第78話 「イヤな大人の見本」
レムグランドで最も高級であり、腕の立つシェフによる最高級の料理、そして店内の雰囲気はまさに女性をエスコートするには
この『暗闇の夢』以外に考えられない。
女性は店のレベルに見合うだけの、とびきりのお洒落を思う存分楽しむことが出来る。
貴族なら誰しも一度はここで女性をエスコートし、食事と会話を楽しむものだ。
この日の為にと、とっておきのワインを注文し・・・美しい女性とワインについて語り合う。
この店では、品性、教養、その全てが試される場でもあった。
ワイングラスを片手に、オルフェは微笑みながら向かいに座る女性に話しかける。
「ところで、なぜ私が首都に戻ったのを知っていたのですか?
ここに戻ることは誰にも話していませんから、こうして君と会って食事が出来るなんて思ってもいませんでしたよ。」
オルフェにそう聞かれ、女性はうっとりとした表情で素直に答える。
「実は今この町にとっておきの情報屋が来てるのよ。
その情報屋に聞いたら、大佐が首都に戻られるって聞いて・・・私嬉しくなっちゃって!!」
女性の言葉に、オルフェの手は止まる。
しかし表情には勿論出さない・・・、あくまでポーカーフェイスのまま言葉を続けた。
「情報屋・・・ですか。
あまり危険なことに関わらないでほしいですね、とても心配で夜も眠れなくなりますから・・・。」
「イヤだわ!!いつも大佐の方が寝かせてくれないじゃないのっ!!」
「はは・・・、ところでその情報屋というのはもしかして3人組の・・・明らかに怪しい格好をした連中じゃないですか?」
オルフェの甘い言葉にすっかり頬を赤らめた女性は、話題が情報屋に集中していることにも気付かず聞かれたまま答える。
「ええ・・・、言葉遣いもなんだか変な感じよ?
でも情報だけは完璧だわ、でも・・・大佐が心配だって言うのなら、私もうその人達には近づかなくてよ。」
女性の言葉に偽りの微笑みを浮かべて、オルフェは一口ワインを飲む。
(・・・龍神族の若君達で、まず間違いないようですね。
全く・・・、こちらは一応極秘任務で動いているというのに・・・こう簡単に情報を流されては。
これではプライバシーの侵害にもなりかねません、それよりも極秘任務執行妨害で一度書類送検でもした方がいいかもしれません ね。)
そんな物騒なことを考えながら、口では女性の喜ぶ台詞を並べたて、顔では満面の微笑で女性を骨抜きにしていた。
と、その時店の入口の方から何やら店員とモメているような、そんな怒声がわずかに聞こえてきた。
店内には優雅なバイオリンの生演奏が流れているというのに・・・、その中で口論が聞こえてくると雰囲気が台無しである。
怪訝な表情になりながら、女性は眉をひそめて声を落とす。
「何かしら・・・?イヤだわ・・・下級市民が店に入ろうとして、店員に入店拒否でもされているのかしら?」
女性の言葉に眉ひとつ動かさず、オルフェは微笑みながら口論は無視して女性をなだめた。
「怖がらなくても大丈夫ですよ、私が付いているのですから。」
「えぇ、そうね。
大佐はレムグランドで一番お強い方ですもの・・・、とても頼りになりますわ!」
そう言われても、オルフェの心は全く動かされず適当に愛想笑いを浮かべていた。
(それにしても・・・、今の声には聞き覚えがありますね。
まさかとは思いますが・・・、ジャックが同行しているのだからこのメインストリートに来るとは思えないんですけどねぇ。)
そう心の中で確信したと同時に、向かいに座っている女性が外に目をやるや否や・・・鼓膜が破れそうな位の甲高い絶叫を上げた。
即座に窓の外に目をやると、そこにはよだれをたらしながら恨めしそうな眼差しでガラスにへばりつくアギトの姿があった。
一瞬、オルフェの笑顔がひきつる。
しかしすぐに平静を取り戻して、女性の手を取り店を出る。
勿論食事代を素早く支払い、そのままつかつかと女性を無理矢理引っ張るような形でアギト達の前に現れる。
その瞳は氷の如く冷たく・・・今まで何人かの貴族から冷ややかな視線で一瞥されたが、オルフェの視線の方がそのどれよりも
勝っており、まるで目が合った瞬間に石にでもなってしまうかのような・・・そんな眼差しで見下されていた。
「あ・・・あの、大佐?
この者達は大佐のお知り合いなのですか?」
無理矢理手を引っ張られた為、痛めたように手をさすりながら女性が怪訝な表情で訊ねた。
しかしそれにはオルフェの代わりにアギトが、なぜか答えた。
「オレはオルフェの弟子だよ!!
