第282話 「別れの言葉」
大きな正方形の石が敷き詰められた武舞台の上で向かい合うアギトとルイド、広大なフロアの中にいるにも関わらずアギトの後ろとルイドの後ろにある通路から風が吹き抜けているのか、そっと二人の青い髪を撫でていた。
再び仕切り直すようにアギトが剣を構えて睨みつけると、ルイドはどこか満足そうな笑みを浮かべながら腰のベルトに取り付けられた鞘から細身の剣を抜くと左手で構える。
「そういえばお前とこうして対峙するのは、これで何回目だろうな」
「知らねぇよ、数えてねぇし」
ルイドが懐かしそうに話しかけるも、アギトはそっけなく返すだけだった。
ともかく今目の前に居る憎い敵を一刻も早く倒して友の後を追わなければいけないのだと、アギトの頭の中はそれで満たされている。それを察したのかルイドは戦いに集中させる為、アギトに向かってなおも話しかけた。
「他のことを考えている余裕があるのか? 仮にもオレは戦士の中でも最高の部類に入るあのジャックを倒した男だぞ」
アギトの片目が痙攣するようにピクリと反応する。胸の奥がざわざわして、ここに来てずっと積み重なって来た苛立ちが今にも爆発しそうになったのを、アギトは歯を食いしばって何とか弾けそうになった怒りを抑えた。
するとルイドはアギトに視線を逸らすことなく剣を右手に持ち替え、アギトを軸にして円を描くようにゆっくり歩き出す。左手で青い髪を払いながら首筋をさすり、挑発するような言葉を続けた。
「物理的な戦闘能力だけで言うなら、間違いなくジャックはこの世界で最強と謳っても過言ではない。
そんな男を失ったお前達に、果たして希望はあるか?
こうしてる間にもリュートが隔壁の間に辿り着き、・・・そしてディアヴォロ復活を促すだろう。
ディアヴォロが完全に復活すればこの世界は確実に終わる。世界は瘴気に包まれ、負のオーラに冒された動植物が闇の眷族と成り果てて大地を徘徊し、徐々に世界に満ちているマナをディアヴォロが喰らい続ける。
精霊の加護が強い地域で結界を張り運良く生き残ったとしても、結界の外に出ることは死を意味し、長い年月をかけて滅びの時を待つしかない。それがお前達に残された未来、逃れようのない確定された未来なんだ」
そう言葉を切った瞬間、アギトは地を這う衝撃波をルイドめがけて放った。当然アギトの挙動に目を逸らすことなく警戒していたルイドは、その衝撃波を難なく回避する。
「テメーの方こそ余裕ぶっこいてんじゃねぇよ、胸クソ悪ぃ御託ばっか並べやがって・・・っ!
ラスボスであるお前を倒せばこの戦いは終わるんだ!
そんでリュートを連れ戻してディアヴォロぶっ倒して、ハッピーエンドになるのがこの世界のシナリオなんだよ!」
物怖じすることなくアギトはハッキリとルイドに向かって宣言する、それがアギトの望む未来だから。それを聞いたルイドは含み笑いを浮かべると足を止め、真正面に見据えた。
「―――――――なら、やってみろ」
一方、隔壁の間へと進んで行くリュートとザナハ。一本道になっているこの通路の―――――――遥か後方では、今まさにアギトとルイドが交戦中であった。
歩き続けて数分経った頃、突然リュートが通路の途中で立ち止まる。
(・・・この辺りでいいか)
するとリュートはザナハの方を振り返ると、少し悲しそうな笑みを作り話しかけた。
「ごめんねザナハ、体が勝手に動いて気持ち悪かったでしょ?
