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◇2◇


 嫌な予感というのは当たることの方が多い。


 そう言うが、そもそも人によって感覚は違うから多いと表現するのは如何なものか?

 一瞬、そんなどうでも良い疑問が頭をよぎる。だが、考え直した結果、この主張を変える必要はないと、詩音は結論づけた。


 何故なら、詩音(しおん)の経験上、自分の嫌な予感というのは百発百中当たっているからだ。

 詩音の嫌な予感の元凶、そいつが確実にトラブルを何処からか持ってくるのだから仕方がない。

 では、そいつのどういった所から嫌な予感を察知するのか、簡単である。


 そいつがこれからやろうとすること、興味を持つもの全てである。

 そいつは二十四時間営業中の動くトラブルメーカー。


 大小あれど、必ず他者に何かしらの影響を与える迷惑極まりない奴だ。


 ある時は一般家庭のキッチンで、お肉を焼こうとして火柱が上がり、火事になりかけた。

 ある時は鍵をなくしたからと言って、夜中寝ている詩音の部屋の窓に石を投げて起こしてきた。

 ……と、思い出すだけでもきりがない。


 とにかく、そいつがいるだけで詩音の苦労が絶えないのだ。

 だから、詩音にとってそいつは「大嫌い」な存在である。

 しかし、残念なことにこの「大嫌い」はなかなか他者に理解されない。

 腹立たしいことにそいつは顔が良いのだ。「顔が良いから」という理由で詩音の不満は一掃されてしまう。むしろ、毎日拝めるのだから良いことではないかと言われてしまう始末。

 それは遠目で見てるから言えることなのだ。

 毎回巻き込まれる者としてはたまったもんじゃない。


 では、巻き込まれなければいいだけではないか?

 そうできたのならば、どれほど良かっただろう。


 詩音にはできないのだ。


 どんなに願っていても、詩音はそいつとの関係を切ることができない。

 面倒ごとを拒み、平穏を好む詩音は、普通ならばそれを害する者がいたとすれば早急に距離を置いて関わらない。


 だが、そいつにはそれが許されない。

 詩音の今までの、そしてこれからの人生においても、だ。


「……お兄ちゃん、これは何?」


 何故なら、そいつは、詩音にとっての兄であり、兄妹という強い繋がりを持ってしまっているからだ。

 詩音は家に着くや否や、目の前に飛び込んできた「黒いもの」を指して、リビングでゲームをしている兄に問いかけた。


 放課後、無事にスマートフォンを取り戻した詩音は兄のメッセージを見た。電話の着信履歴以外に送られていたのは「早く帰ってこい」の一言。

 急いで帰ってみると、早速今回のトラブルであろう「黒いもの」が詩音を待ち構えていた。

 夜を切り取ったかのような黒い毛並み。夏の葉を映しこんだ翡翠の瞳。


「何って、どう見ても分かるだろう。猫だ」


 そう、猫だ。

 おとぎ話に出てきそうな、そんな、不思議な猫が自分を見ていた。

 しかし、問題はそこではない。


「何で、猫が家にいるの?」


 ペットショップなら何の疑問も抱かないが、ここは我が家。

 生き物を飼ったことがないこの家庭にとって、その猫は突如現れた侵入者。

 そんな侵入者を招き入れた兄は当たり前のように答える。

 しかも、こんな綺麗で不思議な猫、いったいいくらしたのだろうと詩音は思わず身震いする。


「それは、猫を飼うからに決まってんだろ」

「えっ、この家で?」

「そうだ」


 初耳である。

 今までそんな前触れさえなかった。

 いや、兄に前触れとか、事前連絡とか期待しては駄目か……。

 とは言っても、いきなり宣言されて「はい、そうですか」と受け入れるほど詩音は度量があるわけではない。


「何で猫を飼おうって思ったの? てか、いくらしたの? ペットとか飼ったことないのに、今さら飼い始めるなんて……」


 めんどくさい。

 言葉にはしないものの、暗に詩音は猫を飼いたくないという意思を示した。

 だが、兄に対してそんな回りくどい表現は伝わらない。

 兄は待ってましたと言わんばかりの顔でゲームを中断し、猫を手荒に抱きかかえる。


「それは、俺に癒しが必要だからだぁっ!」


 いかにも自分は日頃の生活でストレスが溜まっていますよと言わんばかりの主張。

 確かにこんなつぶらな瞳をした猫と一緒に生活するのは癒されるだろう。

 しかし、詩音としては癒しよりもストレスの原因がなくなる方が好ましい。


「私としては猫を飼うんじゃなくて、お兄ちゃんが家を出て行ってくれた方が精神的負担が減って嬉しいんだけど……」

「と言うことで、猫を飼う! それで、猫を飼うにはまず何をすればいいんだ?」


 見事に自分の都合が悪い話は聞き流して、兄は話を勝手に進む。

 そんな兄の態度に苛立ちがふつふつと沸き立つが、詩音は深呼吸をして気を取り直す。


「私だって生き物を飼ったことすらないから分からないよ。ていうか、本当に飼うの? お父さんに許可もらったの?」

「まだ聞いてないぞ」


 我が家の指針である一家の大黒柱にも聞いていないようで、どうやら本当に独断で決めたのだろう。

 それなら話はこちらのものだ。

 詩音は早速猫を買ったお店か、譲り受けた人のところへ返すようにと説得しようとする。

 だが、動物的本能だろう、それを察知した兄がさらに飼いたい理由を言った。


「前に母さんが猫飼いたいって言ってたんだ。それに、この猫は母さんに会いに行った時、段ボールに捨てられているのを見つけて拾ったんだ」


 その理由は、ずるい。

 お母さんっ子である詩音にとって、その理由を聞いてしまえば真正面から否定できなくなってしまう。

 この場にはいないが、もし、今、母がいるとしたら猫を飼うことに賛成するということだ。

 結局、詩音は決断を他者に託すことにした。


「……分かった。じゃあ、お父さんが帰ってきたら許可もらってよ。お父さんがいいって言えば、私も手伝うよ」


 そう言って、詩音は気持ちを切り替えるように和室へと逃げ込んだ。

 和室にあるいつもの洗濯物の山が、猫の遊び場へと変貌し、詩音の悩みが増えたのはその数秒後だった。



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