③
「はあ、あんたが寅一さんの孫かい。言われてみれば面影があるもんだねえ」
江古島の商店街に向かう途中に、昨日の昼過ぎに立ち寄った土産物屋の前を通ると、すでに高梨さんから話があったのか、店の入り口にある椅子に座っていた老婆に声をかけられた。聞けば、この土産物屋を切り盛りする女主人の母親らしい。
「あの人は若いころは、本当に格好良くてね。知ってるかい?寅一さんはね、九州まで泳いでいったこともあるんだよ」
「そ、そうですか」
「本当さ。わたし達はね、むこうで泳いでくるのを待っていたの。そしてね、波に揉まれながらも、必死の形相でね、泳いでくる寅一さんを見たのよ。上陸した姿は本当にかっこよくてねえ。それでね―」おばあさんは熱がこもったのか、ぼくの腕を掴む。
「商店街に集会所があるから、そこに行けば詳しい話を聞けるよ」
土産物屋から昨日出会った、恰幅のよい女性が出てきた。おばあさんは娘に諭されて、ぼくの腕を離すけれど、まだ話足りないという表情を浮かべている。
「ありがとうございます」
慌てて店主にお礼を言って―高梨さんの影響力に恐れを抱きつつ―自転車を跨るものの、たった数分、漕いだだけで別の人に捕まってしまった。確かに祖父のことを知りたくて来たけど、この調子だと祖父の話を聞いているだけで旅行が終わってしまいそうだ。せっかく来た海の綺麗な島で、観光したい気持ちがないと言えば嘘になる。
「あいつは大したワルだったよ」ぼくを捕まえた、頭が陽の光に反射して眩しい老人は自慢げに語り出す。
「煙草に酒に、賭け事までやってたんだ。それも十六の時にだぜ」
「よく、店のものに手を勝手に持っていったもんさ。でもな、次の日にはちゃんと金を支払うんだ」
「昔はどこも貧乏だったからなあ。お前さんの爺さんは、ちゃんと筋は通す奴だったよ」
「何人か兄弟はいたはずだけどなあ。確か親父さんが漁師でお袋さんは農家の手伝いをしていたと思うが、まあ儂の記憶なんてもうガタが来ているからなあ」
「兄弟がいたんですか?」
「ああ。みんな外に出ていっちまったけどな。今はもうどうなっているか分からんよ」
ようやく辿り着いた集会所でも、当初は暇そうにしていた二人と話をしていたのに、いつの間にか老人達に囲まれていた。一人が語り終えるかどうかといったところで、タイミングを計ったように別の人が語り出す。話の内容も被ることが無い。祖父の伝記が書けるんじゃないかという具合だった。
「そういえば、あんな事件もあったわねえ」「なにかしら、あれって」「ほら、あれよあれ」
「ああー」と老人たちは大きくうなずいた。なぜ話が通じるのだと、本気で首を傾げたくなる。
「肝試しのときか」「肝試し?」「中学校の時にな、学校で肝試しをしてなあ、先生も巻き込んだもので、何もお墓に行くってわけじゃあない。学校の教室の奥の奥、理科室の隣の女子トイレに置いてある、木の棒を取ってくるっていうやつでな。三人一組で行くんだが、途中で怖くなった二人を置いて寅一さんは一人で行っちまってな。でだ、行方が分からなくなっちまったんだ」
「それで、どうしたんですか」
「いやあ、肝試しは中止よお。もう先生たちも泡食っちまってな。総出で探したら、あいつ、保健室で寝てやがった」
「それって逆に怖くないですか」
「なあ、そう思うよなあ。したらあいつよ、なんていったと思う?」
「眠くなったんで保健室に行きました、なんて言ってよ。先生に頭をはたかれてたよな」
「すごいですね」カンカン帽をかぶって杖を突いていた、細木のようだった祖父が、そんな大胆な人だったとは信じられなかった。
「すごかったんだぜ、お前さんの爺さんは。喧嘩も強くて、江古島に虎の男アリってな」
まるで自分のことのように誇る老人達に、笑い声と共に拍手が向けられる。昨晩の居酒屋での盛り上がりといい、江古島の人にはそういう気質があるのかもしれない。
