第96話 「死の接吻」
リュートとサイロンは女王の間へと入って行く。
しかしリュートに限ってはこれ程バツの悪いものはない、つい先程ベアトリーチェと面会したばかりで・・・しかも機嫌を損ねさせてしまったものだから、どんな顔をしたらいいのかわからずに困っている。
そのまま進んで行くとやはり・・・、ベアトリーチェは不機嫌な表情のままでムスッとしていた。
リュートは不自然に視線をそらすとそのままサイロンの後ろに隠れてしまった。
「さて・・・、主要メンバーが揃ったところで一体どんな話をするつもりなのじゃ?」
ベアトリーチェとリュートの間に流れる不穏な空気には一切触れることなく、サイロンはいきなり本題に入った。
当然ベアトリーチェは全く空気の読めていないサイロンに対して、苛立ちを込めた視線で睨みつけているがルイドは笑っている。
そして、代わりに笑いをすぐに消し去ったルイドが説明した。
「リュートからレムとアビスの和平について話を持ち込まれた直後にする内容ではないが、ベアトリーチェはリュートを正式な闇の
戦士として迎え入れるよう取り計らいたいとのことだ。
今現在アビスには、氷の精霊セルシウスと契約を交わし終えた闇の神子・・・ジョゼがいる。
そして風の精霊との契約を交わしたリュートには、このままアビスに滞在し・・・その後、再びシルフの時と同じ要領で今度は
土の精霊ノームと契約を交わしてもらいたいと思っているのだ。
そうすればアビスの基本属性と契約を交わしたことで、ジョゼはようやく闇の精霊シャドウと対面することが可能になる。」
そこまで話しをしたルイドに、リュートはさっきまでの空気を全て忘れて・・・慌ててサイロンの前に出て、声を荒らげた。
「ちょっと待ってください、何を勝手に話を進めているんですか!?
僕はまだアビス側につくだなんて、一言も言ってませんし・・・っ!!それにこのままここに滞在するなんて出来るわけがない
じゃないですか!!」
それはそうだろう・・・という表情で、ルイドは顔色ひとつ変えることなく黙っていた。
ベアトリーチェが口を挟もうとしたが・・・、それはルイドが制止した。
まるでベアトリーチェが口を出したら話がまとまらなくなる・・・と言うように、ルイドはそれを視線だけで訴える。
それを察してか・・・、ソファから立ち上がろうとした体を再びソファに深く沈めて面白くなさそうにだらしなく座った。
「ベアトリーチェよ、余との約束ではリュートにディアヴォロの封印を手伝ってもらいたいから連れて来て欲しい・・・という内容
だったはずじゃぞ!?
このままリュートをアビスに居座らせる為に連れて来たのではない、これ以上は余との契約違反になってしまうのう。
もし力にものを言わせて我を通すというのならば、余は即刻リュートをレムに連れ帰るが・・・どうするのじゃ!?」
腕を組みながらサイロンは、強い口調で異論を唱えた。
その態度にルイドは静かな表情のまま、なだめるように言葉を続ける。
「今のはあくまで我々の願いを述べたまでのことだ、早合点してもらっては困る。
それにそちらの事情も、少しは理解しているつもりだしな・・・。
勿論、今言ったことをすぐさま実行しようなどとは思っていないから安心するといい。」
ルイドの言葉全てを信じていいものかどうかわからないが、とりあえずは難は逃れたとあってほっとするリュート。
それにサイロンのさっきの言葉を聞いた限りでは、約束通りアビスにいる間はリュートの味方をしてくれるというのは本当らしい。
だが・・・、今すぐ実行する気はないと言っている割に・・・二人の顔には、リュートがアビス側につくという内容がすでに決定
済みだとでも言っているように見えるのは気のせいだろうか?
言い知れぬ不安がよぎる、まさかこのまま本当にレムに帰れない・・・なんてことにはならないだろうか?
「だが妾は諦めんぞ!?
何度でもお前をアビスに呼んでは、首を縦に振るまで勧誘し続けるからな。」
ベアトリーチェの顔は真剣そのものだった、それだけアビスもまた・・・マナ濃度の関係で後がないのだろうと思った。
「話はそれだけかのう!?
