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◇一匹の猫に出会った子供たちは勇気の花を咲かせた◇


 放課後、(つばさ)は一人、学校帰りに神社を訪れていた。

 晴天とは言えない曇り模様。しかし、しばらく降り続いていた雨は止み、傘はいらなかった。


「結果、おれをいじめていた奴らは呪い対策のため、自分たちがいじめていた事実を告白、噂もほぼ泣きながら必死で広めていたよ」


 彼の結果報告に返事をする者は二人。


「いや〜、無事作戦が上手くいって良かったね〜」

「ふふん、これもあたしの名演技のおかげよ!」


 膝が少し隠れる長さのスカート、化粧っ気のない控えめな顔をした詩音(しおん)

 太もも半分くらい露わになるほどのスカートの短さ、染められた栗色の髪、化粧された派手めの顔をした(そら)


 一見、正反対のような二人ではあるが、口を開けば小学生時代を彷彿とさせる距離感。

 いや、二人だけではない。


「ってか、姉ちゃん、流石に教室のペンキはやりすぎだと思うんだけど……」

「ふふーん、こういうのはやり切っちゃうのが大切なんだよ! それに、あの一押しで彼ら白状して、いじめやめたんでしょ?」

「そりゃーそうだけど」


 翼と空の間柄も軽口を叩けるほど修復されていた。


「そうだ! あいつら卒業名簿に詩音ちゃんが載ってないのを知った時、あの先輩は何だったんだ!? って叫んでたよ」

「ま、私は小学校の卒業生であって中学校ではないからね〜」


 よほど滑稽だったのだろう。意気揚々と翼は話す。今までの恨みがある分、気分が上がるのも仕方のないことだろう。

 しかし、空は憂いを帯びた顔つきになり、話の流れを変える。


「二人ともおつかれ。今回は翼の問題を……いや、あたしたち姉弟の問題を解決することができた。これで、やっとあたしはヒーローのスタートラインに立てる」

「ヒーローのスタートライン? じゃあ、今まではヒーローじゃなかったってこと?」


 すぐに疑問を口にしたのは翼だった。ヒーローではなかったというのは、一度ヒーロー離れて戻ってきたからだろうか? それとも……


「うん。ヒーローを諦めたときの一ノ瀬空も、ヒーローを目指していた頃の一ノ瀬空もヒーローのスタートラインに立ってなかったんだ」


 空は過去を振り返る。

 ヒーローになるために愚直に挑戦していたあの頃を。

 ヒーローを諦めなくてはならなかった弱虫だったあの頃を。

 そして、逃げ出してしまいたいくらいぼろぼろだった自分に頑張る勇気をくれたあの人の手紙。


「詩音には言ったけど、あたしね、いじめられていた時、支えてくれる人がいたんだ。顔も知らない誰か……」


 顔も知らない誰か。

 でも、空はその知らない誰かに救われ、そして気づいたのだ。


「その時、あたしね、分かったの。ヒーローって勇気ある行動をする人じゃなくて、あの人みたいな勇気を与える人だって」


 ただ勇気ある行動をといって目立つことばかりしていたあの時の自分はヒーローではない。

 いじめられて、勇気ある行動すらしなくなったあの時の自分はヒーローではない。


「だから、過去のヒーローではない自分とはさよなら! もう一度、誰かに勇気を与えるためヒーローを始めるの!」


 全てゼロから始めてまたやり直そう。

 空は宣言する。過去の自分と決別する。


「前に進むためには過去を切り捨てるのは大切だよね。私は空ちゃんの考え、いいと思うな〜」


 詩音も空の発言に賛成の意を示す。

 そして、翼も空の決意に同意……しなかった。


「過去のヒーローではない自分にさよなら? ふざけんなよ」


 その顔に映る感情は嬉しさでも、満足でもなく、怒り。


「勇気を与えてなかったからヒーローじゃない? 勝手に一人で決めんなよ! 勇気があるとか、与えるとか正直よく分からないけど、おれにとってのヒーローは過去も今もあんたなんだよ!」


