第292話 「追憶のリュート」
いつからだろう。
自分がこんなにも誰かに必要とされたいと思えるようになったのは・・・。
――――――子供が泣いてる、泣き声が聞こえる。
小さな男の子が泣いてる。
膝を抱えて小さくなって、誰にも聞こえないように泣き声を押し殺して・・・。
何をそんなに泣いてるんだろう?
いや違う、そうじゃない。
あれは「僕」だ・・・、子供の頃の僕が泣いてるんだ・・・。
僕・・・、なんでこんなに泣いてるの・・・?
生まれてすぐ、僕は両親を不仲にさせる原因になった。
その理由はこの「青い髪」、それだけでも驚くには十分な要素だったけれどそれ以上に問題になったこと。
僕の父親がお父さんじゃないかもしれないという、疑い。
当然お母さんは浮気なんてしてないし、僕がお父さんとお母さんの間に生まれた正真正銘本当の子供だと言い張っても、それをお父さんは聞き入れてくれなかった。
事あるごとに喧嘩して、暴力こそなかったけれど家庭内は酷く冷め切った状態になった。
まだ僕が赤ん坊だった頃は言葉の意味を理解することが出来なかったけれど、とても怖かったのは覚えてる。
大声で怒鳴り合って、泣き喚いて、僕の目の前で両親は互いを激しく罵り合っていた。
「この子が余所で作った子供だって、あたしが浮気したって・・・そう言いたいの!?
そんなはずないでしょう! あたしはあんた以外の男と付き合ったことなんて一度もないって言ってるじゃない!」
「嘘をつけ! だったらこの子の髪の色をどうやって説明するつもりだ!
よく見ればオレに似ている所なんてひとつもないだろう、オレの知らない所でお前は・・・っ!」
言葉の意味はよくわからなかったけれど、怖かったのは覚えてる。
僕のせいでお父さんとお母さんが喧嘩して、仲が悪くなって・・・。
まだ赤ん坊だった僕は泣くことしか出来なかった。
やめて、やめてって・・・泣くことしか出来なかったんだ。
全部僕のせい、僕が生まれて来たからお父さんとお母さんが喧嘩する。
僕がいるから仲が悪くなる、泣いて、苦しんで、そしてまた喧嘩する。
僕が保育園に通う頃になってもお父さんとお母さんは仲が悪いままだった。
お母さんは一生懸命僕を愛そうとしてくれた、お母さんだけはわかっていたから。
僕がお父さんとお母さんの本当の子供だって。
でもお母さんは時々僕に向かって呟くことがあったんだ。
「リュートは正真正銘お父さんとお母さんの子供よ、でもね?
例えそうじゃなかったとしても、血の繋がりなんてお母さん気にする必要なんてないと思ってる・・・。
だってこんなに純粋で真っ直ぐな目をした可愛い子供を嫌うなんて出来ないもの。
愛せないはずがない・・・、リュートがこんなに優しい子に育ってくれたんだもの。
ごめんね、お母さんがちゃんと生んであげられなくて・・・本当にごめんねリュート。
お前にイヤな思いばかりさせて、寂しい思いばかりさせて。
お母さんはどんなことがあってもお前の味方だから、お前のことを心の底から愛してるから。
だって・・・お父さんとお母さんの子供だもの、一生離さないからね」
酷く疲れ切った顔を笑顔で一杯にして、お母さんが僕に言った。
僕はここにいてもいいの?
生まれて来て良かったの?
僕がそう言ったら、お母さんはまた目に涙を一杯浮かべて僕を抱き締めた。
遂に耐えられなくなったお母さんは僕が本当の子供かどうか病院で調べてもらうことになった。
そして結果は当然、僕は本当の子供だった。
お父さんとお母さんの間に生まれた子供、でもそれがわかってもお母さんはお父さんを責めたりはしなかった。
責めるどころか、逆に二人は僕に謝る。
「今まで苦しめてごめんな、辛かったろ?
