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「今度、サークルの合宿があるんだ」
「サークルってこの前言っていたボランティアサークルのですか……?」
サークル。高校生の空にとって馴染みのない言葉を使う彩夢がどこか遠くに感じて、落ち着かなくて、そんな気持ちを誤魔化すようにサイダーを口につけた。口の中でカプセルが暴れ弾け、空の心を洗い流す。
空と彩夢はいつもの待ち合わせである病院近くの公園の東屋ではなく、公園の隣にある喫茶店でお茶をしていた。
夏本番真っ只中では木陰があろうとも、流石に東屋で会話に花を咲かせるのは厳しかったからだ。
「うん。といっても、今回は交流がメインの合宿だけどね」
彩夢はアイスコーヒーが入ったグラスに手をつける。
店内に流れる音楽も、テーブルに運ばれたケーキも、目の前にいる彩夢でさえ、空とは比べものにならないほど大人に見えた。
いや、大人に見える、と言うのがそもそもおかしい。彩夢は五月に誕生日を迎えていたらしく、二十歳になり、世間一般では大人として認識される。その上、初めて出会ったあの日、未来に進むことを約束したあの日以降、彩夢は本当の意味で大人になってきていると空は感じた。もう過去に取り残された彩夢ではない、母を失った中学三年生から彼の時間はとっくのとうに動き始めている。
大人になっていく彼が、知らない誰かと思い出を積み重ねていくことに胸が引き裂かれそうだった。
「たしか、男女合わせて二十人規模のサークルでしたっけ?」
「そう。合宿ではいくつかのグループに分かれて行動するよ」
空は知っている。こういうイベントで男女が一緒にいれば何かしらの動きがあると。彩夢だって例外ではない。
空は彩夢に並々ならぬ思慕を抱いていた。手紙で名前しか知らない間ですらその気持ちはあった。
今は数週間に一回、会って話しをするだけ。
たった話しをするだけだが、空にとって彩夢とのこの時間は確かな彩りをもって輝いていた。
もちろん彩夢もそう思ってほしいと願っている。しかし、彩夢は空ではない。同じ気持ちだとは限らない。サイダーとコーヒーのように全然違う。
合宿で、いつもと違う空間で、楽しい時間を共有したら、たちまちその思い出は特別になる。空との思い出も塗りつぶされてしまうかもしれない。それに、特別を一緒に過ごした相手は、特別な存在になりやすい。
空はこの時間が特別を失ってしまうのも、自分じゃない誰かが彩夢の特別になってしまうのも嫌だった。
空は彩夢の恋人でも何でもない。友人ですら怪しい。なぜなら彩夢とのこの関係に名前がついていないから。だから、彩夢に合宿へ行くなとは言えない。そんなこと言ってしまえば、彩夢に嫌な子だと思われてしまう。それだけは避けたい。空は彩夢の前ではヒーローであり、素敵な女性でいたい。
なら、どうすればいい? そんなの簡単だ。特別な思い出を一緒に過ごせばいいのだ。誰かが彩夢の特別になる前に、空が特別になってしまえばいい。
「あのっ、その合宿っていつあるんですかっ!?」
テーブルに身を乗り出して食い気味に問う。思い立ったが吉日。空は何としてでも合宿前に彩夢との特別な思い出をつくりたかった。
心まで大人になっていく彩夢に振り向いてもらうには今のままじゃダメだ。なんとしても彼の世界に自分の色を刻み付けたい。
空は翼とは違って控えめにいくつもりはない。とりわけ、恋愛においては。
「八月末にいくよ」
「じゃあ、合宿前に遊びに出かけませんか?」
「空ちゃんが行きたいならいいよ。どこに行く?」
何も気づかない彩夢は無邪気に笑う。あたしの気も知らないくせにと心の中では悪態つくが、グッと我慢だ。空は何かちょうどいい思い出づくりができないか、必死で頭をフル回転する。
