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窓辺で手紙を読む女

作者: 夢のもつれ

最愛のベアトリスへ


 あなたは母になる時期を控えて、いささか神経質になっているのではないかと思います。それがときめきによるもので、あなたが手紙に書いていたような不安を持っているわけではないことを祈ります。


 これは心得ておく必要があることなのですが、結婚は愛情とその証があって始めて永続的なものとなります。と同時に経済的な問題は少なくともしばしばその幸せに陰を落としてしまうのです。それらをしっかりと理解し、日々の行いにおいて念頭に置いておかなければなりません。カルヴァン教徒の人たちがしばしばわたしたちカトリック教徒について言うように自堕落であってはならないのです。


 あなたもよく知っていることですが、あなたのお父さんのヤンが亡くなってほどなく、あなたたちの養育費をなんとか確保しようと破産を申し立てたときのことです。高等法院の薄暗い部屋で固いベンチに座って石の床を見ながら、わたしは初めて経済的な問題の容赦なさを思い知らされたのです。わたしのお母さんの財産、ヤンの画商としての利益、画家としての収入、この順番でわたしたちの生活は支えられ、わたしはそれまで何も心配する必要がなかったのです。


 でも、結局のところあなたを含めて十人を超える子どもを産み育て、ヤンの絵にとってなくてはならないラピスラズリを使った驚くほど高価な絵具を買い求めたことなどで、それらは費えてしまったのです。ヤンのすばらしい絵の多くは、がっかりするような値段で他人の手に次々と渡ってしまいました。この悲しい話は経済的な問題の大切さを理解するのに十分すぎると思います。


 話をあなたの身の上に起こったことに戻しましょう。わたしも最初の赤ちゃん、あなたのお姉さんマーリアを身籠ったときは同じような感情だったような気がします。ちょうどヤンはアムステルダムやハーグに画商として旅行していました。わたしはそれを手紙で告げましたが、返事はすぐには来ませんでした。


 あれこれと手紙がいつ来るか心配したり、不幸なことが起きていないか海辺の街の方を眺めていたりしました。ようやく返事が来て、女中のタンネケが気を利かせて階下から呼んでくれた時は、あわてて階段を落ちそうになってしまいました。今考えてもぞっとするようなことですが。


 そんなにまでして待った手紙の内容はとても簡単なものでした。絵の売り買いの結果がまるで会計報告書のような書きぶりで記され、その最後に(今でも暗唱することができるのですが)、


「最愛の妻よ、あなたとあなたの中に宿った神様からの贈り物に幸いあらんことを。御身大切に」とだけ書かれていました。わたしはその手紙を何度も読み返しました。


 このことをずっと後になってからヤンに話したところ、あの不思議な色の目を輝かせて、その場面をぜひ絵にしようと言い出したのです。急いで着替えさせられ、髪の毛を束ねました。窓が開け放たれ、テーブルに厚いクロスが慎重に形を整えられ、ボウルに果物を持ってくるよう命じられました。


 窓はもちろん海辺の街に向かって開かれています。実際に海の香りが部屋の中に流れ込んできて、わたしは彼の才能がもたらしたものだと感じました。果物の数があなたたちと同じくらいなのも偶然とは思えません。


 ただこの絵には最初、あなたも見慣れたキューピッドの絵が壁に掲げられていて、カーテンはなかったのです。その変更の理由を彼は説明したりしませんでしたが、独りで手紙を読む女に注意を集中させようということではないかと思いました。女の表情と画面の光(光り輝くカーテンの美しさは何と言えばいいのでしょう)がひた向きな愛を余すことなく表現しているので、キューピッドが登場する必要はないのです。


 ヤンの絵については謎めいている、何かが秘められているといった意見を耳にします。どこにでもいる市井の人の中にも神様は宿っているという奇跡が描かれ、まるで鏡のように見る人の心の有りようを映し出しているのだから当然でしょう。……彼の絵はずっと将来においても深く愛されながら、十全には理解されないのかもしれません。


 わたしは完成した絵を見せられたときに、あの時の手紙が全然違ったすばらしい恋文になっていると冗談っぽく言いました。


「あの時に手紙に書きたかったのはこれだよ」といつもの低くくぐもった返事を聞いたとき、わたしはあふれる涙を抑えることができませんでした。……


 今はあの絵が先ほど言ったことのためにわたしたちの手元にないことで、堪えきれないものを感じます。ヤンとわたしが生まれ育ったデルフトを離れているわたしにとっては尚更そうなのです。


 最愛の娘よ、あなたとあなたの中に宿った神様からの贈り物に幸いあらんことを。御身大切に。


                  カタリーナ・フェルメール

                         ブレダにて



挿絵(By みてみん)





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