第2話 「大切なもの」
リュートがアギトと友達になってから、早くも十日以上過ぎようとしていた。
新学期が始まってからというもの、リュートとアギトはいつも一緒である。
家の方角が校門を出てからすぐ真逆になるので、登下校を一緒にすることはできなかった。
その代わり……というのも変だが、クラスは一緒、席は隣同士、帰りはまた逆方向になるがアギトはリュートが許す限り、毎日のようにリュートの家に寄るようになった。
アギトがリュートの家に毎日のように来るようになったのは、初めて出会ってから最初の土曜日。
初めて休みの日に一緒に遊ぼうと約束した日からだった。
土曜日、アギトがリュートの家に遊びに来る日だ。
その日は朝早くから大忙しだった。
リュートの父親は土曜も仕事だったので朝の七時にはすでに仕事へ出勤してしまったが、母親はパートがあるにも関わらず、リュートの初めての友達をもてなすためにわざわざ休みまで取ってしまった……、全くの親バカぶりだとつい思ってしまう。
まずは子供たちの朝食を母親が作っている間に、リュートは子供たちの着替えを手伝ったり、喧嘩寸前で仲裁したり、とにかく面倒をみながらほぼ一日中は稼働しているであろう洗濯機を何度も何度も回していた。
朝食が終わると、部屋の掃除。
子供たちは兄から弟へと……、長年受け継がれてきたお古のおもちゃを片付けて掃除機をかける。
兄弟姉妹達も手伝う……が、障子を破いてしまったり物を壊してしまったり、そこから更に喧嘩に発展したりで、結局母親が突っ走ってくる……。
なんやかんやでとりあえず家の片づけが終わって、一安心……と。
「ごめんくださーいっ!!」
元気いっぱいの大声が築二十年の建物を揺るがす。
リュートは急いで玄関口へ行って、アギトを出迎える。
最初はアギトの様子がものすごくおかしかった。
まず、なんだかよくわからないが家の外観を見てものすごくウケていた。
家の回りに並ぶ柵、斜めにかけられてある木の板に手書きで書かれた表札、伝統的……といえばお世辞にも程があるような古家、そしてアギトのことを物珍しそうに眺める弟達。
そのどれもが、まるで生まれて初めて見るような……そんな好奇心に満ちた表情で見つめるアギト。
リュートにはごく普通で当たり前な光景なので、何がそんなに珍しいのかよくわからなかった。
でもその度にアギトは「すげぇすげぇ!!」と、大袈裟に思える程ひとつひとつに感動している。
アギトはこの町に引っ越してくる前は、高層ビルが立ち並ぶ都会に住んでいたらしい。
なので広大に広がる緑がある土地や、木造の家などはあまり見たことがなかったのだ。
しかも、映画やドラマに出てきそうな『お約束』的な古臭い外観がアギトのツボを刺激してしまっていた。
本当にこんな家があったんだ……と。
でもそれは蔑む意味ではない。
どちらかといえばジブリ映画に出てくるような田舎の風景に触れてみたかったところがあった。
だからか、アギトは田んぼや畑が広がる木造の一戸建てに住んでいるリュートがうらやましかった。
とりあえず家の回りを一周して、十分満喫してから家の中に案内してもらう。
遊びに来た……といっても、特にものすごいことをしたわけじゃない。
最初はなぜか母親との挨拶から始まる。
まるで大事な一人娘が、婚約を交わした相手の男性を初めて実家に招いたような……そんなノリで。
リュートは何度もやめてほしいと思ったが、意外にもアギトは母親のことがとても気に入ったらしい。
アギトにとって、リュートの家にはうらやましいものがたくさんあった。
その中でも、この家庭の温かさといったら……アギトには決して手に入らないものだと痛感した。
恰幅がよくてすごく面倒見がよさそうなリュートの母親、元気で明るい弟や妹達。
リュートの父親にはまだ会っていないが、この家庭の明るさならばきっといい父親に違いない……と思った。
