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第299話 「消された存在」

 アギトは母親に永遠の別れを告げると、そのまま警官達の間を走り抜けてリュートの家へと向かった。

 今更リュートの両親に会った所で何かが変わるとも思えなかったが、母親に別れの言葉を告げた手前……今までずっと世話になって来た二人にも別れの挨拶をしなければいけないと、そんな思いに駆られた為だ。

 まだラ=ヴァースへ帰る方法が確立したわけではない、しかし今すぐ帰らなければ向こうでどんな事態になっているのか気になって仕方がないのもまた事実。

 それならばどんな方法でもいい、思いつく限りのことを試してでもアギトは帰らなければならなかった。

 

 日が暮れ、周囲が闇に閉ざされようとしている時刻――。

 周囲には民家が減ってその代わりにだだっ広い田んぼや畑ばかりになる土地に、ぽつりと一軒の古家が姿を見せる。

 そこから照らされる明かりを見て、アギトの心に温かな温もりを感じた。

 ここに来ると心が温かくなる、楽しい思いで、楽しい記憶、リュートと過ごした素晴らしい日々が思い出される。

 アギトにとっての心の故郷と呼んでも相応しい、懐かしい場所だった。


 古家に近付くと家の中から笑い声が聞こえてくる。

 雷の精霊ヴォルトの力でこの家の長男リュートが「居る」と思わせているからか、何の違和感もなく毎日を過ごす家族達。

 アギトはこの場にリュートがいないことを悔やみながら、居間のある中庭の方へと入って行く。

 

 遠慮気味に姿を現すとリュートの家族は全員目を丸くして叫んだ。


「アギト君っ!?」


 開口一番に名前を呼ぶとすぐさま駆け寄り、頭を撫で抱き締め……まるで我が子のように迎える。

 アギトはそんな彼等の対応がくすぐったくなり思わず笑みがこぼれてしまう、自分の母親の時とは大きな差であった。

 

「アギト君、今までどうしてたの!?

 もう心配したんだからね!?」


 リュートの母親の言葉にアギトは眉根を寄せた。


(……え? ヴォルトの力でオレ達の存在を誤認してるはずじゃ……?)


 奇妙な違和感に戸惑っていると今度はリュートの父親が何かの書類を持って来て、思いも寄らない話を切り出して来る。


「ほら、こっちの方で手続きを進めてあるんだ。

 あとはアギト君がここにサインをして、裁判所で正式に認められれば願いが叶うんだよ」


 全く話が見えない、アギトは少し混乱しながら仕切りに抱擁して来るリュートの母親を遠慮気味に自分から引き離し、それから何のことを言ってるのか問いただした。


「ち、ちょっと待ってくれよおじさんおばさん!?

 一体何の話をしてんだ、てゆうかオレ……今までここに何度も顔を見せてたはずじゃないの?

 それに手続きって、……一体何の!?」


 驚いているアギトを余所にリュートの両親は顔一杯に笑みを浮かべながら持っていた書類を広げてアギトに見せる。

 そこに書かれている文字を読んで、アギトは愕然とした。


「養子縁組……!? おじさんの名前……、ってこれ!?」


「アギト君言ってただろ、うちの子になれたらどんなに幸せだろうって。

 育児放棄してるアギト君の母親から、こちらに親権を譲り受けられるように今掛け合ってるんだよ!

 そりゃ親戚でも何でもない私達が他人の子供であるアギト君の親権を得るなんて、法律的に難しいことだけど。

 今までの虐待の件や育児放棄の面、それら全てを証拠として挙げれば何とかなるかもしれないんだよ」


 嬉しそうに話すリュートの母親、リュートの弟や妹達も手放しに喜んでいる。

 アギトは何が起きているのか全く理解出来ず唖然としていた。


(何だよこれ……、一体何が起こってるんだ!?

 こんなの刷り込んだ覚えはねぇぞ、何なんだよこの展開は!)


 咄嗟にアギトは心の中で問いかけた。


(ヴォルト……、おい返事をしろよヴォルト!

 一体これはどうなってんだよ、おじさんやおばさん達の記憶に何があったんだ!?

