第278話 「闇の眷族・ユリア」
激しい憎しみをぶつけるように歌われる呪歌、そこにアギトの知るユリアはどこにもいなかった。溢れんばかりの激情に身を任せ、歌い続けるユリア―――――――そこには優しい彼女の姿はない、楽しそうに微笑む姿もない、他者を思う姿はどこにもなかった。
『だから恐れを捨てなさい 愛を捨てなさい
それが全ての解放へと繋がるように
何者をも恐れぬ 修羅となれるから』
アギト達のいるフロア全体に描かれたシグナルゲートの魔法陣、それがユリアの歌う呪歌に更なる効果を与えた。アギト達は全身を襲う虚脱感にうなだれながら四つん這いに近い状態になり、立体映像として映し出されているユリアと―――――――アギト達の苦しむ姿を見て悦楽に浸った表情を浮かべているジークへと必死に視線を向ける。
アギトがふとすぐ近くで苦しんでいるザナハの方に目をやると、ザナハはアギト達以上にダメージが大きいのか―――――――両手で自分を抱き締めるようにしながら震えていた。
顔を覗き込むとザナハの顔色は蒼白でとても尋常ではないと感じるアギト、自分もユリアの呪歌にあてられて苦しいはずなのにそれでもアギトはザナハのことを気遣い、どうにかしようとオルフェに問いかけた。しかしオルフェ自身も目の前でユリアの姿を見たせいか、硬直してショックを受けている様子だった。舌打ちしながら大声を張り上げるとオルフェはやっと我に返り、アギトの方へと向き直る。
「オルフェ、ザナハの様子がおかしいんだ!
確かにこの呪歌のせいでみんな苦しんでっけど、ザナハのはオレ達以上に効果が強いみたいで・・・っ!」
そう言われザナハの方に視線を走らせると、確かにアギトの言う通りだと察し―――――――それから呪歌を歌い続けるユリアの方へと視線を戻す。
「恐らく同じアンフィニ同士が引き合ってるせいでしょう、ザナハ姫は師の――――っ! ・・・いえ。」
寸での所でオルフェは言葉を飲み込んだ、アギトはその言葉の続きを暗黙に察していたのであえてそれ以上追及することはしない。ヴォルトの試練の時に見せられた過去の記憶。それはユリアが眷族として闇に堕ちる前の記憶―――――――。
「アンフィニ・コピー化計画」と称してユリアは自分のコピーを作る研究に、ゲダックと共に没頭していた。それは全て―――――――ディアヴォロに対抗する為の手段として研究を続けていたとユリア自身が言っていたことだが、今のアギトにとってそんなことはどうでもよかった。
つまりザナハが『ユリアのコピー』だから、その影響は自分達よりも大きいのだと―――――――そう捉えたのである。
「全部言わなくても大体わかったよ・・・、とにかくこの魔法陣から出て行けば少しはマシになるんだな!?」
「いえ、この呪歌が聞こえている限りどこに行っても逃れることは出来ません。
魔法陣から出て行ってもせいぜい効果が弱まるだけ・・・。
せめて―――――――、どこか呪歌が聞こえない場所まで移動する必要がっ!!」
ミラがそこまで言うと突然サイロンが遠くの方で叫び出したので、アギトが今度は何事かと思いながら振り向いた。
「無理をするでない!
普通の体じゃないとはいえ―――――――、お主にもこの歌の効果が現れておるのじゃろうが!」
見るとサイロンが叫んでいる相手はゲダックのようで、彼はふらふらと震える体を起こしながら息を荒らげ無理矢理立ち上がろうとしている。その顔はどこか喜びと―――――――悲しみが入り混じっていた。
「ユリア・・・ユリア―――――――!
本当にお前なんじゃな・・・、ディアヴォロの力でこの世に復活したんじゃな・・・っ!?」
サイロンが手を貸そうとするがそれを払いのけるとゲダックは立体映像として映し出されているユリアに向かって、震える手を差しのべながら一瞬だけ微笑むと―――――――そのままマナを集中させた。
「そこは―――――――、クジャナ宮の管制室だな。
あぁ・・・思い出される、お前『達』と昔ここへ来た記憶が・・・っ!
そう―――――――確かその場所のGPSは・・・。」
そう呟いてゲダックは、もう一度サイロンから距離を離すと空間転移の術で一瞬にして姿を消してしまった。サイロンはゲダックの姿が目の前で消え去り、苦渋に満ちた表情を見せる。
「馬鹿者が・・・、確かに『あれ』は奴の知る人物やも知れぬが―――――――闇に落ちた者に何を言っても無駄じゃ!
