第94話 「アビス、二日目の朝」
翌日・・・、目が覚めるとリュートは全く見たことのない部屋・・・見たことのないベッドに横になっていた。
まず真っ先に目に入って来たのが、見たこともないベッドだった。
天蓋付きのベッドで寝たことはこれまで一度もない、レムグランドでいつも用意されているアギトと同室のベッドも普通のものだ。
ベッドから起き上がると、来ている服が白い布の服一枚で・・・まるでワンピースのように膝下まであるシャツを着ていた。
部屋の中を見回すと、外が暗いせいかまだうっすらとしか部屋の中を観察出来ない。
全く普通の客室だった。
とても簡素だったが、一人用のテーブルにイスが2脚、簡易的なタンスにドレッサー。
テーブルの上にリュートが来ていた服がたたんで置いてあったので、とりあえず安心した。
まさかこのままこのシャツ一枚で歩き回るわけにはいかないと、リュートは早速着慣れている服に着替えた。
「あれ・・・?いい香りがする。」
シャツを手に取った時に、とてもいい香りがしたので思わず顔に押し付けて香りを勢いよく吸い込んでいた。
自分が知らない間に着ていた服を洗濯してくれていたのか・・・と思いながら、着替える。
一応ベッドもシワがないようにシーツを伸ばして、丁寧に整えておいた。
おもむろに窓の外が気になったので、リュートはゆっくりとした足取りで窓の外を覗く。
・・・レムグランドの自室から覗いた光景とは、全く異なるものだ。
空は相変わらず黒い雲や積乱雲に覆われていて陽の光が全く射さず、・・・ここはクジャナ宮の一体何階にある部屋なんだろうと思いながら下を見下ろすと、小さな光がぽつぽつと見えるだけで・・・あとは暗い雰囲気の廃れた光景が広がるだけだった。
「そういえばサイロンさんが、ここの住人達は殆どが地下で暮らしているって言ってたっけ!?」
そう呟きながら、リュートはいよいよすることがなくなったのでズボンのポケットに忍ばせておいた銀時計を取り出すと時間を確認する。
時計の針は8時20分を指していた。
恐らく朝だろうと推測して、リュートは少し悩んだが・・・思いきって部屋から出て行った。
意外だったのがドアに鍵がかかっていないことだ。
まぁ・・・仮に逃げ出したとしても、行き場なんてどこにもないから意味はないが・・・。
多分ここへ案内した人物も同じことを考えて、あえて鍵なんてかけなかったのだろうと思いながらドアの隙間から少しだけ顔をのぞかせて、辺りの様子を窺って見る。
誰一人としていない、通行人も・・・見張りの兵士も・・・誰一人。
リュートは最後の記憶をよく思い出そうとした、確か自分の部屋を用意するとルイドが言った時にサイロンの部屋も自分の部屋の近くにすると言っていたはずだ。
だとすれば、両隣か向かいの部屋がサイロンの部屋・・・ということになる。
ひとまずすぐ近くにある向かいの部屋のドアをノックしてみた。
コンコン・・・。
30秒ほど待ってみたが、返事はなかった。
この部屋の人物が誰のものかは知らないが、もしかしたらまだ眠っているのかもしれない・・・。
そう思って今度はリュートの部屋から向かって右隣りの部屋のドアをノックする。
もしサイロン一行がそれぞれ一部屋ずつ割り振られているとするなら、サイロン、ハルヒ、イフォン、メイロン・・・。
メイロンは兄であるサイロンと同じ部屋かもしれないので、最低でも3部屋は自分の周辺に割り振られている可能性が高い。
コンコン・・・。
すると今度は10秒位で部屋の中からドアに向かって歩いて来る足音が聞こえてきた。
誰かはわからないけど、一応この部屋には誰かが泊まっているんだと思う。
がちゃっとドアが開いたが・・・ドアは10センチ程しか開かず、その隙間から外の様子を覗いている。
猫っ毛のシャギーが寝ぐせでピンピンはねている、普段糸目な目がより一層細くなっていて目が開いているのか閉じているのか判別しづらい・・・。
旅館によくある浴衣の姿のままで顔を覗かせたイフォンは、ノックをした相手がリュートだとわかると・・・。
バタンッッ!!
即座にドアを閉められた。
「ええええぇぇぇえ〜〜〜〜〜っっ!??」
まるで思いきり自分のことを拒否られたみたいで、リュートはものすごくヘコんだと同時に対応に困っていた。
もしかして寝ぼけていたのだろうか?・・・アギト風に前向きに考えるなら、そう考える他ないが・・・そうは思えなかった。
明らかに拒絶したような勢いだった。
がっくりと肩を落としながら、リュートは反対側の部屋がある方へと重い足取りで歩いて行く。
(なんか朝からヘコむなぁ・・・。
てゆうか僕ってイフォンさんに対して何か気に障ることでもしたのかなぁ!?