つーか、なんでこんな所で呑気にデートなんかしてんだよっ!?お前、軍部で仕事してたんじゃなかったのかっ!?」
女性のことはとりあえず無視して、アギトはオルフェに詰め寄った。
しかしオルフェは変わらず冷たい視線のまま、メガネの位置を直しながら溜息交じりに答える。
「そうですよ?早く仕事を終わらせたから・・・、こうして女性と食事をする時間が作れたんです。」
「それじゃ元々・・・、その女性と食事する為に仕事を大急ぎで終わらせたってことなんですか?」
と、リュートが信じられない・・・とでも言いたげな口調で聞いた。
アギトとリュートがこの世界の、一般市民の生活をこの目で見て・・・体感して、経験させる為にオルフェ自身が考案した親睦行動だったはずなのに、オルフェは仕事が忙しいからと・・・そういった理由で自分達は納得して、同行してもらうのを諦めたのに。
オルフェは、自分達のことよりもその女性とのデートを優先したんだ・・・と、呆れてこれ以上モノが言えなかった。
それは勿論ジャックも同じ思いだったのか、頭を片手で支えて困った表情をしている。
しかしザナハにとって、今はそんなことは全く気になっていないようだ。
「そんなことよりもオルフェ!?
どうしてあの店は来客する人間を選別するわけ!?おかしいじゃない!!
お金だってちゃんと払うって言ってるのに・・・、正装していないからなんて、そんな理由ってある!?」
ザナハの言葉に、大体何があったのか把握したオルフェが両手を後ろに組んでゆっくりと答えた。
「ザナハ姫、あの店は一応格式ある高級レストラン・・・という肩書の上で、営業をしているんですよ?
ですから店の雰囲気、質・・・といった様々な要素があの店の持ち味を表していますから、そういった規律があるんです。
確かに初めて来られた場合、戸惑われるのも無理はありません。
しかし、貴族達の間ではとても評判が良く、人気が高いのも事実なんですよ。
郷に入っては郷に従え・・・という言葉を、そのまま体現したような店ですからね。
気分を悪くされたならば、それはあなた方のセンスと店のセンスが合わなかっただけ・・・と思われた方がいい。
あそこは国王陛下の認可の元、ああいった規律が正当化されていますから。」
にべもなくそうハッキリと告げるオルフェに、誰も何も言わなかった。
心の中では、また国王陛下か・・・という言葉が浮かんでいたからだ。
ザナハもそれ以上は何も言わない、自分達は腹が立ったが・・・他の貴族達にとってはあれが普通なんだと・・・そちらのショック
の方が大きかったからかもしれない。
そんな時、ワケもわからず側に立っていた女性が雰囲気を壊されたことにがっかりしていて、拗ねてしまっていた。
「大佐・・・、私もう帰りますわ。
なんだか気分が滅入ってきましたもの・・・、本当ならもっと大佐とお話したかったのですけれど・・・。」
そう言って、ちらちらとアギト達を横目で見ては・・・不自然に視線を逸らしていた。
その態度にアギトは気づいて、口をへの字に曲げている。
自分の彼女が拗ねてしまっているのだから、機嫌を直す為にその場を取り繕うのかと思いきや、オルフェはあっさりと了解した。
「そうですか、申し訳ありませんが私はこれからこの不出来な弟子を連れて、他の店に案内するハメになってしまいました。
ですからここでお別れになってしまいますね、気を付けてお帰り下さい。」
何よりアギト達の方が「えぇっ!?」と驚いていた。
そんなあっさりと!?しかも一人で帰れと!?
当然女性は、オルフェの方がきっと引きとめてくれると思って放った言葉が逆効果を生みだしてしまったことに腹を立てている。
かぁっと顔を真っ赤にして、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
この女性が一体誰で、オルフェとどういった関係なのか・・・アギト達はわからない。
しかし、目の前であんな言葉をこともなげに放ったら・・・、どうなるか位子供のアギト達にでもわかることだった。
それでもオルフェは、全く気にしていない表情で「どうしました?」とでも言いそうなオーラを放っていた。
両手を胸の前で組んで、小刻みに震えながら・・・女性は唇を噛みしめてオルフェに一言だけ告げて去っていく・・・。
「今度また誘ってくださいね・・・っ!?・・・必ずですわよっ!?」
それだけ言って、女性は走って行って・・・アギト達の目の前から消えていった。
「・・・・・・なんでそーーなるのっ!!??」
ジャック以外の全員が、ショックで固まっていた。
普通そこは「大嫌い!」だろうが、と思いながら女性が消えていった方向と・・・オルフェを交互に見つめた。
全く理解出来ない・・・、そんな思いでオルフェを見据えるアギト。
オルフェは3人がショックを受けていることに、不思議そうな目で見つめながら「なんです?」という顔をしている。
「つーか、さっきの人・・・あれでよかったのか?」と、アギト。
「いいんですよ、ああいう手合いの女性は他にもたくさんいますから。
お互いその程度の付き合いというのは承知の上です、本気になられても迷惑なだけですからね。」
「オレ・・・、オルフェのことがちょっと嫌いになったかも。」
「そうですか?