「あの、俺からも一つ聞いていいですか」
「いいよ、いいよ。何でも聞いてくれ」
「お祖父さんが島を去った理由を知っていますか」
島でそれだけの人気者であったお祖父さんがどうして、島を去ったのか。何があってノートに思いを書き綴ったのか、それが分かるかもしれない。
けれど、期待に反して集会所の盛り上がりは一瞬にして消え去った。黙りこくってしまった老人たちは、距離を測るように互いに目配せをするだけだ。
「ある日、ふと島から姿がなくなっていたんだ。その日以来、寅さんを島で姿を見た奴はいなかった」
「理由は分からないですか」
老人たちは皆、一様に渋い顔で首を振る。
「寅一さんは元気にしているかい」
おばあさんの質問に今度はぼくが首を振る。老人たちから声にならない声が漏れた。
「お葬式はどうだったのかい?」
「沢山の人に見送られていきました」
「そうかい、そうかい。天女様の下にはいけたんだねえ」
「天女様?」
「江古を見守ってくれている神様だよ。沢山の人に看取られると死後、天女様の下に行けると信じられているの。色々な人の役に立ちなさいよ、ということなの。お世話になった人のお葬式には行くものでしょう?」
高平家に出入りしていた弔問客たちを思い出す。どれだけの人が心からお祖父さんを悼んでくれたのかは分からないけれど、きっとお祖父さんは天女様の下に行けたのだろう。
「お祖父さんは島で人気者だったんですね」
「そりゃあな。特に親友がいてなあ。いつも三人で馬鹿をやっていたよ」
「親友ですか?」
脳裏に閃くものがあった。それ以上に驚いたのは老人たちの表情が「しまった」と言わんばかりに変わったことだった。
「その人に会えますか。どこに住んでいますか」
「あんた、慶次さんに会うのは止めときなさい」
一人のおばあさんが進み出る。「あれは、そうとうな偏屈だからね。本当は島から出ていってほしいくらいさ。クズリ様のバツが当たればいいのに」
「慶次さんは―」と口を開いた途端に、周囲から厳しい視線がぶつけられた。団結した老人達に威圧されているような気すらしてくる。とても答えてくれるような雰囲気はない。諦めて質問を変えた。「―もう一人の親友の方は」
「ずうっと昔に死んじまったよ。寅一さんが島を出て間もなくのことだ」
きっと龍太郎さんのことだ。まだ聞きたいことは山のようにあるけれど、閉ざされた雰囲気にこれ以上、質問を重ねることは難しいだろう。気まずさを覚えながらもお礼を言うと、おばあさんたちはすっかり眉を下げて笑顔を見せてくれた。
「これ、持っていって」
おばあさんの集団はビニール袋に入った野菜やら果物やらを無理矢理、持たせてくる。両手で抱える程の量を貰っても、正直に言って使い道がない。宿に持っていけば喜ばれるだろうか。老人達にお礼を言って集会所を後にした。
外に出ると、商店街は落ち着きのない雰囲気になっていた。少し自転車を押していると、商店街にある広場の中心で、櫓らしきものの骨組が組み上がっていた。納涼祭の準備は着々と進んでいるようで、様子が珍しいのか数少ない観光客がスマートフォンを掲げていた。
祖父もきっと参加したのだろう。慶次さんと龍太郎さんもその時一緒にいただろうか。自転車を押しながら、にわかに賑わい始めている江古の街を眺める。
幾ばくかの気疲れを感じながらも自転車を漕いで、港に辿り着いた。昨日、出会った有田さんたちの姿は―当たり前だけど―見当たらず、お昼前の公園はやっぱりサッカーボールを追いかける小学生たちに占拠されていた。木陰のベンチの傍に自転車を止めて腰を下ろす。