アギトは台所で家事をするおばさんを見て、心底感動している様子だ。
台所に立つ母親の姿って、こんなに安心感があるんだと感じる。
アギトの母親が台所に立った姿など、生まれてこの方一度も見たことがなかった位だ。
毎日温かくておいしいご飯を作ってくれて、何をするにも口うるさく面倒をみてくれて……。
「いいなぁ、あんな母ちゃんがいて!」
「そうかな? 普段は鬼の形相でいっつも怒ってばっかりだけど……」
「普段って何だいっ!? お前達がおとなしくしてれば鬼の形相にならなくて済むんだよっ!?」
台所から二人の会話が聞こえたのか、遠くから母親のツッコミが聞こえて来る。
それを聞いて、またアギトは大声で大爆笑していた。
弟や妹達もアギトの人懐っこい性格にようやく慣れたのか、みんなして遊びまくる。
普通にトランプしたり、外でドッジボールをしたり、アナログしかない家だけど、それでも遊ぶ方法はたくさんあった。
元気いっぱい遊んでいたら、あっという間に夕方になっていた。
「よかったら晩御飯食べていくかい? もうすぐお父さんも帰ってくるから。お父さんね、アギト君にものすごく会いたがってたんだよ」
そう言う母親に、リュートは異論なんてなかった。
アギトの両親が許すなら、むしろ泊まっていってほしい位だった。
「いいのっ!? そんじゃあお言葉に甘えちゃおっかなぁ~!!」
あっさりOKするアギトに、リュートは「本当にいいの?」と聞いた。
母親も「せめて家に連絡してきなさい」って促したが、アギトはなぜか構わないと言った。
アギトは家に連絡することもなく、再び弟や妹達と遊びだす。
「晩ご飯の手伝いしてぇんだけど、オレじゃ勝手がわかんねぇだろ? それにオレ今まで料理したことなんてないから邪魔になるだろうし、ガキどもの面倒みといてやるよ!」
そう言うと、アギトは子供たちに『大貧民』を教えだした。
それでも母親とリュートにはとてもありがたいことだった。
子供たちが「手伝う」と言って台所に侵入して、無事だった試しがないからだ。
それに料理に集中できるということが、こんなに素晴らしいこととは思わなかった。
母親も思わず「アギト君がいてくれてホント助かったじゃないか!!」と始終笑顔がおさまらない様子だ。
晩御飯の用意が済んだ頃、父親が帰ってきて再び例の挨拶から始まる。
リュートが思っていた以上にアギトの家族ウケがよくて、心底ほっとしていた。
いつも賑やかな家の中が更に賑やかになって、時間が経つのは本当にあっという間だった。
楽しく話す中、リュートの母親は家事とおしゃべりをしながら器用に時間も気にしていた。
「アギト君、もう八時だよ!? 本当に大丈夫なのかい?」
そう言われると、さすがのアギトもマズイと思ったのか……楽しい時間もついにお開きとなった。
「家まで送っていくけど、アギト君のご両親に電話するわね」と、リュートの母親が気を利かせる……と。
「いや、いいよほんとマジで!! 大丈夫だからさ!!」
慌てて断るアギトに、さすがのリュートもおかしいと感づく。
思えば、さっきからアギトは自分の両親や家のことについて、何ひとつ触れようとしない。
……全く話題にしようとしなかった。
とりあえずリュートと、リュートの父親がアギトのマンションの前まで送ることになった。
マンション前まで来ると、お礼を言ってそのままアギトはマンションの中に入って行く。
リュートはアギトがなぜ自分の家のことや、両親について話したがらなかったのか、それが気がかりだった。
なんでもあっけらかんに話すアギトにだって、話したくないことの一つや二つ……当然あるだろう。
それならばと、リュートはしばらく様子をみることにした。
話したくなったら何でも聞く心の準備をしておこう……(ちょっと大袈裟だろうか?)
