第81話 「消えない罪」
市街地から離れた場所・・・、広い土地に整列されたように並ぶ墓石。
オルフェは白百合の花束を片手に芝生を歩いて行く・・・、墓地の入り口にある細い鉄柵でデザインされた門の扉を開けて目的の
場所まで黙って歩き続けた。
この場所へ再びやって来たのは一体何年振りであろうか・・・、そんなことをなんとなく考える。
墓地に来ると色々なことが頭の中を駆け巡る、オルフェ自身は天国や霊界など非科学的なことはあまり信じない方だ。
理論派で科学の虜と言っても過言でないオルフェにとって、目に見えないものは信じないのだが・・・ここに来るとなぜだか信じてみようかと思うような・・・そんな気持ちにとらわれる。
しかしそれは決して楽しい想像から生まれるものではない。
(ここに眠る人間の、一体どれ位の人数が・・・自らこの手にかけた人間なのやら・・・。)
この墓地には、先の大戦で亡くなったレム人だけではなく・・・敵国であるアビス人も葬られている。
休戦条約を交わした時に、アビス人の遺体を祖国へと送ることが出来なかったので、この地に葬ることを龍神族から指示されたのだ。
なぜアビスグランドへと送らなかったか・・・、それは遺体の損傷が激しく・・・どれが誰のものなのかの判別がつかなかったこと、そして殆どは遺体として跡形もなく残らなかったこと・・・それが原因のひとつでもあった。
オルフェ自身は全く信じていないが、死んだ者の魂は遺体が残らなかった場合・・・亡くなった土地に魂が留まるという言い伝えがあったので、アビス人の遺族の望みも空しく・・・アビスの兵士達の魂は祖国へ還ることは叶わず、敵国で眠ることを余儀なくされたのだ。
よってオルフェにとってこの墓地は、決して何度も足を運びたくなるような場所にはならなかった。
犯した罪から逃げる為に避けていたわけではなく、この墓地に眠る人間に歓迎されるようなことはないと理解していたからだ。
そんな考え方をする自分に、らしくない・・・と思いながら歩を進める。
やがて遠くの方に、黒い影を見つける。
喪服に身を包み、墓石の前に佇む一人の女性の姿・・・。
ミラである。
オルフェは彼女の姿を見つけ、足を止めた。
小さく息をついて・・・再び歩き出し、ミラのいる墓石を目指して・・・表情を引き締める。
足音に気づき、ミラが振り向いた。
その表情はいつものように、凛としていた。
きりっとした紫色の瞳、唇をきゅっと引き締めて、軍人として緊張を走らせたような・・・いつもの表情がそこにはあった。
後ろに立っていたのがオルフェだとわかると、ミラは微笑むこともなく軽く会釈した。
「大佐でしたか・・、珍しいですね。」
そう聞くミラの口調は、どこか冷たい。
いつも軍人として冷たく厳しい口調をしているが・・・、今ここにいるミラの口調はそれとは明らかに違っていた。
まるで・・・全く興味のない他人に口を開くような、そんな壁を感じさせるような冷たさがあった。
そんなミラの態度に別に傷つくこともなく、オルフェはいつものように軽く受け流すように努める。
「墓参りに位行けと・・・、殿下に怒られてしまいましてね。」
苦笑しながらそう言って、ミラの正面に冷たく佇む墓石に・・・白百合の花束を供える。
両手を合わせて黙とうし・・・、そしてゆっくりと立ち上がる。
それから両手を後ろに組んだまま、黙って墓石を見つめていた。
その隣でミラも、立ちすくんだまま・・・同じようにじっと墓石を見つめる。
しばしの沈黙の後・・・、ゆっくりとオルフェが口を開いた。
「ずっとここに・・・、グレン少佐のところにいたのですか?」
「はい、午前中に勤務を終えて・・・午後からはずっと・・・、ずっと夫の元にいました。
・・・夫の好きな花、覚えてらしたんですね。・・・ありがとうございます。」
こちらに視線を送らず、ミラはずっとグレンという名の・・・夫の墓石を見つめたままだった。
「先の大戦から・・・、あれからもう9年も経ちましたが・・・ここの時間はまるで止まっているかのようです。
まるでつい昨日のことのように思えます・・・。
最後の戦いの前線で、夫・・・グレンが亡くなって・・・、あの時全てを失ったかのような喪失感が未だに残ったままなのです。
ただやみくもに仕事に打ち込んで・・・、忙しく走り回ることで気を紛らわせているものの・・・一人になると思いだします。
どうしてもこの想いだけは・・・、消えてくれないんです・・・っ!」
そっと瞳を閉じながら、そう語るミラに・・・オルフェはただ黙って聞いていた。
言えるはずもなかった・・・、ただ言えることは・・・この一言だけ。
「憎いですか・・・?・・・この私が。」
いつものような冗談でも、からかってるわけでも、皮肉を言ってるわけでもない・・・、本心からオルフェはミラに問う。
「あの前線を指揮していたのは、この私です。
他の部隊を存続させる為とはいえ・・・私はグレン少佐を見捨てて、戦線離脱を命令しました。
中尉とグレン少佐が婚約していたことも・・・、この前線での戦いが終われば二人が式を挙げることも全て知っていて。」
チャキッ。
オルフェが全てを語り終える前に、ミラは真っ直ぐと銃口をオルフェに向けていた。
その瞳には憎しみに満ちた色を放っており・・・、そしてわずかに潤んでいる。
オルフェは銃口を目の前に突きつけられても、それを受け入れるように眉ひとつ動かさずに向き合った。
「ええ・・・、未だに憎しみは消えない・・・っ!!
