第45話 「生死の境」
回りが真っ暗だった。
夜にプールで泳いだことなんてなかったから・・・、水の中がこんなに真っ暗だなんて思わなかった。
それに・・・ものすごく静かだ。
ぼこぼこ・・・ぶくぶくと、どんどん沈んでいく自分を・・・水が通り過ぎていくように、そんな音しか聞こえてこない。
仰向けになって沈んでいって・・・星の光でうっすらと水面が白く光っているのが・・・、もうずっと遠くにあった。
意識が遠のいて行く・・・、多分・・・もう息がちっとも残ってなくて、肺に水でも溜まったせいだろうか?
最初は苦しくて、鼻やら耳やらに・・・どんどん水が入ってくるのがわかって・・・、あがいたりもがいたりした。
涙やら鼻水やらがどんどん出てきて・・・、空気を吸い込もうとしただけなのに・・・入ってくるのは大量の水だけで・・・。
そしたら・・・、一瞬だった。
ふ・・・っと、何かが途切れた感覚がした・・・。
頭の先に白いモヤみたいなものがかかって、その何かが途切れた瞬間・・・頭が麻痺したみたいに、ぼんやりした。
でも・・・、遠のいていく意識の中でも・・・うっすらと瞳は開いていて・・・、寝起き状態みたいにぼーっとしていた。
全身が脱力したように、気だるくて・・・もう何もかも、どうでもよくなった。
このままどうなろうと知ったこっちゃない・・・、いっそこのまま・・・流れに身を任せてしまうのも別にいい。
本気でそう思った。
あぁ・・・、人の一生なんて・・・こんなもんかぁ・・・。
思えばオレの人生、なんだったんだろうなぁ・・・と突然そんなことを思う。
これも走馬灯っていうやつだろうか・・・、あぁ・・・オレってば死ぬ寸前なんだ・・・。
死ぬのって・・・もっとこう、痛いとか、苦しいとか・・・、ツライとか・・・、そんなのを感じてるかと思った。
だからあがいてでも生きてやるとか・・・、しがみつくとか・・・そういうことを必死になってしなきゃいけないって思って
たけど、あがく気力なんてないし・・・、しがみつくモンもないし・・・、どっちかっていったら・・・このまま身を委ねた
方がものすごくラクに思えてきた。
そう考えたら・・・、生きてた時の方がよっぽど苦しかったかも・・・。
意地になって、強がって、気丈に振舞ってた方がよっぽどしんどかったな・・・。
どうせオレ一人死んだところで・・・、世界は何事もなく回っている・・・くるくるくるくる。
人間の・・・こんなガキ一匹死んだところで世界に何の影響もねぇじゃん・・・、それでも地球は元気じゃん。
あ・・・なんかワケわかんねぇこと言ってんなぁオレ・・・、ちゃんと走馬灯やんなきゃ・・・。
でも、思いだそうとしても・・・オレの思い出なんてクソみたいなモンばっかじゃん。
ちっさい時から親父も母ちゃんも・・・側にいてくんなかったな。
いじめられても、泣いて帰ってきても、お金だけくれたっけ。
オレがどんだけ暴れても、クラスの奴らや先生達に悪口言ったり、汚い言葉吐いたって、先生が手が付けられないって言って
家に電話して呼び出しても、親が出てくることもなかったっけ・・・。
・・・なんでオルフェには、わかったんだろうな。
親の教育なんて、受けたことねぇもん。
相手を傷つけても、汚い言葉使っても、大人に向かって偉そうにしても、叱ってくれる人なんて・・・いなかったし。
あ・・・、叱ろうとした人ならいたっけ・・・?
ん〜・・・頭がまだ麻痺してる・・・、ぼーっとしててよく思い出せねぇな・・・。
そんなことよりオレが先に死んじゃったらこの異世界にリュートだけ残しちゃうことになるなぁ、・・・どうやって謝ろう?
