第253話 「蘇る処世術」
リュートが廃工場に戻って来たのはリヒターが指定した時間より10分程早かった、思っていたより早くリュートが戻って来たので多少なりとも驚いているのかと思ったが特に動揺の素振りは見せていない。
それどころかリヒターは、じっとリュートを見据えて―――――――――――――未だ疑いに満ちた眼差しが消えていなかった。
リヒターのそんな眼差しが余計に不安にさせる、もしかしたらリヒターはリュートが確信犯だと疑っているのかもしれない。
どんなに言い繕っても納得せず、受け入れず、まるで動揺を誘おうとしているように・・・リュートとの動向を探ろうとしているようにも感じられた。
しかしここでボロを出してしまえばそれこそ今までの苦労が水の泡になってしまう、親友であるアギトや自分が想いを寄せているザナハ、そして仲間であるミラやオルフェ達。
そんな彼等を裏切って、嘘までついて・・・ここまでやって来たリュートだからこそ、こんな所でしくじるわけにはいかなかった。
出来るだけ冷静に、平静を装うようにリュートはリヒターの視線に気付かぬふりをしながら歩み寄って行く。
「時間には間に合ったみたいだね、良かった!」
笑顔で話しかけるリュート、ほんの少しの挙動ですらリヒターの発するセンサーに引っ掛かってしまうんじゃないか? とでも言うように細心の注意を払った。
「―――――――もういいのか?」
「うん、家族に再会して改めて思い知らされたんだよ・・・、これ以上は耐えられないって。
家族みんなの温かい笑顔を目にしたら・・・せっかくの決意が鈍ってしまいそうになったから。
だから早い目に切り上げて来たんだよ。」
ヘタに嘘で塗り固めると余計に疑われる可能性が高かった為、リュートは出来るだけ真実に近い内容を話して聞かせる。
笑みのないリヒターの顔を真っ直ぐに見ることが出来ない、こればかりは嘘だの動揺だのと言ってる場合ではなかった。
後ろめたいことがなくてもリヒターの無愛想な表情を目の当たりにしていたら息苦しくなって当然だろうと、リュートは密かに心の中で叫んでいた。
これ以上何か聞かれる前にリュートはそそくさとリヒターを避けるような仕草で、廃工場の屋上へと続く鉄筋の階段を上って行こうと通り過ぎた時だった、――――――――リヒターが威嚇するような声色で虚を突く。
「―――――――――何を企んでいる!?」
「―――――――――え!?」
リュートはすかさず足を止めた、リヒターの確信をついたような言葉から・・・そして動揺から。
平静を装っていたにも関わらず恐れていた言葉を放たれて足がすくむ、それでもリュートはリヒターに背を向けたまま決して振り返ることなく笑顔を繕ったような声で聞き返した。
「一体何の話をしてんのかわからないんだけど? そんな怖い声でどうしたのさ。」
「とぼけるな、お前がこの世界で2体の精霊を召喚したこと・・・気付かないとでも思ったのか?