余が見た限りでは、リュートはアビスに一方的に加担することはないと思うがな。
その証拠というわけではないが、リュートからすでに和平の提案を聞いておるのではないか!?」
そう切り出され、ベアトリーチェが再び膨れる。
リュートも「その話は今はもういいから!」とでも言うように、サイロンの服の裾を引っ張った。
しかし当然、サイロンはそれを無視した。
「サイロン、お前もわかっていることではないのか!?
仮に俺達がレムに対して和平条約を持ちかけたとしても、向こうがそれを受け入れるなんてことは殆ど有り得ない話だ。」
ルイドの言葉にベアトリーチェが聞き捨てならないとでも言うように、声を荒らげながら訴えた。
「妾はそんなこと・・・、決してせぬぞ!!アビス人が一体どれだけ殺されたと思っておるのだ!!
あの獄炎のグリムに、妾の配下の約半数以上は灰にされたのだからな・・・っ!!」
ベアトリーチェの声はとても悲痛な叫びだった、さっきまでの気高く・・・気丈だった声色とは違い、アビスの国民というたくさんの命をたった一人で背負った少女のように・・・大切な者を全て奪われたかのように、憎しみと悔しさが入り混じっていた。
そんな姿を見ると、思わず揺れてしまう・・・。
本当はレムが一番悪行を働いているのではないかとさえ思ってしまう、しかし見たまま・・・聞いたままで自分の居場所を安易に
決めるわけにはいかないと・・・、リュートはなるべくベアトリーチェの顔を直接見ないように努めていた。
「ベアトリーチェよ・・・、お主の気持ちはわからんでもないが・・・今は確執について話し合いをしているのではないはずじゃ。
リュートにどうしてほしいのか、そして今後どうしたいのか・・・。
それを今この場で話し合うのではないのか!?」
サイロンに諌められてベアトリーチェは不服そうな表情になったが、一理あると不本意ながら納得してソファに座り直す。
「リュート・・・、お前はこのままレムで精霊との契約の旅を続ける気か?
言っておくがレムの目的はあくまでアビス侵略だ、決してお前の望むような結末は・・・訪れはしないぞ!?」
ルイドの静かではあるが、どこか覇気のある口調にリュートは息を飲む。
「僕は・・・、3国間がよりよい環境で平穏に暮らせるような世界を目指したい・・・。
勿論そんなことを言ったって、僕一人でどうにかなるようなものじゃないかもしれない・・・。
綺麗事だと言われたって・・・、平和ボケした楽天家の意見だと笑われたって、構いません。
僕は戦争は望まないし、どちらか一方だけが幸せな世界を築いたって・・・何の意味もないってわかってるから。
だから・・・、僕はここに来て教えられたことを・・・帰ってみんなに相談しようと思ってます。
大丈夫ですよ・・・、僕の仲間は聞く耳をちゃんと持ってくれてるような人達ばかりですから。」
笑顔を作ってそう言ってはみたものの・・・、正直なところあまり自信がなかった。
さっきのベアトリーチェの話に出てきたが・・・「獄炎のグリム」といえば、それがオルフェ大佐のことであるのは明白だ。
それにみんながみんな・・・本当に自分の話を全て真に受けて信じてくれるかどうかも、自信がない。
明らかにリュートよりも、オルフェ、ジャック、ミラ達の方が事の事情はよく把握しているはずだからだ。
・・・というより、先の大戦の当事者達ばかりだ。
つまり真っ向から対立している人物ばかりなので、敵と認識しているベアトリーチェやルイドの言った言葉をそのまま信じてくれるかどうかリュート自身から見ても十分に怪しい。
