一番にならなくていいよ。一番は誰でも替えがきくけど、唯一は違うの。一華だって、そう。代わりなんていない大切な存在だよ」
「わたしは、詩音にとって、唯一なの……?」
「当たり前じゃん。だって一華は『たった一つの花』でしょ?」
ぐちゃぐちゃになった糸のように絡まった心を詩音は一つ一つほどいていく。締め付けていたものが無くなり心が楽になっていく。
「ねえ、一華。半分こしよう? 私は一華の全部はきっと無理だけど、半分こなら一華の苦しいを背負えるよ」
詩音は一華ではない。一番を求められたことはないし、親が離婚しているわけではない。全てを理解することはできない。だけど、理解できなくても、一緒にいることはできる。隣で手を握ることも、気持ちを共有することもできる。絆として詩音と一華を繋げる。
その時だ。
ドンッッッ!!
一つの光が夜空を駆け抜け、満開の花を咲かせた。
「花火だ!」
詩音は瞳を輝かせながら夜空を見上げる。一華もつられて俯いていた顔を上げた。
いくつもの彩りをもった光の花が次々と世界を照らす。
『一華、どんなことがあっても、私たちはずっとずっと一緒だよ。約束! だから、はい、これ!』
一華は六年前の約束を思い出した。あの時も、花火が夜空に咲き誇っている時に約束して、証をもらったんだ。
だけど、あの頃と違って一華は離れることを知っている。
だから、新たな約束をしよう。確かな絆をつくろう。
「詩音、わたしにとってもあなたは唯一なの。だから、約束して。離れてしまっても、繋がってるって。独りじゃないよって、忘れないで」
「うん、約束。繋がってる。忘れないよ」
詩音は強く一華の手を握り締める。大丈夫だよと伝える。
握り締められた手を、詩音の真っ直ぐな瞳を見て、一華は決心する。
六年前に詩音がくれた約束の証を返しても大丈夫だと。証がなくたって繋がることはできると。
「あのね、詩音。詩音に返したいものが――」
「にゃ~!」
しかし、先ほどまでおとなしくしていた黒猫がテーブルの上で騒ぎ始めていた。そのすぐそばには小さな紙袋がある。
「あーやっぱり一華の隣にいたのハナだったんだ。てか、勝手に触らないで! 空ちゃんと違って私はちゃんと渡したいんだから!」
この黒猫をどうやら詩音は知っているらしい。慣れた手つきで黒猫を抑えて紙袋を手に取る。
「渡すって?」
「誕生日プレゼントを! はい、一華! 開けてみて!」
詩音は紙袋を一華に渡す。その中身を取り出してみると、入っていたのは花のブーケ。
「これは、朝顔?」
「そ! 朝顔!」
青と紫の朝顔が花火に負けないくらい鮮やかに咲き誇り、朝顔のツルや白く小さな花々が控えめに彩っている。
「でも、なんで朝顔……?」
「前……と言っても小学生の頃、一華が嬉しそうに話していた花だったから」
「嬉しそうに?」
「うん!」
いつもは親の話になると暗い顔をしていた一華が、その時だけは心の底から喜んでいるような笑顔を見せていた。
それが詩音にとっては印象的で、自分まですごく嬉しくなった記憶がある。
だから、一華の元へ向かう途中、偶然花屋を見つけた時、手に取ってしまった。
「この公園で朝顔を見つけた時、一華が言ってたの。幼稚園生の頃、自分が育てた朝顔の花をお父さんとお母さんにプレゼントしたら、すっごい喜んでくれたんだ! って」
詩音の言葉で一華は思い出す。幼稚園で初めて花を育てて、どうしても親にプレゼントしたくて、先生に助けてもらいながらブーケを作ったのだ。
それを両親に渡した時、母はギュッと一華を抱きしめ、父は優しい笑みを向けてくれた。
『まあ、一華! 素敵な花をありがとう。お母さん嬉しいわ』
『一華、ありがとう。こんな綺麗な花は初めてだよ。まるで、この花は一華だな』
『わたし?』
『ああ、一華は自分の名前の意味を知っているか?』
『ううん、しらない』
『一番のハナになれ。そう願いを込めたんだ。一華は父さんにとって一番のハナだ。だから、これから一華が出会う大切な人たちの心の中で一華が一番のハナになることを祈ってるよ』
一華という名前が、一番という呪いがかかる前の一華が忘れてしまっていた思い出を詩音が花開かせる。
自分を、一華自身を、見てくれた。
あの人たちの中では自分は一番のハナであり、唯一だった。
大好きだった人たちとの大切な思い出。
「そっか、わたしにもお父さんとお母さんとの嬉しかった思い出があったんだ……」
何も無いわけではなかった。温かくて優しい思い出が見えなくなっていた絆を見せてくれた。それだけで十分だった。
「苦しいだけじゃなかったんだ……」
もしかしたら父や母の中では一番の意味が昔とは違うかもしれない。一華の意味が変わってしまったのかもしれない。
「大丈夫だよ、一華」
だけど、大丈夫。
絆は繋がっているから。
いつの間にか花火は終わり、一華たちを照らすのは月明かりだけ。色とりどりのお花に囲まれた場所は夜に飲み込まれてまた色を失い、雑木林は大きな影の怪物になる。
怖くは、ない。
自分の手を握りしめてくれる詩音の温もりが、一華が独りではないと教えてくれる。また、頑張ろうと思うことができる。
「わたし、頑張るよ。今度はわたしの意思で頑張りたいんだ」
一華は誰に言われるまでもなく、顔を上げた。花火の光には負けてしまうけれど、月と沢山の星々の光が夜を静かに灯している。
見えなくなっても、変わってしまっても、これから新しい絆の在り方を見つけていけばいい。
「にゃあ」
小さな夜の影が一華に飛びついた。ハナだ。ブーケと詩音の手を握っていて両手がふさがっていたから、一華の代わりに詩音が片手でなんとかハナをキャッチする。詩音の腕の中に収まったハナは器用にも体を動かし一華の頬を舐めた。
「私だけじゃなくて、ハナも応援してるってさ」
また詩音は自身の額と一華の額を重ねて、微笑んだ。どうやら自分が気づかないうちに瞳から涙が零れていたらしい。だけど、これは悲しい涙じゃない。
「……うん、ありがとう」
震える声で、でも、一華は心の底からの笑みを浮かべた。
夏の夜のとばりが降りる時、
猫に祝福されながら、少女たちは絆の花を咲かせた。