お父さんが馬鹿なせいでこんな小さな子供に辛い仕打ちをして、イヤなものをたくさん見せて」
その時初めて僕は受け入れてもらえたんだと、子供ながらに理解した。
受け入れてもらえたのは両親だけ、周囲は変わり映えしなかった。
奇異な目で見て来る人達、腫れもの扱いするように避ける人達、変な噂を流す人達。
青い髪をした僕を連れて歩くお母さんも、近所でのけ者にされていた。
僕のせいでお母さんも仲間外れにされている。
結局僕が両親を苦しめてしまう事実だけは、変わらないままだった。
「僕が青い髪で生まれて来たせいでお母さんも仲間外れにされて、ごめんね。
全部僕が悪いんだね」
そう言うとお母さんは最高の笑顔で励ましてくれた。
「何言ってるの、リュートの髪はとても綺麗な色をしてるじゃない。
リュートが悪いんじゃないわ。
ちょっと他の人と変わってるってだけで差別する人達の方が変わってるのよ。
お母さんはリュートの髪の色、大好きだからね」
お母さんはそう言うけれど、僕は絶対にこの髪の色を好きになれなかった。
この青い髪のせいでみんなが不幸になる。
だから僕はこの色が大嫌いだった。
青い髪をしている自分が大嫌いだった。
「青髪の化け物のクセに、オレ達と一緒にいんじゃねぇよ!」
小学校に入った時、一緒のクラスになった男の子にそう言われた。
わかってたことだけどそこから僕の暗い学校生活が始まる。
クラス全員から無視されるのはまだ序の口、持ち物が無くなったり机に落書きされたりするのだっていつものこと。
保育園の時と大きく変わったのは、そこに暴力が加わったことだけ。
突然呼び出されて何の用だろうとついて行ったら、そこで数人に囲まれて殴ったり蹴られたりしてすごく痛かったのを覚えてる。
痛かったのは体の痛みだけじゃなくて、胸の痛みの方が強かった。
どうして僕がこんな目に遭わないといけないの!?
青い髪をしてることが、そんなに悪いことなの!?
他人に話しかけるのも、話しかけられるのも怖くなった。
人と関わること自体が恐怖で堪らなくなった。
周囲から心を閉ざしてしまうことで自分の心を守ろうとした、傷付くのを恐れた僕は必死に防衛本能を働かせた。
当然イジメに遭っていることは家族にすぐバレてしまう、学校に文句を言いに行こうとした両親を僕が止めた。
「僕は平気だから」
「学校に文句を言ってもどうせ何も変わらないから」
「だからこれ以上僕の為に何かしようとしないで」
――――――両親を巻き込みたくないから。
両親が学校に文句を言いに行ったらどうなるか、なぜか想像出来た。
僕をいじめるグループの中心に居る男の子、家がすごく金持ちで父親がすごく偉い人間だって言ってた。
僕の両親が文句を言いに行ったら当然その男の子のことが出てくる、そしたらその子の親も黙っていない。
これ以上僕のことで揉めて欲しくなかったんだ、僕一人が我慢すればいいことだから。
ただでさえお父さんもお母さんも僕のことで苦しんでる、だからこれ以上余計な心配をかけさせたくなかったんだ。
それから僕はイジメから自分の身を守る為の処世術を身に付けた。
自分の存在を消してしまうこと、虚無になること、何をされても感情を表に出さないこと。
そうすればきっと、痛みを感じないで済むはずだから・・・。
それはまるで死んでるようだった。
家族の前では自分のままでいられるけれど、一歩外に出てしまえば僕は死んでいるのと変わらない。
仮に何か嬉しいことがあったとしても、決して喜ぶなんてことはしない。
苛められたり暴力を振るわれても、怒ったり抵抗したりすることはない。
他人から無視されたり自分が孤独だと感じても、悲しいなんて思わない。
殴られたり蹴られたりしても痛みを感じないようにして、現実から逃避する自分。
その時はまるで他人事のように自分の現状を客観的に捉えて、何も感じないようにしている。
まるで痛みも苦しみも何も感じない死体のようだ。
いっそ死んでしまいたいと思ったことも何度かあった、でもその時は決まって家族のことを思い出す。
死のうと思っても死にきれなかった、――――――怖かったんだ。
こんなに辛い人生を生きているのに僕は死ぬことすら出来ない、そんな勇気すら持てない自分が悔しかった。
命を絶つことも出来ず、ただ「今」を生きている僕・・・。
そう、僕は生きてるけど・・・死んでるのと何も変わりはなかったんだ。
これからもそうだと思ってた、何も変わることなく自分を殺し続けて空っぽのまま生き続けるんだと思ってた。
そんな時、僕に生を与えてくれた少年と出会った。
その少年の名前は六郷アギト、信じられないことに僕と同じ青い髪をした少年だった。
青い髪だけじゃなく雰囲気は大きく異なるけど、どこか双子のように感じられるアギトがとても気になった。
誰もが避けて話しかけて来ることのなかった僕に向かって、アギトだけは笑顔で話しかけて来てくれたんだ。
あんなに嬉しかったことはない、涙が出る程・・・本当に嬉しかったんだ。
僕はきっとあの日の出来事は一生忘れない。
あの日――――――アギトと出会った瞬間、僕はこの世に生を受けたんだ。
まるで正反対の僕達、性格も両極端。
消極的な僕に対してアギトはものすごく積極的だったし、僕の知らないことを何でも知っている。
そんなアギトと一緒に居るだけで気持ちがすごく晴れやかになって、別に何もしてなくてもすごく楽しかった。
僕のことを奇異な目で見たりしない、同じ目線で同等に接してくれるアギト。
引っ込み思案で他人と会話をあまりしたことがなかったせいで、僕は何を話すにしても言葉がたどたどしくなってうまく説明出来なかったり、自分が思ってることをうまく伝えられずにいても、アギトはイヤな顔ひとつせずに僕の話を最後まで聞いてくれた。
そんなちょっとしたことが僕にとってはすごく嬉しくて、楽しくて、涙が出る程・・・感謝の気持ちで一杯だったんだ。
アギトにとってはほんの些細な出来事でも、僕にとってはその全てが特別になれたんだ。
初めての友達、ううん・・・それ以上の何かをアギトに感じてた。
こんなにも心が温まることなんてなかった、家族とは違う温もりを感じる。
だから僕はアギトの為なら何でも出来るって信じてた、――――――死ぬことだって出来ると確信出来た。
そう、僕はアギトのことが大切なんだ。
アギトの為なら自分の命を投げ出すことすら、惜しくない。
だってそれ以上のものをアギトはたくさんたくさん僕にくれたんだから。
アギトは僕を生かしてくれた、命をくれた。
僕が生きていてもいいんだって・・・、この世に生きていてもいいんだって教えてくれた。
アギトと一緒に居て、一緒に遊んで、一緒に過ごして、すごく楽しかった。
本当にとても楽しかったんだよ、――――――アギトも同じように思ってくれてるかな?
