第3話 「廃工場」
アギトと友達になって、一緒につるむようになって、リュートの周囲が少し変化した気がした。
まずひとつは以前みたいにリュートのことをあからさまに侮蔑する視線が減った。
アギトがいつも冗談や面白い話題を振ってきて、それに応えてリュートが笑顔を見せるようになったからかもしれない。
でも実際にはその殆どが、リュートに冷たい視線を送った連中には、まずかなりの確率でアギトの制裁が下っていただけだった。
自分に素直なアギト。
回りの視線を気にしないアギト(死語になるかもしれないがKY……と言うかもしれない)
喧嘩っ早いアギト、そして絶対的な自信を持つアギト。
そのどれもが、リュートにはないものだった。
そんなアギトと一緒にいることで、リュート自身を始めとして……周囲が変わってきたのである。
それはとてもいい兆しだった。
しかし他のクラスメイトとは別に、ガキ大将のグループだけは相変わらずだった。
常にリュートとアギトを煙たがり、隙あらば絡んでくる。
その度にアギトのズルやリュートの機転などで何とか大事に至ることはなかったが……。
たまに一触即発になることもあったが、その時は傍観者の中の一人が教師を連れてきたりした。
これも以前だったら考えられなかったことだ。
最近ではさすがに表だってガキ大将達の目の前でリュートやアギトと仲良くすることはなかったが、ガキ大将達の目の届かないところだったら、たまにさりげなく話しかけてくるようになっていた。
自分が変わることで回りも変わったのだろうか?
母親がよく『笑う門には福来たる』って言って励ましてくれていたが、こういうことなのだろうか?
それよりも今のリュートが難しく、深く考えたりしなくなった……という気持ちの変化の方が大きいかもしれない。
アギトを見てたら回りの視線や態度を深く勘ぐったり、相手の腹の中を探ったりする自分がバカらしくなってくる。
アギト相手だったらなおさらだ、裏なんてないといってもいい位にまっすぐだったから。
このまま、もっともっと自分をとりまく環境が良い方向へ行けたら……。
いや、それは贅沢かもしれない。
アギトが自分を変えてくれたのだから、アギトさえいてくれたら……リュートはそれで十分なのだから。
金曜の夕方、明日は休み……。
二人は学校帰りにコンビニに寄って弁当を買うと(リュートはこれで一か月分のおこずかいがなくなった)、そのままアギトのマンションで弁当を食べながらしゃべったり、テレビを見たり、ゲームをしたりして時間をすっかり忘れてしまっていた。
夜八時過ぎ、さすがに親が心配する時間帯だ。
リュートはアギトの家で電話を借りて、今から帰ると告げる。
迎えに行くと言っていたが、途中まで二人で行くから大丈夫だと言ってそのまま電話を切った。
アギトのマンションの周辺は二十四時間営業の店がたくさんあったし、防犯対策のために街灯が多めに設置してあって夜でもかなり明るく感じられたから、『自分は大丈夫だから遠慮はするな』と言って、アギトは途中まで送ると言ってくれたのだ。
アギトの家からリュートの家まで、大体半分位まで歩いていた時……最悪な光景を目にした。
目の前にあったゲームセンターからガキ大将のグループがゾロゾロと出てきたのである。
彼らも明日は休みとあって、夜遊びを満喫していたようだ。
しかもグループの中にはガキ大将の兄貴で、この辺りじゃフダ付きのワルとまで言われている中学生の不良グループも一緒だった。
リュートとアギトは全く同時に、「げっ!」と声を上げる。
ガキ大将達からは周囲の喧騒で聞こえないはずなのに、まるでハッキリと聞き取ったかのようなタイミングでこちらを見る。
それまで下品な笑顔を見せていたガキ大将の顔色がみるみる変わっていった。
あたかも、身内を惨殺した犯人を見つけた時の親のように……。
「兄貴、あいつだ!! いつも言ってただろ!! 生意気で調子に乗ってるヤツがいるって!! あの二人だよ!!」
びしぃっと二人に向かって指をさす。
すると五~六人はいようか、その全員が一斉に二人を睨みつける。
