◇一匹の猫に見守られ、少女と少年は愛の花を咲かせた◇
綿菓子のような入道雲を見上げ、空はある人を待っていた。
憧れていた人。
会いたかった人。
放って置けなかった人。
そして、一緒に未来へ進もうと約束した人。
「空ちゃん」
名前を呼ばれて空は振り返る。
「彩夢さんっ!」
飴玉を口の中で転がしたような甘く無邪気な声で空は大好きな名前を呼ぶ。
彩られた夢。未来が待ち遠しくなるような素敵な名前。
空は彩夢に駆け寄る。蒸し暑さの中にどこか冷たさが見え隠れする風が空の肌を撫でた。ふんわりと舞う空のフレアスカートは黄色の花を咲かせて、光が溢れた世界で力強い生を主張する。
「手紙、書いてきたよ。でも、内容は暗いかもしれないけど……」
彩夢は鳥が描かれた可愛らしい便箋を空に見せた。
「それでもいいんです。これを読むたび今日の彩夢さんとの時間を思い出せるから」
空は大事に手紙を受け取る。
彩夢の母でも彩夢の母の代わりに受け取っていた空の祖母でもない、空宛の手紙。
彩夢と空が本当の意味で出会った日、彩夢が母との過去を背負う決意をしたあの日、空は彩夢と約束した。
過去を思い、明日を期待する手紙を贈り合おうと。
「拝啓、空さん。初めてのお手紙、少し緊張しますが、私のことについて書いていこうと思います」
さっそく空は手紙を音読する。会話とは違う丁寧で繊細な言葉と文字に思わず微笑む。
「えっ、この場で読むの?」
「はいっ! だってせっかく彩夢さんが書いてくれた手紙なんですもん! 早く読みたくて仕方ないんです」
空の弾ける笑顔に彩夢は顔を引きつらせる。その笑顔で言われたら何も否定できない。
「あーもう、分かった。その代わり声に出して読まないで」
「りょーかいですっ!」
笑みは絶やさず、今度は無言で空は手紙を読み始める。
拝啓、空さん。
初めてのお手紙、少し緊張しますが、私のことについて書いていこうと思います。
私は、今まで自分は人に迷惑しかかけてないと思ってました。
母にしてしまったことを含め、家族や他人、あなたのおばあさまに手紙を書いているときも。
だから、突然あなたから手紙を受け取った時、驚きもしましたが同時に嬉しかったです。
私でも誰かに与えるものがあるということに。
あなたは私の手紙で勇気をもらったと言いました。私に会ってみたいと言いました。
臆病な私は会うのを断りましたが、それでもあなたは会いにきました。
そして、今度はあなたが私に勇気をくれました。
過去を背負いながら前に進む勇気を。
だから、これからは少しずつだけど着実に前へ進んでいきます。もっと沢山の人に何かを与える人間になっていきたいです。
私が誰かに何かを与えることができる人間だということを教えてくれてありがとう。
私に勇気を与えてくれてありがとう。
「……彩夢さん。あたし、あなたのヒーローになれていましたか?」
手紙を読み終え、空は彩夢を見つめた。真っ直ぐな瞳で自分は彼のヒーローになれたのかを問う。
弟も相棒も空はヒーローだと言ってくれている。だけど、今回のヒーロー活動で、空にとって大切なのは彩夢のヒーローになることだった。
だから彼の口から直接聞きたかった。一ノ瀬空は彩夢にとってのヒーローになれたのかを。
「うん。なれてたよ。俺に勇気をくれた最高にかっこいいヒーローだった」
優しい眼差しで彩夢は答える。それで空は十分だ。
「えへへ、良かった。そうだ! 手紙のお返しのお花を持ってきたんですよ……って、あれ? どこにやったっけ?」
空は東屋のテーブルに置いてあったはずの一輪の花を彩夢に渡そうとするが肝心の花が見当たらない。
しかし、犯人はすぐに現れた。
「にゃあ!」
溌剌とした声を上げて一匹の黒い猫が空の足元から姿を見せる。
「ハナ!」
空は突然の来訪者に目を丸くする。だが、驚いたのはそれだけではない。
「ハナ! その花、あたしが渡そうと思ったのに!」
ハナは口に一輪の花を咥えていた。元気いっぱいに咲いたひまわりの花。それは空が彩夢のためにと用意してきた花。
なんとか空はハナを捕まえようとするが、それよりも早くひまわりの茎部分を口に咥えてハナは彩夢の元へ駆け寄った。
「ハナ、ありがとう。それに空ちゃんも」
彩夢は腰を下ろし、ハナからひまわりの花を受け取る。ひまわりの花をプレゼントされるのはこれで二度目だとふと思い出す。
昔この花を贈られたとき、まだ自分は幼くてとても大きく感じてしまったひまわりの花。彩夢が書いた手紙のお返しにと嬉しそうな笑顔で母は太陽の花を持っていた。
けど、今は違う。
あの頃の大きな優しい温もりの太陽の花ではない。今、彩夢の手にあるのは懸命に力強く咲く太陽の花。
それが答えだ。
「えへへ、彩夢さんに喜んでいただけて嬉しいです。それじゃあ今日もいーっぱいおしゃべりしましょう!」
暑さなんて関係ないかのように空は軽い足取りで夏草の上を駆ける。今まで息苦しく感じていた夏のじっとりした暑さも蝉の鳴き声も、なぜだか心地よい。
彩夢も空の方へと向かうため腰を上げる。だが、一度足を止めて後ろを振り返った。そして寂しくて優しい笑みを浮かべながら、誰もいないどこかに向けて呟いた。
「さようなら」
これからは過去を背負って、過去に固執していた自分に別れを告げよう。
これからは思い出を胸に、目の前の人たちと向き合っていこう。
彩夢はこれからも沢山の言葉を届けるために未来へ一歩踏み出した。
白昼夢のように陽炎が揺れる夏の日。
一匹の猫に見守られ、少女と少年は愛の花を咲かせた。