割り切ろうとした・・・っ、受け入れようとした・・・っ!!でも・・・っ、この想いだけはどうしても消えてはくれないっ!!
『なぜ』という言葉だけが・・・私を支配する・・・っ!!
なぜっ!?・・・なぜグレンでなければいけなかったのっ!?・・・なぜ、グレンを見捨てたのっ!!?
なぜ私も後を追わせてくれなかったのっ!?・・・なぜお腹の子供と一緒にあの時死なせてくれなかったのっ!?
あなたは私から・・・っ、何もかも奪っていってしまう!!
私の幸せも・・・家族も・・・全てっ!!
なぜ・・・・・・っ、姉さんを殺したの・・・っ?・・・あなたの師匠だったんでしょう?
まだ13歳だったあなたが・・・っ、なぜユリア姉さんを殺したの・・・?」
号泣に近い叫びは次第に消え入りそうな、震えた声となり・・・ミラは泣き崩れてしまった。
墓石の前に座り込んで、銃を下ろし・・・ミラは声を押し殺すようにむせび泣く。
オルフェはミラの前に跪いて、そして優しく彼女の肩に触れる。
「私の罪は一生消えることはありません・・・、多くの命を摘み取ったこの手は真っ赤に染まり・・・穢れている。
今更どんなに謝罪の言葉を並べたてようと、貴女から奪ったものが戻ることはありません・・・。
だから・・・、私は貴女に命を預けた。
貴女の気の済むように・・・、いつでもその銃で撃たれる覚悟は出来ています。
所詮こんな私に出来るような罪滅ぼしの方法なんて、この命で償うことしか出来ない・・・情けないことです。」
オルフェの本心からの言葉に・・・、ミラは聞こえないように小さく呟いた。
「嘘つき・・・。」
そう・・・、オルフェ・・・あなたはどうしてそうなの?
昔からそうね・・・、いつも本当のことを言おうとはしない・・・。
言い逃れしているようだから?・・・それとも言い訳をするのが見苦しいと思っているから?
『なぜ』・・・と、問いただして・・・あなたが答えてくれなくても、私はすでにその答えを知っている。
なぜグレンを見捨てたか・・・、それはあの人がそう望んだから・・・。
あの時、もしあの人が自分をオトリにして敵を引きつけていなければ・・・あの場にいた隊は全て全滅していた。
オルフェ・・・、あなたは自分がオトリになると・・・そう言ったそうね。
でもそれをあの人が許さなかった、このレムグランドにはオルフェの力がまだ必要だったからと・・・。
あの時、グレンをオトリにして撤退させた時・・・あなたは自分をずっと責め続けていた・・・。
グレン一人を見捨てて自分達だけ逃げるという決断をした本人が・・・、一番苦しんだはずなのに。
なのにオルフェはそれを明かさなかった・・・、わざと私に憎まれるように・・・自分だけを悪者にして・・・っ!
私が瀕死の重傷を負った時・・・、お腹には子供がいて・・・母子共に危険な状態だった。
あの時、敵の攻撃で子宮を侵された私に待っているのは・・・子宮を摘出するか、子供と共に死ぬか・・・どちらかしかなかった。
そしてオルフェは迷うことなく・・・、すかさず私を救う決断をした。
オルフェの決断が間違っているとは誰にも言えない。
あの隊の回復魔法医療班はもう私しか残っていなくて、あの場で医術の心得がある者はオルフェただ一人だけだった・・・。
オルフェ自身が執刀して私の子宮を摘出し、そして回復魔法が使える唯一の人間であった私が戦線復帰したことによって、隊はそれ以上の死者が出ることはなかった・・・。
そう・・・オルフェは結果的に間違ったことは何ひとつとして犯していない・・・。
なのに真実を告げずに、私からの憎しみを正面から受け止めて・・・消えない罪に決して背を向けたりしなかった。
だから私は決意したのよ。
あなたのその償いが本物なのかどうか・・・、ずっとこの目で・・・すぐ近くで見ているって。
あなたが間違いを犯さないように、これ以上の罪を重ねないように、あなたが今以上に傷つかないように・・・。
あなたのことを・・・ずっと後ろから銃を構えて狙っているわ、そしてあなたが誰からも殺されないように。
あなたの命を狙いながら・・・、ずっと守ってあげる。
きっと、このままずっとあなたの側に居続ける為には・・・私があなたのことを憎んで・・・命を狙い続けていると思わせていないといけないでしょうから・・・。
「約束よ・・・?