もしかしたらリュートが話しに踊らされている・・・と思われるかもしれないという可能性だってある。
しかし・・・、結局のところ今はこう言うしかない。
仲間に何の相談もなしにアビスに加担したとあっては、ただの裏切り者・・・寝返ったと思われても当然のことになるからだ。
勿論リュートは裏切る気なんてさらさらないし、黙ってアビス側につくなんてことも有り得ない。
今の自分には、ここで得た知識を仲間に話して・・・真相を知った上でどうするのか、それを考えていく他ないのだ。
リュートの言葉に真実を語っていると見たベアトリーチェが、ソファから立ち上がってリュートに近付いた。
余りに突然だったので、リュートには一瞬何が起こったのか全く理解出来なかった。
ただ・・・自分に触れる寸前にベアトリーチェの口から出た言葉は・・・、少しだけ聞き取れた。
「・・・そうはさせん。」
ルイド・・・、そしてサイロンの横をすり抜けて真っ直ぐとリュートに寄り添うと・・・ベアトリーチェの唇がリュートの唇と重なった。
リュートの両頬は、ベアトリーチェの小さな白い手に抑えられて・・・顔をそむけることが出来ない。
目は見開いたまま・・・すぐ目の前に年齢よりも幼い顔をしたベアトリーチェが・・・大きかった瞳を閉じていた。
「・・・んんっ!!?」
何が起きているのか・・・、リュートは唐突に把握した。
自分の口の中をベアトリーチェのねっとりとした舌が舐め回して、くちゅくちゅと音を立てている。
振り払おうとするが、まるで全身が麻痺しているかのように・・・力が入らず、逆に力が抜けて行ってしまう。
横目でサイロンに助けを求めるが、・・・うっすらと目に映ったのはサイロンがルイドに取り押さえられているところだった。
リュートはわけがわからず、一生懸命もがこうとしながらも・・・全身は恍惚したかのように身を委ねてしまっている。
脳細胞すら麻痺したかのように真っ白になって、ぼんやりと意識が遠のく中・・・リュートは心の中でかろうじて呟く。
(そんな・・・、僕のファーストキスがこんなところで・・・っ!
しかも抵抗出来ない位に体が言うことを利かないなんて・・・、もしかして僕って・・・ものすごく淫ら!?)
そんなショックを受けながら・・・、リュートはそのまま床に倒れ伏してしまった。
倒れるリュートを支えることすらせずに、ベアトリーチェはただ黙って・・・冷たい視線で見下ろす。
取り押さえるルイドを払いのけたサイロンが慌ててリュートに駆け寄って抱き起こした。
「リュート、しっかりするのじゃ!!」
しかし、リュートからの返事はない。
まるで何事もなかったかのように自分のソファに戻ると、ベアトリーチェは氷のように冷たい口調で言い放った。
「その闇の戦士は妾の毒のマナで穢してやったわ。
このアビスで得た情報を、他に漏洩させるわけにはいかないからな、ここでの記憶を消しただけだ。
アビスに来たことも、クジャナ宮の場所も、ディアヴォロに関することも、アビスの碑文に関する知識も・・・。
サイロン・・・、お前も3国間の均衡を保ちたければ黙っておくんだな。」
ベアトリーチェの方を睨みつけながら、サイロンはここに呼び出された本当の理由を、今知った。
「そうか・・・、最初からリュートの記憶を消すつもりで・・・碑文の内容やディアヴォロに関することをペラペラと喋って
おったのじゃな!?