昨日と同じように漁船も停泊している。到着した頃には余裕がなかったから、気付かなかったけれど、漁船はそのどれもが錆びついていて古めかしい。質素な漁船の傍で漁師さんたちが何か作業をしているけど、素人から見ても苦戦しているようで、港に活気を感じられなかった。島の漁師なのにそれで大丈夫なのだろうか。
島の人は祖父のことをちゃんと知っていた。たぶん、高平家の人も知らないだろう。けれど、それも部分的でしかないだろう。母さんに話したら、どんな顔をするか帰ってからが楽しみでもあった。
慶次さんと龍太郎さんについても知ることが出来た。それに慶次さんはまだ生きている。偏屈という評判の人から話を聞くのは大変かもしれないけれど、でもそのために江古島に来たのだ。スマートフォンに視線を落とす。画面に映るメモアプリには箇条書きした目的が並んでいる。まだ分からないことの方が多いけど、順調な滑り出しだ。
「おーい」
女の子の声がした。どこかで聞いたことのある声だった。
「おーい」
誰を呼んでいるのかなと思って辺りを見回す。サッカーに夢中の小学生たちは気付いている様子はない。彼らを呼んでいるのかなと立ち上がる。江古島でぼくを知る人は数えられる程度しかいないはずだと思ったけど、そう言えば高梨さんのおかげで存在は知れ渡っているはずだった。
「おーい、下野くーん」
慌てて振り返ると、有田さんが自転車を押してこちらにむかっていた。昨日のラフな格好とは違ってワイシャツに紺のスカートだ。学校の制服だろうかと有田さんの隣を見れば、ワイシャツにスラックスを履いた少し太めの男性生徒と、体格のいい坊主頭の生徒が同じように自転車を押していた。坊主頭の彼の自転車の籠には―背負っているものとは別に―サッカーボールが入っている。自転車に鍵が掛かっていることを確認して、三人の下に駆け出す。
「やっぱり、下野君だった。おはよっ」
「おはようございます」
「何で敬語?」有田さんはけらけらと笑う。
「なんとなく」
「わたしは気にしてないからさ。あっそうだ、二人とは初めましてだよね」
有田さんはそう言うけれど、せいぜいが出会って二日目の有田さんの事も江古島高校に通っていることしか知らないから、ほとんど初対面と変わらない。
「こっちは和秀」有田さんは少し太めの彼を紹介する。「和秀の家はね、島で唯一の牧場をしているの」
「よ、よろしく」右手を出すと和秀君は勢いよく両手で掴んできた。
「こちらこそ、ええと下野君だよね。僕は石橋和秀。旭からはラインで教えてもらったよ。下野君は『ラ・メイル』に泊まっているんだよね。カルボナーラは食べた?」
「丁度、昨日の晩に食べたよ。美味しかった」
「それはうちの牛から搾った生クリームを使っているんだ」石橋君は照れたように頭を掻いて笑った。「あとはベーコンと江古鶏の卵もうちで出来たものだよ」
「高梨さんが言っていた、江古島産っていうのは」「うちのことだね」「へえー、すごくおいしかったよ」
言われて誇らしげに胸を張る石橋君の横で、有田さんが紹介を再開する。
「で、こっちが―」
「結城哲平だ」
有田さんに紹介された坊主頭の彼は目つきを鋭くさせる。「握手はしないからな」
「ちょっと哲平。せっかくの本土からのお客さんなんだから、愛想よくしなよ」有田さんは結城君を叱ってからこっちを見た。「ごめんね、哲平は天邪鬼なの。ほんとは嬉しいんだけど―」
「誰がそんなこと!」
「だって、昨日ラインで話したら、嬉しそうにしてたでしょ」
「お前の勘違いだっての!」
勝手に始めた二人のやりとりが微笑ましくて、でも別の感情が腹の底で焦がれている。表情には出さないようにしながら眺めていると、石橋君がさりげなく横に立っていた。ぼくと同じような顔で二人を見ている。
「結城君もサッカー部?」
有田さんとの口論を止めて、結城君はぼくを睨んだ。
「そうだけど」
「俺もだよ」
