第55話 「ニアドルチェスカ・ヴィオセラス」
ザナハは早速ミラを探しに、研究室へと急いだ。
この研究室では主にオルフェが使用しており、魔法薬の生成や身体検査などを行なったり、診察をしたりする為の施設だった。
5〜6人程の研究員が常に何かをしている・・・。
ザナハはこの研究室にそれ程興味がなかったので、実際何をしているのかはわかっていなかった。
ただ、具合が悪くなったり薬を処方してほしい時は皆ここへ訪れる為、研究室というよりも病院に近かった。
元は首都にある魔法科学研究機関「ヴィオセラス」の一部が、光の神子の旅の援助をする為にこの洋館に異動したものだった。
ヴィオセラスとは、魔法による新術開発を始め、様々な研究が一手に行なわれている大規模な施設だ。
この機関を立ち上げたのは、あの魔術の天才ディオルフェイサ・グリム・・・本人である。
彼がまだ成人したばかりの頃にこの機関を設立して、数々の功績を残した。
今では多くの魔術師や科学者が、研究・出世を目指す為の登竜門のような形になっていた。
このヴィオセラスの出身というだけで、多くの魔術師、研究者達が宮廷魔術師に推薦されたり、昇格したりしている。
勿論ザナハはぼんやりとそんなことを聞いたことがあったような気はしているが、具体的にはよくわかっていない。
とりあえず、色んな魔術や魔法薬を開発する所なんだろう・・・という程度だった。
ようやく研究室に到着したザナハは、規定通りにノックする。
この研究室だけは特殊なルールがいくつかあった。
中でどんな研究や実験がされているのかわからない為、安全の為に一度中から返事があるまでノックしたら待たなければいけない。
そして、しばらくしてミラの声がした。
入ってもいいらしい。
ザナハは扉をゆっくり開けて、中を覗き込む。
中からは消毒薬の匂いのようなものがして、なんとなくいい香りがした。
しかし棚にある物体は、何の臓器かわからないが・・・色々なものがホルマリン漬けにされていた。
それに見たことのない薬品がたくさん並んでいて、ラベルに書いてある文字を見ても・・・何の薬品か全くわからなかった。
机には様々な実験器具が置かれていて、関係者以外が手を触れたらいけないことになっていた。
どこにも触れないように、ミラがいると思われる診察室へと歩を進めた。
白いカーテンで塞がっていた診察室、しゃっとめくるとそこには・・・まっ白いシーツが敷いてあるベッドに座って
ドルチェが診察を受けていた。
いつも着ているゴスロリ衣装を脱いで、上半身をミラに診てもらっていたらしい。
首から聴診器を付けたミラがザナハに気が付き、白衣のまま笑顔を見せた。
「姫、どうかされましたか?」
いつもの様子でそう声をかけるミラに、ザナハはドルチェの状態に少なからず不安を感じていた。
「ドルチェどうしたの?どこか体の調子が悪いの?」
そう言って、ドルチェに駆け寄る。
「大丈夫、いつもの診察。」
ドルチェは一言そう言って、ベッドから下りると横の籠に入れてた服を着た。
「いつも・・・って!?」
ザナハはちらりとミラを見た。
ミラはしばらく背中を向けたまま、何かを考えているように見えた。
やがてすぐにザナハに向き直り、いつもの笑顔で・・・受け答えた。
「ドルチェは元々体が弱くて・・・、以前から定期的に診察をしているんですよ。」
ザナハは眉根を寄せて、ミラ・・・そしてドルチェに目を滑らせる。
「そう・・・、とりあえず・・・大丈夫なのね?・・・・・・本当に?」
確認するようにザナハが聞く。
服を着終わったドルチェがザナハの前に立ち、見上げる。
「心配いらない、いつものことだから。」
それだけ言って・・・、ドルチェは何もなかったかのように診察室から出て行った。
ミラはカルテのようなものに何かをサラサラと書き込んで、もうここに用はないのか・・・片づけ出した。
「姫、何かご用がおありなのでしょう?」
そう言って、白衣を着たままザナハに聞いた。
「え?・・・あぁ、ミラに修行をつけてもらいたくて来たんだけど・・・、今って大丈夫?」
「今すぐですか?
・・・私は大歓迎ですけど、一体どうされたのですか。」
「ほら、水の精霊と契約を交わしてから特に何もしてないじゃない。
もっと魔法技術を高めたいし、回復系の魔法ももっとたくさん習得しておかなくちゃ・・・イフリートとの契約に絶対に
必要になってくるし・・・、そう思っただけよ。」
少し照れくさそうに視線を逸らしながら、ザナハはミラに願い出た。
きょとんとした表情になったがまたすぐに気を取り直して、ミラがカルテを留めたボードで肩を叩くような仕草をした。
「禊が終わって、もうだいぶ体調の方も回復しましたからね。
そろそろ訓練を再開してもいい頃合いでしょう。」
その返事を聞けてザナハは微笑む、しかしミラはからかうように一言多く話しかけた。
「さてはアギト君やリュート君のレベルアップに、少々焦っていますね?
