第265話 「動き出す闇の勢力」
< 龍神族の里 ミズキの里にて >
レムグランドとアビスグランドで上位精霊との契約を優先的に行動している頃、ミズキの里では近々世界規模で戦争が起きることを前提に色々な準備に取り掛かっていた。ミズキの里だけではなく元老院の指示の元、必要あらば龍族も戦場に出るという決定が下されたので里全体が緊張感に包まれている。里長である伊綱が住んでいる屋敷でも動ける者は子供であろうと武器の手入れをしたり、食料の確保をしたりと大忙しであった。そんな折―――――――、リンが辺りを見回して伊綱の姿が見えないことに気付く。
「あれ・・・? そういえば伊綱さんどこに行ったんだろ?」
おおよその指示は辰巳がするので伊綱が不在でも里を動かすことは可能であったが、それでもリンはなぜか胸騒ぎがしたので武器の手入れを一旦中断して外に出た。庭先では辰巳が子供達に武器を運ぶように指示をしていたので、それが済むまで後方で待つ。
指示を終えてリンの存在に気付いた辰巳が声をかけた。
「どうした、リン。何か問題か?」
緑色の髪をした長身の青年が額の汗を拭きながら歩み寄る、リンは笑みを作って伊綱の居場所を聞いてみた。
「ううん、そういうわけじゃないんだけど・・・伊綱さん見かけなかった? どこにもいないんだけど・・・。」
「あぁ・・・、伊綱さんならさっき若君と話をしてたぞ。また厄介事を持って来たみたいで、例の庵へ行ったが・・・。」
「―――――厄介事!?」
辰巳は山のふもとの方に視線をやりながら、怪訝な表情になりながら声を漏らす。
「ほら、こないだは態度の悪い女の子をかくまうように連れて来ただろう? 同じような用件だよ。
そんなことより、伊綱さんに特に用事がないんなら仕事に戻れよ。今日中にこれ片付けておかないといけないからな。」
辰巳は伊綱のすることに対して文句はないが、サイロンが持って来る面倒事にはほとほと愛想が尽きていたので出来るだけ関わって欲しくないというのが本音であった。リンも伊綱がサイロンと一緒に居るならば問題はないと思い、不安な気持ちを無理矢理払拭させて武器の手入れの仕事に戻った。
山のふもとにある庵、その玄関先で龍神族の次期族長であるサイロンとミズキの里長である伊綱が話をしていた。伊綱は相変わらず派手な刺繍が施された羽織をだらりと着こなし、愛用のキセルをふかしながら虚ろな瞳は遠くを見つめている。伊綱の気だるい態度にすっかり慣れているのか、サイロンは特に注意することなく話を進めた。
「―――――――というわけじゃから、フィアナと同様頼んだぞ。」
「それは構わんが、サイロン・・・。お前――――――、ルイドのことはいつから気付いていたんだ?」
抑揚のない口調で呟きながら、それから再びふぅーっと煙を吐き出す。虚ろな瞳は先程より少しだけ感情が宿っていた。
『面白くない』という不快な感情が・・・。
伊綱の言葉にサイロンは少しだけ考え込むように、言葉を選ぶように間を置いてから・・・答える。
「余とて最初から全部わかっておったわけではないぞ、ルイドは自分のことを全然話してくれんからのう。
その点に関しては余もお主と同等の立場じゃよ。余が気付いたのは現在の闇の戦士に会ってからじゃ。
あとは何となく『そうなんじゃないかのう?』程度に想像しておった、―――――最もイフォンに関しては最初からわかって
おったみたいだのう、・・・悲しいことじゃがな。」
今なおディアヴォロの眷族に侵されてヒルゼンで静養しているイフォンのことを思いながらサイロンは寂しげな表情を見せた、いつもひょうひょうとした態度で自信に満ち溢れている顔つきだったのが・・・やはりずっと可愛がってきた付き人のことが心配なのか、少しだけ自信が揺らいでいる様子だ。
「イフォン・・・、エヴァンの弟か。憎しみの炎だけは今も健在・・・、無理もないだろう。心からずっと慕い続けて来た姉を
無残な形で失ったんだ。仇の顔を忘れるはずもない、か。」
「―――――憎しみの心は何も生み出さん、無益な感情じゃよ。」
そう口で言いながらサイロンは両手にぎゅっと力を込めて、必死で荒ぶる感情を抑えているようにも見える。そしてそれを見逃さなかった伊綱は見て見ぬフリをしているように視線を逸らし・・・キセルの煙を見つめていた。
「果たしてそうかな? 憎しみの心は誰の中にもある。
『無益』と一言で片付けようとも感情を持つ人間にしてみれば切っても切れない感情だ、愛が深ければ深い程その憎しみは
より一層激しさを増す。―――――――違うか?」
からかっているようでいて真理をついている言葉に、サイロンはムッとした表情になると扇子を広げパタパタと扇ぎ出す。
「だからやるせないと言っておるんじゃ、愛情があれば失った時の悲しみも増す。しかし愛のない人生程下らぬものはない!