さすがのアギトも後ずさりする、無理もないだろう。
相手はガキ大将達だけでなく自分より年上の中学生、しかもかなりワルそうで強そうなのが三人はいた。
こんな所でアイツらに捕まったら、命の保証はどこにもない……。
二人ともとっさにそう判断して……二人の息はピッタリと合い、ぐるっとまわれ右をして猛ダッシュした。
「あっ、コラ待ちやがれぇっ!!」
うおおっと唸り声をあげて、全員がアギト達めがけてすごい勢いで追いかけてくる。
フェイントをかけるように信号のタイミングを見計らって駆け込んだり、とっさに急カーブで右へ曲がったり左へ曲がったり、なんとか人混みに紛れようとしたり。とにかく色々な手を使った。
……が、さすがに何度もこの方法を取り続けてしまったせいか、それ程時間を稼ぐことも出来ずにガキ大将達はアギト達の姿を見逃すことなくビッタリと後を追いかけてくる。
息を荒く切らしながらも、それでも何とか一定の距離を保ちつつ逃げ回る二人。
連中を撒く為に周囲をしっかり確認することなくあちこち角を曲がったり適当に走り回ってしまったせいか、いつの間にか人混みがなくなってきていて、気が付いた時にはもう遅かった。
辺りを見回すと人も車もめっきり少なくなっており、静まり返った工場地帯へと出てきてしまっていた。
ぜぇぜぇと後ろを気にしながらアギトは、キョロキョロと逃げられる場所を探す。
体力に自信のないリュートは息を整えるので精一杯だった。
そうしてる間にも静まり返ったこの場所では、大勢の駆ける足音が少し離れた場所からだんだんとこちらへ近づいてきているのがわかる。
……このままでは追いつめられる!
いい策が思いつかないアギトは、ある廃工場に目をやった。
工場建設途中で資金繰りが難しくなり、そのまま建設中止となった……中途半端に鉄筋が組み込まれたままの工場。無防備といっていい程に回りはただのブルーシートが張られただけで、めくれば簡単に入り込むことができそうだった。
他の工場は運営されてる為に、どうしても門が閉まっていたり、警備が厳重だったので入り込んで隠れる場所を探すのは困難に思えた。
アギトはダメだとわかっていても、これ以上再びマラソンを始める体力が残っていないことは重々承知していたので、リュートも巻き込む形で無理矢理ブルーシートをくぐらせると廃工場内に入って行った。
足音がだんだんと近付いてくる。
アギトはどこか隠れられる場所がないか見回したが、どれも簡単に見つかりそうな感じだった。
仕方なく二人は廃工場の中にどんどん入って行って、まるで何かに導かれるかのようにどんどん突き進み、むきだしの階段を音をたてないようにゆっくりと静かにのぼっていった。
三階位まで登ったあたりでアギトはリュートに向かって「しゃがめ!」と小声で告げると、驚いてササッと腰を低くかがめて、ほふく前進のような体勢になった。
這いまわるゴキブリのようにカサカサと床の端っこまで這っていき、壁も何もない途切れた鉄筋の陰からそーっと下を見下ろす。
ブルーシートの前で不良グループ達がアギト達を探している光景が見えた。
どうかこのまま廃工場に入ったことがバレませんように……と、心の中で呟くが天に届くことはなかった。
「おい、これ見ろよ!!」と、中学生の一人がアギト達が中に入って行った場所をピンポイントで知らせる。
簡単に入れるブルーシートでも、一応はピンッと張られていた。
そのせいもあって下から無理矢理くぐっていった為、手や足でもがいた形跡が地面にくっきりと残されていたのである。
「こいつら中に入っていきやがったな」
グループの誰かがそう言うと、全員してどんどん中へと入っていった!
「ヤバイ、まずいよ……どうするアギト?」
「わっかんねぇよ! とにかくアイツらが上まで上がってきたらオレ達も上がるしかねぇだろ! ここ、鉄筋が組まれてあっても殆ど壁も何もない、むき出しの状態なんだし……っ!!」
オロオロしながらもアギトはそう言って、リュートと二人で下の物音を気にしながら、そして下から自分達の姿が見られないように、十分気を配りながら更に上へと上がって行った。
がしゃんっ!