―――――――――このオレを誰だと思っている。」
バレている、そう察したリュートは返す言葉を必死に探すも―――――――すぐには見つからなかった。
リヒターの言葉にはどこか確信めいた自信がある、こちらの世界へ戻る前からかもしれない・・・リヒターはずっとリュートのことを疑っているのだ。
リュート自身もそう確信し、迷った。
このまま嘘をつき通すのは簡単かもしれない、しかし面識が少ない分リュートのことを信用しようという気持ちがリヒターの中にあるはずもない。
なぜならアギトやザナハ達に至ってはこれまでリュートが築き上げて来た『信用』がある、少なくともリュートはそう信じたい。
自分の今までの行動や言動、考え方や思いを不器用なりに伝えて来た―――――――――それらが、彼等から『疑念』や『疑惑』といった概念を持たせないようにやってこれた。
しかしリヒターに至ってはそんなものに何の価値もない、彼と共に過ごした時間はあまりにも少な過ぎたのだから。
だからこそリヒターは疑える、リュートのことを。
今までのリュートを知らないから、どんな人物であるのかその性質を知らないから。
焦りと動揺、そして何て言い繕うか―――――――自分に対して完全に容疑をかけているリヒターへの対応として色々と思案している内に、次第にリュートの青い瞳からこれまであった『優しい色』が消え失せていく。
すぐ目の前にいる獲物に対してどう攻めるか、そんな目つきに変わり口の両端から笑みが消えた時・・・。
先に切り出したのはリヒターだった。
「数時間前にお前から聞いた言葉、あれが全て欺瞞だとは言わない。
―――――――むしろあれがお前の本音だとオレは捉えている、だがどうしても解せないことが残っているんだよ。」
「解せない、こと?」
「オレはルイドが率いる4軍団に関して特に詳しいわけじゃない。
だが己が忠誠を尽くした主を差し置いてお前に加担しているというのが、オレにはどうも納得いかないんだよ。
アビスグランドでお前が誰と会い、誰と話したのか―――――――オレ達レムグランドの人間には知る術がないからな。」
見抜かれている、リヒターにはルイドや4軍団に関する情報が伝わっていない為に先入観を持たず疑問に感じることが出来る。
少なくともミラやオルフェに関しては4軍団の何人かの性質などをリュート以上に把握しているようだったので、彼等の性格や挙動を利用すればどうとでも理由を付けて信じ込ませることが可能だった。
しかしリヒターにはそれがない、だからこそもっと確証のある裏付けも加えて説明しなければいけなかった。
リュートは振り向くこともせず・・・ただ黙ってリヒターに背を向けたままである、静かに呼吸し―――――――今の状況を冷静に見つめる。
(僕が何かを企んでいること、それを大佐にも話してしまうんだろうか!?
リヒターは光の戦士に従う者・・・つまりレム側の人間ということになる、不利になるかもしれない今の状況をそのまま
見過ごすとは思えない。
例えここでリヒターに攻撃を仕掛けたとして、何の得にもなりはしないんだから!
リヒターがいなければ僕は異世界へ渡る術を失ってしまう、だから今ここでリヒターに危害を加えることは出来ない。
いや、それ以前に大佐が作ろうとしていた結界に関する技術を失うわけにはいかないから・・・どのみち僕がリヒターに
手を出すことは最初から出来ないんだ。
―――――――どうする!?
このまま僕に嫌疑をかけたまま大佐に報告でもされたら、アビスグランドへ戻ることが・・・っ!)
「黙秘を決め込むということは、当たらずとも遠からずといったところみたいだな。
くどいようだがもう一度だけ聞く・・・、お前はディアヴォロを倒す気があるのか?
それともないのか、どっちだ!?」
リヒターが同じ言葉を繰り返す、なぜ同じような質問を何度もするのか、リュートに何度も言わせるのか。
彼の意図がわからないままリュートはゆっくりと振り向いてリヒターをじっと見据え、眉根を寄せながら今度はリュートの方が疑問に満ちた眼差しになり、そして答える。
「ディアヴォロは世界の敵、ジャックさんが守ろうとした世界を守るのが弟子である僕の務めだから・・・。
どんな手を使おうとも必ずディアヴォロを倒したいと、心から願っている。」
リュートは過激な表現をオブラートに包むことなく、はっきりと言い放った。
それがリュートの本心、本音だから。
誰よりもリュートのことを疑っているリヒターだからこそもう隠しようがないと悟ったのだ、もしこれで完全にリュートが裏切り者だとそう察したのなら、―――――――その時は。
「―――――――オレは、お前や光の戦士がどうなろうと知ったことじゃない。」
それを聞いて、リュートの片側の目がぴくりと痙攣した。
「だからお前が犠牲となったことで光の戦士がどんなに抗おうとしても、闇の戦士が犠牲となる真実を知っているオレや
大佐が奴に責められようと・・・、そのまま双つ星の運命を全うさせてやるだけだ。」
「・・・リヒター!?」
リヒターが初めてリュートに対して微笑んでいた。
しかしそれは満面の笑みというわけではなくどこか皮肉のこもった―――――――自嘲気味な微笑みとも取れる、なぜ彼がリュートに対して、まるでリュートのことを『受け入れる』ような表情をするのか、全く理解出来ずにいた。
リュートが驚き戸惑っているとリヒターは照れてしまったのか、すぐにいつもの無愛想な顔に戻ると棘のある口調で言い放つ。
「お前がこの世界で精霊を召喚し、何をしたのかはとりあえず見て見ぬフリをしといてやる。
どんな手を使ってでもディアヴォロを倒すと言ったな、そうでなくてはあんな化け物を倒せるわけがない。
甘っちょろい光の戦士がどんなに駄々をこねようとオレはお前を犠牲にする道を肯定する。
仮にお前の方が死を恐れ拒絶したとしても、オレは今聞いたお前の言葉が・・・お前の真実だと捉えている。
その時は無理矢理にでもお前に運命を全うさせてやるから覚悟しておけ、いいな!?
