第40話 「内緒話」
アギト達が『リ=ヴァース』へと帰り、ジャックもメイドが部屋に案内して・・・ようやく今日一日の仕事が終わろうと
していた。
オルフェの部屋へと向かうミラは、窓の外に目をやり・・・外ではランプを持った兵士がそれぞれ所定の位置で見張りをしている。
ザナハ姫も・・・禊の後は、体内のマナを安定させる為にしばらくの間は休養が必要となる。
しかし契約を交わした水の精霊がザナハ姫のマナに馴染めば、禊を続ける必要もなくなるだろう。
次にアギト達が来る頃までには精霊が馴染んで・・・ザナハ姫も再び行動を開始することが出来るようになる。
ミラはワイングラスと・・・ウォッカを持ってオルフェの私室の、ドアの前まで来ていた。
回りを見回しても誰もいない・・・、ミラは一呼吸置いて・・・それからノックをした。
するとドアはすぐに開いて、そしてすぐ目の前にオルフェが立っていた。
「やぁ中尉。」
作り笑いを浮かべながら、オルフェは部屋に入るように紳士的に促した。
ミラは「失礼します」と淡泊に言い放つと、背筋をぴんと伸ばしたまま・・・軍人としての態度が抜けきれず部屋に入る。
かちゃっと、ドアを閉めて・・・カギをかける。
それを横目で見て・・・ミラはそのまま奥へ入って行き、丸テーブルにグラスとウォッカの瓶を置いた。
オルフェはシャワーを浴びた後なのか、バスローブのまま丸テーブルの側に置いてあるイスに腰かけた。
ミラもそれに従い、ウォッカをグラスに注いでオルフェに渡すと・・・もうひとつのイスに同じように座った。
グラスを手にするがすぐに口を付けず・・・、オルフェは面白がるように微笑みながらミラを見つめたままだった。
「中尉が髪を下ろしているということは、今はオフですね?
中尉のオフ姿を見るのは・・・もう随分久しぶりのような気がします・・・。」
それだけ言って・・・、オルフェは一口酒を飲んだ。
「・・・それで、話というのは何ですか?」
そう切り出されて、ミラは小さく息を洩らしながら話し始めた。
「アギト君達にこの世界について説明された時のことなんですけど・・・。
なぜ本来の目的を話さなかったのか気になったもので、アギト君たちが帰ってから聞くつもりでいました。」
ミラがそう言うと、オルフェは面白そうに含み笑いを浮かべて・・・イスの背もたれにもたれながら足を組んだ。
「嘘を言ったワケではないので、問題ないと思ったんですが・・・。
中尉からすればそれが不自然に感じられたようですね・・・、しかし・・・言わない方が良かったと思いますよ?」
「・・・どういうことです?」
ミラが少し不機嫌な表情に変わって、オルフェの言葉に噛みつく。
「アギトとリュート、あの二人は随分と平和で過保護な世界からやって来たようだ。
彼らの戦い方を見れば一目瞭然、正義や悪にこだわるところ、総合的に見ても・・・今の状態で本当のことを話したって
彼らを混乱させるだけなのは火を見るよりも明らかです。
それならば、少しずつこの世界に馴らしていき・・・精神的にたくましくなってから説明しても遅くはない。」
腕を組んで・・・、ミラを見下すような角度で意見を述べる。
「それにザナハ姫だって・・・私の説明に横槍を入れなかったところを見ても、私と同意見なのではないですか?」
「それは・・・っ、姫から話すようなことではないですし・・・、それに・・・っ。」
言葉を濁すミラに、オルフェは迷うことなく続きを言った。
「あの場面で戦士二人に誤解されるわけにいかなかったですからね。
それに・・・、姫ですら知らないことを悟られては困る・・・。
そう思ったから中尉、あなたもあの場で口を挟むのを躊躇った・・・、違いますか?」
テーブルに肘をついて両手を組んだままミラを見据え、反応をうかがうようにオルフェは鼻で笑う。
ミラは反論の言葉が思いつかなかった。
今のところ・・・、全てオルフェの言う通りであり・・・、オルフェの思惑通りだったからだ。
「我々がしようとしていることは、どう転んでもただの侵略国家に他ありません。
我々が侵略してくることを恐れてアビスは・・・、いや・・・ルイドは決してレムとアビス間の道をつなげさせようとは
しないはずです。
しかし・・・、『アレ』はアビスの首都にある。
いずれはルイドだけではなく・・・、アビスの女王ベアトリーチェすら相手にしなければなりません。
そんな途方もない話を・・・、今の少年二人に話して・・・、何とかなると思いますか?」
オルフェの挑発的ともいえる真実の言葉に、ミラは立ちあがり反対の意を述べようとした。
「やっぱりこんなことは許されません・・・っ!
大佐はあの地獄のような戦争を、また引き起こそうとでも言うのですかっ!?」
ミラは立ちあがりそう言うと、オルフェの目の前まで歩いて行き・・・そして考え直してもらうよう、懇願するように説得した。
「この事実を知っているのは・・・、大佐と私だけです。
他の兵士達は、光の神子の・・・ただの救済の旅だと信じています。
自分達が再びあの悲劇を招こうとしているなんて・・・、そんなこと決して許されることではないのです!!」
ミラの必死の言葉にも、全く動じる気配がなく・・・オルフェは座ったまま異論を述べる。
「中尉・・・、これはレムグランド国の国王陛下から賜った勅命なのです。
私は国王命令に従っているだけです、それが許されないことだと言うつもりですか・・・?」
「ええそうです、許されません!!