 これじゃ完全に記憶が挿げ替えられてんじゃねぇかよ、一体誰の仕業なんだ!?)


 だがしかしどんなに問いかけようとも返事が返ってくることはなかった。

 焦るように何度も、思わず口に出してしまいそうになりながらも、必死でヴォルトに語りかけるが……。

 返事どころか、自分の中に宿っているはずのヴォルトの気配を感じ取ることすら出来ない。

 まるでアギト自身のマナが練れなかった時と同じように、何一つ感じ取ることが出来なかったのだ。

 

『ザナハに飲ませたフォルキスとは違うよ』


 突然脳裏に蘇ったリュートの言葉……。

 アギトは時が止まったかのように、リュートが最後に語っていた言葉を――ゆっくりと思い出していく。


『アギトのカレーライスには、マナを練り上げることが出来なくなる薬を混ぜておいたんだ』 


 あの時……、光の精霊ルナとの契約を交わしに行く寸前にリュートがアギト達の為にと作った料理。

 アギトの大嫌いなニンジンだけ摩り下ろして出された、アギトだけの特別製……。


『アギトがマナを練ることが出来なくなれば、精霊は存続出来なくなって、召喚も出来ない』


 だからマナが練れない?

 だから精霊の……、ヴォルトの声を聞く所か存在を感じ取ることさえ出来ない?


「それじゃ……、マナが練れなきゃ……向こうに帰れねぇじゃねぇかっ!」


 震える声で確認するように、アギトは小さく漏らした。

 残酷な現実を突き付けられた。

 全てリュートの手で……、友の手で計画された出来事。


(それじゃこれも……?

 おじさんおばさん達が言ってる、このわけわかんねぇ展開も……。

 ――リュートが仕組んだものだっていうのか!?)


 アギトの顔から血の気が失せて行き、再び混乱しそうになるが気力でそれだけは避けようと必死に意識を保とうとした。

 そんな時でもリュートの両親は嬉しそうにアギトの来訪を歓迎しながら、養子縁組に関する話を続けようとする。

 二人の笑顔、自分を養子に迎える段取りを嬉しそうに進める二人の姿を見て、アギトは次第に腹が立ってきた。

 胸の奥に感じていた不快感が膨らんで行き、遂に爆発する。

 

「ちょっと待ってくれよ、二人とも!

 そんな話進めて一体何になるっていうんだよ、二人にはもうちゃんとした息子がいるだろう!」


 アギトが声を張り上げるも、二人はきょとんとした反応で――側に居たリュートの弟の方へと視線を向ける。


「違うっ! そうじゃなくて! 

 オレが言ってんのはリュートのことだよ!」


 思わず声を荒らげるアギトを宥めるような口調でリュートの母親が背中を撫でる。


「アギト君、何のことを言ってるのかわからないけれど……。

 私達の養子になるのが今更イヤだなんて、言ってるわけじゃないわよねぇ?」


 リュートの母親の言葉にアギトは一瞬目まいがした。

 愕然として、一瞬言葉を失う。

 

「や……、そうじゃなくて……っ、え……?

 だからリュートだよ、篝リュート!