暗くて視界が悪く見えにくかったせいで、鉄筋の棒が足元に転がっていることに気付かなった。
アギトはその棒を思い切り蹴り飛ばしてしまった。
「……っ!!」
二人の心臓が口から飛び出してしまいそうな位、心臓がドキンっと大きく跳ね上がったのを感じた。
歯を食いしばる程の緊張が走り、血の気がサーッと引いて行き、冷や汗がドッと流れ落ちる。
そしてゆっくりと、すぐ横の真下に隙間があり、そこから更に階下へと目を走らせる。
バチ……ッ! と見事に連中と目が合ってしまった。
「やっぱいたぞ、あそこだ!!」
全員が初めて会った時と同じような目つきでこちらに狙いを定めて、もはやお互い迷いも躊躇もなくどんどん上へと目指して駆けあがって行った。
見つかった……っ、見つかった……!
どうしよう……っ、どうしよう……!
頭の中は酸素が足りないせいだけではなく、パニックに近い状態にまで達しており、考えがうまくまとまらなかった。
リュートももはや限界で、いつもの冷静な判断ができなくなっていた。
ただひたすらアイツらに追いつかれないように、ただただ階段を駆け上がって行くしか術はなかった。
そして建設中断の工場の最上階にあっという間にたどりついてしまった。
息を切らす二人。
下も気になるが、回りを見渡す。
何もない……。
隠れられそうな大きな柱も、荷物などを積んだ物陰も、何もなかった。
ただ周囲を一回り……夜空の光景だけが、自分達の回りを取り囲んでハッキリと見えるだけだった。
もうこれ以上は逃げ場なんてない……。
ここで相手とまみえるしか残された道はなかった。
ようやくガキ大将含む不良グループが階段を上りきって、アギト達の前に姿を現す。
全員走り回って相当疲れているのか、その表情には怒りや憎しみ以上に疲労の方が割合を占めていた。
「手間ぁかけさせやがって……っ、覚悟はできてんだろうな!?」
ガキ大将とそっくりな顔立ちの中学生が、息を荒らげながら怒声を利かせる。
じりじりと近づいてくる連中との距離を出来るだけ離そうと、アギト達も後ずさりしていく。
大ピンチ……、その言葉しかこの状況に合う言葉はない……にも関わらずアギトは強気な笑顔を見せる。
もはや策なんてものはない、ケンカしても勝てない、逃げ場はない、勿論……握り拳大の石だってどこにもない。
それでもアギトは絶対に屈しなかった。
無謀を超えた勇気というものがあるのだろうか?
「アンタらもご苦労なこったなぁ。こんなガキ二人を散々追っかけ回して、わざわざこんな場所までやって来て……。何、そんなヒマなワケ?」
かばってくれてるのかどうかはわからないが、アギトはリュートを背に隠し、自分が盾となった。
「その口の利き方をやめろっつってんだよ!! 生意気だって言ってんだろうが!! 何なんだよお前は……っ、青い髪してるクセしやがって……何でそんなに堂々としてられるんだよ!? 今だってお前に万に一つも勝ち目なんかねぇってのに、何なんだよその自信はっ!? そういう所が腹立つって言ってんじゃねぇか!!!」
ガキ大将が目を血走らせて叫んだ。
この血圧の上昇は危険だ、また前みたいにブチ切れて突進してくる恐れだってある。
もし今ガキ大将が突っ込んできたら……、タックルでもしてきたら……、勿論楽勝で避けてやれる。
しかしアギト達の後ろはもう何もない……、鉄筋の一番端っこまで追い詰められていた。
タックルを避けたらガキ大将はそのまま下へ落ちていくだろう。