あいつ泣くかな・・・、あいつ泣き虫だもんな・・・。
オレがいなきゃいつまでたっても、いじめられっこのままだったかな・・・。
あいつ根性あるくせに自分に自信なさ過ぎなんだよな。
でも・・・これからは大丈夫か、あいつも随分強くなったし・・・言いたいこと言えるようになったし。
オレがいなくても・・・、十分やっていけるな・・・何の心配もないってのも、なんか寂しいけど。
わりぃなリュート、オレ先逝くわ・・・。
と、何か光が見えた気がした・・・。
天国への光?・・・いや、天国に行けるとは思えなかったアギトは・・・その光が何なのか、瞳を開ける。
なんだ・・・、遠くに見える水面の光か・・・と、がっかりした。
しかしさっきまで真っ暗だった湖の底が、少し明るくなっていたことに気が付く。
何が光っているんだろうと・・・、アギトはゆっくりと自分の胸の辺りに目をやった。
赤く光っているように見えた・・・、ほんのりと・・・ぼんやりとだが。
なんだか胸があたたかくなっている気がする。
このあたたかさ・・・、どこかで感じたことがある。
あぁ・・・そうだ、オレのことを心配してくれてリュートのおばさんが初めてオレを抱き締めてくれた時に感じたぬくもりに
似ているんだ・・・。
それに、リュートと初めて友達になれて・・・いつも興奮して、早く明日にならないかって・・・思っていた時。
オルフェが・・・、命の重さを教えてくれて・・・初めて師匠らしいことを教えてくれた日・・・。
そんな色々なことを思い出していく内に・・・、なぜだか胸が高鳴って行くのがわかった。
心臓の鼓動が早鐘を打って、また呼吸の出来ない苦しさが甦って来る・・・。
自分の中で何かが渦巻いているのが・・・、分かる・・・!
この苦しさ・・・、ツラさ・・・、それが渦を巻いて・・・自分の心を支配していく・・・。
これは・・・、『生きたい』という自分の思いだ・・・!!
生きたいという気持ちが、この苦しみを蘇らせていく・・・。
生きたいという気持ちが、どんどん膨らんでいく度に・・・大切な人達との思い出を蘇らせていく・・・!!
その思いが膨らんでいって・・・、自分の中に渦巻くものの流れを掴み取って行く・・・。
それはまるで、自分の中にもうひとつ意思のある異物がうごめいているような感じだった。
アギトは苦しみの中、その異物に手を差し伸べるようなイメージをした。
頭の中で・・・そのうごめく物体を掴み取ろうとする。
アギトの思考は全て・・・、その物体を追いかけ回して・・・掴み取ることだけに・・・集中していた。
それはとても素早くて掴もうとした瞬間に、手の間をすり抜けて行く・・・なかなか思うようにうまくいかない。
しかしだんだんとその異物の動きが読めるようになってきた。
行動パターンが一定であることに気が付く。
その動きを記憶して、先読みして、それから・・・次の動きを予測して・・・掴む!!
ドバァァァッッッッ!!!
湖の底から大きな衝撃が・・・、水中深くでマグマが爆発したように水柱を上げたかと思うと水蒸気が一面を覆った。
オルフェは瞬時に後退して、その水しぶきを両手でふさぐ。
もうもうと・・・水蒸気が辺り一面を蒸し風呂のように蒸し暑くして・・・湯気が包み込む・・・。
一瞬で湖の水が干上がり・・・、再び滝から流れ落ちてくる水が・・・クレーター部分に水を溜め込んで行って、また湖へと
戻ろうとしていた・・・。
クレーターの底から、小さな影がゆらめく。
オルフェはそれをすぐに見つけ、・・・その小さな影がぐらりと傾いて、そのままぐしゃっと崩れ落ちた。
すぐさま駆け寄り、急いでその小さな少年の体を抱き抱えて、湖に水が溜まり切らない内にクレーターから脱出した。
草の上に横にして、オルフェはアギトのシャツの上から耳を当てて心音を探る。
「いかん・・・、不整脈を起こしかけている・・・!!」
オルフェはすぐさま心臓マッサージと、人工呼吸を繰り返した。
肺には大量に水がたまっているはずだ、まずは水を吐かせて・・・酸素を送り込まなければ・・・。
何度か・・・10分程続けて、ようやく真っ青になったアギトが「ごぼっ」とむせて、口から水を吐いた。
苦痛に歪む表情を見て、オルフェはなおも心臓マッサージを、人工呼吸を・・・延々と繰り返した。
オルフェは回復魔法も・・・、蘇生魔法も使えない・・・。
魔術の天才と称されても、癒しの魔法だけは習得出来なかった・・・。
医学の知識も持っているが、今のアギトの状態だと心臓マッサージを繰り返す他なかった。
「生きなさい・・・っ、ちゃんと戻って来なさい・・・っ!