 おじさんおばさんの長男で……、オレと同い年の……同じ青い髪をしたっ!」


 そんなはずはないと、アギトは心の中で何度も念じた。

 ヴォルトによる記憶の刷り込みでは、アギトかリュート……どちらかの存在を確認すれば自動的に二人に関する記憶も正常に戻るはずだった。

 今アギトは、二人の前に顔を出している。

 そしてアギトの存在を、きちんと確認している。

 リ=ヴァースへ戻るには、二人が一緒でないと戻れない……。

 そういう「決まり」があったからこそ、こういった命令にしたはずだった。

 それが――アギトの存在は確認しているが、リュートに関する記憶が二人の中から消えている。

 リュートの存在が、二人の記憶の中に戻って来ていないのだ。


「誰のことを言ってるのかわからんが、その子がどうかしたのかね?」


 リュートの父親の言葉で、アギトの中にわずかに残っていた理性が吹き飛んだ。

 頭に血が昇り、アギトは無礼を承知で靴を脱ぎ勝手に家へと上がる。

 二人が驚いて制止するも聞き入れずにリュートに関する証拠を突き付けようと、子供部屋へと駆け込んだ。

 ここには何度も寝泊まりし、リュートの私物がどこに置かれているか……アギトは何もかも知っている。

 リュートに関するものを突き付ければ、きっと自分の話に耳を傾けてくれるに違いない。

 そう思って特に証拠として有力な写真を探しだした。子供の頃の写真でも、最近の物でも何でもいい。

 とにかくアギトは「リュートがここに存在している」という証拠が欲しかった。

 部屋の中を乱暴に物色し、周囲から見れば気が触れたと思われかねない行動でアギトは必死になってリュートの存在となる足跡そくせきを探し続けた。


(――ない、……何も。

 何一つ……これっぽっちも、どこにも!?)


 アギトはその場に崩れ落ち、息を切らしながら愕然とした。

 これだけ探して何一つ……、リュートに関する証拠が見つからなかったのだ。

 こんなことは有り得ないことだった。

 写真どころか、着替え、私物、その何もかもが……。

 まるでリュートが存在したという証拠を誰かが隠滅したかのように、跡形もなく無くなっていたのだ。

 ショックの余りその場から動けずにいるアギトに向かって、リュートの両親が心配そうに声をかける。


「アギト君……、大丈夫かい?」


「……ない」


「――え?」


「リュートが、いない……。

 何で……どこにも、リュートのことが何も、ないんだ。

 どうして……!? まるでそんな奴、最初から存在しなかったみたいにっ!」


 アギトの様子がおかしいことに、リュートの父親が手を差し伸べようとした矢先。アギトは今起きている事態を受け止めることが出来ずに突然立ち上がる。


「そんなはず……ない。どこかにリュートの存在が、残ってるはずなんだ……っ!

 どこかにっ!」


 もはや焦りと混乱で回りが見えずアギトが独り言を呟いた時、何かが突然閃いた。

 まるで過去の記憶が急速にフラッシュバックするように、鮮明に思い出される記憶。


「そう……だ、あの時……っ!

 さっきも思い出してたことじゃねぇか。昔リュートと二人で警察に保護された時……。

 オレとリュートが名前を書いた書類……、それを見せればもしかしたらっ!

 ――でも今はっ、今は……そんな時間残されてるわけじゃ」


 リュートが存在していたことの証明になるのかもしれない。

 そうすれば二人の記憶から、リュートの存在が蘇るかもしれない。

 しかし今は、リュートの存在を確定する為に走り回る場合ではなかった。

 一刻も早くラ=ヴァースへ戻ることが、何よりも優先すべきことだった。

 それでもアギトの心の中では葛藤している。

 リュートの両親が実の息子の存在を完全に忘れ去っている姿を、これ以上見ているのはツライ。

 だが今の状況で警察署へ向かうのは、自殺行為にも等しかった。

 ただでさえ警察はアギトを確保しようとしている。

 もしかしたらアギトの母親さえもが、警察と共に今頃アギトのことを追っているのかもしれない。

 そんな時に自分から踏み込んでしまったら、そこから逃げることはもう不可能に近いかもしれないと思った。

 アギトは深呼吸して、状況を整理する。

 感情的なものを振り払って、冷静に今の状態を分析した。


(やっぱ……ダメだよな、今は向こうに戻ることの方が先決だ。

 どうやって戻ったらいいのか全く見当すらつかねぇけど、警察署に向かうよりかはよっぽど建設的だ)


 アギトは両目を閉じながら心を落ち着かせ、それからゆっくりとリュートの両親へと向き直る。


「おじさんおばさん、ごめん。

 オレ……ここには挨拶しに寄っただけだから、もう……行くよ。

 大丈夫、二人の大事なリュートはオレが必ず連れ戻して来るから……それまで待っててくれ、な?」


「――え? ちょ……アギト君っ!?」


 アギトは二人の制止に全く耳を傾けず、再び駈け出し居間に脱ぎ捨てた靴を素早く履いて、そのままリュートの家を後にした。

 リ=ヴァースに強制的に送還されてからというもの、アギトの知らない所で色々な出来事が起こり、それらを整理する間もないままアギトはずっと走り回っていた。

 一体何が目的で?