奴はアシュレイに親殺しをさせ、ミズキの里の一部を無情にも焼き払った女なんじゃぞ―――――――っ!」
『君がいない世界なら
いっそこのまま何もかも
消えてなくなってしまえばいいのに……
苦しみのない 痛みのない
そんな世界だけが欲しかった
死にたい 死にたい 死んでしまいたい
いっそこのまま全て滅んでしまえばいい……』
ゲダックの空間転移の術によって、彼はクジャナ宮の管制室へと瞬間移動していた。中はとても広く、レムグランドにある玉座の間とさほど広さは変わらなかった。
壁際には様々なスイッチが並んだパネルがたくさんあり、暗いこの部屋の中でそのスイッチは様々な色のランプを点灯させている。目の前の真ん中にある大きな鏡にはアギト達がいるフロアの映像が映し出され、右側の鏡には『アルトスク決闘場』と呼ばれる広大なフロア・・・そこに二つの人影が映っていた。
そして左側の鏡には巨大な扉がそびえている光景が映し出されている。ゲダックはそれらの鏡を流すように見つめ、それから管制室の真ん中に直径5メートル程はある魔法陣へと視点を定めた。
青白い淡い光を放つ魔法陣の中には女性が一人―――――――、黒いローブに身を包んだピンク色の髪の女性が、全身に纏うマナが肉眼で確認できる程の濃度を放ち、歌い続けている。
『手遅れになる前に
愛に気付く前に
痛みを知る前に
君を失う前に
だから怖れを捨てなさい 友を捨てなさい
それで失う痛みを感じることは出来なくなるから
欲しいものを 欲しいままに
自分に正直であれ 素直であれ
闇こそ あたしの真の姿
暗闇こそが あなたたちの求める場所』
大きく深呼吸してから、ゲダックは静かな―――――――物腰穏やかな口調でユリアに話しかけた。
「まだ―――――――忘れられないんじゃな、ヴェルグのことが・・・。」
ゲダックの言葉にユリアはぴくりと反応し、それが彼女の心を大きく揺さぶったのだと―――――――ゲダックはユリアの後ろ姿を見ただけでそう察した。それから滑稽そうに笑いながら言葉を続ける。
「その歌・・・ヴェルグを想って歌った詩、じゃな。
愛を知らなかったお前が『愛』を知り、そして『失う』ことへの恐怖が生まれた。
昔のお前はワシと同じじゃった、自分のことしか考えない・・・自分の欲求に素直な人間。
『研究』という探究心にその身を燃やし、回りのことなど一切目に入らず、他人の存在すら億劫に思えた。」
ゲダックが昔語りを始め、ユリアはそれに応えるかのように歌う姿勢を解くと―――――――それと同時に淡い光を放っていた魔法陣はその機能を停止させた。彼は一瞬だけ真ん中の大きな鏡に視線を走らせ、呪歌の効力が消えたアギト達の動きを確認すると、それから再びユリアの方に視線を戻した。
「そんなお前にヴェルグという男を紹介したのは、このワシじゃ。
双つ星の研究に没頭していたお前の為にと当時存在していた戦士、奴とお前を面白半分に会わせたこと・・・。
ワシは後悔しておる、奴と出会ったことでどんどんお前が変わって行く姿を見て、ワシは後悔しておった。
共に研究に励んでいた自分の弟子が、『研究者』としての人生より『女』としての人生を歩もうとしておる。
それが許せなかった、だからワシは研究を先送りさせようとしてしまったんじゃ・・・。
結果―――――――世間では知られておらんが、一時的にディアヴォロの封印が解けてしもうた。
ワシ達はこのクジャナ宮に―――――――ディアヴォロから生み出された眷族で溢れかえるこのクジャナ宮に
閉じ込められ、そこで全員死ぬんだと思った。
じゃがヴェルグは諦めなかった、そして―――――――お前にとって・・・あの悲劇が起きてしもうたんじゃ。」
ユリアは何も言わなかった、答えなかった。ただ上を見上げて―――――――ゲダックの言葉に耳を傾けたまま、背を向けたまま上を仰いでいる。
「大切な者を失うという経験をしたお前は、変わってしまったのう・・・。
その後レムグランドに渡りミラを義理の妹に迎え、なおかつあの陰険な性格をした小僧を弟子に。
愛情を注ぐ存在が増えれば、失う痛みも増す。
その理屈がわからんお前ではないだろう、にも関わらずお前は愛に生きようとした。
それがお前の選んだ道ならワシは何も言わん―――――――、それでお前が幸せになれるならと。
ヴェルグのことを忘れ、またお前が笑顔で過ごせるというのならワシは何も言うつもりはなかった。
お前がこうして蘇ってくれて嬉しい、心からな。
じゃが・・・どうしてかのう、今のお前を見ていると昔のような気持ちには到底なれんのじゃ・・・。」
いつも眉間にシワを寄せ厳しい表情を見せていたゲダックの顔、それが今は家族を慈しむような穏やかな表情を見せ、ゆっくりとユリアの方へと歩み寄る。ゲダックの気配にユリアは少しだけ後ろを振り向き、美しい横顔がゲダックの目に映った。
昔のままの姿―――――――、今のユリアは若き日の姿へと戻っている。歳の頃で言えば18歳前後であり、青白い顔には美しく端正な顔立ちが、凛とした雰囲気を醸し出していた。
ヴェルグを失う前のユリアの姿にゲダックは懐かしさを覚え、うっすらと瞳に雫を浮かべながらそっと・・・手を差し出す。
「ユリア―――――――、お前が戻って来て嬉しいはずなのに・・・今のお前を見ていると苦しくて仕方がないっ!