しかし避けなかったら三人そろって仲良く真っ逆さまに落ちて行くのは明白だった。
「まぁまぁとにかく落ち着けって、な? オレ達が何したかわかんねぇけど、青い髪してるだけでそんなキレることもねぇだろ? ホラ、そこのお兄さんなんかキンキンの金髪してんじゃん!! でも仲間なんだろ? オレ達が生意気だっつーんなら、謝るよ。大人しくするから、ここは一つ穏便に……な?」
両手を前にブンブンと振って、ガキ大将をなだめようと……アギトは完全な嘘をついた。
そう言ったがしかし、タックルの準備万端なガキ大将が無意識にじりじり近づいてくる様子を見て、アギトは思わず一定の距離を保とうと後ろへ下がった。
「アギト……だめ……っ、危な……っ!!」
――が、遅かった。
アギトに押されたリュートが足を踏み外して、背中から後ろへふわーっと倒れこんでいく。
さっきまですぐ後ろにあったリュートの気配が、背中から離れていくのを瞬時に感じ取ったアギトは目の瞳孔が開く。目を見開いて、目の前のリュートがスローモーションのようにゆっくりと下へ落ちていくのが目に映った。
すぐさまアギトは思考よりも先に体が動き、リュートの後を追った。
後ろの方から「やめろ」とか聞こえたような気がしたが、アギトの耳には全く届いていなかった。
いや、届いていたとしても……きっと後を追っただろう。
すぐに後を追えたおかげで、落ちていくリュートにすぐ手が届いた。
アギトは無意識に利き腕である右手を、同じようにリュートも利き腕の左手をお互いに差しのべた。
手と手がしっかりと握り合う。
そしてしっかりと掴む。
掴んだはいいが、二人とも真っ逆さまに落ちていくことに変わりはなかった。
突如、握り合った手から光が放たれる。
真っ白い光が……。
眩しい光に二人は目を眇めた、自分達の光ってる右手と左手を……。
「な……んだ、これ?」
返事はできなかった。
光が増したかと思うと自分達を中心にまるで竜巻が発生したかのような強風が渦を巻き、その光と風が二人を包みこむ。
風の勢いでお互いが引き離されそうだったが、お互い必死で離すまいと、より力強く握り合った。
そうしてその光が二人を完全に包みこむと、次第に光は収束していき……光と風が小さくなる。
小さくなって、どんどん小さくなって、あとには何も残らなかった。
光も、風も、アギトも、リュートも……。
ガキ大将達は自分達が見たものがなんなのかワケがわからず、アギト達が落ちて行った場所へ走り寄り下を見下ろした。
やはり何もない。
二人が地面に落ちた形跡すら跡形もなく、何も残っていなかった。
そこにいた全員がまるで夢でも見ていたかのように、呆然と立ち尽くし、そして恐ろしくなって悲鳴を上げて、皆……散り散りになって廃工場から走って逃げて行ってしまった。
さわさわと風がくすぐったい。
新緑の香りが鼻を優しく刺激して、あまりの心地よさにもう少し寝ていたくなる。
でも何だか変だ、頭や背中の辺りがごつごつとしてて、寝返りを打つと痛かった。
枕は……? 布団は……? それどころか、なんだか土臭い……。
途端アギトは、がばっと飛び起きた。
カッと目を見開いて、きょろきょろと回りを見渡す。
どこもかしこも木、木、木……。
まず回りは木だらけだった、まるで森のように。
上を見ると、夜空にたくさん星が輝いていて満月が見える。天井は? つか、なんで外?
下を見ると、雑草がたくさん生えている……花もある。地面に寝そべっていた? なんで!?
