第287話 「闇の取引」
巨大な扉の前にリュートは立っていた。そこで闇の眷族へと堕ちたユリアが見守る中、リュートは左手に古びた銀時計を掲げる。
これは数年前、ルイドが幼いザナハへと託したもの。
他の者の手に渡らないように、決して闇の眷族に渡らないようにと預けた大切なもの。
リュートはずっと大切に、肌身離さず持っていてくれたザナハに心の底から感謝していた。
この銀時計が自分の運命を確定させるから、自分がこの世界から消えてなくなることでアギトを生かすことが出来るから。
「悠久の時の流れを司る者。
過去、現在、未来の時を刻む者。
我が声に応えよ、我と交わせし盟約に応えよ、そして我が願いを聞き給え!
今こそ我との、汝との盟約を果たす時!
我がマナを以て召喚する――――――現れ出でよ、・・・時の精霊クロノス!」
紡がれるリュートの言の葉に、そして放出されるリュートのマナに反応するように、左手に掲げられた銀時計が輝き出し、そして止まっていた時が再び刻み出す。
それと同時に銀時計から黒い靄のような物が現れ、それがリュート達の眼前に集約されていき一つの黒い塊となる。
びりびりと大気が振動するように肌を刺激し、甲高い耳鳴りまでしてリュートは眉をひそめた。
しかしユリアは黒い靄の塊を見つめながら口の端を上げて微笑む。
(――――――出た!)
縁が金色の黒いマントをはためかせ、涼しげな表情をした男が召喚したリュートを静かに見下ろした。
リュートはまるでそこだけ時が止まったような感覚に陥りながら、端正に整った男の姿に驚いている。
今までリュートが見知っている精霊の姿は皆、どこか人間離れしている外見であった。
しかし今目の前に居る時の精霊クロノスの姿は銀色の長い髪に白い肌、見る者全てを凍りつかせるような涼しげな瞳に笑みのない口元、闇の精霊シャドウのように鎧を身に纏っているわけではなく、比較的軽装で黒やグレイを基調とした衣服、腕のアームウォーマー部分や腰、ブーツにはいくつものベルトが巻き付けられている。
リュートの心臓の鼓動が速くなる、遂にこの時が来たのだ。
緊張しているリュートに、クロノスが話しかける。
「最後の時が訪れたのだな、――――――いいだろう。
ようやく私との誓いを果たす時、この地獄のような長い時の中・・・よくここまで耐えた。
リュートよ、・・・お前の先代であるルイドから授かりし魔剣をここに」
そう促されリュートは銀時計をポケットにしまうと、もう一度左手を掲げた。
先の大戦でルイドが得た魔剣。
ルイドの精神世界面での経験から、一時的に受け継がれたもの。
よってそれは正当なものではなく『歪み』で得た魔剣、その為に一度抜剣すれば二度はない。
つまり、失敗は許されないというわけだ。
リュートは左手にマナを集中させる、手の甲にはこれまでに契約を交わした風の精霊シルフと土の精霊ノームの紋様が刻まれているが、発せられるマナに反応してわずかに輝きを増した。
その時――――――。
「リュートっ!!」
隔壁の間へと辿り着いたアギト達、肩で息を切らしながら必死で駆けて来た様子が窺える。
扉の前に立っているリュートとユリアはゆっくりと後ろを振り向き、アギト達を見据えた。
アギトは今自分が立っているフロア全体、それから目の前にある巨大な扉、その扉の前に立っているリュートとユリア、空中に浮かんでいる銀髪の男へと順番に視線を動かす。
このフロアで何が行なわれているのか、リュートが何をしようとしているのか・・・それらを確認するように。
アギトの横でザナハは苦痛に満ちた表情になった、この隔壁の間へ続く道の途中に・・・別れ際にリュートから言われた言葉を思い出したザナハは、その言葉の意味を今ようやく把握した。
『隔壁の間へ行ったら、僕はもう・・・僕じゃなくなってる。
だからこれが、―――――――今度こそ本当にさよならだ』
その言葉通り、今目の前に居るリュートはザナハの知るリュートとは明らかに違っていた。
冷たい表情、何の感情も現さず冷淡な眼差しを親友であるアギトに向けるリュート。
ここにはもうかつての仲間であったリュートは存在しない、とでも言うようにリュートは蔑むような雰囲気で見下していたのだ。
まるでアギトとザナハとの関係を、全ての感情を一切断ち切るつもりでいるような――――――そんな面差しである。
アギトもリュートの変化に気付いているのか、必死になってリュートを怒鳴りつける。
「リュートてめぇ、いい加減にしやがれってんだ!