全くディアヴォロとはイヤな存在じゃよ、感情の豊かな人間はその愛ゆえに戦う。戦で愛する者を失った時、深い悲しみに
囚われ憎悪を生みだす。そしてその憎悪を糧とするディアヴォロは更に力を増す。すると戦いは激しさを増してより一層
愛する者が命の危険にさらされる・・・。まるで永久回廊の牢獄――――憎悪の連鎖とでも言おうかのう。」
「結局人間の中に『感情』というものがある限り、ディアヴォロの存在の有無に関わらず人間の間で争いの火種は決して潰えない
というわけだ。戦いとは相手の意志を粉砕し自分がその上に立つことと同じだからな、結局全ては人間のエゴが招いた種だ。
今更あれこれ言ったところで遅いが・・・。
―――――――ともかくこの時代でその憎悪の連鎖というものが断ち切られることを祈るよ。
この庵でかくまう人間のことは任せろ、まぁ・・・龍神族の里ならば邪なる者がそう簡単に足を踏み入れることが出来るとは
到底思えんが、相手は眷族。何があってもおかしくないからな。」
「―――――――そうね。」
女性の声が突然聞こえ、伊綱とサイロンは反射的に周囲全体に注意を払った。すると伊綱の後方からナイフが飛んで来て素早く飛び退って回避する。飛んで来た3本のナイフは地面に刺さり、回避したと同時に伊綱は袖の中に隠し持っていたクナイをナイフが飛んで来た方向へ素早く投げつけた。がさっと木々が揺れて黒い物体がサイロン達の目の前に着地する。
優雅なまでの身のこなしにサイロンは見覚えがあった、全身黒いローブに身を包み顔を隠すようにフードを目深にかぶった人物が堂々とした態度で立ち塞がる。
「お主―――――――、シャングリラに現れた眷族じゃな!?」
サイロンは扇子を構えながら声を荒らげた、二人には微かに動揺が見られる。龍神族の里はレムグランドやアビスグランドとは少々次元の異なる構造になっていた。時間軸もそうだがこの次元では邪悪な存在が立ち入ることが出来ないように任意に設定することが出来るからである。にも関わらず眷族と認定している黒いローブの女がここに現れたこと、それは脅威に近かった。
今まで最も安全な世界であったこの龍神族の里に眷族が足を踏み入れた、里の安全神話が壊れた瞬間でもある。
「今日は貴方達に用はないの。あたしが興味あるのは―――、その庵にかくまっているフィアナよ。
悪いことは言わないわ、怪我をしたくなければフィアナを大人しくあたしに渡してちょうだい。
―――――――別にお願いしているわけじゃないわ、これは命令よ。」
一見平和的解決策を言っているようだが、ローブから見える白い左手には数本のナイフを構えていつでも攻撃が出来る準備が為されていた。相手は一人、しかしこちらには龍族であるサイロンとミズキの里最強の伊綱がいる。どう見てもこちらの方が有利に見えた。
眷族がなぜフィアナに興味を示しているのかそれを探ろうとしたサイロンが口を開こうとした時―――――――。
フードの隙間から微笑んだ口元が見えて、それからナイフを構えていない方の右手をゆっくりと挙げ・・・指を鳴らした。
―――――――瞬間。
ミズキの里がある方角より少しずれた位置にある広大な畑一帯が一瞬にして吹き飛んだ! 凄まじい爆発音と地鳴りと共に激しい爆風が襲って来たので、思わずサイロンと伊綱は地面に伏せて凌ぐ。しかし女に至っては余裕の笑みを浮かべながら立ち尽くしたままである。やがて爆風が治まり、吹き飛んだ場所を確認するとそこは焼け野原が広がっているだけだった。
息を飲む二人、それからゆっくりともう一度女の方へ視線を向ける。
「あたし、くどいのはあまり好きじゃないんだけど・・・よく聞こえなかったのなら、もう一度だけ言うわね?