ここへ呼んだのも、最終的に記憶を消す為か・・・。」
「安心せい、お前の記憶まで消したりはせん。
・・・お前と接吻するなど、願い下げだからな。」
笑いながらそう言うとベアトリーチェは、もはや用はない・・・とでも言うように退室を命じた。
「ルイド・・・、お主まで余に黙って一体何を企んでおるというのじゃ!?」
「・・・いずれわかる。」
サイロンの言葉にルイドは、そのたった一言だけを告げると・・・背中を向けたまま、振り返ることはなかった。
意識を失ったリュートの手を取り、肩で担ぐように抱えるとサイロンはそのまま女王の間を出て行った。
扉が開くと目の前にはハルヒ達が待っていた。
ハルヒはリュートが意識を失っているのを目にして、すぐさまサイロンからリュートを引き受ける。
サイロンは怒りを押し殺した表情のまま、仲間に告げた。
「レムに帰るぞ、リュートを洋館まで運ばねばならんからのう。」
平穏を装ったはずだが、敏感なメイロンは兄の様子に恐ろしさを感じて・・・イフォンの後ろに隠れてしまう。
イフォンは気を失ったリュートを見て、それからすぐに視線をサイロンへと戻して主の命令に従った。
すたすたと足取り早く進むサイロンにハルヒ達は黙ってついて行く。
メイロンに至っては殆ど走っているようなもので、たまにイフォンが振り返っては見失わないように気を配っていた。
いつものサイロンならば、気付かないはずがない。
どんなに空気が読めない性格であったとしても、仲間への気配りや配慮に関しては主従関係なく気を使っていたものだ。
リュートを抱えながらハルヒは、今のサイロンが相当激怒していると悟った。
龍神の逆鱗に触れたら無事では済まない・・・、それを理解しているからこそ・・・ハルヒもイフォンも必要以上にサイロンに語りかけることはなかった。
クジャナ宮を足早に出て行くサイロン達を送ろうと、女王の配下の者が出てくるが・・・それすら振り切り出て行ってしまう。
すぐにクリムゾンパレスの外に出て、サイロンは合図を送ることもなくドラゴン化し・・・仲間が自分の背に乗ったのを一応確認すると、すぐさま飛び立った。
(ルイド・・・、お主は昔・・・余がお主に向かって言ったことを忘れたわけではあるまい!?
世界を正すつもりならば、余も一丸となって力を貸そうと・・・。
友としての協定があってこそ・・・、余は法律の抜け穴を利用してずっとお主に加担してきた。
それが・・・今はなんなのじゃ!?
二人の戦士が現われてからというもの、ルイド・・・お主は何をそんなに焦っておる!?
余にすら言えない何かを隠して・・・一体何をするつもりだというのじゃ!?)
サイロンの怒りはおさまらない・・・、ただただ・・・友を理解してやれない自分を腹立たしく思いながらサイロンは飛び続けた。
サイロンが出て行って一層静かになった部屋で、ルイドとベアトリーチェは重苦しい雰囲気のまま立ちすくんでいた。
やがてベアトリーチェが先に沈黙を破る。
「本当によかったのか、あれで!?
せっかくアビスに気持ちが傾きかけていたというのに・・・、その記憶も消すようにお前から頼みに来るなんてな・・・。」
ルイドは含み笑いを浮かべると、窓から見える空に・・・一頭のドラゴンが空高く飛び去って行くのを見送って答える。
「あいつのことなら何も心配する必要などないさ。
いずれ近い内に、あいつは自らアビスに加担すると言い出してくる。
守りたいものが・・・、大切に思うものがある限りな。
その時が来れば全てこちらの思惑通りに事が運ぶようになるさ・・・、それに計画の第一段階もすでに発動している。
見ていろベアトリーチェ・・・、きっとお前すら驚愕する程の革命が・・・この先に待っているからな・・・!」
野心に満ちた眼差しでルイドは、目の前の窓が鏡のようになって自分自身の姿を映し出し・・・それに魅入る。
その瞳の奥に・・・、愛おしささえ感じさせるような憂いを帯びた眼差しで・・・鏡に映った自分を見つめ返す。
(もうすぐ・・・、もうすぐだ!この瞬間が訪れるのを・・・何年も待ち続けた。
ようやく・・・世界を壊す瞬間が訪れるんだ・・・!!
ふっ・・・、そうなれば神子も戦士も関係ない・・・俺の望む全てが、・・・全てが叶うのだ!!)
ルイドの野望は、誰にも悟られたりはしない。
綿密に緻密に計画され、何年も昔からずっとその伏線を張り続けてきたこの計画を見破れる者など、誰一人としていやしない。
ルイドはこれに全てを・・・己の命すら賭けてきた。
必ず成功させる・・・、その為に利用出来るものは全て利用してみせる・・・。
例え仲間すら、友すら裏切る行為であっても・・・ルイドは自分の望みを成就させることに、全てを捧げる覚悟だった。