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彩夢さんへ
はじめまして。一ノ瀬空です。
突然のお手紙、驚かせてしまいすみません。
実は、私は三年前から亡くなった祖母の代わりに手紙を受け取っていました。
ちょうどその頃、私はいじめにあっていました。だから、いじめに屈しない彩夢さんの過去の手紙には何度も勇気をもらいました。本当にありがとうございます。
今更かもしれませんが、私は直接、彩夢さんにお会いしたいです。
会って、伝えたいことが沢山あります。
今度の日曜日、夕方、いつもの東屋で待っています。
空より
空さん
お手紙、ありがとうございます。
そうですか、おばあさまは亡くなっていたのですね。
おばあさまには長年お世話になりました。
ご冥福をお祈りいたします。
そして、手紙のことですが、これで最後にしたいと思います。
もとより、この手紙は亡くなられたおばあさまが、天国に行くとき一緒に持って行って代わりに母に届けるという話だったので。
お気を悪くしてしまうかもしれませんが、これで私の思いは母に届いたので、本来の目的は達成されました。
だから、もういいのです。大丈夫なのです。
勝手ですが、ごめんなさい。
それでは、さようなら。
彩夢
約束の日曜日、夕方。東屋に来た空を待っていたのは一枚の手紙だけだった。
覚悟はしていたものの、現実を突きつけられると息苦しいものである。
「ねーちゃん、仕方ないよ。さすがに今までばーちゃんだと思ってた人が途中から別人になってて会いたいって言われちゃ誰だって困るよ」
「それに、これってもう、彩夢って人が前を向けるようになったってことでいいんじゃないの?」
木陰で見守る予定だった翼と詩音が姿を表し、思い思いに口にする。
翼の意見は正論だ。もともとこうなることも予想していた。詩音の意見は事実だ。でも、なんかちょっと違う。
表面上は事実だろう。手紙を書いている本人がそう言っているのだ。大丈夫なのだと。しかし、大丈夫ではないとヒーローとしての自分が叫んでいた。
「だめ、このままじゃだめ。何か分からないけど、それはだめ、だめなの!」
「何でよ? 大丈夫って言ってるじゃん。それでも助けるって言って、関わろうとするのはただのお節介だよ。迷惑だよ」
駄々っ子のように空が反論すると詩音が噛みついた。冷たさと鋭さをもってガブリと。
翼は焦った。この前の時もそうだったが、最近の詩音は攻撃的になっている気がする。再会した当時は穏やかで、のんびりとした口調で、どこか浮世離れしつつも溶け込んでいたのに。よく言えば接しやすく、悪く言えば他人ごとのように一歩離れていたところから傍観していた詩音。それが、今は確かな考えをもって空を否定する。
「相手は大学生っていっても、もう大人じゃん。そもそも、お母さんが亡くなってもう何年も経ってるじゃん。さすがにいつまでも引きずるのはおかしい。反吐が出る」
「反吐って……! 詩音、それはあんまりだよ! あたしには分かるもん、彩夢さんがこのままじゃだめって……!」
翼の知らない詩音の顔。明らかな敵意をもったどこまでも冷たい瞳。でも、翼は気付く。詩音は空の意見も反対しているが、その瞳に宿す敵意の矛先は空ではなく、顔も知らないはずの手紙の差出人である彩夢。
「空ちゃん、私たちだってもうそろそろで大人になるんだよ。黙っていれば助けてくれるなんて大人になったら通用しないよ。言葉にしなきゃ。相手はもう大人、助けてと言葉にしていない。大丈夫と言葉にしている。それが全てなんだよ」
彩夢を、空はいじめられていた当時の大丈夫でなかった自分を重ねているように、詩音は自分かはたまた誰かを重ねて見ているのかもしれない。それは翼には分からない。空と翼と会っていなかった空白の時間に彼女は何か変わってしまったのだろうか? それとも高校三年生という否が応でも将来を考えなくてはいけない環境から変わってしまったのだろうか?