―――――――フィアナを渡しなさい、今度は里を吹き飛ばしちゃうわよ?」
冗談交じりな口調ではあるが、それが嘘ではないと察している二人は険しい表情を浮かべながら道を譲った。二人の従順な態度に女は口元に笑みを浮かべたまま庵の中へと入って行く。玄関を開けて中に入ろうとした瞬間、振り返ってサイロン達に釘を刺した。
「フィアナを連れ出すまで妙な真似はしないことね、どうせ貴方達にとってあの娘は何の利益にもならないんでしょう?
安心して・・・と言うのも変だけど、これもルイド君との取引条件に入ってるのよ。
彼の名前を出せば貴方達が大人しく従うって聞いたからね、あたしはルイド君という男の願いを叶える為に取引に応じた。
ルイド君の願いはフィアナの能力を必要としている、だから連れ出すの。
―――――――邪魔をすれば例え誰であろうと容赦なく殺すけど、今は人殺しに興味がないから・・・出来るだけ
そういうことをあたしにさせないでちょうだい。・・・いいわね!?」
言葉の最後は釘を刺すというよりむしろ忠告に近かった、女から発せられた恐ろしい殺気にサイロン達の足が竦む。女が背を向けたまま庵の中に入って行く姿を見ても、何も行動出来ない。まるで全身に金縛りを受けたように固まって身動き一つ取れなかった。
女はすぐにフィアナの手を引いて出て来ると、何事もなく―――――――本当にサイロン達にこれ以上危害を加えることもなく出て行ってしまった。呆気に取られながら、サイロンは一刻も早くルイドの元へ急がなければいけないと強く思った。
そんな折・・・、サイロンが伊綱と共にミズキの里の者に怪我人などがいないか確認しようと駆けだした際―――――――サイロンは伊綱に聞こえるか聞こえない程度の小さい声で呟く。
「―――――――どうやらこれから起きる戦いは、余達が想像していた以上に大きなものになりそうじゃな。」
圧倒的な力を見せつけたことであっさりと目的であるフィアナを庵から連れ出した眷族の女は、サイロン達のことを無視してしばらく林の中を歩き、それからフィアナに話しかけた。
「今からアビスグランドへ戻るわよ、クジャナ宮に行けば貴女が求める者もきっと現れる。
でもその為には力を使わなければいけないわ、魔物の召喚と傀儡師としての能力―――――――使えるかしら?」
フィアナは半ば放心状態でやつれていた、目の下には大きなクマを作り頬は少しこけて殆ど生気を失っている様子である。黒いローブの女に対してわずかに畏怖を抱き、声を震わせながら大人しく答える。
「・・・毒の力でマナが微弱になってるから、無理よ。」
覇気のない声、眷族の女はフィアナの言葉を聞くなり立ち止まって振り向いた。女の行動ひとつひとつにまるで怯えるようにフィアナがびくびくしていると、フードの隙間から見え隠れする女の口元は始終笑みを保ったままで更に恐怖感を抱いた。
「その毒の成分なら熟知しているわ、解毒薬を持ってるから安心なさい。」
そんな時林の奥から木の枝を踏んだ音が聞こえて瞬時に女が振り返ると、そこにはもう一人――――――――――――――真っ黒いローブに身を包んだ人物が現れた。その姿を確認するなり女は片手に仕込んでいたナイフを再び袖口にしまって、話しかけた。
「―――――――そちらも順調に事を進めることが出来たみたいね、それじゃあたしに掴まって。移動するわ。」
左手でもう一人の人物に手を差し伸べる女、フィアナが黒いローブの人物の後方にまた違う人物が控えていることに気付き視線をやるとそこには龍神族の里に住む人間が好んで着るチャイナ服に身を包んだ虚ろな表情で立っていた。
