表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/72

◇7◇


 詩音(しおん)は人を待っていた。


 強く降り続ける雨の中、ただじっと彼女が来るのを待った。

 かすかに水を踏む音が聞こえる。

 その音、聞こえて来る人の呼吸とともに大きくなる。


「来たね、ヒーロー」


 短いスカート、茶色の髪、化粧で華やかさに拍車がかかった整った顔。

 ヒーローと呼ぶにはあまりにも不相応な姿をした少女が詩音の前に現れる。


「詩音……。来たけど、これってどういうこと……?」


 疑問だらけで困惑の表情を隠しきれない少女、(そら)は問うた。

 空は先ほどの電話のやりとりを思い出す。


『もしもし?』

『空ちゃん、詩音だけど、今、家の近く?』

『今は学校帰りで電車乗ってるよ〜もうすぐで駅に着くよ! もしかして、遊びのお誘い?』

『ううん、別のお誘い。ねえ、空ちゃん、もう一度ヒーローを目指してみない?』

『えっ?』

『秘密基地だった神社に急いで来て。手遅れになる前に』


 そうして、切られた電話は空を動かすのには十分だった。

 詩音と空が今いる場所は神社の少し手前。

 空はこの先、神社に見てはいけないもの、見たくないものがあるような気がした。


「じゃあ、行こう、ヒーロー」


 少し戸惑う空を見て察したのか、詩音は無理やり手を引っ張り空を連れて行く。


「ねえ、なんで、今更ヒーローなんていうの!? もう卒業したって言ったじゃん!」

「卒業したって本当なの?」

「何言ってんの!? 意味がわからないよ!」

「つーくんのために、仕方なく辞めたんでしょ?」

「っ! 何で、(つばさ)の名前を出してくるの……!? 誰から聞いたのっ!?」

「……そろそろ着くから静かにして」


 詩音は空の質問に答えない。

 だけど、これから向かう先にその答えがあるとでもいうように、詩音は空を導く。

 雨は弱まる様子もなく激しく降り続く。

 肌に触れる雨水は夏に近づく季節だというのに冷たい。

 そんな冷たい雨の中に影が一つ。


「翼……?」


 雨で地面がぬかるんでいるというのに、翼は呆然と地べたに座っていた。


 そして、空は気づく。気づいてしまった。


 翼の周りに落ちているカバン。泥だらけの教科書。汚れた制服。彼の体に刻まれた痣や傷。

 ああ、彼はいじめられていたのだ。

 翼の光のない瞳には見覚えがあった。

 あの瞳はかつての自分だ。


「つーくん、学校の子たちにいじめられていたんだ。それを、一人でずっと、空ちゃんみたいに耐えていたんだ」


 翼がいじめられているとは思わなかった。だって、自分が解決したはずだったから。

 翼がいじめられてとは知らなかった。きっと、自分が一人で耐えたと思って彼もそうしたんだ。


「ち、がう。あたしは一人で耐えてたわけじゃ、ない……」


 だからこそ、空は苦しかった。

 自分のせいでいじめられた翼。

 自分のせいで本当に一人で耐えてた翼。


「そうなんだ。空ちゃんは誰か支えてくれた人がいたんだね」


 詩音や翼が知らないだけで、空には誰か心の支えとなった者がいたのだろうか?


「じゃあ、つーくんは空ちゃんとは違って支えてくれる人もいなかったんだね。ずっと独りで耐えていたんだね」


 空が悪いわけではない。

 だけど、詩音の言葉は空を責めているよう。


「にゃあ」


 鈴の音のような凜とした鳴き声が聞こえた。

 林の影から現れた真っ黒な猫が翼に寄っていくのが視界に入る。

 黒猫を抱きしめる翼の姿は、まだ自分よりも背が低く幼かった時の彼の姿と重なって見えた。


「空ちゃん。それを知った上で、君はもう一度ヒーローを目指そうとは思わないの?」

「あたし、は……」


 声が震える。視線を地面へと向ける。

 戸惑いが、恐れが、その問いの答えを出すのを妨げる。

 だから、最後に空を動かしたのはヒーローを求める声だった。




「助けてよ……助けてよ、ヒーロー……!!」




 言葉はボロボロの羽のようだけど、それは空に届いた。


「もう、これ以上は耐えられないよ……! 限界だよ……! 姉ちゃんは耐えられたけど、おれはもう無理だよ! 戻りたいよ、戻りたいよ! 姉ちゃんと詩音ちゃんと一緒にバカやったあの時間に! 姉ちゃんがまだヒーローだったあの頃に!」


 空は顔を上げる。翼を見る。

 翼は空にも詩音にも気づいていない。

 彼は腕の中にいる黒猫に本当の言葉を伝えている。


「…………ねえ、ヒーローってのが本当にいるんなら、お願いだよ、お願いだから、」


 だけど、その言の葉は届き、空の足を動かした。

 顔に当たる雨水だって気にしない。

 跳ね返る泥水だって気にしない。


「助けてよ、ヒーロー!!」



 だって、一ノ瀬空はヒーローだから。



 雨が止まる。

 違う。翼の周りだけ雨が降っていないだけ。


「呼ばれたから、助けに来たよ」


 空がパステルカラーの傘を翼の上に広げていたからだ。

 淡い水色の美しい花を咲かせる。


「だけど、あたしはまだ完璧なヒーローじゃないからさ、空まで飛べないんだ」


 空は鞄からタオルを取り出し、濡れた翼の頭に被せる。


「だから、さ。あたしが助けて上げるから、その翼であたしを空まで飛ばせてよ」


 屈託無く笑うその姿は昔の彼女と重なった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