 廃工場へ向かいながらアギトは、友だったはずのリュートが一体何を考え、何をしようとしているのか。

 それが全くわからないまま胸の痛みが増すばかりであった。

 

 もしかしたらもう本当に、前のような関係に戻ることは出来ないのかもしれない。


 そんな不安がアギトの心を支配しかける、何度も頭の中で否定するがどうしてもその思いが離れずにいた。

 アギトはそれら全てを問いただす為に、もう一度リュートの真意を確かめる為に一刻も早くラ=ヴァースへ戻らないといけない。

 繰り返し自分に言い聞かせ、ようやく工場地帯へと入った時だった。


「……なっ!」


 工場地帯周辺は警官やパトカーが封鎖しており、厳重な警戒態勢を張っていた。

 アギトは慌ててビルとビルの隙間に身を隠し様子を窺う、何かの事件だろうか? そう他人事のように考えるが、そうではなかった。よく見ると警官の一人が何かを見ている。それはまるで犯罪者の手配書のような紙だった。

 通行人の何人かにもその手配書らしきものを配布して回っている、ふと足元に落ちている物を見つけると誰かが受け取ってすぐさま捨てたであろう手配書を受け取り、遠目でよく確認出来なかった写真の人物の顔を拝んだ。

 

「……マジかよ、これじゃまんま犯罪者じゃねぇか」


 紙には「捜索願」という文字と共にアギトの写真が載っていた、特徴がよくわかるようにはっきりとしたカラー写真でアギトの青い髪が鮮やかに写し出されていた。

 これじゃこの捜索願の紙を見た人間がアギトのことを通報するのは時間の問題、呑気に街中をうろついてるわけにもいかず、アギトは舌打ちしながらどうにか廃工場へ入る為の別ルートを探し始めた。

 アギトは以前からリュートと共に何度もこの工場地帯に入り込んでいた、そのおかげで色々な抜け道などを見つけたりしている。

 周辺をくまなく、人目を気にしながら進んで行くが工場地帯は完全に包囲されている様子で容易に入れそうになかった。

 何かで警官達の注意を引きつけ、その隙に工場地帯へ入ることは出来ないか。

 それとも捕まるフリをして警官を振り切り、廃工場まで走って行くか。

 どちらにしても異世界間移動に失敗した途端にそのまま身柄を拘束される可能性の方が高かった、しかし時間を置いたとしても警官のあの勢いを見ればアギトを見つけるまで捜索の手を緩めることはないだろう。

 何より時間がないのはこちらも一緒なのだ、悠長に考え込んでいる余裕はどこにもなかった。

 アギトが何かいい作戦がないか試行錯誤している時――、再びアギトの名を呼ぶ声を聞く。


「アギト……、お願いだから……大人しくしてちょうだい」


「――っ!」


 すかさず声のした方を振り返ると、そこには別れを告げたはずのアギトの母親が悲しそうな表情で立っていた。

 母親の存在に気付いた時には既に遅い、周囲を警官に包囲され……逃げ場を失うアギト。


「あたしの罪は消えるものじゃない、でもあんたの母親であり続けたいの。

 だからあたしはあんたを保護したら……このまま更生施設に入るつもりよ、ゼロからやり直すの」


「母ちゃん、オレは――っ!」


 そう叫ぶもアギトは突然背後から警官に押さえつけられ、反射的に抵抗してしまう。

 警官の腕を振りほどき身を屈めて相手の足を払って素早く後方に飛び退った、それを合図に警官達はアギトを押さえようと体一つで迫って来た。相手は子供、かろうじてそれだけ理解し警棒といった武器を使うことはなかったがアギトがナイフを……カガリを持っているという情報を持っている為、決して手加減はしなかった。