結城君の自転車の籠からボールを取って地面に転がす。足の裏で転がして素早くつま先の上にのせて、跳ねさせたボールを足の甲の上に乗せた。部活に出なくなって半年近くが経つけれど、意外と感覚は鈍っていない。
「おい」
要求があって結城君の方にボールを蹴り上げる。彼は胸で勢いを殺すと膝上から、足の甲へとボールを跳ねさせた。何回かリフティングすると、山なりに蹴り上げてぼくにボールを返す。受け取ったボールを左右の足で交互に蹴り上げ、胸でトラップしてさらに高く上げて額に乗せた。傍で見ていた二人から歓声が上がる。
何回か結城君とボールの受け渡しを繰り返し、ぼくがボールを落としたところで、リフティング合戦は終わった。息が上がってはいたけど、久しぶりのサッカーは心地よい。
「お前、中々やるな。江古高にこいよ」結城君の目は輝いていた。
「それは、ちょっと無理だ」結城君は意外と素直な性格なのかもしれない。
地面に転がるボールを蹴り渡すと、受け取った結城君は自転車の籠に戻した。
「顧問の伊藤先生にも俺が話をつけてやるからさ。あと校長にも。お前は両親を説得してさ、一緒に江古でサッカーやろうぜ」
「俺が江古島に来たのは、サッカーをやるためじゃないんだ」
すっかり気を良くしてくれたのか結城君は、さっきから肩を叩いてくる。「そんな細かいこと気にすんなって」
「ちょっと哲平。下野君、困ってるでしょ」
有田さんがやや上目遣いに睨むと、結城君も流石にたじたじになった。「分かったよ」
「下野君はここで何をしていたの?」
活発な二人とは対照的に石橋君はのんびりしていた。先走りがちな結城君と、それを諫める有田さん。固くなりがちな空気を石橋君が柔らかくする。場の雰囲気が重くならないのは、石橋君が上手い具合に気を利かせてくれるからだろう。
「ベンチで休んでたんだ。お祖父さんのことを調べに江古島に来たんだけど、島の人達の話がすごくて一人になってた」
「そういえば、昨日、出会った時もそんなことを言ってたね」有田さんは首を傾ける。
「下野君は、おじいさんと仲が良かったんだ」石橋君がおっとりと言う。
「いや、実はほとんど知らないんだ」
「何か訳がありそうだな」結城君がにやりと笑う。
「ねえ、下野君。よかったら皆でお昼を食べながら、お話しない?私達、美味しいお店を知ってるからさ」
願ってもない申し出だった。時計を見れば食事の時間にはまだ少し早いけど、お腹は軽く空き始めていた。
「うん、俺からもお願いしたい。一緒に行こう」
ふふん、と笑って得意げな三人に連れられて―自転車を取りに戻ってから―再び商店街に向かった。
「じゃあ、下野君がお祖父さんのことを知ったのは、少し前のことなんだ」
四人で各々の自転車を押しながら、有田さんの言う美味しいお店を目指している。商店街の人たちはすれ違うと「おっ」という表情を向けるけれど、すぐにも目を細めては頬を緩める。
「母さんの実家に行ったのもその時が初めてだったんだ」
「大きい家だったか?」
「無茶苦茶大きかったよ。トイレに行くのも迷ったくらいだった。漏らすかと思ったよ」
結城君と石橋君が声を上げて笑う横で、有田さんは手で口を隠して笑う。姉さんと父さんにも受けが良かっただけに、この話は学校が始まっても使えそうだ。
「結城君たちは、今日は学校だったの?」
「さすがに夏休みだって。俺は部活で―」
「―わたしと和秀は図書室で勉強」
「俺たち家が近くてさ。自然と学校の行き帰りも一緒になるんだ」
「幼馴染ってやつだ。羨ましいな」
「下野君にはいないの?」
「うーん、どうだろう。友達ならいるっていえるかな」
「江古高は一学年にクラスが一つしかないから、皆が顔馴染みなんだよ。もう何年同じ顔を見ていることやら」
「じゃあ、小学校からずっと一緒なんだ?」
