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◇8◇


 暑苦しいまでに照りつける太陽。焼け付くアスファルト。鳴り響く蝉の声と、同じように賑わいを見せる人々。

 いつもは閑散としている駅前の通りはこの日ばかりは活気で溢れていた。


 駅の通りから数分歩くとひときわ混んでいる場所が一つ。この日のために設置された舞台ステージが役場前の中庭に鎮座していた。


 夜のメインイベントは打ち上げ花火であるが、昼のメインイベントはこのステージで披露される有志たちの発表。地元の幼稚園や小学校、中学校も有志とて気合の入れた発表もするので、地域を見守る高齢者たちや発表者たちの親戚にとっては花火よりもこちらがメインなのは過言ではない。


 そのどちらにも属さない(そら)詩音(しおん)(つばさ)の三人は、最初こそは当日の熱量の違いに戸惑っていたが、園児たちの発表が目前になった頃にはその活気になじんでいた。


「はい、これで大丈夫だよ」

「ありがと、おねーちゃん!」


 荷物運びや舞台道具の設置など一通り大きな仕事を済ませていた詩音は舞台裏で園児たちの衣装を着る手伝いをしていた。


 詩音に衣装を着るのを手伝ってもらった女の子は嬉しそうに鏡に映った自身の姿を見る。

 黒いワンピース、肉球模様の黒い靴下に尻尾と猫耳。

 太陽の熱を沢山吸収しそうななんともきつそうな衣装ではあるが、「黒猫」役の女の子はいたく気に入っているようで、終始笑顔を浮かべている。


「おい! つばさ! みろよ! かっこいいだろ!」

「翼って呼び捨てにすんなよ! お兄ちゃんって呼べよ! って、うわっ、剣をこっちに向けるな!」

「わ~! 二人とも可愛い~! 王子様とお姫様だよ!」

「えへへ~おひめさまだ~」

「かわいいんじゃなくて、かっこいいだよ!」


 翼も空もそれぞれ衣装を身にまとった園児たちとやりとりをしている。

 騎士の姿をした男の子にプラスチックの剣でつつかれている翼。王子様役とお姫様役の男の子と女の子をギュッと抱きしめる空。


 他にも園児たちがいるが、翼と空が相手をしているのはこの劇で負担のある……言わばメインの役を担当している園児たち。もうそろそろ本番が近づいているが、緊張している様子もなく今の自分の姿に目をキラキラと輝かせている子供たちに詩音はほっと胸をなでおろす。


 自分の時はあまりの緊張で泣いてしまい、周りに迷惑をかけてしまったから、自分の二の舞を踏む子はいなさそうで一安心する。しかし、もう一人主役がいないことに気づく。物陰にうずくまっている子が一人。

 黒い大きな帽子に黒いローブ。これまた夏には厳しい格好をしているのにも関わらず、魔法使い役の女の子は青い顔をしていた。


 ああ、これはまずいな。そう思って声をかけようとするが、黒い影が詩音の目の前を通り過ぎた。


「いこう! いっしょならこわくないよ!」


 影の正体は黒猫役の少女だった。彼女は魔法使い役の女の子の手を握り、引っ張り上げる。


「う、うん!」


 ああ、もう、きっと大丈夫。わざわざ自分が手を貸す必要もなかったと微笑む。

 子どもは単純だ。あっという間に笑顔になっている。羨ましい。


 そういえば自分が緊張したときは誰に手を差し伸べてもらったんだっけ?


 思い出そうとするが、思い出せない。

 まあ、いっか。詩音は諦めて黒猫役の子に話しかける。


「さっきは魔法使い役の子に声をかけてくれてありがとうね」

「ん? どうして?」


 少女は詩音の感謝の言葉が通じていないようだった。たぶん彼女にとってこの行動は当たり前のことで、わざわざお礼を言われるほどの行為ではないのだろう。


「それより、おねーちゃん、これにあう?」


 自分の姿をしっかりと見てもらおうと少女は詩音の前でくるりと一回転する。


「似合っているよ」

「やったぁ~!」


 猫ではなくウサギのように跳ねては喜びを体いっぱいで表現する。

 もちろん少女の黒猫の姿はとてもよく似合っている。しかし、黒猫は他の登場人物と比べて衣装も派手ではない。特にメインの役たちと比べたらとても地味な方だ。

 幼い子にとって黒猫の衣装は物足りないのではないだろうか?


「黒猫は好き?」


 だからつい不安と疑問が混ざり合って聞いてしまった。この役に不満はないかと。

 だがそれは無用な心配だった。


「うん! だいすき! だってくろねこは、たいせつなおもいをとどけてくれるんでしょ?」


 花を咲かせることができない子供たちに「言葉の種」という特別な種を届けて花を咲かせるお話。


「黒猫」はその「言葉の種」を運ぶ影の主役だ。


 少女は、幼いころの詩音と同じ理由を口にした。黒猫役をやった詩音と同じ理由を。


『わたし、くろねこになっておもいをとどけたいの!』


 初めて一生懸命に言葉にした詩音のわがまま。そのわがままが今もこうして誰かの想いを繋げている。


「きょうね、おしごといそがしいおとーさんがみにきてくれるの!」


 大好きな話を沢山の人に届けたくて、大好きな人にその姿を見てほしくて、


「このげきがおわったらね、おとーさんとおかーさんにいつもありがとってつたえるんだ!」




 ありがとう、大好きって伝えたんだ。




 ぐらりと視界が歪んだ。目の前の景色とは別の景色が交互に入れ替わる。

 なぜか黒のワンピースの胸元を掴んで必死で息を整えようとする自分。心配そうに見つめる友だちや慌てる大人たち。自分の手を握る、自分よりも少し大きな力強い手。


 この景色は何? この手は誰? 心臓をつかまれたようで息が苦しい。呼吸の仕方が分からなくなる。


「そう……なん、だ。頑張ってね」

「ありがとう! がんばるね!」


 現実との境界線が完全に分からなくなる前に無理やり言葉を続けて少女を見送る。

 だけど、これ以上は耐えられなかった。

 きっとこのままいたら、この劇を見てしまったら、もっと自分はおかしくなるような気がした。


 そうだ、見なければいい。きっとこれは熱中症だ。早く休憩しなければ他の人に迷惑がかかる。だから、見なくてもいいんだ。


 取り込み中の空や翼にバレないようにふらふらな足取りでステージから離れる。

 チャットですぐ戻ると伝えれば大丈夫だろう。ヒーロー活動のお手伝いは完了しているし、舞台を見なくても屋台や花火を見れれば問題ない。


 しかし、詩音は自身の軽率な行動に後悔することになる。


「うっわ……」


 ちょうどいい休憩場所がないか探そうと顔を上げると、予想していなかった、会いたくなかった人物が目の前にいたからである。




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