何でも自分一人で解決しようとしてんじゃねぇよ、そんなにオレ達仲間のことが信用出来ねぇっていうのかっ!
お前だけで一体何が出来るってんだよ、ふざけんなっ!」
声を荒らげるアギトに対し、リュートは表情と同じように冷たい口調で静かに言い放った。
「アギト達がここまで来るのはわかってたけど、随分早かったんだね。
まぁ・・・僕が時間をかけ過ぎたっていうのもあるけど、とにかく・・・もうルイドは殺して来たんだよねアギト?」
「――――――っっ!」
アギトはルイドの心臓を突き刺した時の感触がリアルに戻って来たのを感じ、息を飲んだ。その隣ではザナハもショックを受けたように表情を凍らせている、リュートの口から・・・誰かの口からはっきりとその言葉を聞きたくなかった。
「だったらもう知ってるはずだよね、ルイドの心臓に寄生している核のことを。
ディアヴォロを完全に廃棄、この世から完全に消滅させるにはディアヴォロの核を全て破壊しなくちゃいけない。
それが出来るのは光の戦士だけ、だからルイドはこんな回りくどいことをして・・・望みを叶えた。
今度は僕の番だ、・・・タイミングが良かったね。
ちょうど今から封印の扉を開けて、核をこの身に寄生させる所だったんだ」
「やめろっ! そんなことしたらお前・・・っ、意味わかって言ってんのかっ!」
リュートが扉の方に視線を向け、扉を開けようとする仕草をしたので慌ててアギトが制止する。
その反応が返ってくることが分かっていたのか、リュートはわずかに口の端を持ち上げて冷たい笑みをこぼした。
「アギトこそ、意味がわかってそこに立ってるの?」
「な・・・、なに!?」
「核ごとルイドを殺してここまで来たってことは、僕が今から何をしようとしているのかわかってここに来たんだろ?
世界を救う術がこれしかないってことがわかってて、ここまで来たんだろう?
だったらアギト・・・、アギトはこの僕を殺す覚悟が出来てるから、そこに立ってるってことなんだろう?」
抑揚のない口調、まるで機械のように感情を込めることなく冷淡に言い放たれる言葉にアギトは咄嗟に否定する。
「違うっ! そんなわけねぇだろうが、オレはお前が核を寄生させる前に・・・、止める為にここに・・・っ!」
「ディアヴォロの復活はもうすぐそこなんだ、抗う時間なんて残されていないんだよ」
「それでも止める!」
アギトの揺るぎない言葉にリュートはわずかに苛立った、眉根を寄せて静かに奥歯を噛み締める。
わかっていたことだがアギトに面と向かってはっきり駄々をこねられ、リュートは胸がムカついてきた。
「何の作戦も、策もない癖に・・・あまり無責任なことは言わない方がいいよ。
僕はもう決心したんだ、受け入れたんだよ自分の運命を!」
「そんなの関係ねぇ! オレは誰かを犠牲にすることでしか救われない世界なんて、絶対に認めねぇ!
お前が世界の為に犠牲になっていいわけねぇじゃねぇかっ!
オレはそんなの認めないからな、絶対に許さないからな!
