第285話 「思いがけない増援」
アルトスク決闘場を後にしたアギトは薄暗い通路を駆けながら、目の前を走って行くハルヒに声をかけた。サイロンもそのすぐ前方を走っているのだが、アギトがサイロンに直接話しかけなかったのはルイドの肉体を消滅させた時のサイロンのことを思ったら何となく声がかけづらかったせいだ。
「なぁお前等、そういや結構早くこっちに来たと思うんだけど・・・。
あのイカレ野郎と4軍団を全部倒して駆けつけたのか?」
サイロン達はアギトとザナハを先に行かせる為に、ひとつ前のフロアに残って戦っていたはずだった。
ジークの他にも忠誠を尽くすことに執念を燃やしていたヴァルバロッサとブレアを相手に、例え人数的には有利であっても苦戦するはずだと思っていたのだ。
「あの後増援が来て、オレ達はここまで来ることが出来たんだ。
若様には双つ星の戦士の行く末を見届ける義務がある、それこそ龍神族族長の役割。
それを果たす為に『彼等』が闇の眷族となったジークと、そして4軍団の残りを引き受けてくれた」
「――――――増援?
この建物の中にオレ達以外が入れたんだ。
・・・で? 増援って一体誰が」
アギトの問いに、先頭を走っていたサイロンがいつもの誇らしげな笑みを浮かべながら振り向き、答えた。
その笑顔には悲しみも辛さも、微塵として感じられない。
「思いも寄らぬ増援じゃよ、あやつなら何の心配もなく任せられる」
そう満足気な口調で言い放つと、無駄話はこれでおしまいとでも言うようにサイロンは更に速度を上げ走り出した。
(・・・だから、誰が来たんだっつってんだよ!)
アギトは少しふてくされたような表情を作りながら、気を取り直して先を急いだ。
フロア中に響き渡る轟音、激しい戦いの中ジークは焦燥の滲む顔で必死に攻防していた。
ヴァルバロッサやブレアは決してジークの味方をしているわけではない、特にヴァルバロッサに関してはジークが実の息子ということもあり心中穏やかではなかったが、それでもジークを擁護して戦っているわけではなかった。
闇に堕ちた息子、例え父親相手でも容赦のない残酷さ、彼が完全に世界の敵であるディアヴォロの眷族と成り果ててしまったことを誰よりも痛感しているのは、ヴァルバロッサ本人であったのだ。
それ故に今の戦いが終わった後に彼をどうするのか、否――――――彼がどうなるのか、それはとっくにわかっていた。
だからこそヴァルバロッサは、あえて息子だったジークに肩入れすることも味方することもなく戦っている。
突如として現れた増援を相手に。
「まさかお前が出て来るとは思っていなかったぞ、先の大戦で行方知れずになったと思っていたが・・・。
ミズキの里から戻って来たブレアの話、今になってようやく理解出来た。
龍神族族長パイロンと面識のある銀髪の男、・・・ミズキの里で隠居生活を送っていたとはな。
疾風のネイス、いや・・・今は伊綱という名だったか!?」
ヴァルバロッサは巨大な斧を片手で、まるで指を差すように一人の男に向かって突き付けた。
絢爛な羽織をだらりと着崩し、気だるそうな物腰だがどこか威圧感を感じさせる長い銀髪の男――――――伊綱の顔に笑みはない。
いつも片手に持っているキセルから、今はクナイを手にヴァルバロッサ達を相手にしていた。
膝をついてうずくまっているジークの周囲には青白く光る魔法陣が描かれ、その光の壁から手を出そうとしたら指が焼け焦げ、すぐに手を引っ込める。奥歯を噛み締めながら伊綱を睨みつけるジーク。
「くそ・・・ネイス、貴様・・・っ!
どっちに転んでも僕の邪魔をするのかよ、忌々しい奴め!」
ジークは爪で床を掻きむしる仕草をし、強く爪を立てたせいで血の跡が床についた。
じっと伊綱一人を睨みつけ、更に罵る。
「お前だってエヴァンが欲しかったんだろうが、今更正当ぶるなよ・・・なぁ。
ネイス・・・お前も本当は心の中でずっとエヴァンを汚したいって思ってたんだろうが、僕にはわかるよその気持ち」
静かに佇む伊綱を挑発するように、ジークは表情を歪めながらいやらしく笑って見せた。
「エヴァンは綺麗だったもんね、それに優しいし、最高の女だよね。
でもエヴァンの心はルイドの方へ向いていた、・・・本当は悔しくて仕方なかったんだろう?
そんな愛しいエヴァンを殺したルイドのことが本当は憎くてしょうがなかったんだろう?
素直になりなよ、ディアヴォロ様は素直な人間が大好きなんだ。
本当の気持ちを曝け出せばきっとお前の願いを叶えてくれるよ、闇の帝王がね」
魔法陣の光の壁に触れないように、伊綱に向かって手招きするジーク。
しかし伊綱はそんな安い挑発に乗るような男ではなかった、眉ひとつ動かすことなく伊綱はジークを無視していた。
そんな態度を見たジークは怒り狂って、更なる罵倒を浴びせるが・・・伊綱には全く効果がない。
簡易結界の中に閉じ込めたジークに視線を配ることもなく、伊綱はもっと厄介な男の方へと視線を定める。
そんな伊綱の両サイドを固めるように、彼の部下でもあるリンと辰巳が同じように武器を構えている、伊綱達の後方には心身ともに弱っているフィアナを介抱するようにカトルがストラをかけていた。
「カトル、そいつ・・・ドルチェじゃない!