だからお前は光の戦士のことなんぞ頭に入れず、ディアヴォロを倒すことだけを考えておけ!」
リュートに向かって指をさし、宣言するリヒター。
しかし唐突に話の展開が進んで行ってるのでリュートがその流れについて行けずに呆けていると、リヒターは少しイラついた顔になって舌を打った。
「―――――――お前が裏でこそこそしているのはわかっていると言ってるんだ!
何を考えているかまではわからんが、結果的にディアヴォロを倒すことになるのならオレは口出ししないと
そう言ってるんだよ。
だからこの世界でお前が精霊を召喚して何かをしていたことを、大佐には報告しないということだ。
頭の回転が遅い奴だな、全く・・・っ!」
「・・・本当に!? それでいいの!? もしかしたら僕、実はルイドと裏取引を交わしていてディアヴォロの封印を
解こうとしているのかもしれないんだよ!?
リヒター達を裏切ろうとしているかもしれない人間を、どうしてそうやって信じることが出来るの!?」
今度はリュートの方が質問攻めになっていた、リュートも自分がおかしいことを聞いてるのはわかっていた。
しかしリヒターの決断は余りにも無防備過ぎる。
いくら結果的にディアヴォロを倒すと言ったとしても、それすら嘘だとは考えないのだろうか?
するとリヒターは口の端だけ笑みを作ると肩を竦めながら白状した。
「・・・実は最初から大体の見当はついていたんだよ。」
「―――――――は!?」
リュートは口をあんぐりと開けて、目を丸くしていた。
「お前がこの世界に来た本当の目的、―――――――精霊を使って身内の記憶を抹消してきた・・・違うか?」
「―――――――っ!!」
図星をつかれ、リュートは思わず言葉を飲み込んだ。
ここまで具体的に言われては返す言葉が見つからない、次第にリュートの全身から冷や汗が流れて来た。
まさか・・・本当は全て見抜かれているんじゃ? そんな不安がリュートの心を支配する。
しかしそんなリュートの動揺を余所にリヒターはなおも続けた。
「そんな顔をしなくてもお前の思惑全てを見通したわけじゃないから安心しろ、お前の記憶を覗いたといってもそれはほんの
一部だけだ、いくらオレでもプライバシー位尊重するさ。
この世界へ来るためにトランスポーターを起動させただろ、その時にお前とオレのマナが交じり合い・・・わずかにお前の
記憶がオレの中に入って来たんだよ。
闇の戦士の運命について聞かされ、迷い、苦しみ、導き出した答えは友である光の戦士を傷付ける結果をもたらす。
それでもお前はオレ達の世界を救う為に自らの命を差し出す決意を固めた、それはこの場所で聞いた答えと同じだな。
自分を犠牲にすることを奴に話してしまえば確実に運命から逸れる行動に出るかもしれないと恐れたお前は、奴には
真実を話さず・・・自分一人で事を成そうと行動し続けた。
それはザナハ姫に関しても同じことが言えるな、あの洋館に住む者の殆どがお前の死を受け入れようとはしないだろう。
―――――――当然、大佐は除外して・・・だが。
お前なりに出した結論にオレがとやかく言うつもりはない、命を投げ出すと決意しただけで十分だ。
問題は光の戦士、奴には最後まで真実を明かさないでいてやろう・・・。
お前の決意も・・・思いも、お前が死んだ後にでも奴にそのことを伝えておいてやるさ。