でももうしばらくだけ我慢してくれるかな、大丈夫―――――――僕の用事はすぐに終わるから」
冷たい表情ではなく、きちんと感情が表れている微笑み、優しくザナハに話しかけて来る声、それを見たザナハは胸の奥が熱くなり涙が溢れそうになった。
ザナハの知っているリュートだと、・・・そう感じた。
リュートが立ち止まったと同時に自分の体も立ち止まっているが未だに自由が利かない、それに加え声も出せない状態にザナハは口をぱくぱくさせながら必死になって目の前に居るリュートに訴える。
しかし体の自由も声も、元に戻してくれるわけではなかったようで、リュートは困った笑みを浮かべながら申し訳なさそうに首を傾げ、謝罪するだけだった。
「本当にごめん。
僕はここで―――――――ザナハとはもうこれ以上、言葉を交わさないで別れるつもりだから・・・。
声を元に戻してあげることは出来ないんだよ」
その言葉の意味が全く理解出来ず、ザナハは眉根を寄せた。
(別れる!? それってどういう意味!? リュート、一体何を言ってるの!?)
心の中で叫んでもその言葉がリュートに届くことはなく、一方的に話しかけられるだけだった。
「この先には隔壁の間、つまりディアヴォロの本体が眠ってる場所があるんだ。
ザナハ達ももうとっくに知ってると思うけど、遥か昔にディアヴォロを封印した世界最初の神子、そしてアンフィニであるアウラは今もこの世界に生き続けてる。
ルイドの話では、アウラはディアヴォロの本体の・・・すぐ近くに隔離されているらしいんだ。
10年前の大戦の時に隔壁の間までやって来たルイドと、当時の闇の神子はそこでアウラの存在を確認した・・・。
ディアヴォロを確実に倒す方法を聞いたルイドはアウラと約束を交わして、ディアヴォロの核を受け入れたんだ。
そして今、最後の核を―――――――3つ目の核を僕が受け入れ破壊することが出来れば、ディアヴォロを完全に廃棄させることが可能になる。本当の平和が約束されるんだよ、ザナハ達が安心して暮らせる世界がね」
「―――――――っ!?」
リュートの言葉は驚きの連続だった、声の出せないザナハは今言われた言葉に関して質問することが出来ない、それがもどかしくて何度も唸るように声を出そうと試みるが、呻いているだけで全く言葉になっていなかった。
そんなザナハの様子を見て、リュートなりにザナハが聞きたい質問を解釈して答える。
「声を戻してあげれば簡単なんだけど、一度解除したらまた声を出せなくすることが出来なくなるからね・・・。
ほら、もし万が一精霊でも召喚して僕の行動を邪魔されちゃったら、堪らないし。
フォルキスももう少し融通の利く薬だったらいいんだけど、『あの時』は他の人達に悟られないように命令するのが精一杯だったから、単純な行動しか取らせることが出来なかったんだよ」
「・・・・・・!?」
「あぁ、今ザナハの体の自由が利かない原因だよ。
ザナハ達が光の精霊ルナと契約を交わしに行く直前、・・・僕の手作りカレーを食べてくれたでしょ?
あの中に強力暗示薬のフォルキスを混ぜておいたんだ。
僕が合い言葉を言ったらザナハは僕の言うことしか聞けない体になる。
その合い言葉は・・・『黙って僕に従ってよ』、それを合図にフォルキスの暗示が発動して今の状態になってるんだ。
あ、ちなみにザナハに飲ませたフォルキスは大佐のレシピで作られた物じゃないよ。
大佐のフォルキスを元にゲダックが改良を加えた物なんだ、でないと魔法力の強いザナハにフォルキスの効果が現れなかったら意味ないからね、魔法力の強い人間にでも効果が現れるように調合したゲダックの特別製なんだ。
大丈夫、ゲダックは元々錬金術師でこういった薬の調合は大佐以上みたいだから、副作用はないよ。
でないと僕がザナハにそんな危険なものを飲ませようなんて、するはずないでしょ?」
リュートの言葉を聞いたザナハは背筋の凍る思いがした。確かに今目の前に居るのはいつも見て来たリュートの姿そのもの、笑顔も話し方も今までと何も変わらない。
しかし言ってる言葉が、行動が、その全てがザナハには受け入れ難かった。
何の疑いもなく食べたリュートの手料理、その中にまさか強力な暗示薬であるフォルキスが入っていたと誰が予想出来ただろう。それだけではなく、仲間に・・・信頼されていると思っていた人物に薬を盛られ、暗示命令を下し、実行に移す。
それを何の躊躇いもなく平然と話すリュートの神経を疑った。
そんな彼の行動が恐ろしく感じられたザナハは青ざめ、嫌な汗が額を伝う。
「フォルキスの効果はアギトがここに現れた時に解除されるから安心していいよ、多分きっと・・・すぐだから」
(リュート・・・、リュート・・・っ!