教会を襲った方だ、なんで大佐はそいつを助けろなんて言うんだよ!?
こいつもルイドの配下、・・・4軍団なんだろ!?
ドルチェの方は一体どこに行ったんだよっ!?」
『あの日』の悪夢が脳裏に蘇っているレイヴンが声を震わせながら、カトルの治療の邪魔をするように声をかけてきた。
カトルは精神を集中させ、せめてフィアナが自分一人で立って歩ける位にまで回復するようにしようと必死である。
「今はそんなことどうでもいいだろ、あの大佐がオレ達に向かって頼むと言ったんだ。
細かいことは考えずに今は助けるしかない、それに・・・あまりここでぐずぐずしてもいられないだろう。
戦いは最終段階まで来ているんだ、ディアヴォロを倒せばこのクジャナ宮も無事では済まないだろうからな。
ディアヴォロの復活が間近に迫ってるとあって、眷族のヤツがここのシステムを復活させてしまった。
今までアビスグランドの首都としてそびえ立っていたこのクジャナ宮も、システムによって今では浮遊要塞と化している。
オレ達だって龍神族の翼がなければここまで来ることは出来なかったんだ。
せめてあいつらの退路だけでも、オレ達が確保しておく必要があるだろう」
冷静な口調でリヒターが言った。
伊綱は前方に居るジーク達を見据えたままだったが、後方から聞こえるリヒターの冷静な判断力を聞いて少しだけ微笑む。
「ヴァルバロッサ、それにブレア・・・といったか?
ルイドへの忠誠も結構だが、お前達にとって・・・今はもうルイドの命令だけではないのだろう」
伊綱の静かな言葉がヴァルバロッサとブレアの心を突き刺した。
「ルイドの望みが『自らの死』ならば、お前達自身もこの戦いの先に死を望んでいると・・・オレは睨んでいるのだが。
果たしてそれは忠誠と呼ぶのか?
どういった形にせよ、ルイドはお前達のことを少なくともオレよりは信頼していた。
だからこそルイドはお前達の結末に、死を望んだりはしていないはずだ。
・・・ここは手を引け、武器を下ろしてもルイドはお前達を咎めたりはしない」
伊綱はルイドの心中を察した風に述べてみた。
それで他の誰よりもルイドへの忠誠心が強いこの二人が武器を下ろすとも思えなかったが、伊綱はせめて自分の知るルイドならばどう考え、どう思っていたのかを推測し、それを言葉にしただけだった。
少なくとも先の大戦を共に駆け抜けたあの頃のルイドならば、自分の部下に死を選択させようとはしなかったはずだ。
一縷の望みを賭けて説き伏せようとするが、彼等の意志は伊綱が思っていた以上に強固であった。
「我等はルイド様と共にある、それが我等の誇りであり・・・我等の全て!
この世界にルイド様がいなくなれば・・・我等とて存在する意味がない。
また無に帰る位ならば・・・、我等はルイド様のいらっしゃる地獄へとお供するまで!」
「私の世界はルイド様で構成されているわ・・・、そのルイド様がいなくなれば空っぽも同然よ。
それならば私は最期までルイド様の命令に従い・・・っ、そして散る覚悟だっ!」
全てを込めて、二人は伊綱へと特攻していった。
伊綱もまた・・・愚かな二人の決断に悩ましい表情を浮かべながら、迎え撃つ。
アルトスク決闘場と隔壁の間とのちょうど中間地点に、ザナハは立ち尽くしていた。
身動き一つ取ることが出来ず、何度も何度も抗おうとしたが一向に指先一つ動かすことが出来ずにいた。
そんな時――――――後方から多人数の足音が近付いてくるのが聞こえた、その瞬間ザナハを縛っていたものがひとつ解除される。
殆ど無意識だった、頭の中は混乱していて苦しみと悲しみと後悔の念で渦を巻いていたせいもあってか、そこまで深く考えていたわけではなかった。
それでもザナハはこちらへ近付いて来る相手に向かって、泣き叫ぶという表現が合うように・・・力の限り叫んだ。
「アギト――――――――――――ッ!!」
それは殆ど心の叫びに近かった。
薄暗い通路にたった一人置き去りにされ、大切な者がたった一人で死地へと向かう後ろ姿を、ザナハはただ見送ることしか出来ないという壮絶な苦しみ。
リュートに対して言葉の一つすらかけることが出来なかったザナハは、自分の無力さを強く嘆いていた。
そして彼に全てを託そうと思った。
アギトなら連れ戻せると。
ザナハに出来なかったことを、アギトならやってくれる。
なぜならアギトはリュートの親友なのだから。
自分とは違う・・・、アギトとリュートは心から通い合っている者同士なのだから。
アギトならきっと自分の願いに応えてくれる。
きっと助けてくれる。
今は心の底から強く、そう信じられた。
口が悪くて態度が大きくて下品で馬鹿で、ザナハが思い描いていた光の戦士とは天と地程の差があった。
ザナハはそんなアギトのことが疎ましくて、絶対好きになれないとさえ思っていた。
「ザナハ――――――――――――ッ!!」
遠くから自分の名を叫ぶ声が聞こえた。
ザナハは大粒の涙を床に零し、それまでうつむいていた顔を上にあげて更に叫び続ける。
今度こそ届いて欲しい、この声を、言葉を。
自分の想いがアギトへ届くように―――――――――。