「時々、転校生が来たり出たりもするけどね。下野君の学校はやっぱり大きい?」
「あー、うん。六クラスはある」
「いいなあ」三人が声を揃えるので、小さく笑ってしまった。
「部活の人数集めも楽そうだし」
「いろいろと楽しそうだね」
「文化祭も楽しいのかな」
「多ければいいっていうほどでもないよ。名前を知らない人も部活に入っていない奴も多いし、人数集めが大変なのは一緒だと思うよ」
「そっか。だったらさ、私たち、けっこう幸せかもね」
三人が顔を見合わせて笑う。気心の知れたというよりも、ずっと深い仲の良さを感じる。
「ここだよ」
三人が足を止めたのは、どこの町にもありそうな―こう言っては失礼だけど―少しばかり古さの目立つ定食屋だった。
期待をしていなかったという訳ではない。島の人しか知らない隠れ家のようなお洒落なお店を勝手に想像していた。けれど有田さんたちも同じ高校生だということを考えれば、質よりも量を取るのは当然だった。ぼくだってきっと同じことをする。
「期待外れだった?」
「いや、全然そんなことはないよ!ほんとうに」
「ほんとぉ?」有田さんが覗きこんで来るので、思わず顔をそむけてしまった。
頬が熱いまま両肩を結城君と石橋君にがっちりと掴まれて、お店の暖簾をくぐる。店内もまた絵に描いたように定食屋さんの様相だった。店内の壁には手書きでメニューと値段の書かれた短冊が画鋲で止まり、カバーが剥がれてスポンジクッションがちらりと顔を見せる丸椅子と長いテーブルはセットで置かれている。店の天井の隅にはテレビが―これは四角い箱の形をしていて初めて見た―ニュースを伝えていた。
「焼きそば注文しろよな。焼きそばだぞ」
三人は店の奥の座敷に―きっと三人の定位置だ―ぼくを連れていき、結城君は顔なじみであろう定食屋のおばちゃんに「焼きそば、四人分」と勝手に注文した。しばらく待って出てきた大皿に乗った大盛の焼きそばは、とても四人前とは思えない量で、あぜんとするぼくを前に三人は箸を取ると、思い思いに自分の取り皿に盛り始めた。紅しょうがはタッパーで出てきた。
「食べてみて」
有田さんにお箸と焼きそばの盛られた器を受け取る。おなじみの茶色の麺にあまり目にしない具材が一緒に混ざっていた。「いただきます」
お箸で口に運んだ出汁の風味の強い麺に絡まって、弾力のある触感が口の中で転がる。噛めば噛むほどに旨味がにじみ出てくる。「これってイカ?」
「それだけじゃないぜ、海老にワタリガニ、あとはカツオなんかも混ざってる。麺にも魚介の粉末が混ざっているんだ」言ってから結城君は勢いよく、焼きそばを啜る。
「哲平の家は漁師さんなの」
有田さんの言葉に結城君は鼻をこすった。「学校を卒業したら、実家を継ぐことにしてるんだ。最近、江古の漁師は元気がないからよ、俺が新しい技術で盛り上げてやるんだ」
言われてみれば、江古島の港に停泊していた漁船も寂れていたように見えた。高齢化が問題になっていると世間的に言われているけど、江古島も例外ではないらしい。観光客もあまり見なかったし、江古島は大変な状況なのかもしれない。
などとのんびり考えていたら、三人は遠慮なしに焼きそばを自分の口に運んでいく。小食に見える有田さんも、お構いなしだ。ぼくも負けじと海鮮焼きそばに箸を伸ばす。取り合いになった山盛りの焼きそばは瞬く間に小さくなっていく。
「江古島って料理が美味しいなあ」
「だろう」「でしょ」「当たり前だろ」
思わず溢したぼくの独り言に三人は合わせたように、口から焼きそばの欠片を飛ばす。様子が可笑しくて、ぼくも焼きそばをつい噴き出しそうになってしまった。
「石橋君も卒業後は家の仕事を継ぐの?」
「うん。卒業後は本土の専門学校に進学するつもりなんだ。僕は理論で父さんが実践担当。二人で島一番のブランドにしたいなあって」