あなたの命は・・・、私がずっと握っていてあげるわ・・・。」
今度はオルフェに聞こえるように、ミラはありったけの憎しみを込めて宣言した。
それを聞いて安心したのか、オルフェは立ちあがり・・・自嘲気味に微笑んだ。
胸ポケットに忍ばせていたハンカチをミラに渡し、オルフェはグレンの墓石にも微笑んで・・・それから街に戻ろうとした。
「私ももう帰ります、もう随分長いこと話しましたから・・・。」
「そうですか、では戻りましょうか。」
振り向いてそう言うと、オルフェはミラと並んで歩きだす。
街に戻るまで二人はこれといった会話をすることはなかった、お互い空気のように・・・ただ寄り添って歩き続ける。
オルフェとミラ・・・、二人は幼い頃からの幼馴染であった。
オルフェが8歳の頃、まだ3歳だったミラを連れて・・・当時19歳だったユリアが町に越してきた。
後にオルフェの師匠となるユリアはレムグランドきっての科学者であり、高位魔術師であり、そして神子の資質を持っていた。
当時天才少年ともてはやされていたオルフェは、そんなユリアを尊敬していた。
自分と同等以上の会話が出来る唯一の大人であり、自分にはまだ難しかった高等魔術を簡単に操り、そして自分にはない資質をたくさん持っていた。
オルフェはユリアの門下に入り、様々な知識を学んだ。
門下には他にもユリアの妹であるミラ、そしてジャックも共に学んでいた。
オルフェはそこで知識以外のこともユリアから教わった。
それは・・・、人としての心だった。
グリム家は中流貴族だが、この町ではかなりの権力者の地位にあった。
しかし両親が事故死してからは、グリム家の屋敷にはまだ幼かったオルフェと、3歳下の妹だけが残される。
親の愛情を全く知らず育ったオルフェは、人としての感情が欠落していた。
日々、趣味のように魔術の研究や実験を繰り返し、その実験体として無害な魔物や動物を殺しても、心は全く何も感じなかった。
ユリアと出会い、オルフェは少しずつ人としての感情を取り戻しつつあった。
ユリア、ミラ、ジャックと共に過ごした日々がオルフェの心を人間らしく導くはずだったが、ユリアの死をきっかけにオルフェは軍に入り・・・そこで再び魔術開発や戦争の人間兵器として生きていく道を選んでしまう。
数多くの命を奪い、罪を背負い、オルフェは軍人として割り切った。
たくさんの遺族に恨まれ、憎まれても、それは当然の報いだと受け入れたオルフェだったが、ただ一人だけ例外があった。
ミラの存在である。
彼女は、自分が最も慕った師匠の妹であり・・・ジャックと同じく幼少の頃から知る数少ない友の一人だ。
オルフェはそんな彼女から、幸せといえるもの全てをことごとく奪ってきた。
勿論それは決して望んだ結果ではない、出来るものなら避けたい出来事だった。
オルフェの望みはただひとつ・・・、ミラが全ての苦しみから解放されること・・・。
しかしそれは自分には不可能なこと、自分は壊すか奪うかしか出来ない人間だった。
そんな自分に出来ることは、ミラの望みを叶えることだけ・・・。
そこに自分の幸せがないことは、勿論承知の上である。
幸せを望む権利などない・・・、自分が幸せを望むものではない・・・。
そう・・・、ただこの世で唯一愛する女性が幸せになってくれれば、それだけでよかった・・・。
いつから抱いた感情なのかは、オルフェ自身にもわかっていない。
恐らくこれが愛なのかどうか・・・それすらも理解出来ていないのかもしれない・・・。
ただ言えることは、自分にまとわりつく多くの女性に心を動かされたことは、ただの一度もなかったこと。
それなのに、ミラの言葉・・・、瞳・・・、唇・・・、髪・・・、その全てにいつもオルフェは抑えられない想いを必死で抑えていた。
これが愛なのかどうか・・・、いつも自問自答し・・・、そしてわずかに否定する。
自分が誰かを愛するなど・・・有り得ないことだ、と。
愛だとしても、それは決して得られる愛ではないことを・・・オルフェ自身が一番良く理解していた。
自分はミラにとって、最も憎むべき存在・・・。
全てを奪った存在なんだと・・・。
そう思うことで、ほんの少しラクになる。
愛を否定することで自分を保っていられる。
愛に気付けば・・・、きっと手に入れたいという欲望に駆られるだろうから。
ないものねだりをするのは、人間の性・・・。
今のオルフェにとって、最も不要なものが・・・愛なのだから。