憎しみに囚われたお前を見るのが辛い・・・っ!
闇に堕ちようとも・・・お前はワシの弟子に相違ない、どんなに変わろうともワシは―――――――っ!」
刹那―――――――ゲダックの体が一瞬、不自然に持ち上がった。呻きながらゲダックは両目を大きく見開き、苦渋に満ちた顔からたくさんの汗が噴き出ている。それから苦しみに歪んだ口から真っ赤な血が流れ落ち、浅い呼吸をしながら目の前で微笑むユリアを見つめた。
ユリアがもう一度力を込めて腕を突き出すとゲダックの体が再び上に持ち上がり、床には大量の血が滴り落ちる。
「ねぇ先生、あたしが聞きたいのはそんなことじゃないの・・・。
あの子があたしの遺志を継いでくれたのか―――――――、研究を完成させたのか・・・それが知りたいだけ。」
「ぐふ・・・うっ!」
「でも―――――――先生の口から聞いても無駄みたいね、研究の成果は今目の前に『居る』んですもの。
とても素敵・・・、オルフェはちゃんとやってくれたのね。
あたしの完全なコピーに宝珠を宿らせてくれた、アンフィニのコピーを作るのに成功させた。
そして―――――――ヴェルグの魂も転生させてくれた、・・・何もかも素敵だわ。」
満足げに微笑むユリアはゆっくりと苦しむゲダックの顔に自分の顔を近付けると、妖艶な眼差しで言葉を突き付けた。
「だけど・・・『あれ』はあたしが求めてた完全なアンフィニのコピーとは、程遠いわ。」
その一言からユリアの表情は闇に染まって行き、憎しみの込められた顔でゲダックを睨みつけると、彼の腹を貫いている右腕に力を加え、ゲダックは断末魔を上げた。
「あのコピーからはレム属性しか感じられない、あたしの完全なコピーならば光と闇、両属性を宿すはず!
―――――――先生が邪魔したんでしょう? 答えて・・・、闇属性を宿した宝珠はどこなの!?」
激しい口調で詰め寄るユリアに対し、ゲダックは自分の腹を貫いているユリアの腕を掴んだ。するとゲダックの腹や腕の先から赤や青など様々な色をしたコードが伸びて行き、それらがまるで意思を持っているようにユリアの腕に絡まって行く。そしてコードの先が彼女の腕を刺して体内に侵入しようとしたのでユリアは舌を打ちながら、慌ててゲダックの腹から自分の腕を引き抜くとそのまま緑色のローブを掴んで力の限り突き飛ばした。
ユリアの腕に刺さっていたコードはゲダックからちぎれ、本体から離れたコードはユリアの腕に刺さったまま暴れるように跳ねている。彼女はそれらを掴んで腕から引きちぎると、床に投げ捨てた。
数メートル突き飛ばされたゲダックは呻きながらゆっくり体を起こすと、赤黒い血を腹から垂れ流しユリアを見据える。ゲダックの腹を貫いていた腕についている赤い血をぺろりと舐めたユリアの瞳は冷たくなり、それから自分をじっと睨みつけているゲダックの方へと向き直った。
「そう・・・、先生もとっくに完成させていたのね?
まさか機械と融合することで永遠の命を手に入れるなんて、それは自分のポリシーに反するんじゃなかったかしら?」
抑揚のない口調でそう告げながらユリアは口に含んだ血を床に吐き捨てる。
「これは血じゃない・・・、血の中に―――――――オイルが混じってるわね。
そうまでして死から逃れようとするなんて、先生ってば見苦しいわ。
死は誰にでも訪れる平等で公平な運命よ?
それから逃れる術はただひとつ、ディアヴォロ様にその身を捧げて眷族に成り果てること。
死を超越した存在、先生はそれを望んでいたはず・・・。
どうしてディアヴォロ様を否定するの? 先生位の負の感情を持ってさえすれば受け入れてもらえるのに。」
「ユリア、お前の言葉とは到底思えんのう・・・。
ワシは自分の力で、自分の意志で、自分の理論で不老不死を開発したかった!