君には守るものも・・・、大切なものも・・・、たくさんあるでしょう・・・!
君はこんなところで終わるような子供じゃない・・・、それを私に証明してみせなさい・・・っ!!」
ようやく・・・、水を全て吐き出し・・・自分の力で呼吸出来るまでになった。
山は越えた・・・あとは急いで連れて帰り、体を温めて安静にする必要がある・・・そう察してオルフェはアギトを背中に
背負った。
恐らくさっきの水柱を見て、何人か兵士が駆け寄ってくるはず。
洋館で先に準備をさせよう・・・と、オルフェが頭の中で考えを巡らせている時に・・・後ろから回した細くて小さな腕が
オルフェに抱きついたのがわかった。
「あったかい・・・。」
そう聞こえた気がした・・・、しかし後には小さな寝息しか聞こえてこなかった。
オルフェは笑みを浮かべながら溜め息をついた。
「全く・・・生死の境を彷徨っておきながら・・・ノンキで図太い性格は変わっていないようですね。」
そう一言・・・、そしてアギトが眠りについたのを確認したオルフェは・・・独り言のようにアギトに言った。
「すみません・・・いくら時間がないとはいえ、こんな無茶な方法でマナを開放させるようなマネをしてしまって・・・。
しかしこうでもしなければ君は、この16日間という限られた期間の間に・・・マナのコントロールを学ぶ術など
持ち合わせてはいなかったでしょう。
物理的な戦闘技術も、魔術も・・・口で言ってすぐ出来るようなものではないんです。
自分の体に覚えさせる位の・・・極限の状態でもなければ、本当の意味で体得することなんてできません。
君が眠っているのをいいことに白状しますが・・・、私の機嫌が悪かったのは君に怒っていたわけじゃないんですよ。
実は首都から一通の手紙が届きましてね、それはレムグランドの国王陛下からのものでした。
その手紙には、異界から来た君達二人の戦士について書かれていて・・・陛下はすぐにでも君の実力を見たいと
おっしゃっていました。
鋼のウロコを持つドラゴンと決闘して、これに勝利することを・・・国王陛下はお望みです。
10日後・・・その決闘が行なわれます・・・。
私はその日までに・・・君がドラゴンと戦える位になるまで鍛えなければならないというプレッシャーを抱えて・・・
イライラしていたんですよ・・・。
全く大人気ないですね・・・、レベルが低く魔術の才能がない・・・生き物も殺せないような君位・・・
簡単に鍛えてみせます・・・と言いたいところだったんですが。
どうやら私は・・・、そんな簡単に君を・・・死なせたくはなかったようです。」
オルフェは自嘲気味に笑って・・・、洋館に向かって歩いていった。
見張りの兵士は誰一人として様子を見に来ることはなく、結局洋館までオルフェはたった一人で到着してしまった。
アギトをメイド達に運ばせて、ミラに診せて・・・安静にさせている間、オルフェは大佐として・・・見張りの兵士たちに
恐ろしいまでのキツイ説教を食らわしていたのは、言うまでもない。