横を見ると、リュートがこれまた気持ちよさそうに、ごにょごにょと寝言を言って呑気に寝ていた。
(あれ? ここ、どこだ? なんでオレ達森ん中で寝てるんだ? 夏休みのキャンプには早ぇだろ。てか今夏じゃねぇし……)
一生懸命考える。
(オレ達、今まで何してたっけ? リュートと一緒にオレん家で晩飯食ってダベって、帰りに送るって言って……そんで……)
やがて思い出す。
「そうだ、確かオレ達、ガキ大将共に追っかけられて廃工場に逃げ込んで、それで屋上で……」
――落ちた。
記憶を取り戻した。
そして再び落ち着いて考える。
……腑に落ちないからだ。
「んでなんで森なんだ? 廃工場から落ちたのに、いくら暗かったからって廃工場の中に森なんてなかったし! いやそれどころか、なんで落ちて平気なんだ!? いや、それこそどうでもいいか。まずここがどこかってのが重要かっ!??」
パニックになってうまく考えがまとまらない、とにかく今起きている状況があまりにメチャクチャ過ぎるからだ。
「う~ん……、だから寿命がどうしたって……?」
リュートが奇妙な寝言を呟いて、アギトがブチィッとキレる。
「お前はいい加減起きろぉっ!」
思いきりリュートの体を横に向かってローリングさせると、ゴロゴロと勢いよく転がって行き木にぶつかる。
「いだぁっ!!」
情けない悲鳴がこだまする。
しかしそのおかげでリュートが目を覚ますと、アギトに向かって文句をたれる。
「もう!! いきなり何するのさアギト!! 起こしてくれるのはいいけど、もっとソフトにしてくれたっていいじゃないか!!」
ずかずかと周囲を見渡すこともせず、まっすぐにアギトだけを見て向かってくる。
それを半目で苦笑しながら、アギトはがっくりと肩を落としてリュートに告げる。
「いいよな~お前は、いつもノンキで。てゆうかお前はこの状況を見て何とも思わねぇのか?」
「え?」と言って、リュートはようやくアギト以外のものを視界に入れる。
「……え?」
まずは回りにたくさん生えている木々から……。
「……えぇ?」
そして地面、夜空、アギト、と順番に目をやっていく。
「どこ、ここ?」
「こっちが聞きたいわぁーっ!!」
大声で怒鳴りつけるアギトに、リュートは「うわっ」と身を縮める。
すると、かなり遠くの方からガチャガチャと何かの物音が近づいてくるのが聞こえた。
月明かりがあるとはいっても森の中、その物音がする方向から明かりが見えるのがわかる。
「あっ、明かりだ!! ちゃんと人がいるじゃないか」
そう言ってリュートは、明かりがする方に向かって「おーい」と手を振ろうとした。
「バッカ、隠れんだよ!!」
リュートの後頭部を小突きあげると、アギトはリュートの頭をわしづかみにしてそのまま草陰に身を潜めた。
「なに? アギ……」
「しぃっ!! ちっと黙れ!! いいか、物音ひとつ声ひとつ立てんじゃねぇぞ? いいな!?」
そう言うと、アギトは人差し指を立てて口元に持っていき「静かにしろ」とジェスチャーをした。
ワケがわからず、とにかくリュートはアギトの言う通りに、気が済むようにしようと従った。
しばらくすると、人影らしきものが近づいてくる。
その人影は森の中で、しかも木々が開けていない場所だということもあり、どうしても暗闇に閉ざされてしまうので視界を良くするために明かりを手に持っていた。
しかしその明かりは懐中電灯とか、そういったものではない。
今ではあまり見かけることのない、古風なランプだった。
しかしランプの中で灯火を放つものは燭台に灯された火ではなく、ランプの中の中心に小さな炎だけがメラメラと燃えているだけだった。
ランプもそうだが、そんなことよりももっと理解しがたいものをアギト達は目の当たりにしていた。
ランプを持って現れた人物、二名のその格好だった。
二人とも同じ格好をしているところから見て、恐らくこれは『制服』だろう。
全身に鉄製の兜や鎧を装着しており、腰には剣を収めた鞘を下げていた。
ガチャガチャと音を立てていたのは、この鎧が動いた時に出していたものだったのだ。
二人は硬直した。
普通の人ならばアトラクションでのコスチュームとか変装とか、現実的に思いつくものはいくらでもある。
しかしアギト達は、それらが全て『本物』だと感じた。
鈍く光る鉄の鎧、日常では見たことのないランプ、それに腰の剣に目が離せなかった。
彼らが何かを(おそらくアギト達を)探しながら、しゃべる。
「さっきの光と、人の声らしきものはこの辺りからしたと思ったんだが……」