そうだったら、嬉しいな。
だからアギト、僕がいなくなっても悲しまないで。
僕は一緒に過ごした日々がとても大切過ぎて、十分過ぎる程・・・生きることが出来たんだから。
アギトが生きてくれているだけで、僕は幸せなんだから。
自分勝手なことを言ってるかもしれない、でもね?
僕はアギトの為に生かされてる存在なんだ。
アギトが生きる為に、僕は生まれた。
死ぬ為に、僕はこの世に生まれて来たんだよ。
後悔はないんだ、でも・・・心残りはほんの少しだけある。
あの頃、僕は死にたくて堪らなかったはずなのに結局死ぬことが出来なかった。
でも今はその逆だった。
死を選ぶことが出来る状況が整って、そこへ一歩足を踏み出そうとした瞬間、僕の脳裏を逆の思考がかすった。
――――――生きたい。
生きたい、もっと生き続けたい、アギトと一緒に生きていたい。
こんなにも生きることに執着する自分が信じられなかった。
昔はただ死にたくて堪らなくて、自分で自分の命を絶つことが出来なかった僕が。
別に死を恐れてたわけじゃない。
それ以上に僕は、もっとずっとアギトと共にこの世界を生きていたいって思うようになってたんだ。
この特別な日々を失いたくない、もっとたくさんの思い出を作っていきたい。
目の前に死が近付いた途端、そんな見苦しい感情が芽生えて来る。
覚悟を決めたはずなのに、自分の死を・・・運命を受け止めたはずなのに。
アギトとの永遠の別れを、受け入れることは出来なかった。
でももうすでに遅いことはわかっている。
このまま僕が生き続けた所で、誰も報われない、誰も救われない。
双つ星の戦士は、強い方が弱い方の生命力を搾取することで成長していく性質を持っている。
この場合僕の能力の方がアギトより少しだけ上だったせいで、アギトの成長を奪って僕は生きて来た。
もしこのまま僕が闇の戦士の運命を受け入れないで生き続けたとしたら、アギトという個の存在を形成しているマナを僕が搾取し続けて・・・、やがてアギトの肉体は個を保っていられなくなる。
そうすればマナが枯渇した肉体は不足分を補うことが出来ず、――――――乖離していく。
僕の「生」は、アギトの「死」へと繋がる。
だから選択の余地はない、僕はアギトに生きてて欲しいから。
それがアギトの為、世界の為、・・・強いては僕の為。
そう思えば少しだけラクになれた。
だからもう大丈夫、何も怖いことなんかない。
アギトが死んでしまう恐怖に比べれば、自分の死なんて大したことじゃないんだから。
アギトをこの手で殺してしまう悪夢のような事実に比べれば、僕の死なんて些細なことなんだから。
僕の命がアギトの命を救う手だてになるってわかった時、その時初めて・・・やっと必要とされているって気付いたんだ。
今まで誰からも必要とされなくて、家族以外に僕の存在を必要としてくれる他人も理由も何もなくて。
この時初めて、僕が誰かに必要とされているってことに気付いたんだ。
それがアギトだった、僕と同じ青い髪をした少年だった、生まれて初めての友達だった、かけがえのない存在だった。
あぁ、そうか。
今わかった・・・、やっとわかったんだ。
僕が何で生まれて来たのか。
何の為に生まれて来たのか、それが今やっとわかった気がするよ。
きっと僕は・・・。
アギトと出会う為に、生まれて来たんだ・・・。
今なら素直にそう思えるよ。
こんなにもアギトのことが大事だから・・・、大切な親友だから。
だからきっと・・・。
僕はこうしてアギトと友達になる為に生まれて来たんだって、そう信じられるよ。