もうやめて、こんなのイヤ、こんなのリュートじゃない! お願いだから話をさせてっ!)
再会してから言葉を交わすことなく、これが最後の別れになるかもしれないと言われたことが心に強く圧し掛かり、ザナハは胸が張り裂けそうな思いになって涙が溢れた。
嗚咽を漏らすように一滴二滴、ザナハの頬を涙が流れる。無理して笑顔を作っていたリュートはその涙を見て痛みに襲われた。もうこれから先、二度と感じることはないだろうと思っていた心の痛みがわずかに蘇り、口の頬の裏側を噛んで堪えようとする。
「ダメだよザナハ、あそこに残っても・・・ツライものを見るだけなんだから」
(そう・・・、ザナハが好きだった『ルイド』の死っていうツライものを、目の当たりにするだけなんだから・・・。
最も僕自身・・・『ルイド』の死をこの目で見るなんて、まっぴらごめんなんだけどね)
リュートはしばしザナハから視線を逸らしながら複雑な思いになっていた、今こうしてる間にもアルトスク決闘場ではアギトがルイドを倒しているのかもしれない、そう思うと胸が痛んで仕方なかった。
もやもやとわき上がる嫌な感じが気分を悪くさせ、吐き気さえ感じる。しかしそんな様子をザナハに悟られてはいけないとリュートは必死に平然を装って、本題に入ることにした。
「ザナハ、君だけをここに呼んだのは他でもない。
前に話したように、・・・以前ルイドから渡された銀時計を僕に渡して。
それさえあれば僕は隔壁の間の更に奥へ進んで、ディアヴォロの核をこの身に寄生させることが出来るから」
(ディアヴォロの核・・・!? そういえばさっきも3つ目の核って、―――――――一体どういうことなの!?
核は今ルイドに寄生しているもので最後なんじゃ!? だからこそルイドは・・・、オルフェ達は・・・っ!?)
ザナハの動揺を余所にリュートはザナハの目の前に立って左手を差し出すと、呪文を述べるような口調で言葉を発した。
『ザナハ、銀時計を僕に渡して』
幼い頃にルイドから貰った銀時計を渡したらリュートが一人でディアヴォロの元に行くかもしれない、そう察したザナハは必死に抵抗した。全身に力を入れて体が動かないようにするが、フォルキスの威力は絶大であった。
顔を真っ赤にしながら力んでもザナハの手はゆっくりとワンピースのポケットから銀時計を取り出し、それを素直にリュートに渡してしまう。古びた手の平サイズの銀時計は時を刻むことなく、ザナハの温もりを保ったままだった。
リュートは銀時計を受け取り、少し切なそうな表情を見せる。じっと見つめて、物憂げな雰囲気を醸し出していた。
溢れる涙が止まらない。
銀時計を渡してしまったらもう二度とリュートに会えなくなるような、そんな不安がザナハの心をよぎった。
名前を呼ぼうにも声は出ない。
行かないでと手を伸ばそうと思っても、体が言うことをきいてくれない。
(リュート・・・っ! リュート―――――――っ!
いや、こんなのイヤよ!
こんなわけもわからないまま・・・何も伝えられないまま別れるだなんて、そんな悲しいこと言わないで!
あたしがリュートの力になるから!
リュートを苦しめるものから守ってあげるから、だから―――――――もうどこにも行かないでっ!)