君も女性からイヤという程、付きまとわれたらあの程度の台詞のひとつやふたつ・・・平気で言えるようになりますよ。
まぁ・・・、そんな日は絶対に来ないという確信はありますけどね。」
これ以上オルフェと問答していても疲れるだけだと・・・、アギトは不満そうな表情のままリュートにバトンタッチをする。
「えっと、他のお店を紹介してくれるって言ってましたけど・・・他にも食事出来るお店を知ってるんですか?」
「えぇ、勿論。
では早速行きましょうか、時間が惜しいですからね。」
オルフェのその言葉に、まだ他にも約束をしている女性がいるのか?と思ったが、疲れるので聞くのはやめにしておいた。
とりあえず、アギト達はオルフェに案内されるがまま・・・後ろをついて行く。
歩きながらオルフェが、午前中はどんな経験をしてきたのか・・・などを聞いてきた。
アギト達はもっぱら市民達の間で噂になっている「謎の剣士」について語った。
「黒衣のマントに、二刀流・・・それに仮面、ですか。」
真っ直ぐ前を向いたままそう繰り返し呟くと、何かを考え込んでいるようだが・・・アギト達には読み取れなかった。
そもそもオルフェが何を考えているのか・・・読み取ろうとするのは、不可能に近い。
「確かに本部で見た書類の殆どは、その黒衣の剣士に関する報告書が多数ありました。
貴族に盾突く剣士、そして市民を扇動し・・・いくつか陛下に直訴していますね。」
「でも、市民の間ではヒーロー扱いになっていますよ?
弱い者の味方・・・っていう感じで、商店街にいた人達の殆どはこの剣士に夢中だったみたいです。」
「弱い者の味方・・・ねぇ。」
含みのある口調が気になるところだったが、それよりもお腹の虫が大暴れしている方がもっと気になっているアギトだった。
やがて辿り着いたのは、メインストリートの外れにある・・・少し趣が古い感じのする喫茶店のような所だった。
ドアを開けると、ドアの上部に取り付けてある鐘がカランと鳴り、来客をオーナーに知らせる。
カウンターには30代後半位の女性がいて、笑顔で「いらっしゃい」と迎えてくれた。
街の雰囲気からして、この辺りは貴族が往来するいわゆる「金持ちゾーン」といった場所だが、ここは少々外れに店を構えている
から・・・というわけではないが、店主の接客態度は商店街で見かけた市民達に近い雰囲気を持っていた。
とても愛想が良く、なんとなく・・・さっきのレストランとは違って来客したお客には分け隔てなく接しているという感じだ。
「グリム大佐、久しぶりだね。」
オルフェにそう声を掛けて、カウンターに腰かけた全員に冷たい氷水を出してくれた。
そして手元にあったメニューを差し出して選んでいる間、女店主とオルフェが会話をする。
「聞いたよ?
帰って早々、貴婦人達はこぞって大佐にデートの申込みをして、順番待ちだそうじゃないか。
モテる男はツライだろう。」
「いえいえ、もう慣れましたから。」
オルフェのその回答を聞いた途端、この氷水を頭からぶっかけてやりたい衝動に駆られた・・・が、勿論堪えた。
アギトはぶちぶちと不満をこぼしながら、すぐさま注文する料理を決めた。
リュート、ザナハ、ジャックも・・・よっぽどお腹が空いていたのか、結局は何でもおいしそうに見えて・・・すぐ決めた。
店主に注文すると、メモに書きとめ、それをカウンターの後ろにある厨房の料理人に差し出す。
店内の作りがなんとなく、ホ●弁の店内にカウンターを取り付けたような構造になっている。
ジャックとオルフェがお酒を注文して、両サイドでアルコールの匂いがぷ〜んと香った。
「ねぇねぇ、この辺りで謎の剣士とか登場したりした?」
突然アギトがそんなことを聞きだす。
女店主は最初「え?」となって、やがて思い出したかのように笑顔になって答える。
「そりゃもしかして、レイさんのことかい!?
黒衣のマントに仮面を付けて・・・、正義の味方をしている剣士だろ!?」
「そうそう、それ!!・・・・・って、え?・・・レイさん?」
うんうんと大きく頷くが、途中で何やらおかしい空気に気付いて思考が停止する。
「うちの店によく来るよ?
昨日おとついからは来てないけどね、前は殆ど毎日のように顔を出していたよ・・・って言っても仮面姿のままだけどさ。」
「・・・え?よく来る・・・って、何?
ここに食事しに来るってこと?・・・謎の剣士が?・・・正義の味方が?・・・仮面姿のままで?」
アギト達の顔がひきつる、想像していた剣士と・・・段々かけ離れていくような不安に襲われる。
本来ならば・・・「謎の剣士」と呼ばれる位だから、その正体は全て謎に包まれていて・・・神出鬼没、一匹狼で誰とも慣れ合わないクールな硬派・・・というのが、今までアギト達が持っていたイメージだった。
これ以上聞きたいような、聞きたくないような・・・そんな究極の選択に迫られているような気分になってきた。