よくよく考えてみれば、僕ってイフォンさんとはあまり会話したことがないし・・・避けられてる感じも否めないんだよね。
まぁ・・・、別に友達になりたいとか・・・お近付きになりたいとか、そういうこと言ってるんじゃないんだけどさ。
なんか・・・、やっぱヘコむんだよね・・・。)
うじうじと心の中で呟いて、浅い溜め息をつきながら力なくコンコン・・・とノックする。
「誰アルかーーーーーーーっっ!?」
今度は即座に元気の良い、大きな声が響いてきた。
考えなくてもわかる、この部屋にはメイロンが泊まっているようだ。
リュートはひとまずほっとして、ドアが開くのを待った。
・・・しかし、ドアは一向に開かない。
(あれ?もしかして着替え中だったとかかな!?)
そう思い、リュートはもう一度ドアをノックした。
「誰アルーーーーーーーっっ!?」
またしても即座に返事が返って来る。
(・・・って、え!?
もしかしてドア越しに返事をしなくちゃいけないってこと!?
インターホンに付いているマイクらしき物は取り付けていないし、僕も大声で返事するのかな・・・!?)
ドア越しに自分の名前を大声で名乗るのは、さすがに勇気がいる。
いくら通路に誰もいないとはいえ、他の部屋に誰も泊まっていないとも限らないので近所迷惑にならないだろうか!?
リュートがどうしようか迷っていた時、ドアがバンッと開いてツンっとすました顔のメイロンがドアの向こうに立っていた。
「なんだ、リューだったか。
ちょっと待つネ、今すぐ兄様呼んでくるよ。」
すでに着替えを済ませていたメイロンが、ドアを開けっ放しにしたまま部屋の奥へと消えていく。
リュートは特に何も言ってはいないがメイロンには、リュートがどうしたらいいのかわからないでいることを、ちゃんとわかっていたみたいで随分としっかりした娘だな・・・と感心していた。
(それにしても・・・リューって。
あと一文字のトを略すのって、意味あんのかな!?)
足元を見たり、回りをきょろきょろしたりしながらそんななんでもないことを考えていたら、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「おぉすまんすまん、待たせたのう!
なんじゃ・・・もうすでに支度が済んでいるではないか。」
そうノンキに言いながらスリッパでペッタペッタと歩いて来たサイロンは、殆ど浴衣が脱げているといってもいい位にボロボロにはだけていて、胸元はヘソの辺りまで脱げていた。
上から羽織った布きれを腰の紐で適当に結んだだけという状態で、もはや浴衣の役割を果たしていない。
「サイロンさん、はだけ過ぎです。」
失笑のままリュートがつっこむ。
だがしかしサイロンはなぜか誇らしげに両手を腰に当てて、モデルのような立ち振る舞いをしてみせる。
「なかなかワイルドであろうが!?
なんでも女子というものは、男のはだけた胸元にセクシーさを感じるというらしいぞ!?」
「どこに女子がいるんですか、いるとしたら妹さんのメイロンちゃんしかいないじゃないですか。」
リュートはとりあえずセクシーさを感じるかどうかは別にした、これだけ自信満々に勘違いをしているのだからそのままにしてあげておいた方が、後々面白・・・ではなく、サイロンにとって幸せかもしれないと思った。
しかしいつまでもこんなボケツッコミをしていてもラチがあかないので、リュートは話題を切り出した。
「あの、今日は二日目の朝なんですよね!?
ここでは朝日が射さないから、昼夜がよくわからないんですよ。
それと・・・封印の他に、僕は一体ここで何をするんですか!?その為にここに滞在しているんですよね!?」
リュートの質問にサイロンがにっこりと微笑んで答える。
「おぉ、そうじゃ!!
確か封印の礼がしたいということで、ベアトリーチェから聞いていることがあるのじゃ!
リュートが目覚めたら女王の間まで来いと言っておったから、余の着替えが済むまで自由にしておれ。」
それだけ言ってさっさと部屋の中へと戻って行こうとしたサイロンに、リュートは慌ててストップをかける。
「え・・・ちょっ!!
自由って、この建物の中を僕一人で歩き回るわけにはいかないんじゃないですか!?