無理矢理聞くのは良くないと判断したリュートは、アギトから切り出すのを待つことにした。
アギトはマンションの自分の家に帰ってきて、いつものように自動センサーで電気がつく。
玄関口で試しに「ただいまぁ……」と力なく声に出したが、当然返事はない。
靴を脱いでリビングまで入っていき、リモコンを手に取りスイッチを押してテレビをつけないと誰もしゃべってはくれない……、話しかけてくれない。
ただ淡々と、テレビの中から賑やかな笑い声が聞こえてくる。
ソファーに座り込み、ボーッとしながらテレビを見つめる。
なんだか、いつもいたこの部屋が……、毎日暮らしてたこの家が……奇妙に広く感じられた。
テレビ以外からは物音ひとつしない。不気味な静寂が、後ろからゾクッと寒気を感じ鳥肌がたつ。
こんなにこの家、寂しかったっけ……?
こんなに一人って、心細かったっけ……?
今までずっと一人でいたことに慣れていたアギトは、突然……急に大きな孤独感に襲われた。
一人ぼっちって、こんなに怖かったっけ……?
一人が当たり前だった時は、こんな気持ちを感じることなんてなかったのに。
どうして……?
なんで急に一人が怖くなった?
寂しくなった?
改めて考えなくても……、深く悩まなくても……、答えはすぐ目の前にあった。
それは、孤独ではなくなったから……。
リュートと友達になって、毎日が楽しくなったから……。
この学校に転入する前は、前のクラスメイトからリュートの時のような態度をされたことはあったが、アギトはその度に「どうせ自分とこいつらとは違うんだ」と思うことで、痛みを和らげていた。
クラスで自分一人だけが浮いている、でもだからといって自分を抑えるつもりなど毛頭なかった。
オレはオレなんだから……。
そう思って分け隔てなくクラスメイトと接していて、それなりに楽しく過ごしてきたつもりだったが、完全に心を開いたわけではない。
所詮他人に自分の何がわかるんだと、打ち解けあったフリをして完全に心を許したわけではなかった。
結局は学校にいても家にいても、心の中に何の変わりもなかったのだ。
だから、家で一人でいても特別『寂しい』と感じることがなかった。
心から気を許せる友達ができたことによって、初めて今までの自分が孤独だったんだと、その時になって初めて気付かされたのだ。
リュートと接していると、色んな感情に気付かされる。
家族についてもそうだった。
自分には両親が存在しても、家族がいるとは思っていなかった。
――それが。
リュートの家族と楽しく触れ合って、理想の家族の一員になれたと思った……。
でも違う、そうじゃない……!
家族の一員になれるはずもない。
自分に理想の家族を手に入れることなんて、一生出来はしないのだから……。
それが明確にされたから……。
この家で『自分は一人ぼっちなんだ』という実感が、……孤独感を生み出したのだ。
孤独は、とても不安だった……。
不安になる……、怖くなる……、寂しくなる……、こんな自分がいたなんて……。
自分はもっとクールでタフなほうだと思っていた。
一人なんて平気、へっちゃらだって。
でもそうじゃなかった……。
自分はこんなにも脆い人間だったんだって、そう思い知った。
それからアギトはリュートの家に入り浸るようになった。
孤独がイヤなら、誰かと一緒にいればいいんじゃん。
一人が怖いなら、一人にならなければいいんじゃん。
アギトらしい前向きな発想だった。
しかしさすがのアギトでも、いきなり押しかけるような真似はしなかった。
一応リュートに了解を得てから行くようにしている。
しかしいまだリュートには、自分の両親のことは何一つ話していない。
気を使われたくないから、心配されたくないから、同情されたくなかったからだ。
勿論、リュートの器を軽視しているわけじゃない。
きっとリュートなら親身になってくれるだろう、相談に乗ってくれるという確信があった。
しかしアギトは、リュートとはずっと楽しく過ごしたかった。
毎日笑顔で、毎日楽しく。
そんな時アギトにとってすごく喜ばしい出来事があった。
それはリュートの両親が、『ここを自分の家だと思って毎日来ていい』と言ってくれたのだ。
建前ではなく、本心から。
そればかりか、自分達のことを自分のお父さんやお母さんのように思ってくれていいと言ってくれた。
一人増えようが二人増えようが同じこと、アギトも家族の一員なんだと……。
理想の家族……、それになんとなく近づけたような、そんな気持ちになった。
リュートも、リュートの家族も大好きだ。
初めてアギトに『大切なもの』ができた。