石橋君は中腰になって両手を広げたまま宙を見つめる。その先に石橋君の理想の牧場が描かれているのだろう。お皿から焼きそばがこぼれ落ちそうになっていて、結城君がこっそり頂いていた。
「みんな、将来のことを考えているんだな」
「陽太君はどう?考えている途中?」
有田さんの問いかけに箸が止まった。
先のことなど考えたこともなかった。小学生の頃からずっと続けてきたサッカーを明日も明後日もやっているのだと、そんな毎日が当たり前に続いていくと考えていた。結城君や石橋君のように将来に明確な目標も持たなくても、そこに不安も疑いもなかった。そのサッカーも怪我をきっかけに遠のいていた。
「今はやりたいことがあるんです」
顧問の山田先生に言った言葉が甦る。それは本当にぼくの願望なのか。果たして、お祖父さんのことを知るのが未来に繋がることなのだろうか。
「分からない。まだ先の事は考えていないんだ」
「そうだよね。わたし達、まだ高校生だもんね」
「有田さんの進路は決まってるの?」
座席の時が止まった。有田さんはじっとぼくを見る。いや見てはいない。視線はどこか遠くをさまよっている。隣に座る結城君は俯き、石橋君も中腰のまま動きが固まる。
「うーん。まだ、とくに考えていないかな」
有田さんに笑顔が戻る。それがきっかけになったのか、結城君も石橋君も和やかな表情で、また焼きそばの山に箸を伸ばし始めた。
「ほいほいっと、お待ちどう様」
定食屋のおばちゃんがお盆を抱えて姿を現す。お盆には黒塗りのお椀が四つ載っていた。膝立ちになってお椀を受け取り、それぞれの下に渡ったお椀の蓋を取ると、大きくて真っ赤な海老の頭が入っていた。一口すすると風味豊かな海鮮と、味噌の混ざりあった香りが口の中に広がり、思わず「はあ」と幸せな溜息がこぼれる。
「おばちゃん。気が利くね」
「そりゃあ住職が言うんだものねえ。あの子を気にかけてくれって」
三人が揃えて「へえー」と感嘆の声を上げる。住職とは高梨さんのことだろう。Tシャツ姿で泥酔した様子ばかりが印象に残っていたけど、出会った時には袈裟を着ていた。
「高梨さんって有名人みたいですね」
「江古には住職以外にお坊さんがいないから、みんなは頼り切りなのよ。それになんだかんだ、あちこちに気を利かせてくれるから誰も無碍にもしないのさ」
「いい人なんですね」昨晩は生臭坊主と揶揄われていた。
「そりゃあね。だから、あたしゃこうして、あんた達にあら汁を振る舞っているわけだけどね」定食屋のおばちゃんは、腰に手を当てて店に響くぐらいに笑った。
「下野君と住職ってどこであったの?」
「『ラ・メイル』だよ。高梨さんはそこでコーヒーを飲んでいたんだ。その時に話しかけられてさ。その後、お祖父さんの過去を知りたいって話を高梨さんにしたら手伝ってくれるって。でも、そしたら島の人の猛攻にあってさ」
「だから下野君、公園に一人でいたんだ」
有田さんの言葉にうなずくと、結城君と石橋君は爆笑した。「間違いねよ、島の爺さん共は一度火が点いたら、止まらねえからな」
「お祖父さんの事はどれくらいわかったの?」
ついさっき老人達から聞いた祖父の武勇伝を話すと、三人は笑い声を交えて時々、驚きながらながら最後まで聞いてくれた。まだ祖父の事は、ほんの少しを知っただけなのだけれど、三人の態度を見るに祖父は、孫の贔屓目なしにも、すごい人だったんだなと思わずにはいられない。
「下野君にはお祖父さんとの思い出はないの?」
有田さんの茶色の瞳がぼくの心を捉えたように見つめる。穏やかな色の瞳には不思議と、どんな些細な隠し事でも話してしまうような魅力がある。まるで心を見透かされているようでもあった。
「本当はある。でもそれが本当にお祖父さんだったかは分からない」
「どういうこと?」
「実はさ―」