第88話 「ベアトリーチェ・オズワルドレイク」
アビスグランド首都、クリムゾンパレス。
地上では干ばつや強風の影響がある為、民衆の殆どは地下で暮らしていた。
町の中心には大地からそびえ立つ城が建っており、その全てが鉱石で出来ている。
天高く大地から生えるように建てられた城は、常に暗雲と雷雲に覆われた空より頻繁に落ちてくる落雷から、地上に住む民衆を守る
為の避雷針の役割をも果たしていた。
アビスグランドの女王が住むと言われるこの城の名を、クジャナ宮と呼ぶ。
クジャナ宮の上階に位置する部屋で、一人の女性が大きなソファに気だるく寝そべっていた。
毒々しい程に真っ赤な長い髪、透けるような象牙色の肌、意志の強さを感じさせるような鋭い瞳、年の頃でいえば20前後と言える
外見・・・一見するとごく普通の女性に見えるが、額には一角獣を思わせるような角、そして爬虫類のような尻尾が生えていた。
「ベアトリーチェ様、客人がお目見えです。」
扉の向こうから声がして、倦怠感丸出しだった態度から一変・・・ベアトリーチェと呼ばれた赤い髪の女性は、俊敏な動きでソファ
に威風堂々たる姿勢で座り直した。
「よし、入れ。」
その言葉に反応して、扉はゆっくりと開かれる・・・。
誰が来たのか・・・彼女にはすでに分かっていた。
「よくぞここまで来てくれた・・・、待ちかねたぞ?・・・・・・サイロ、・・・・んっっ!?」
扉から姿を現した人物を見て、ベアトリーチェの顔のデッサンが思いきり崩れる。
その顔はひくひくと引き攣って・・・、意表を突かれたような、気まずいような・・・、居心地悪そうな表情になっていた。
思わずソファから立ち上がって訪れた人物に向かって2、3歩、歩み寄っている。
「ル・・・、ルイドっ!?どうしてお前がこんな所に来ておるのだっ!?」
ルイドと名前を呼ばれた青い髪の男・・・、左頬に十字傷、黒いマントをはためかせながらコツコツと靴音を鳴らして歩み寄る。
ベアトリーチェはバツの悪そうな顔になり・・・、不自然に視線をそらしながら再びソファに座った。
「そろそろ封印が弱まっていると思ってな・・・、様子を見に来た。
それよりも・・・、誰かと会う約束でもしているのか?」
ソファの前で立ち止まり、ルイドは敬意を表すようにひざまずいてベアトリーチェの手を取り、そっと優しくキスをした。
本来ならばルイドにこうされるのは悪くない・・・、そう思いたいが今回ばかりは素直に喜べずにいる。
ほんのりと頬を赤らめながら、それでもベアトリーチェは不機嫌そうな表情を作って視線を逸らす。
「お前には関係のないことだ・・・っ!!
いつもならお前はこのクリムゾンパレスどころか、クジャナ宮にすら滅多に来ないくせに・・・っ!!
どういう風の吹きまわしだ!?」
「美しいベアトリーチェ女王陛下の顔を見に来た・・・、と言った方が良かったか?」
ふっと笑いながら、ルイドは穏やかな表情のままからかった。
しかしベアトリーチェはすぐに機嫌を損ねて、尻尾をばしばしと床やソファに叩きつけながらルイドを睨みつける。
「そうだったな、お前が妾に会いに来るなど・・・有り得ん話であったわ!!
アレのことならお前が心配するようなことではない、こっちでちゃんと手は打ってある!!
それ以外に用がないのなら、さっさと前線基地に帰るがいい!!・・・またどうせガードの一人も付けずに来たのであろう!?」
「いや・・・、今日はガードを付けている。ブレアがうるさいからな・・・。」
「ブレア・・・?
あぁ・・・、お前に執心している女か。確か今は闇の神子の師をしているそうだな?
で、闇の神子の調子はどうだ。」
「ジョゼは本当に才能ある子だ・・・、すでに氷の精霊と契約を果たし終えている。
俺の理想としては・・・ジョゼには契約の残り2体には、上位精霊と契約を果たしてほしいものと思っている。」
「欲張りな奴め・・・、しかしそれには闇の戦士に風と土の精霊と契約を果たしてもらわねばならないぞ!?
その辺のメドは付いているのか?