何があろうとオレは絶対にお前を殺さねぇ! もうこれ以上誰かを殺すなんて、絶対にしたくねぇんだよっ!!」
アギトの悲痛な叫びにも近い訴えに、リュートは聞き分けのないアギトの必死な言葉に堪え切れず、自分の唇を力一杯噛むと口の中で血の味がした。
これ以上言葉を重ねてもアギトとは平行線のままだと察したのか、リュートはあからさまに苛立ちを募らせた表情を浮かべると側に黙って控えていたユリアへと合図する。
わざわざこの場で言葉を交わさなくても、あらかじめ計画していたこと。
リュートが魔剣を使ってディアヴォロが封印されている扉を開けて核を寄生させるまでの間、アギト達が邪魔をしないように足止めさせる。それが眷族と交わした闇の取引に含まれている内容だった。
リュートの視線による合図、そしてそれに応えたユリアの挙動を見たオルフェは右手にホーリーランスを出現させ、疾風の如き速さで投げつけた。
ホーリーランスはユリアを狙っていたわけではない、軌道は真っ直ぐとリュートへ向けられていた。
「バッ・・・、何やってんだオルフェっ!
危ねぇリュート、避けろぉぉぉおおおぉぉっっ!!」
突然のオルフェの行動にアギトは叫ぶことしか出来なかった。
「――――――っ!!」
アギトの声に反応したリュートは素早く振り向き、眼前に迫っていたホーリーランスをギリギリ回避するが刃先はリュートの左頬をかすめ、頬の肉を抉った。
血が噴き出しリュートは咄嗟に風の回復魔法である「ヒールウィンド」を発動させるが、止血だけで傷口が一向に塞がらない。
左頬に激痛が走りリュートは片手で押さえながら痛みに耐える、そして何度も傷口を塞ごうとするがぱっくりと傷口は開いたままであった。リュートの頬をかすめたホーリーランスはユリアに回収されることを恐れたオルフェが、すぐさまホーリーランスを光と共にその場から消失させる。
ホーリーランスを回収したオルフェはリュートに傷を負わせた瞬間、違和感に囚われていた。
それから記憶のどこかで何かが引っ掛かってよく思い出せず硬直していると、リュートに攻撃を仕掛けて来たことに対して激怒したアギトが怒声を上げて詰め寄っていた。
ザナハも同じようにオルフェに詰め寄り、涙を堪えながら訴える。
「てめぇオルフェ、一体何してやがんだふざけんじゃねぇっ!!」
「そうよオルフェ! リュートはあたし達の仲間、そうでしょう!?
これ以上傷付け合うのはもうやめて、アギトの言うように他の方法を考えて・・・お願いっ!
あたしはもうルイドのような犠牲者を増やしたくない、あんな悲しみ・・・二度と・・・っ!」
しかし二人の言葉が届いていないオルフェは、顔面を蒼白にさせ片手で口元を押さえながら強い衝撃を受けている様子だった。
「まさか・・・・、そんな・・・そんなことが・・・!?
ですがもしそうなら全てのつじつまが合ってしまう、私はなぜこの可能性を今まで考えなかった!?
あの精霊が存在しているということはわかっていたはずなのに、その可能性を考慮しなかった・・・。
いくら観測例がなかったとはいえ、私としたことが・・・っ!
――――――こんな残酷な結末をルイドは望んでいたというのですか!?」
オルフェは震える声で、殆ど無意識に近い状態で口にしていた。勿論オルフェが何のことを言ってるのかアギトもザナハも、何も理解していない。
何か重大なことをオルフェが発見した、それにいち早く気付いたミラが怪訝に思い声をかけようとした瞬間・・・!
「――――――サイレンス!」
突然ユリアの補助魔法が発動し、油断していたオルフェは声が出なくなる魔法にかかってしまった。
「・・・っ!!」
「大佐、大丈夫ですか!?