一国の王でも、国民を犠牲にしてもいいなどということは決してあってはいけません!!」
ミラの勢いに、オルフェはすっと立ち上がり・・・そのままミラの口を封じて力ずくで壁に押し付けた。
がちゃんと、体に当たったテーブルや棚から・・・何かが落ちて小さな音を立てた。
「・・・んっ・・・!!?」
オルフェの体が力一杯に押し付けてきて、ミラは身動きが取れなかった。
・・・不覚だった。
仮にも軍人である自分が、こんなにも簡単に動きを封じられるとは思っていなかった。
もがこうとすればする程にオルフェは、力を込めて抑え込もうとしたので・・・ミラは諦めて一気に力を抜いた。
すると封じられた口が解放されて・・・、オルフェはミラからの反撃を食らう前に耳元で小さく囁いた。
「国王命令はただのフェイクです。」
そう耳元で言われ、ミラは反撃をやめた。
オルフェの息が首筋にかかって、ぞくりと寒気がしたように・・・体がぴくりと反応する。
密着した体勢のまま、ミラの顔にオルフェの細い金髪がさらりとかかって・・・ほのかに香る香水が鼻を刺激してくすぐる。
ミラもオルフェの耳元で小さく囁く・・・。
恐らくこの姿勢になったのも、外に声が漏れないように・・・万全を期してのものだろうとミラは瞬時に悟った。
「どういうこと・・・、ですか?」
オルフェの香水のせいなのか・・・、全身の力が抜けたようになり・・・声にまで張りがなくなってくる。
「誰にも言わないと・・・、約束してくれますか?」
「・・・私の口の堅さ・・・十分ご存知でしょう。・・・話してください。」
ミラのその言葉に、苦笑した息がまた首筋と耳元にかかって・・・くすぐったいのを必死でこらえた。
「私と・・・アシュレイ殿下との仲は、中尉も知っていますね?」
「はい・・・、大佐が入隊した頃から大佐の能力を買って・・・自らの懐刀として寵愛されていると聞いています。」
「寵愛・・・ですか、殆ど悪友みたいなものですが・・・まぁいいでしょう。
実はそのアシュレイ殿下と企んでいる計画があるんですが・・・、中尉も一枚噛んでみませんか?」
「・・・何か悪巧みでも?」
「恐らく・・・このことによって、世界は大きくひっくり返るでしょうね。」
今の位置ではオルフェの表情を読み取ることは出来なかったが、この口調から見て・・・とても面白がっていそうな微笑みを
浮かべているのがミラには想像できた。
「・・・内容によります。」
「やれやれ・・・、これを聞いたらもう自由にすることはできないというのに・・・。」
「自由になるつもりなど、これっぽっちもありませんよ・・・最初からね。
あの大戦以来・・・、私はもうこういう生き方しかできませんから・・・。」
その言葉を聞いて、オルフェはハッとして・・・押し付けていた体を離そうとした。
しかしそれをミラは許さなかった。
片手でオルフェの頭を捕まえて・・・そのまま抱き締めるように押さえつけた。
「はぁ・・・、そんなことをしたら誤解されてしまいますよ?」
「まさか私が大佐相手に興奮しているとでも?・・・・・・ご冗談を。
ここから先は誰にも聞かれてはいけない、・・・内緒話なんでしょう?・・・このまま話してください。」
そう言って、ミラはもう片方の手をオルフェの背中に回した。
奇妙な姿勢のまま、二人はようやく互いの体を離し・・・髪を、衣服を整えた。
ミラはさっきの勢いで落としてしまったグラスを拾い上げ、散らかった場所を片付けた。
オルフェは後は自分がやると言って・・・、ミラを見つめた。
「それで・・・、返事は?」
ミラは少し黙って・・・、下をうつむいた。
その表情にはまだ迷いがあるように見えた、が・・・すぐにすっと両目を閉じて・・・そして、オルフェの方に向き直り
瞳を開けてじっと見つめ返した。
「・・・元より、私はどこまでも・・・地獄の果てまで付き添う覚悟で・・・隣に立って来ました。
それはこれからも、何ひとつ変わることはありません。」
そう言ったミラの瞳には何の迷いもなく、いつもの凛とした・・・強い意志を持った瞳をしていた。
「えぇ・・・、知っています。」
オルフェはそれをいたたまれない思いで、少し悲しげな瞳で応えた。
「では、聞かなくても・・・もうすでにおわかりでしょう?」
そう言ってミラは、オルフェに精一杯の微笑みを返した。
それを見て・・・、その笑顔を見てオルフェは一言「すみません」と呟いて、ミラをドアまで見送った。
ドア付近まで来た時にはすでに、いつものいじわるな笑顔を浮かべたオルフェに戻っていて、いつもの冗談を言った。
「さぁ、これ以上野郎の部屋に長居したら危険ですよ?
私も一応男ですからね、見境がなくなる前に退散してください。」
そう言われてミラは苦笑し、ドアを開けて「では、お休みなさい」と一言だけ交わして・・・そのまま部屋を出て行った。
ミラが出て行った後、オルフェはドアを閉めて・・・カギをかけ・・・、深い溜め息をつきながらドアに頭を押しつけた。
「はぁ・・・、どうして私はこうなんでしょうねぇ・・・。
大事にすればする程・・・、その人を血で穢してしまう・・・。
今も昔も・・・、私は何ひとつとして・・・・・・変わってなどいない・・・。」
そして今も・・・、自分は・・・ミラを血に塗られた道へと誘おうとしている・・・。