「気のせいか……?」
しばらく辺りを見渡して何もないと思ったか、彼らはいずこかへと歩いて行ってしまった。
もうガチャガチャという音は聞こえなくなったが、二人は念のためか……それとも硬直して動けないのか、まだしばらくは草陰に隠れたまま、ひそひそとしゃべりだした。
「ね、ねぇアギト。あれって、兵士とか、軍人とかいうやつじゃない?」
恐る恐るリュートが尋ね、更に続ける。
「しかもあの鎧とか剣とか、あれいつもアギトがやるゲームに出てくるようなやつじゃなかった?」
しかしアギトは何も語らない。
「ねぇってば、あれって本物だよね? 今の会話からいって、あれ完全に僕たちが騒いでたのを聞きつけて、探しに来たって感じじゃない??」
それでもアギトは何も語らない、乗ってこない。
「……アギト?」
不審に思ってリュートがアギトを揺さぶる。
そうしてようやくアギトが口を開いた。
聞きたくないような内容を。
「ここは……、異世界だっ!!」
「は?」
「だから異世界なんだって!! お前も見たろ? あの鎧! あの剣! あのランプ! どう見ても現実のものじゃねぇよっ!」
興奮するアギトに、リュートが冷静に訂正する。
「いや、現実に作ろうと思えばあるでしょ。てゆうか普通に日本語しゃべってたじゃないか」
「それは異世界によくある翻訳機能というのが働いてたんだよ!!」
「そんなの僕たち持ってないじゃんか」
「だから、あいつらが持ってたんだよ!!」
どうにかこじつけようとするアギトに、リュートは少々呆れてきた。
「お前も覚えてるだろ? あの時の光!! あの光がオレ達を異世界へと瞬間移動させたんだよ!! それしか考えらんねぇって!! それとも何か? お前、あの廃工場の屋上の、あの高さから落ちて助かった理由が他に思いつくのかよ? そもそも廃工場から落ちていって、気がつけば森……って、現実にあり得んのか?」
今度はアギトがリュートを攻め立てる。
「それは……っ」
さすがのリュートもそこまで言われたら、説明のしようもなかった。
説明のしようもなかったので、とりあえず今の現状をどうするかの話題に切り換えることにする。
「じゃあここが異世界だとしようよ、言っとくけど僕は認めたワケじゃないけどさ。これからどうするのさ? あの光だってどうやって起こしたのかわからないのに、どうやって家に帰るつもりなんだよ!?」
リュートの疑問にアギトはあっさりと笑顔で答えた。
「別にそう慌てて帰ることもないだろー!! 異世界っていえばオレ達の世界と、時間の流れが違うのが定石だろ?」
「……だろ? って言われても、僕にはそういった知識全然ないんですけど……」
ゲームマニアのスイッチが入ったアギトは、リュートでさえも止めるのが困難だった。
「とにかく!! 異世界ってのはな、オレ達の世界に比べたらものすごく都合がいいように出来てんだよ!! 例えば今さっき言った時間だな。オレ達の世界での一日が、この異世界では一秒とか……とにかくそういう単位になってるもんなんだよ! だからそんなに慌てて帰る方法を探そうとしなくたって、向こうに差し支えは全くないって」
自信満々にゲームの世界での話をするアギトに、何の根拠もないことには触れずにいて……リュートはこれからどうしたらいいのかを、一応聞いてみた。
残念だが、こういった現実にない出来事への適応能力がリュートに備わっていないのは事実だし、仮にアギトの言う通りここが異世界だとしたら、なおのことアギトの知識に頼らざるを得ないからだ。
「じゃあもう時間のことは気にしないでいいとして、これから僕達どこへ行けばいいと思うのさ? ここは森の中みたいだし。あ、さっきの人達は? 向こうも僕たちのことを探してたみたいなんだしさ。助けを求めてみたらどうだろう? まさかいきなりあの剣で僕たちを殺す、なんてないと思うけど……」
そう提案するも、あっさりアギトに却下される。
「ダメだ!! 敵か味方かまだわかんねぇのに、むやみに助けを求めるモンじゃねぇよ!! 村人とかならともかく、相手は武器持ってたんだぞ? 兵士がこの辺ウロウロしてるっていったら、誰か敵がいて……それを探してる最中かもしんねぇじゃねぇか。ヘタすりゃオレ達がその敵にされて、無実の罪で殺される恐れだってある!! この世界ではな、敵味方の区別はハッキリさせないといけないんだぜ!!」
……ようするに自分達の力でこの森を出なくてはいけない、という意味だろうか?