ディアヴォロなんぞに下り、その力に乞うて得たものに―――――――何の価値がある!」
ゲダックの訴えにユリアはただ冷たく微笑むだけで、じっと・・・かつての師を見下した。
「眷族に成り果ててもあたしの魂は此処にある、闇に堕ちようと・・・地に堕ちようと。
あたしには叶えたい願いがある。
それを邪魔するというのなら―――――――先生、例えあなたでも容赦しないわよ?」
そう告げてユリアが片手を振りかざした瞬間、ゲダックは素早い身のこなしで後方に飛び退ると何もない所から突然雷が発生し、さっきまで倒れていた場所に雷が直撃した。呪文の詠唱を破棄して発動させた雷の魔術「ライトニング」だ。
(ユリア程の手練ならば下級魔術の詠唱破棄なんぞあくびをするようなもの、というわけじゃな。
魔術の天才、魔法科学の申し子、呪歌の歌い手、加えてアンフィニ・・・っ!
これだけ揃えばまさに無敵じゃな、こりゃちっと厳し過ぎる状況じゃのう・・・!)
ゲダックは腹を押さえながら次々とライトニングを連発され、それらを回避するので手一杯になっていた。ユリア相手に一瞬の隙もあってはならないと、彼女の動きひとつひとつに注意を払う。するとユリアがアギト達が足止めを食らっているフロアが映し出されている大きな鏡へと、ふと視線を移した。
思わず何が映し出されているのかゲダックも注目してしまう、そこにはアギトとザナハがフロアから抜け出て先の方へと進んで行く光景が映し出されていた。フロアに残っているのは戦士と神子以外―――――――神子のガードに4軍団、そしてジークしかいない。
そう察した瞬間ユリアは少しだけ声を荒らげて、ジークを非難する言葉を発した。
「ちっ、あの子―――――――自分の願いを優先させたわねっ!?」
それが一瞬の隙だった、ゲダックはそれを見逃さず右手にマナを集中させる。光と共に現れたのは投擲用の槍であるジャベリンで、それをユリアめがけて投げつけた。するとユリアは視界の端でゲダックの動きを追っていたのか、すぐさま足元にある呪歌専用であろうシグナルゲートを起動させた。
『闇を求めなさい 憎しみに応えなさい
「生」という苦しみから 解放される為に
偽善という名の正義を脱ぎ捨て
欲望のまま 破壊の限りを尽くしてしまえ』
するとその歌の効力なのか、魔法陣から光の壁が現れてゲダックの投げつけたジャベリンが防がれてしまった。
「呪歌で結界を張ったじゃと!? そんな馬鹿な・・・っ!」
「呪歌は何でも出来るのよ、先生。
それがアンフィニの力―――――――、無限の可能性を秘めたアンフィニの戦い方なのよ!」
ユリアが再び激しく呪歌を紡いだ瞬間、ゲダックは寸での所で空間転移の術を放ってその場を脱した。ユリアは周囲を見渡し、ゲダックが完全にその場を離脱したことを察すると、映像が映し出されている3枚の鏡の方へと向き直る。
そして右側の鏡では二人の人物の姿が映し出されており、それを見つめるなり―――――――にやりと邪悪な笑みを浮かべた。
「ルイド君の方も準備が整っているようね、あとは小さな戦士君をディアヴォロ様に捧げるだけ・・・。
そうすれば―――――――、もうすぐあたしのモノになる!」
悦楽に浸るようにユリアは微笑む、その背後から一人の人物が管制室へと入って来た。虚ろな眼差し、感情の起伏が見られないその姿は夢現のようにふらふらとした足取りでユリアの方へと歩み寄る。
ユリアは彼―――――――イフォンの頬に優しく触れ、右側の鏡を見るように促した。
「ほら、ごらんなさい?
君の仇はあそこにいるわ・・・、今こそ君のその憎しみを晴らす時が訪れたのよ。
さぁこれを持って、姉の仇を討ちなさい。恨みを晴らしてあげなさい。
それを果たして闇の心がもっともっと深くなれば、ディアヴォロ様が君の願いを聞き入れてくれるかもしれないわ。
お姉さんを生き返らせてくれるかもしれない、―――――――嬉しいでしょう?
だから君はお姉さんの為に、ディアヴォロ様の為に・・・闇の戦士をその剣で傷付けてちょうだい。」
イフォンにそっと短剣を渡すとユリアは彼の頭を優しく撫で、―――――――導いた。手に馴染む短剣の柄を握り締めながらイフォンはぶつぶつと呟く、「殺す、殺す」と小さく単調に呟いた。真ん中の鏡では小さくしか映し出されていないが、イフォンを取り戻す為にここまでやって来た主の姿が確かにあった。しかし主のそんな姿には目もくれず、イフォンは青い髪の戦士の方だけを見据え、憎しみの炎をたぎらせていた。