 襲い来る警官を相手にアギトは素早い動きで次々と手刀で攻撃を加え、怪我をさせない程度に気絶させていく。

 一人対大勢の戦いは以前にも経験したことがあった、あの時は百人を相手に激戦を繰り広げていたものだ。

 それがまさかこんな所で役に立つとは、そんな皮肉を感じながらもアギトは結局のところ強行突破で廃工場へ向かおうと決断し、警官全てを倒していくつもりで向かって行った。

 子供一人に警官が翻弄されていく光景に全員驚いている様子である、息を切らしながら体力の限界を感じながらアギトは無我夢中で廃工場を目指す。

 そして自分に向かって手を伸ばしてきた敵に向かって、みぞおちに打撃を加えようとした瞬間――アギトの手が止まった。

 見るとそこには母親が、怒りと悲しみの両方を滲ませた表情でその場に立ち尽くしている。

 アギトに隙が出来た。

 直後、平手でアギトの頬を打つ音が響く。

 これまで何度も殴られてきた、蹴られてきた、様々な方法で暴力を、痛みを与えられ続けた。

 しかし今受けた平手打ちはそのどれともつかない痛みをアギトに与えた、ジンジンと頬が痛むが……それ以上に心が痛む。

 母親が涙を零しながら、唇を噛み締め、辛そうな表情で息子を叩く姿をその目に焼き付けるアギト。

 

「――母ちゃ」


「自殺なんかしないでっ!」


(――え!?)


 思いがけない言葉にアギトは目を丸くした、しかし母親は真剣な顔で涙を更に零して訴え続ける。


「警官の人から聞いたわ! あんた、ここの廃工場から飛び降りるつもりだって!

 あたしのせいなの!? あたしがあんたに酷いことしたから、そんな……自殺なんて!

 そんなことさせないように警察の人にお願いして正解だったわ、本当にここに来るんだもの」


「それじゃ……この警官達は、母ちゃんが……!?」


「そうよ、あんたの精神状態がおかしくなってるってことも聞いたわ!

 きっとそれもあたしのせいなのよね!?」


 母親の泣いている姿をこうして見るのは、自分の為に流す涙を見たのは今日が初めてだった。

 そして母親が勘違いを、誤解していることを説明し出す自分がいた。

 

「違う……、違う!

 オレは別に自殺しようなんて思ってない、そんなこと考えてもいねぇよ!

 ただ――っ」


(言ったところでどうなる!?

 異世界に行く為の出入り口が廃工場にあると言ったところで、余計に混乱させるだけだ!)


 母親の涙を目の当たりにしたことで、やっと冷静さを取り戻していたアギトは再び混乱に陥る。

 その時、数人の警官がアギトを押さえつけ……こともあろうかアギトの懐にしまっていたカガリを奪ってしまった。

 アギトは瞬時にカガリを取り返そうと怒りに満ちる。


「――返せっ! それはリュートとの友情の証なんだ!」


 それがないと、リュートのマナが込められたカガリがないとラ=ヴァースへ帰る手段が本当になくなってしまう。

 焦りに焦ったアギトが警官に怪我を負わせてでも取り返そうともがくが、そのまま数十人に上に乗られ身動きが取れなくなってしまった。母親はその光景を黙って見つめ、片手で合図を送る。

 後方から現れたのは白衣を着た男、手に持った注射器の針をアギトの腕に差し込み……何かを注入した。


「何を……、何のつもりだ母ちゃん!」


 暴れるが重みで思うように動かない、それからゆっくりとアギトは急激な眠気に襲われる。


「アギト……、ごめんね」


 最後に聞いたのは母親が謝る言葉だけだった。

 それからアギトは暴れた反動で麻酔が全身に回るのが早まり、そのまま眠りに落ちてしまう。


 ***


 壁一面薄いベージュをした殺風景な一室、真ん中にはテーブルが一つだけ。

 白衣を着た男と、向かいに座っているのは入院患者が着るような白い診察服を着た青い髪の少年アギト。

 

「だからっ! この世界とは別に、異世界ってのが存在してるっつってんだろうが!

 そこはレムグランドって呼ばれてて、世界を滅ぼそうとしてるディアヴォロって悪い奴が攻めて来ようとしてんだ!

 オレはそこでリュートと一緒に世界を救う為の旅をしてんの!

 信じられねぇのはこっちだって十分わかってんだよ!