 ヒーローの定義なんて知るか。あるとしたら翼はこう答えるだろう。「ヒーローとは一ノ瀬空である」と。

 だから今さらヒーローではないと否定するのは許せない。


「ヒーローを目指してバカをやっていたあんたはヒーローだ! 確かにヒーローをやめた時はあった。だけど、あの雨の日、おれの声を聞いて駆けつけてくれたあんたは紛れもなくおれにとって、ヒーローだったんだよ!」


 翼は叫ぶ。ありったけの想いを込めて叫ぶ。


「過去があるからこそ、今が踏み出せるんだ。あんた言ったろ、その翼であたしを空まで飛ばせてよって。やってやるよ! おれだってもうヒーローに助けてもらってばかりじゃ嫌なんだ! もう、消えて欲しくないんだ!」


 一面雲に覆われていた空から光が差し込む。暖かな太陽の光は空たちを照らす。


「姉ちゃんは、一ノ瀬空は、過去も未来もヒーローなんだ」


 雲は姿を隠し、光は大きくなる。世界の色は鮮やかになり、緑が生を主張する。

 そして、梅雨が終わり、夏が始まろうとしている。

 だけど、梅雨が終わる瞬間、小さな雨が降った。

 それは、透き通った美しい空の雫。


「あれ? うそ、何で、涙が止まらない」


 空の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。


「あははっ。空ちゃんにつーくんの言葉が、想いが伝わったんだね」

「うう、翼のくせに生意気な……」

「生意気ってなんだよ! 生意気って!」


 止まらない涙を誤魔化すように空と翼は軽口を叩き合う。


「にしても、つーくん。今回は猫の力を借りなくて、一人でも言えたね!」

「一人で言えたね!って、いつまでおれを子供扱いするの、詩音ちゃん」

「いつまでって私たちまだ子供だよ?」

「まぁ、そうだけど……」


 敬語という壁がなくなったものの、小さい頃から未だに縮まらない年齢の距離に翼はもどかしさを感じる。

 しかし、そんな憂鬱な気持ちも思わぬ来訪者によって掻き消された。


「にゃあ」


 明るい太陽の日差しとは真逆の夜を写しこんだかのような黒い毛並みの猫が、神社の隣にある家の庭の花壇から顔をのぞかせた。


「ああ、猫! また家から抜け出したの!?」


 詩音が急いで駆け寄って、猫を抱き寄せる。

 そんな詩音の言動を見て翼は疑問が浮かび上がった。


「……あれ? 詩音ちゃん、その猫の名前ってなんて言うの?」


 詩音の猫だとは分かるが、今まで名前らしい名前も聞いたことがない。

 そんな翼の問いに詩音は気まづそうに答える。


「いや、まだ名前決まってないんだよね……。そうだ! せっかくだからつーくん、名前つけてよ!」

「えっ、おれが!?」

「私じゃ思いつかなかったからさ! お願い!」


 詩音にお願いされたら翼は断れない。

 翼は頭を抱えながら考えるが、猫が姿を見せた花壇、タイムの花が目に入った。慎ましく健気に咲くその花が印象的で、同時に幼い頃、詩音から聞いたお伽話を思い出した。


「言花の猫……。ねえ、詩音ちゃん! ハナってどうかな?」

「言花の猫? よく分からないけど……いいね、ハナって名前!」


 詩音は黒猫、ハナを見つめる。

 ハナという色とりどりの花を連想させるカラフルな名前なのに、真っ黒な毛並み。そんな矛盾を抱えたハナだけど、詩音は何故だかそこが気に入った。


「ハナ、ハナ。今日から君はハナだよ」


 愛おしげに詩音はハナの名前を呼ぶ。










 夏の始まり。

 一匹の猫に出会った子供たちは勇気の花を咲かせた。









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