それこそ無謀で死にに行くようなものではないか? とリュートは思った。
別に彼らが『敵』を探している最中とも限らないし、もしかしたら助けてくれるかもしれないのに。
アギトは少し興奮し過ぎていて、疑心暗鬼になり過ぎてるんじゃないだろうか、とリュートは思った。
「でも、ここ森だよ? 僕もアギトも森の脱出の仕方なんて知らないじゃんか」
「……ん~。そうだ、川だよ!!」
「川?」
「川を下っていけば海に出るとか、川沿いに村があったりとか。川のずっと先まで森が続くワケがないんだから、川を見つけて下って行けば絶対出られるって! 確か何かのマンガでもゲームでも映画でも、そんなことを言ってたような言わないような……」
「曖昧だなぁ、でも思いつく限りじゃそれ位しか方法はないよね。歩いて森に迷いこんだとかならともかく、僕たちは目覚めたら森の中にいたわけだから。目印とかそういうのがないんだし」
さっきの兵士に助けを求めないとあれば、他に残された方法はこれしかない。
そう決断した二人は、とりあえず耳を澄ました。
アギト曰く、耳を澄ませば川のせせらぎが聞こえて川を見つける……というのがセオリーらしい。
しかし一向にせせらぎが聞こえてきそうな音は全くとして、ない。
聞こえるのは、遠くから聞こえる鳥とか、フクロウとか、そういった動植物の生活音だけだった。
「近くに川がない場合は?」とリュート、その視線はちょっと冷たかった。
「川がなかった展開は、そういや今までねぇな……そんな展開……」
はぁ~っと、大きな溜め息をつくリュート。
「じゃあやっぱり危険でもなんでも、一か八かさっきの兵士に助けを求めたら良かったんじゃないか!! どちらにしろ森から出られた可能性だってあったかもしれないのに……」
「うるせぇなぁ!! もう行っちまったもんは仕方ねぇだろうが!!」
と言って、アギトは突然歩き出した。
「ちょっ、どこへ行くの!?」
「川のせせらぎが聞こえてきそうな場所まで歩くんだよ!!」
「ウロウロ動き回るのは余計に危ないし、余計に迷うよ!?」
「んなところでボ~ッとしてるよりは、なんぼかマシだろ!! ここは異世界なんだ、ここでじっとしててモンスターに襲われでもしたらどうすんだよ!!」
アギトの言葉に、え……っ?となる。
「モ、モンスター?」
「異世界にはつきもんだろ!? モンスター!! こういう森だったら、そうだな。おばけキノコとか、ウルフとか、キラーバードとか?」
リュートは息をのんだ。
そんなものがもし襲ってきたら、武器もないのに……。
リュートは大人しくアギトについて行くことにした。
とにもかくにも、確かにここでじっとしていても助けが来るとは限らないし、モンスターにしろ何にしろ……襲われないという可能性もないわけじゃない。
不安を拭う為……という理由もあるが、とにかくじっとしていられなくなった。
どこに向かってるか、アギトは何も言わないが、さりげなくさっきの兵士が歩いていった
方向に向かって歩いていた。
あれだけ敵かもしれないと豪語していたのに、やっぱり少し自分の判断が心細くなってきたのか、どうせなら人が確実にいる場所に出たいと思ったようで、黙ってその方向に向かって歩き続けていた。
そんな風にリュートは読んで、あえて黙ってついていく。
歩いて三十分も満たない頃合いで、数メートル先から明かりが見えた。
二人の顔から疲労が消えて、無意識に笑顔がこぼれる。
それも仕方のないこと、いくら大人ぶっていたとしても彼らはまだ十二歳の子供だ。
森に関する知識も何もない、回りに誰もなく、サバイバルに必要な道具すら持っていない、
何よりここがどこかもわからない、そんな状況で不安にならない子供などいなかった。
二人は走って助けを求めたい気持ちを必死でこらえて、まずは回りを見回した。
ぽつぽつと明かりが見える。
ずっと先に洋風の白い建物が建っており、一番明るい明かりはその建物の窓からこぼれていた。
建物の中に人がいることは確実となった。
それからその建物を取り囲むように、回りには一定の距離を保ってさっきの兵士と同じ鎧を着た男達がランプを持って、まるで何かからの襲撃に備えるような。