 あぁ~くそっ、だから言いたくなかったんだ、これじゃ完全に精神病患者扱いじゃねぇかっ!」


 イライラしながらアギトは頭をかきむしり、向かいに座っている医師を睨みつける。

 医師の男は眼鏡に冷たい瞳でアギトを見据える、全く笑みのない表情でアギトの言い分など全く聞き入れようと言う態度を見せていなかった。アギトは同じような雰囲気を持った男を知っている、しかし彼とこの医師とでは明らかに違う。

 アギトの知る男には少なからず紳士的な振る舞いが見て取れたが、この医師にはそれが全く感じられず、完全にアギトのことを切り捨てるような態度で接して来るのだ。


「いや、君の言ってることは理解出来るよ。

 君ははっきりと覚えてないかもしれないが、自白剤を飲ませてある程度話を聞かせてもらったからね。

 子供に自白剤を使用することは違法だが……ある方から強い要望があって仕方がなかった。

 こうでもしないと君は本当のことを口にしない、君はとても利口だからと。

 全くその通りだった、君の『大事な物』をその目で確認させないと決して口を割ろうとしないんだからね」


 一本調子な医師の言葉、そして目線で合図を送るように部屋の隅――ガラス張りになっている隣の部屋を見るように促した。アギトが悔しそうにそちらの方へ眼をやると、そこには数人の男女……「ここ」の関係者がカガリを手に見せびらかしているのだ。


「実に精巧に出来た、立派なナイフだ。

 あれをどこでどうやって手に入れたのか。

 君はひたすらネットオークションで手に入れたと『嘘』をつく。

 しかし君は知らないみたいだね、君があのナイフを購入したと言う履歴はどこにもなかった。

 君みたいに口の堅い子供は初めてだよ、……何だったかな?

 異世界に魔法にドラゴン、そして居るはずのない君の友達。

 次から次へと本当によく口が回る、これでは本当に君を『ここ』に入院せざるを得んな」


 最初からわかっていたことだがアギトの話に全く理解を示さない医師の一方的な態度に業を煮やしたアギトは、テーブルを力一杯叩きつけると思い切り怒声を上げた。


「リュートは実在するってさっきから言ってんだろうがっ!

 警察署に行けば、オレとリュートの名前が書いてる書類があるはずだって!

 それを調べてから話を聞きやがれってんだ!」


 アギトの言葉に男は隣の部屋に居る助手であろう人物に何かを持ってくるように指示をした、するとすぐさまその助手は扉を開けてアギト達がいる部屋に入って来ると一枚の紙を手渡す。

 医師はそれをテーブルの上を滑らせるようにアギトの方へと差し出した、見るとそれはどこかで見た覚えのある書類だった。

 そして一番下の方に自分の字で「六郷アギト」と書かれたサインを発見する。

 アギトはそれを見て、この書類が以前警察署に拘束された時に書かされたものだと理解した。

 そしてアギトのサインのすぐ下に書かれているはずのリュートのサインがない、アギトの名前だけが書かれている。


「……嘘だっ!」


「嘘なものか、正式に君が言う警察署から拝借したものだ。

 これではっきりとしたんじゃないか? ……六郷アギト君。

 君はパーソナリティ障害の中でも特に重症だ。

 主に妄想性人格障害、そして演技性人格障害が見て取れるな。

 妄想や空想、虚言、その他諸々……。

 君の母親の話によると孤独を紛らわせる為に、テレビやゲームなどを好んでいるらしいね。

 そういったものの力を借りて現実逃避する為に自分の中で理想の世界を作り上げる、理想の自分を作り上げてしまう。

 更にそれがどんどんエスカレートしていき、やがて現実と妄想の区別がつかなくなってしまうんだよ。

 君はまさにそれらの典型的な例だ。

 大抵の者は頭の中では区別が付いているのにそれを理由に犯罪を起こし、自分が心の病気なんだと演じる傾向がある。

 そうすれば犯した罪は軽くなるからね、最近ではそういった知能犯が増えて困っているんだが。

 だが君は全くその逆だ、自分が正常だと演じる頭脳を持っている。

 あくまで自分は現実の中を生きる真っ当な精神を持った人間なんだと、そう主張する強い意思を持っていた。

 自白剤を使ってそっちの方が演技であるとわかった時は、実に驚いたがね」


 アギトは本能的に危険を察知した、このままではマズイと。

 焦燥を滲ませた顔で医師を見据える、すると医師は笑みも何もない無表情のままで他の助手に指示を下す。

 次々現れた助手がアギトが抵抗出来ないように拘束具を無理矢理装着させた、両手にクッション材の入った拘束具を付けられ他人に危害を加えることが出来ないようにされる。

 それからアギトは「ここ」、精神病院に来てから何度も打たれた精神安定剤を再び打たれ全身の力が抜けてしまう。

 意識が朦朧として攻撃性を強制的に喪失させられる。

 