・・・なにせお前は、とうに戦士の資格を失っているのだからな。」
ベアトリーチェの言葉に、ルイドは自嘲気味に微笑むとまたすぐ穏やかな表情に戻って・・・言葉を続けた。
「そうだな。
しかし今現在の闇の戦士ならば、俺が手を下せばどうにでもなるさ・・・。
なんなら・・・、すぐそこまで来ている戦士を・・・今ここで我が傘下に入れてやってもいいが?」
ルイドが含み笑いを浮かべながら言うと、ベアトリーチェはゲホゲホと咳き込んで・・・口を両手で押さえた。
そんな態度を見てルイドは、やはり会う約束を交わしているのがリュートであると確信したように微笑んだ。
「やはりな・・・、そんなところではないかと思っていた。
俺ではアレの封印は敵わないと・・・、現闇の戦士にさせようとしたのだな。」
先程とは打って変わって、ベアトリーチェは寂しげな・・・苦痛に耐えるような表情に変わり、白状する。
「・・・仕方がないであろうが、今のお前は魔剣を手放し・・・病にも侵され・・・、軍団を統括するので精一杯なのだろう?
妾は・・・、お前の苦しむ姿は・・・見とうない。」
消え入りそうな声になり、肩を落としたベアトリーチェの側に寄り添うように・・・ルイドは再びひざまずいて顔を覗き込む。
すぐ目の前にルイドの顔が現われて・・・、嬉しいはずの想いが・・・やはり素直に喜べず、切ない顔をのぞかせた。
「ベアトリーチェ・・・、俺はまだ死なないさ。
まだ・・・、死ねない。
お前や・・・この国の民達に永遠の平和と安寧を約束する為に・・・、戦い続けると誓ったのだから・・・。」
ルイドの言葉に、ベアトリーチェは顔を上げて・・・瞳を潤ませながら・・・それでもなんとか気丈に振舞おうと努めた。
「お前はいつもそう言って・・・、誰よりも生き急ぐ・・・。
なぜだ・・・!?なぜそうやって自分の命を投げ打ってまで、戦い続けようとするのだ・・・!?」
ベアトリーチェの問いに、ルイドはしばし沈黙したが・・・やがてそれに答える。
「ベアトリーチェ・・・、お前にだけは話しておこう。
お前は世界の均衡を保つ為に、無駄に神子を使おうとはしなかった・・・。
何年もの間・・・、アレの管理をし続けて・・・もう気付いているはずだ。
アレはもはや封印などでは抑えきれない状態にまで進行している、このまま上書き封印したところで大した足止めにもならない
だろう・・・。
それよりも、今は根本から解決しなければならないことがある。
しかしそれには、どうしてもお前の力が必要なんだ・・・!!」
ルイドの瞳を真っ直ぐと見つめ、ベアトリーチェはルイドの真意を探った。
例え心がルイドを求めていようと・・・、自分はこのアビスグランドの女王という立場・・・。
私情に流されぬように心を強く律しなければならないことを、ベアトリーチェは十分に理解していた。
「・・・聞こうではないか。
しかし妾がそれを気に入らなければ、例えお前であろうと容赦はせんぞ!?わかっているな!?」
とりあえずは色良い返事をもらえたことに満足したルイドは、真意の見えない笑みを浮かべて・・・すっと立ち上がった。
コツコツと靴音を鳴らして、窓から外を見下ろした。
ここの眺めはこのクリムゾンパレスと・・・、その周囲の景色が一望できる。
マナが欠乏した世界・・・、年中闇に覆われて・・・草木は生えず、大地は枯れている・・・。
周期的にサイロンが様々な物資を運んで来てくれてはいるが、それでは全く不足しているのが現状だった。
この世界には・・・、光と水が必要なのだ・・・。
「ベアトリーチェ・・・、俺はこの世界を革命するつもりだ・・・。
しかしそれにはレムとの全面戦争は避けられない・・・、どうしてもお前には付きっきりでアレの管理をより一層厳重にしてもら
う必要がある。
アレは・・・、人々に負の感情をばら撒くだけではなく・・・人々が発する負の感情を吸収することによって成長を促している。 戦争が始まれば負の感情が溢れ、急成長を遂げてしまうだろう。
その為どうしてもお前の力で、アレを封印の隔壁から出て来れないようにしないといけない。」
ルイドの言葉に、ベアトリーチェは明らかに反感に溢れた顔をしている。
開戦するだと・・・!?