八月になったばかりだから合宿までに時間がいくらかある。彩夢の予定と照らし合わせなければいけないし、空だってバイトの予定がある。今日、今すぐに決めてしまわないときっと機会を逃してしまう。
しかし、焦れば焦るほど良いアイディアが浮かんでこない。どれも浮かんでくるものは幼く感じてしまうものか、特別になれるほどロマンティックではない。
見つめてくる彩夢に気の利いた答えを言えるはずもなく、逃げるように空は視線を右往左往する。
「あ、花火」
偶然にも運は空に味方した。
目に留まったのは、お知らせ用に使われているであろうコルクボード。カフェの新商品を紹介しているだけでなく、町のイベント等をお知らせるポスターもコルクボードに張り出されている。
そこに混ざっていたのだ、八月十五日開催予定の夏祭りと夜開催される花火大会のポスターが。
「花火大会か、懐かしいな」
昔を思い出しているのか、あまりにも優しい瞳でポスターを彩夢は見つめる。
「行きましょう! 花火大会、一緒に!」
絶好のイベントだ。空は確信した。祭り、花火、それだけじゃない。このイベントには彩夢と空のそれぞれの思い出が詰まっている。今の楽しい時間を共有するだけでなく、過去の思い出も共有することができる。同じ地元だからこそできること。サークルの仲間だって同じことはできない。
今度は身を乗り出すのではなく、思わず空は立ち上がった。店内にいた他の客たちは驚いて空に目を向けるが関係ない。というより空は気づいていない。
同時にグラスの中の氷が揺れてソーダの泡がいくつも上へと弾ける。
彩夢も呆気にとられるが、あまりにも真剣に空が誘うのだから笑いがこみあげてしまう。
「あははっ! そんなに行きたいんだね。俺でいいなら、行こっか。一緒に」
「やった! 彩夢さんと花火大会一緒に行くの、すごく楽しみです!」
喜びのあまり空は飛び跳ねる。しかし、一通り嬉しさを噛み締めた後、ここが店内だと思い出した。微笑ましく見てくる店員や他の客に気付いて、今更ながらに恥ずかしくなって風船が萎むように大人しく座る。
その後は彩夢のバイトの時間が来るまで、花火大会当日はどうするか、夏休みはどう過ごしているのかなど他愛もない話に花を咲かせた。
ソーダの炭酸が抜け切ってしまっても空の心は止まることなく嬉しさで弾けていた。
時間になって彩夢と別れた後も空は暫く鼻歌まじりで蒸し暑いアスファルトの上をスキップしていた。
しかし、軽い足取りはしだいに重くなり空の足は止まっていた。
ぽたりと汗が落ちる。
「やっば、忘れてた」
口元を引きつらせ、誰もいない道路に独り言。
すぐ横の電柱にはカフェ同様、花火大会のポスターが貼られていた。
空が忘れていたのはまさしくその花火大会について。
『せっかくだから、遊戯会のお手伝いが終わったら一緒に夏祭りみんなで行こうよ!』
数日前、詩音と翼に言った言葉を思い出す。
夏祭り。みんなで行こうと提案した夏祭りはまさしく彩夢と約束した花火大会と同じもの。
味方だと思った運はどうやら少しいじわるだったらしい。
いや、運のせいにするのは良くない。空が忘れていたのが悪い。
「ま、いっか」
しかし、空は切り替える。
きっと詩音と翼なら許してくれる。仕方ないなぁと、ため息つきながら、でも、笑って。むしろ翼は詩音と二人っきりになれる口実ができるのだから願ったり叶ったりだろう。
もちろん埋め合わせはする。三人で遊ぶ約束をまたしよう。
小学校の時、みんなで行った遊園地なんてどうだろうか?
うん、それも絶対楽しくなる。
思い出巡りをするのは嫌いじゃない。どちらかというと好きだ。
空にとっては昔の思い出は大好きで溢れているから。
同様に未踏の地へ飛び込んでいくのも好きだ。
空がこれから大好きになるものがたくさん待っているから。
さあ、今度は何をしよう? 何を約束しよう?
軽い足取りで空は真夏の太陽に笑顔を向けた。