歩き回ったとしても、ものすごく広いからすぐに迷いそうだし・・・それなら僕、自分の部屋に戻って待ってますよ!」
「クジャナ宮は滅多に来れんぞ!?部屋にこもるなど勿体無いことじゃ。
昨日散々使った移動用魔法陣があったじゃろ!?
あれは各階の至る所に設置されておる、魔法陣に入ったら余がいる階に行け・・・とか、ルイドやベアトリーチェがいる場所へ
連れていけ・・・みたいな指示をすれば、魔法陣が自動で移動してくれるぞ。」
「え・・・!?あれって上下移動のエレベーターじゃないんですか!?」
「えれべーたー!?
なんかようわからんが、上下移動だけではないぞ。このクジャナ宮に点在する魔法陣は全て連動しておる。
確かに上下移動の時は光の筒状の中を移動しているように見えたであろうが、他の魔法陣では瞬間移動のようになっておるのじゃ。
だから例えどこに行ったかわからなくなっても、魔法陣はすぐに見つけられるから探検でもして来るといい。」
部屋の奥から大声でそう教えてくれると、静かにドアがぱたん・・・と閉まってリュートは部屋の外に置き去りにされた。
サイロンの身支度が一体どれ位かかるのかわからない以上、部屋にこもるか探検するかのどちらかしかない。
リュートは、ここへ来る前と現在とで・・・心境が大きく変化していた。
ここへ来る前の状態だったなら、敵国の首都内部を調べる為に・・・色々と探索して情報収集をしていたかもしれない。
例えば・・・女王の間がどの辺にあるのか・・・とか、先程サイロンの説明にあった魔法陣の仕組みや、あとどんな場所に出るのか・・・とか、もしかしたらマナ天秤がある場所の近道を探したり・・・とか。
リュートはサイロンの部屋のドアに背を向けて、どこへともなく歩きながら・・・心の変化に戸惑っている。
今では、アビスは敵ではないかもしれない・・・そう思い始めている。
レムもアビスも・・・、お互いがあらぬ誤解を抱いて・・・決して交わることのないループ状の放物線を描くように、空回りしているように感じられた。
ベアトリーチェの言葉でもうかがえることだが、リュートがちょっと口添えした所でレムとアビスとの確執はそう簡単には消えてくれなさそうだという、そんな問題が浮き彫りにされている。
今のリュートには大佐達にアビスの情報を横流ししようとか、そういう思いは消え失せていたのだ。
むしろお互いが協力し合うにはどうしたらいいのか・・・、ディアヴォロを完全に抹消させる為の方法を3国間で考えたい・・・というのが一番の本音だった。
リュートは一応、レムとアビス・・・両方の王と面会したことがある。
どちらも威厳や誇りを持っていて、他人の話でそう簡単に意志を曲げるような人たちではないことは、よくわかっていた。
しかし・・・それでも、ディアヴォロ抹消にはやはりどう考えても3国で力を合わせなければ解決出来ないだろうとリュートは思った。
初代神子がどれだけの力を持っていたのか、今とどう違うのか・・・それはリュートにはわからない。
今のリュートにはまだそれだけの知識が不足しているのだ。
だからこその協力だと・・・、和平が必要なのだと考えるようになった。
「サイロンさんには悪いけど・・・、女王様にもう一度話をしてみよう・・・!
レムの国王よりはまだ話が通じそうだし・・・。」
そう結論したリュートは、早速早歩きになってサイロンが言っていた魔法陣を探してみた。
すると・・・やはり言った通り、魔法陣はすぐに見つかった。
リュートは恐る恐る魔法陣の中に入って行き、心の中で囁くのか・・・口に出すのかわからなかったが、とりあえず念の為・・・口に出して命令してみた。
「えっと・・・、アビスグランドの女王様・・・ベアトリーチェさんがいる場所に案内してください。」
誰に向かって言ってるのかよくわからない状態でこんな独り言のような台詞を言うのは、ものすごく恥ずかしかった。
今思えば、初めてこの魔法陣を使用した時・・・行き先を口に出した光景など一度も目にしていなかったことに今頃気づく。
魔法陣はリュートの言葉にちゃんと反応してくれて、魔法陣全体が光って・・・ぱしゅんっとまばたき位の早さで移動した。
次の瞬間には、すでに目の前の光景が変わっていた。
ここの光景は見覚えがある。
サイロン達と来た・・・、クジャナ宮の案内人がリュート達を最初に案内した部屋だった。
ベアトリーチェと初めて対面した部屋・・・、ここが女王の間なのだろうか!?
とにかく、リュートは緊張しながらも魔法陣から出て・・・目の前にあるドアにノックした。