◇7◇
「ごめん! 花火大会、一緒に周れなくなった!」
あまり冷房が効いていない蒸し暑さが残る幼稚園のホール。詩音が姿を現すや否や、空は手を合わせて謝った。
来週に控えた夏祭りの演劇発表。舞台準備のボランティアとして空と翼と詩音の三人は先週から幼稚園に週一程度で顔を出していた。
「え〜と、どうして周れなくなったのか聞いても大丈夫かな……?」
詩音はとりあえず聞いてみることにする。翼に視線を送ると肩を竦めて苦笑いを浮かべていた。どうやら彼は先に家で聞かされていたのかもしれない。
もう一度視線を空に戻して、彼女が理由を話すのを待つ。
「彩夢さんとデートすることになって〜」
どうやらただの惚気らしい。
自分たちの思い出の行事を彩夢に奪われることに腹立たしくもあるが、空に何を言っても無駄だろう。恋は盲目。特に空はそれに当てはまりそうだ。
「はぁ……ちょっと納得いかないけど、空ちゃんにとっては重要なんだよね……?」
恋する乙女は世界で一番敵にしていけない。
詩音は恋愛に無頓着ではあるが、学校の友人、真樹は恋多き乙女であるから、その恐ろしさを知っている。
「うん……! 彩夢さんがサークル合宿に行く前になんとかしなくちゃいけないの!
「それが、花火大会ってこと?」
「だって、ロマンチックだし、告白するには絶好のイベントじゃん!」
「「え?」」
しれっと発言する空に詩音と翼は言葉を失う。
静かになるホールとは正反対に、外から聞こえてくるセミの鳴き声がうるさくなる。周りで劇の舞台準備をしていた園児の保護者たちの視線が集まるのを感じた。
「そう、あたし、花火大会の時に、彩夢さんに告白しようと思うんだ!」
照れも隠しもない、力強い光を目に宿して空は大胆不敵に笑う。
「こっ、」
「告白ぅ!?」
その場にいた全員の心を代弁するように詩音と翼は空が放った爆弾を口にした。
彩夢に対する想いに薄々感づいてはいたが、白昼堂々と他にも人がいる中で宣言するとは思わなかった。
詩音以上に翼が動揺している。金魚のようにただ口をパクパクしている。どうやら告白することは聞いていなかったらしい。
「姉ちゃん、告白って……まじ?」
「まじ! てか、翼もせっかくのチャンスなんだし、告白しちゃえば?」
「なっ……!」
やっと放心状態から抜け出して、開けていただけの口から言葉が出る。言葉がやっと出てきたというのに、姉の追撃によって今度こそ思考停止になる。
目に見えて分かるくらいに顔を真っ赤にする翼を見て詩音は内心驚く。まだ翼は恋愛は早いと思っていたが、どうやら違うらしい。反応っぷりを見ると、彼にも想い人がいるのだろう。というより、自分は邪魔になるのでは?
「つーくんも、まぁ、色々大変そうだし。今回は発表会のお手伝いが終わったら解散する?」
一華にも断られ、空にも断られ、翼にも断られそう。それならいっそなかったことにしてしまえばいいのだと詩音は気持ちを切り替える。
しかし、翼は律儀なことに詩音の提案に反対した。
「姉ちゃんは予定を入れちゃったけど、おれはそんなことしないから! ……誘ったのに一緒に行かないなんてなんか嫌じゃん!」
「う〜ん、そっかぁ……」
そこまで真剣に考えなくてもいいのに……という言葉はグッと飲み込んで、曖昧に笑う。
「ほ、ほら、ていうか、話してないで作業しよ! 準備できるの今日と本番前しかないんだから!」
無理やり翼は話を終わらせる。言及してほしくない様子なので詩音も触れずに作業に没頭しようとする。
だが、ふと詩音は思い出した。一華を誘うと言ったこと、結局断られてしまったこと。
空は彩夢と行くことになってしまったが、もともとみんなで花火大会行こうと言った発案者だ。そして、翼は詩音と一緒に行くことになってる。
断られたことを話す必要があるだろう。
しかし、色恋沙汰にうつつを抜かしている空を見て、彼女に相談をするのは得策ではないと判断する。きっと今の彼女は自分のことで精一杯だし、こんな恋愛脳状態の空に相談するのも気が引けた。