建物の中には要人がいるため厳重に警備しているような、そんな雰囲気だった。
せっかく人を発見したのに、まっすぐに駆け寄ることにとまどいが出てくる。
「なんだか、あのまま駆け寄ったら思いきり怪しい者扱いされそうな雰囲気だよね」
と、リュートがこぼした。
「ああ、なんか張りつめた感があるし、ちっとヤベーよな」
……と言った時、建物の裏手の方に目をやると見張りの兵士がいなかった。
「なんだよ、兵士の割に随分警戒に隙があるじゃねぇか。おいリュート、あそこに行ってみようぜ!!」
「いやマズイでしょ、それこそ侵入者とかいわれて弁解のしようがないじゃないか」
一応止める。
「中の様子を見るだけだって! もしかしたら大袈裟に警備してるだけかもしんねぇし。中の様子次第で、回りの兵士にどんな風に話しかけたらいいか相談すりゃいいじゃん! な?」
説得力があるようなないような口ぶりでリュートに詰め寄る。
ここで反対しても、結局は文句を言って拗ねて後が面倒になるだけだとリュートは思った。
「じゃあ見つからないように、少しだけだからね。こんな所で捕まって処刑されることになるなんて、まっぴらごめんだから」
そう言って、アギトを先頭に二人は建物の裏手の方に回って兵士に見つからないように身を屈めて近づいた。
裏手に回った二人は、ちょうどそこに明かりのついた窓が一つあった。
足元には焚き木用の薪が置いてあり、ロープでしっかりと崩れないように縛り付けてある。
二人はそれを足場にして窓を覗き込んだ。
目を瞠った、見とれたといったほうがいいのだろうか。
中は貴族が住むような、とてもきらびやかな飾り付けがしてある。
家具やベッド、カーテンやテーブルクロス、そのどれを取っても素人目から見ても上等なものばかりで思わず溜め息が漏れる程だった。
しかし部屋の装飾にばかり見とれていたわけではない。
その部屋には二人の人物がいた。
一人は金髪で、しっかりと頭の上で髪を丸く結ってあり、長い毛先は上にツンツンに立っていた。
白く透けるような肌で、凛とした綺麗な紫色の瞳をしており、鼻にかけた丸眼鏡が知的さを強調している。
見た感じ二十代前半、もしくは半ばと思える程とても美しい女性だった。
襟を立てたロングコートを着ていて、胸元には大胆にも大きな胸が露出しており、黒い下着で覆っているだけだった。
だがロングコートの胸元にある留め金はどう見ても、拳銃の弾丸を収めるホルスターに見えた。
身長が高く、背筋もピンッと張っているところを見るとそれなりに身分のある人物、あるいはかなり上の階級の軍人だと想像させる。
そしてもう一人は、ピンク色の髪が肩まであって毛先は外側にハネている。
頭には金色のカチューシャをつけているが、その装飾はどこか小振りな王冠のようにも見える。
純白のイブニングドレスには、スパンコールを散りばめたようにキラキラと光が反射してきらめいていた。
年齢は見た感じ、アギト達と同じ年ごろに見えた。
肌の色もアギト達と同じで健康的な肌色をしており、大きな水色の瞳、口元は優しく穏やかな笑み。
まるで話に出てくる『お姫様』のイメージそのものだった。
しばらく見とれていると、中にいる二人の会話が微かに聞き取れた気がした。
それは金髪美女の一言、本当なら聞こうと思えば聞こえたはずなのだが、そうはいかなった。
金髪美女は、確かにピンク色の髪の少女に向かってこう言ったのだ。
「それでは姫様、準備の方は整っておりますので」
それ以上は聞く余裕がなかった。
まず驚かされたのは、ピンク色の髪をした少女が『姫様』と呼ばれていたこと。
明らかにここが自分達の知っている日本ではないことを、立証された気がした。
そしてもうひとつは……。
「覗きとはいい度胸ですねぇ。ワザと警備を薄くしておいた場所にあっさりとやってくるとは、非常にラクをさせてもらえて感謝しますよ」
アギト達の真後ろから若い男の、紳士的で、優しげで、ねちねちとイヤミったらしい声がする。
反射的に振り向くも、遅かった。
二人は完全に兵士たちによって包囲されていたのである。
わかってはいたが、やはり罠だったのだ。
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