リュート君はあのジャック先輩の元で修行するから、自分の身を自分で守れる位の成長が期待できますね・・・。
特にアギト君に至っては、あの大佐の元で・・・しかも龍玉という裏ワザを使って修行するんですから。
うかうかしては、いられませんよね?」
にっこりと微笑むが、この一言が更にザナハのやる気に火を付けた。
「あんなやつに負けてなんかいられないわっ!!」
両手で正拳突きをするような仕草をして、ザナハはこれ以上待てないと言うようにミラを急かした。
研究室を出て、ドルチェは自室へと帰った。
アギトも、リュートも、恐らくあの様子ではザナハも今から厳しい訓練をするはずだ。
自分もこの先に控える戦いの為に、戦力を上げる必要がある・・・ドルチェはそう思っていた。
ドルチェの師はオルフェだ、しかしそのオルフェもしばらくの間はアギトにつきっきりとなるだろう。
その間は自分一人で戦力を上げる為に、武器を更に強化していく必要がある。
自室に辿り着き、部屋に一人こもったドルチェはタンスの引き出しから裁縫道具一式、様々な生地などを取り出した。
ドルチェの武器はぬいぐるみ・・・。
傀儡師は人形に自分の魔力の糸をたぐわせて、操り、様々な攻撃や魔法を行使する特殊な戦法を得意とする。
勿論その人形を操る為のマナのコントロールも、より精密に操作する技術力が必要となるが、ドルチェはマナ指数がそれ程
高くはない。
今はその技術力を高めるよりも、戦闘手段を増やすことに重点を置いた。
ぬいぐるみの強化、そして種類を増やすこと。
今ドルチェが所有するぬいぐるみは、全部で3体。
一体目は、くまのぬいぐるみ。ベア・ブックという名前で物理攻撃専門の接近戦主体であり、近接戦闘タイプ。
二体目は、かえるのぬいぐるみ。ケロリンという名前で蘇生魔法専門の、水属性を一時的に付加させることが出来る特殊タイプ。
三体目は、ねこのぬいぐるみ。ケット・シーという名前で、回復・補助魔法専門の、支援タイプ。
ドルチェは戦闘に必要と思われる手法や手段など、様々な状況をイメージして・・・そして作り上げる。
今までのぬいぐるみは、全てドルチェの魔力を込めながら作られた・・・自作のぬいぐるみだった。
仲間の戦力がアップすれば、自分もそれに合わせて強くなる必要がある。
そうしなければ・・・、必要のないただの人形のままで終わってしまう。
(・・・ダメっ!
雑念が入ってしまうと、ぬいぐるみに影響が出る・・・。)
ドルチェは手を止めて、イスに腰かけた。
そしてぼんやりと室内を眺める・・・。
壁紙は花柄で、落ち付きのある色で統一されている。
家具も、イスも、テーブルも、ベッドも、ドレッサーも・・・、全て少女が好むような可愛らしいデザインで統一されていた。
ドルチェの好みではない、全てオルフェが手配してレイアウトしたものだった。
まるで自分の娘に部屋を与えるように・・・。
ドルチェは、戦力アップとは全く違うことに思いを巡らせていた。
(あたしが生まれてからずっと・・・、あたしの側には大佐がいた。中尉がいた。
大佐の役に立つ為に、あたしはもっと強くならなければいけない・・・。
それが自分の存在意義・・・、生きる目的・・・、それが自分の価値だから・・・!)
そう心の中で呟いて、おもむろに・・・両手の平を広げて・・・見つめる。
小さな手、ドルチェは外見上・・・およそ10歳位の年齢の少女に見える。
キレ長だが大きな瞳、長いまつ毛、小さくつぐんだ唇、まっ白い肌に・・・どうしても目立ってしまう大きな額。
サラリと腰まで伸びた金髪、小柄な身体、・・・どう見ても10歳の少女の姿だった。
「大佐の役に立てなければ・・・、あたしはただの人形で終わってしまう・・・。
永遠に・・・、成り変わることは不可能・・・。
あたしはただの・・・フィアナの代わりでしかない・・・、代わりで居続ける為に・・・強くなる・・・っ!」
ドルチェは自分にそう言い聞かせ、そしてまた作業を続けた。
雑念はない・・・、ドルチェは自分の望みの為に・・・針を進めた。