そんなことをすれば、自分の力だけで抑え込むことなど不可能に近い上・・・リスクが高すぎる。
どんな結果をもたらすつもりかは知らないが、今までだって隔壁の中に抑え込むのに精一杯だったのが現状だ。
それを・・・更に人々の負の感情という栄養を与えてしまっては、閉じ込めておくどころではない。
ヘタすれば・・・っ!!
「そんなことは許されん!!
お前にわかっているのか!?・・・あれを閉じ込めておくだけでも、どれだけ力を使うのか・・・っ!!
そうでなくても・・・今では妾の力だけでは、どうしようもなくなってきておるのだぞっ!?
だから・・・っ、妾は・・・闇の戦士をここへ連れてくるようにサイロンに依頼したのだ・・・。
闇の戦士のマナで、一時的にアレの・・・ディアヴォロの封印を強化させるように・・・。
なんでも・・・レムではすでに、ディアヴォロの負の感情が人々に影響を与えているというではないか・・・。
このアビスに至っては・・・、ディアヴォロがこの地にあるせいで、眷属どもが時折出現して民を苦しめている。
もう妾の力だけでは限界なのだっ!!
弱音など吐きたくはないが・・・、妾はもう・・・、疲れた・・・。」
「心配するな・・・、お前の補助なら俺がしてやる。
闇の戦士の資格を失ってはいても・・・、マナ指数の値が変動しない限り精霊との契約は継続されている。
俺は許可がもらいたい・・・、それに・・・前線基地にいる軍団長達の答えはすでに決まっている。
あとはベアトリーチェ、お前の決断次第なのだ。」
ベアトリーチェは唇を強く噛みしめ・・・、その唇から真っ赤な血が流れ落ちる。
自分の決断ひとつで、この国の民達の命が左右される。
この唇から流れ落ちる血の量とは比べモノにならない位の・・・、多くの民の血が流れることに・・・っ!!
「・・・もう少し考えさせてくれ。
お前の目的を聞いてから答えよう・・・、その戦争の先に何を見出してくれるのか・・・っ!!
今はもう席を外すがいい、この後大切な客人と会う約束をしているからな。
・・・一時的な封印は当初の予定通りに決行する。
その時が来れば・・・、お前も同行しろ。封印の仕方を戦士に指導する為にな・・・。」
「それでは、失礼する。」
ルイドは軽く敬礼すると、そのまま部屋を出て行った。
一人・・・部屋に残されたベアトリーチェは、深く悩んでいる。
今まで・・・ただ静かに封印し続けるだけの歳月ばかりを送って来て、保守的になってきた自分にとっくに気付いている。
しかしそれ以外に何が出来る・・・?
ディアヴォロの完全破棄の方法がわからない以上、こうするしか生き残る道は残されていないのだ・・・。
あの初代神子ですら、封印することしか敵わなかったのだから・・・っ!!
このアビスグランドに伝えられている碑文には、ディアヴォロによる脅威・・・その特性や特徴、そしてマナ天秤の秘密が記されていた。
自分はただ・・・先代の王がしてきたように、ただひたすらディアヴォロを監視し続けて、ディアヴォロの覚醒が近づいたら封印を
施すだけ・・・。
しかしディアヴォロには、もうその上書き封印の効力が効かなくなってきている。
所詮アンフィニを持たない自分では、ディアヴォロを誤魔化すことしか出来ない・・・。
あとは・・・、闇の戦士の力を借りて封印を強化するしか道はなかった。
ルイドがどれ位先の未来を見通しているのか、自分にはわからない・・・。
彼の本当の目的も・・・、心も・・・、誰一人としてルイドを本当に理解している者など・・・ただの一人もいないだろう。
奴はただ・・・、たった一人の人間の為だけに・・・その命を捧げているといってもいい。
サイロンから無理矢理問いただして聞いた話・・・、決してルイドはそのことを語ろうとしなかった・・・彼の真実。
「かつて殺した友の為・・・か。
あいつがこの世で最も慕い・・・、最も愛し・・・、そして最も大切だった・・・光の戦士。
この全面戦争の先にある未来も・・・、その手で殺した友が・・・関係しているというのか・・・!?」
そう呟いた時、再び扉から声がした。
「ベアトリーチェ様、サイロン殿と闇の戦士リュート殿がお目見えです。」
ソファに寝そべって、ぼんやりと天井を眺めながら・・・ベアトリーチェは気だるい状態のまま答える。
「よし、・・・入れ。」