「我儘言うのはお終いにしよう、空ちゃん。大人になろうよ」
空と詩音のやりとりに翼は歯がゆさを感じる。沈み始めていた太陽の光はもうほとんど影を潜めていた。紅色に染まっていた世界に紺碧の絨毯が広がり始める。まだまだ子供である翼にとってお前には夜は早い、出ていけと急かされているようで苦しくなる。
年齢という鎖が翼に絡みつき、詩音と空から引きずり放そうとしてくる。何も言えない、できない自分に歯がゆさを覚える。今、詩音の目に自分は写っていない。
「ヒーロー活動、やめよっか」
そして、一言、ため息交じりに言った。翼が一番恐れていた、聞きたくなかった言葉を。
「もちろん、空ちゃんとつーくんと会えるのは嬉しいよ。でも、私は受験勉強とか他にもやらなくちゃいけないことが沢山あるの。大事な夏休みにまでヒーロー活動に時間を取られたくないの」
座っていた詩音が立ち上がると風が吹いた。ふわりと舞うセーラー服のスカートは紺色の花を咲かせて、暗がりの世界に溶け込んでいく。
「……まあ、それでも一緒にヒーロー活動を続けたいのなら私が納得できる理由を用意してよ」
そうして詩音は穏やかな声で、のっぺりと張り付けたような笑顔で、言い捨てる。
「私はもう振り回されて、泣いてる小学生の頃の詩音じゃないんだよ。だから、ごめんね」
立ち去る詩音を空はただ茫然と見つめるだけだった。それが息苦しくなって、堪らず翼は姉に声をかける。
「……ねーちゃん」
「ごめん、翼、情けないとこ見せたね」
弱々しく答える空に胸が締め付けられる。翼が嫌いな姉の顔。ヒーローをやめてしまった時の姉の顔。
だけど、空は翼の瞳を見て、正確には翼の瞳に映る自分を見てハッと思い出したかのように目を大きく開き、そして、両手で自分の頬を強く叩いた。
「なっ…! どうしたのいきなり!?」
「気合い入れただけ。安心して。あたしはもう諦めないから、やめたりなんかしないから。だって、あたしは翼のヒーローなんでしょ?」
まだいつものような元気はないけれど、空の言葉に泣きそうなくらい翼は安心する。
「でも、少し考えさせて。あたしも今、どうすればいいのか分からなくなっちゃってるから」
詩音はずっと隣にいてくれると思っていたからこそ、空は戸惑う。
空にとって詩音は一番最初の友人で相棒のような存在だった。
同じ幼稚園に通って、仲良くなって、小学生になってからは放課後の遊び仲間。低学年の頃は危ないという理由で空の家に詩音はよく遊びに来てた。詩音の親は忙しく、家にはキライなおにーちゃんがいるからという理由で詩音の家で遊んだことはない。だけど、楽しければ空にとってはどっちでも良かった。というより、空の家で遊んだおかげで、幼い頃の翼と詩音がすぐ仲良くなることができたし、一緒にもっと楽しく遊ぶことができたから、これで良かったと思う。
高学年になってからは住んでいる地区が隣だったため、ちょうどその間にある神社が定番の遊び場になった。その頃、一緒に暮らし始めるようになった祖母の影響もあって空はヒーローを目指すようになり、遊びの過激さも増した。暴走する空と、巻き込まれて泣く翼と、泣きながら翼をフォローする詩音。おかげさまで遊ぶといつも大小あれどトラブルが発生していた。
『また、遊ぼうね』
だけど、いつだって最後は何故かみんな笑って、帰るときはまた遊ぶ約束をしていた。どんなことをしたって、どんな無茶をしたって、何だかんだ詩音は一緒にいてくれた。
毎日つるむクラスの同じグループの子たちとは違う。習い事で一緒に頑張る子たちとは違う。詩音は隣にいてほしい時に気付いたらいて、いざという時に背中を預けられるこころ許せる相棒だった。
だからこそ、突き放し、立ち去る詩音に空は何も言えなかった。どうしていいのか分からなかった。
約束がなく去られてしまったのはこれで二度目だ。
今回と、そして、小学校の卒業式。
あの日も、「中学校でもよろしく」と詩音に声をかけたとき、詩音はただ否定も肯定もせず微笑んでいた。当時は何の疑問も持たなかったけど、中学校の入学式、詩音が姿を現さなかった事実にその答えの意味を知った。
ああ、これではまた繰り返してしまう。
なぜ、詩音が彩夢に対して批判的なのか。なぜ、あんなにも大人であることにこだわるのか。分からないけど、このままではいけないということだけは空にも分かる。
「あー! もうっ!」
普段あまり物事を考えない空にとって、これはちゃんと考えないといけない由々しき事態。頭の中がごちゃごちゃで、発散したくて、空は悩みを全てぶちまけるように叫ぶ。
「翼っ!」
「な、なに!?」
「このままじゃ、彩夢さん、大丈夫じゃないよね!?」
「う、うん」
「このまま詩音とばらばらになるの嫌だよね!?」
「おれだって嫌だよ!」
「あたしはヒーローだよね!?」
「そんなん、当たり前だろ!!」
東屋の周りは花々や木々が多い。しかし自然が声を吸収してくれるからと言っても、近くには病院もあるから空たちの叫び声は近所迷惑もいいところだろう。だけど、まだまだ子供である空と翼は気にしない。関係ない。今向き合うべきは目の前に立ちふさがる困難だけでいい。
うん、自分をヒーローでいさせてくれる弟がそう言ってくれるのだ。だから、ヒーローとしてこの逆境を足搔き続けようじゃないか。