そうなるとこの場で頼りになるのは一人しかいない。
「つーくん」
「な、何? 詩音ちゃん」
百面相しながら一人作戦会議を開催している空を無視して、詩音は翼に体を寄せる。
あまり悩み事を大声で話すタイプではないし、再度同じ話題に触れる抵抗もあり堂々と話すのも避けたいため、詩音は翼の耳元にこっそり話しかける。
「花火大会のことなんだけど……」
「……っ!」
詩音の声が翼の耳をかすめたかと思うと磁石が反発するように翼は詩音から距離をとった。
「あ、いや、ご、ごめん。えっと……聞こえるからこのまま話して……」
そんなに近づかれるのが嫌なのだろうか。思わぬところで翼の反抗期を目の当たりにしてしまい、詩音は少し悲しさを覚える。
空に対しては思春期特有の嫌悪感をたまに見せることがあったが、まさか自分も同じ対象になろうとは……。
仕方ない。本当ではないとはいえ、詩音は翼のもう一人のお姉ちゃんなのだから。
「大丈夫。それで……花火大会に一華も誘うって話、結局無理だった」
「誘う? 誰が、誰を?」
「え? だから、私が一華を、だよ」
しばらく翼は考える素振りを見せた後、詩音の伝えた意図に気づいたようで、ため息をついた。
「そっか、詩音ちゃん、他の人も誘う予定だったんだ……」
「うん、みんなでお祭りって空ちゃんと話してたじゃん」
「あー、そうだね。そうだったんだね。なんとなくわかっていたけどさ……!」
不貞腐れている翼の様子を見て、詩音は申し訳なくなる。よくよく考えてみると翼は一華と面識がない。
空と詩音は一華を知っているが、翼は噂でしか存在を知らない。年齢も性別も違う、共通点も少ない翼が蚊帳の外になってしまうのは容易に想像できる。
一華に会いたいという気持ちが先行して、翼への配慮が足りなかったと詩音は反省する。
「ごめん、つーくん。嫌だった……?」
「一華さん……は、嫌じゃないけど……気持ちが空ぶった感じで、もやっとした」
でも……と、翼は言葉を続けた。観念したかのような苦笑いを浮かべて。
「どうしても詩音ちゃんは一華さんと行きたかったんだよね?」
翼には申し訳ないと思っている。結果的には一華に断られてしまったので、誤魔化すことはできる。だが、翼の言葉は紛れもない事実だったので、詩音も苦笑いでしか返すことができなかった。
「これじゃあ小学生の頃と同じだね」
「小学生の頃?」
「うん、おれが小三で、詩音ちゃんが小六の時も同じことがあった」
そんなことがあったのだろうか? 正直、覚えていない。詩音は首を傾げる。
霧のようなモヤがかかっていて、せっかく姿を現した思い出も霞んで見える。そんな感じだ。
「あの時も詩音ちゃんはお祭りに一華さんを誘いたいって言ったんだ」
「一華とお祭り……?」
「でも、その時も断られちゃったみたいだったけどね」
「そう、だったんだ……」
詩音にとって一華との時間は大切だったはずなのに、翼の話す出来事は記憶に残っていない。しかし、身に覚えはあった。映像としての記憶はないが、心に染み付いた悲しさが思い出される。
一緒に行きたかったのに。一華も行きたいって言ったのに。
悲しい気持ちをわざわざ思い出しても良いことなんてない。蓋をしなければ。
「それでも、詩音ちゃんは……」
「つーくん、そんなことよりさ、せっかく二人で行くんだから何を買うかとか、どこまわるかとか決めよーよ」
翼の話を多少強引ではあるが遮って話題を逸らす。
たぶん、気づかないだけで、今回のように忘れてしまった思い出たちが沢山ある。人間だから忘れてしまうのは仕方のないことなのかもしれないけど、詩音は大切な思い出まで霞んで見えなくなってしまってるのだとここ最近気づいた。
だけど、うん、大丈夫。
忘れてしまっても、いずれ思い出す。仮に忘れてしまっても、何か問題が起こるわけではない。
だから、今はいいや。
笑顔を貼り付けて、詩音は話題に花を咲かせた。