「歓迎するよ、アギト君。

 ここは他に類を見ない特別な精神病院でね、精神異常者の実験も兼ねている場所でもあるんだ。

 患者が死なない限り、どう扱おうと私の自由……思うがまま。

 君には私の可愛い実験体になってもらおう、その異世界に関する話をたくさん聞かせてほしいからね。

 特別待遇の君にはVIPルームを用意した。

 地下深くにある陽の光も差さない完全な密室。

 そして君が自傷行為に至らないよう、肉体を傷付けられるような物は一切存在しない。

 部屋全体が真っ白な所以外は、殆ど独房に近いがね。

 君の心の病が完治出来るように、一緒に頑張ろう――六郷アギト君」


 医師の冷たい言葉が頭に響きながら、アギトは助手に支えられ病室と言う名の独房に連れて行かれる。

 

「はな……せ、オレを……ここ、……出せ……っ!

 カガリを返せよ、オレは――戻らなきゃ、いけね……んだ!」


 やがてアギトは完全に意識を失い、次にアギトが目を覚ました時には何もない、真っ白な部屋のベッドの上に寝ていた。


 ***


 アギトは独房の中でたった一人、空のない窓を見つめていた。

 腕には何度も打たれた注射針の跡、実験と称して痛めつけられたアザだらけの体。

 一日二食、質素な食事しか与えられない中――それでもアギトは希望を諦めていなかった。

 注射針の跡が痛ましい腕を真っ直ぐと、窓の方へと伸ばしていく。

 その右手の甲にかつては火の精霊イフリートと雷の精霊ヴォルトの紋様が刻まれていたが、今はその痕跡すらない。

 異世界との繋がりだと確証付けられるものを次々失う中、今ではカガリの行方すらアギトにはわからなかった。

 最後に見たのは初めてこの精神病院に来た日、この病院の院長と話をしていた時……あの時以来だ。

 それでもアギトは決して諦めていなかった。

 諦めるどころか、忘れるはずもない。

 異世界レムグランドで過ごした日々を、楽しかった毎日を、リュートと共にいた時間を。

 それを取り戻す為ならどんな苦境にも耐えられる、アギトの瞳に宿る炎は全く消えていなかった。

 

(リュート、お前は今……どこで何してんのかな。

 ザナハ達もオレ達がいなくなって、大変な目とか遭ってねぇだろうな。

 ま、あいつらならオルフェとか馬鹿君とか……あえて言うならトルディスのじいちゃんとか。

 みんなが付いてるし、オレがいなくても何とかやっていけてるかな?)


 アギトは心の中で語りかけた。

 この独房では監視用のカメラや音声を拾うレコーダーなど、アギトの挙動を二十四時間体制で監視している。

 その為アギトは常に気を張っておかなければいけなかった。

 

(――待っててくれよみんな、リュート。

 今はこんなだけどさ、オレは絶対……必ずそっちへ戻るかんな!

 それまで頑張ってくれよ、オレも早い所ここを出て……そっちに帰る方法探すから!)


 ぐっと拳を握り、力を込める。

 無言のまま――監視カメラで見られても怪しまれない程度に。

 

(リュート……っ、オレは絶対に……お前を助けてやる!

 お前はオレのたった一人の親友なんだから、だから……もう二度と。

 二度とこのオレに向かって「さよなら」なんて、言うんじゃねぇぞ!)


 アギトは誓う。

 その気持ちが永遠に変わらないことを。

 友であるリュートを思い、異世界に居る仲間達を思い、アギトはここ……リ=ヴァースでたった一人戦い続けた。

 

 人体実験すら行われるこの精神病院の中でアギトは――。

 この静かな地獄の中でアギトは、実に三年という長い年月を過ごすこととなった。

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