ぽろぽろと涙を零すザナハを見つめ、リュートはいたたまれない気持ちになった。
―――――――かつて、自分は誓ったはずなのに。
ザナハを守ると、全ての痛みや苦しみから自分が守ってあげると。
ザナハが泣いてたら、僕も悲しい。
ザナハが笑ってくれたら、僕も嬉しい。
全てを敵に回しても、自分だけはザナハの味方になると・・・そう誓ったはずなのに。
「ダメだな、僕は・・・。
口ばっかりで、君のことを泣かせてばかりだ・・・」
思わず声にしてしまう。
自嘲気味に微笑みながら後戻り出来ない自分を呪う、守ると誓った大切な人を泣かせてばかりいる自分が憎かった。
全て吐き出してしまいたい。
抱えている苦しみも、思いも、何もかも全てぶちまけたかった。
しかしリュートにはわかっていた、そんなことをしても何も『変える』ことは出来ないんだと。
自分を取り巻く優しい人達を裏切ってでも・・・この世でたった一人の親友でさえも裏切らなければ、リュートは『得られない』とわかっていた。それは誰にも明かすことの出来ないリュートだけの秘め事・・・。
リュートは左手でザナハの頬を伝う涙を拭った、そっと優しく撫でるように。
心で叫んでいた言葉が一言でも通じてくれたのかとザナハは切ない願いを込めて、リュートのことをじっと見据える。
そしてリュートは、最後に精一杯微笑んで見せた。
わずかに瞳を潤ませながら。
「―――――――幸せになって、ザナハ」
その言葉はザナハにとって事実上の別れの言葉に等しかった。
心が苦しい。
苦しみの余りザナハは表情を歪め、嗚咽を漏らし―――――――なおもリュートに届くように精一杯叫び続けた。
(いや・・・、イヤ! イヤ! イヤよリュート! 行かないで、行かないでっ! お願いだからっ!)
それでもザナハの願いがリュートに届くことはなかった。
「隔壁の間へ行ったら、僕はもう・・・僕じゃなくなってる。
だからこれが、―――――――今度こそ本当にさよならだ」
さよなら、―――――――さよならザナハ。
僕の大切な人、僕が初めて好きになった人・・・。
君のことを泣かせてばかりいる僕のことはもう忘れて、どうか幸せになって。
ザナハが笑顔で過ごしてくれる、たったそれだけで―――――――僕はすごく幸せだから・・・。
最後の最後までツライ思いばかりさせて・・・、泣かせてばかりいて・・・ごめんねザナハ。
リュートは最後の別れをザナハに告げ、それから二度とザナハに触れることなく隔壁の間へと向かって走って行った。
ザナハは立ち尽くしたまま、だんだん遠ざかって行くリュートの背中を無情にも見送ることしか出来なかった。
もう涙で回りが何も見えなくなる程、小さくなっていくリュートの姿が歪んで見える程、ザナハは今までにない位たくさんの涙を流し続けた。
「でやああああああっっっ!!」
アギトは愛用している片刃剣でルイドに容赦なく斬りかかっていた、ルイド相手に小細工や遠慮は無用というように間髪入れず連撃や特技を繰り出していく。
(やっぱりそうだ、こいつ一見前衛タイプに見えっけど基本的に近接戦闘が得意じゃねぇみてぇだ!
離れたら魔法だの飛び道具だの使って来やがって、・・・こんな所でリュートとの真剣勝負が役に立つなんて思わなかったぜ。
ともかく体力ならこっちの方が上なんだ! 回復する暇は与えねぇぞっ!)
アギトの思惑通り、確かにルイドは防戦一方であった。近接戦闘を最も得意とするアギトは今までの訓練で養ったスタミナをフルに使って、休みなく剣戟による攻撃を中心に攻めまくる。
ルイドは細身の剣で対抗しているが、アギトが繰り出す連続攻撃を全て防ぎきることが出来ず数ヵ所ダメージを負っていた。息を切らし、額からは汗が噴き出て、苦しみに表情を歪ませている。
そんなルイドの様子を確認したアギトは自分が押してると思い込んでいたが、実はそうでなかった。
(核の進行が早い・・・っ、まるで全身が麻痺したみたいだ。思うように動かなくなっている。
このまま戦いを長引かせるわけにはいかないか、―――――――早く決着をつけないと!)
自分の体の限界を察したルイドは最後の賭けに出た。
このままでは近接攻撃ばかりで埒が明かないと思ったルイドは、どうにかアギトに決定的な攻撃を繰り出させるように誘導してやろうと考える。それもただ大きなダメージを与えるだけではなく、致命傷に―――――――最期の攻撃となるようなものが欲しかった。
そして今のアギトにそんな攻撃を出させる方法がたったひとつしかないことを、ルイドにはよくわかっていた。