フィアナが怪訝な眼差しでその人物が一体誰なのか訝しげに見つめていると、その視線に気付いた女が面白がるように『彼』を紹介する。
「あら、もしかして彼と対面するのは初めてだったかしら? 少しの間共に行動するから紹介しておくわね。
これから貴女と一緒にアビスグランドでの決戦に協力してくれる子。
―――――――龍神族の次期族長サイロンの付き人をしていたイフォンよ。
彼ならサイロンの動揺を誘うことが出来る・・・何よりご主人様が好む負の気を濃く抱いているわ。
だから彼に負の気を植えつけるのはとても簡単だった、彼の中に憎悪の念が宿っている限りこんな場所で静養しても無駄だと
言うのにね・・・。」
ほくそ笑むようにそう話すとローブの男が苛立たしげに口を開いた。
「そんなことより早く行こうよ、僕はミズキの里が大嫌いなんだ! ここはイヤなことを思い出させる・・・っ。
アイツもいるし・・・もうここに用はないんだから、さっさとクジャナ宮まで飛べよ!」
怒りをぶつけるような身振りをしながら声を荒らげるローブの男の顔を、フィアナは一瞬だけ捉えることが出来た。青白い顔に青に近い紺色の髪―――――――まだ17~8歳位の青年だと思わせるローブの男のブルーの瞳は怒りと憎悪に満ちていた。
(―――――――まさか、こいつ・・・!?
この世界で青を基調とした髪と瞳を宿すことが出来るのは、戦士の資質を持つ者だけのはずなのに・・・。
一体どういうことなの、数年前の闇の戦士だったルイドに現時点での双つ星の戦士、それに加えてこの男まで・・・!
こいつは一体何者・・・!?)
フィアナの驚愕した表情を読み取った男が舌打ちしながら乱暴にフードを掴んで再び顔を隠す、何か見てはならないものでも見てしまったのかとフィアナは一瞬構えるが、女はふっと鼻で笑っただけでフィアナの手を優しく掴んだ。それから男がイフォンの手を乱暴に掴み女の肩に手を置く。
全員が触れ合った状態になった瞬間、まるで体の中にある臓器が何かに吸い取られるような感覚に陥った。しかしそれもまばたきする程一瞬で―――――――気付いた時には緑に溢れた土地ではなく、枯れた大地に暗雲が立ち込めた世界が広がっている。
目の前には天に届く程に高い漆黒の塔がそびえていた、それを目にしたフィアナはすぐにここがアビスグランドにある闇の塔の前だと察する。フィアナが呆けていると女が次々と指示を出していった。
「フィアナ、貴女はこの塔の最上階に居るリュート君と合流してクジャナ宮を目指しなさい。
あたしと彼はこのままクジャナ宮で待っているわ、それと・・・これが魔力を取り戻す為の薬よ。」
そう言って白い手から渡されたのは小瓶に入った緑色の液体で、フィアナは怪訝そうに見つめながら手に取る。女は相変わらず余裕の笑みと取れるような口元を見せながら、もう一度フィアナに念を押した。
「貴女の願いを叶える為、もう一度ルイド君に―――――――リュート君に協力するのよ。
大丈夫、貴女が求める『彼』も必ずクジャナ宮へやって来るわ・・・このあたしが保証する。
だから移動用の魔物を召喚して一刻も早くリュート君を、闇の戦士を我が主・・・ディアヴォロ様の前に差し出すのよ。」
フィアナの頭の中には『彼』の存在で満たされていた、自分の望みを―――――――願いを叶える為・・・その為ならどんなことでもすると誓った。悪魔に魂を売り渡してでも、誰を踏み台にしてでも、叶えたい願いがあったから。
―――――――お兄様に、愛されたい。
そんなたったひとつの願いが、フィアナの心を動かし・・・そして決意させた。