今何か・・・、何かを告げようとしていましたね!?
一体何ですか!?」
しかしオルフェは声が出せず口をぱくぱくさせるだけだった。
アギトやザナハは「サイレンス」という魔法により、オルフェの強力な魔法が封じられたと思っていたが、ユリアの目的はそこではなくもっと別の所にあった。
攻撃を受けたと察したサイロンやハルヒが前に出てユリアに攻撃を仕掛けようとした時、ユリアはにやりとほくそ笑んで空中に指でなぞらえながら魔法陣を描き出すと、複数の魔物を召喚した。
サイロン達は突然現れた魔物達に行く手を阻まれてしまう、オルフェにかけられた魔法を解除しようとミラやザナハが治癒魔法を施そうとするがユリアのかけた魔法のレベルが相当高いせいか解除するのは困難を極めていた。
これで少しの間は時間を稼げると思ったユリアは、回復魔法で頬の傷を塞ごうとしているリュートの方へと歩み寄る。
「いくら回復魔法をかけても無駄よ、リュート君。
ホーリーランスは特殊な聖武具、持ち主の意に反応して様々な効力を与えるものだからね。
止血は出来ても傷跡は残ったままになるわ」
そう言ってからユリアは人差し指をリュートの傷口に押し当て、なぞるように触れて行くとぱっくり開いていた傷口が閉じて行き、まるで縫合したかのように塞がった。
「その傷は一生消えない、あたしに出来るのはここまでよ。
さて・・・あたしはおいたをした悪い子達に、お仕置きしないと・・・ね」
ユリアはアギト達の方を見据える・・・が、サイロン達の他にアギト達も魔物との戦いに加勢していた。
しかも少々手こずっている光景を見て、もう一度リュートの方へと振り返る。
リュートは激痛に堪えながら暗黙しているクロノスへと向かい合い、左手にマナを集約させて魔剣を生成する作業をしていた。
「忙しい所悪いけれど、もう一度だけ確認させてもらうわよ?」
「・・・確認?」
「えぇ、あたしとルイド君が交わした闇の取引について・・・。
ルイド君の願いを叶える代わりに、リュート君・・・君の肉体をディアヴォロ様の器にすること。
闇の戦士の・・・それも双つ星の戦士の肉体を得ることで、ディアヴォロ様は究極の生物兵器として転生される。
君が封印の鍵である魔剣で扉を開けて、ディアヴォロ様を復活させ・・・核をその身に寄生させる。
それと同時にディアヴォロ様は君の肉体を瞬時に乗っ取り、取引が成立する。
条件として光の戦士の安全を確保する、・・・それでいいのよね?」
まるでユリアは確認というより念を押すとでも言うように、ゆっくりとした口調でリュートに聞かせた。
リュートは背を向けたまま耳を傾け、そして顔だけ振り向き頷く。
「そうだよ、その為にあんたがアギト達が邪魔をしないように足止めしてくれるんでしょ?
・・・ちゃんと取引の内容位わかってるさ、だからもう邪魔をしないでよね」
「ふふっ、『信じてる』わよ・・・リュート君」
口ではそう言ってもユリアの表情は残酷さを含んだような笑みを浮かべており、リュートはそんなユリアの表情に嫌悪感を抱いた。そしてすぐに魔剣生成の作業に戻る。
ユリアもまたリュートに背を向けて、アギト達の方に向き直った。
思わず堪え切れない笑みを含ませたユリアは、背後に居るリュートを横目で見つめる。
(そう・・・、この先の未来をルイド君が知らなくて当然よね?
だって死んだ後のことなんて、見えるはずがないもの・・・そうでしょリュート君)
ユリアは邪悪に微笑み、それからアギト達の前へと進み出た。
リュートが無事扉を開けて核を寄生させる為、ユリアはその邪魔をさせないように・・・そして遊び半分の意味も込めて、アギト達の前に立ちはだかる。