それがお前を見捨てるオレの義務だろうからな。」
「リヒター・・・っ!」
リヒターの今の言葉、そして表情から見て・・・恐らくそれ以上深くリュートの記憶を探れていないのだと察した。
もし全てを悟られていたのなら、リュートは今この場でリヒターに殺されていただろうから。
ほっと胸を撫で下ろすリュートに、リヒターが言葉を付け加える。
「それと・・・、お前は嘘が苦手なようだからこれ以上あれこれと深く考え込むのはやめておけ、余計にバレるぞ。」
「え・・・っ、そんなにわかりやすかったのかな!?」
「嘘がバレないように真実とうまく混ぜ込んで話しているようだが、お前の場合先のことばかり考え過ぎてる節がある。
あと・・・そうだな、他人から深く追求されたくないのならもっと気配を殺す努力をしろ。」
「―――――――!」
「闇の戦士という特別な存在だからどうしようもないかもしれんが、出来る限り周囲に溶け込んで存在を希薄にするんだ。
何があっても何をされても曖昧に笑みを作ってやり過ごせ、ただしごく自然にしなければ全て台無しになるぞ。
ヘタに色々言葉を並べたてても余計に自分の首を絞める結果になるだけだ、虚無を演じるんだな。」
リュートの胸に黒いもやみたいなものがかかる、長らく忘れかけていた感覚・・・。
忘れようとしていた過去、それを思い出させてくれた。
いつから―――――――、いつからだろう。
こんなに『自分』というものを出せるようになったのは。
昔の自分なら考えられなかった、自分の考えを主張し・・・存在を他人に認めてもらう。
そんなことがいつの間にか当たり前になっていた、自分でも驚く位に。
「―――――――そっか。」
ぽつりと小さく呟く、リュートが地面を見つめたまま小さく唸ったように見えたリヒターは首を傾げるように見つめていた。
そしてようやくリュートは顔を上げ、虚ろで暗い瞳がリヒターを捉える。
「ありがとリヒター、思い出させてくれて・・・。
これからはもっと気をつけるようにするから、アギトのことよろしくね。
リヒターみたいな人になら、アギトのこと任せても大丈夫だよ。」
リュートから礼を言われてリヒターは嫌悪感を露わにしながら罵倒を浴びせるが、過去の自分を取り戻したおかげでそれらの言葉の半分もリュートの耳には届いていなかった。
適当に聞き流しながら、リュートとリヒターは廃工場の階段を上がって行き・・・やがて屋上へと到着する。
―――――――そう、これが僕の処世術だったじゃないか。
最初はいつも我慢から始まったんだ。
嘘をついて心が痛んでも、我慢だ・・・我慢。
ザナハを泣かせて辛くても、我慢だ・・・我慢。
もうすぐアギトと永遠に別れる時が来るけど、―――――――我慢だ・・・我慢。
感情を無にすれば、何も感じないはずだから―――――――。
回りの流れに逆らわず、ただ適当に、ただ曖昧に生きているフリをしていた昔の自分。
自分の存在を消すことで痛みを和らげることが・・・『あの時』には出来ていた、―――――――だから。
だから今度は無理に存在を押し殺すようなことはしないよ。
そんなことをしてもアギトのことだもの、きっと僕のことを放っておいたりなんかしないはずだから・・・。
『今の僕』は『あの頃の僕』とは違う。
でも今まで培ってきたものは『今の僕』の中に確かにある、全てはこの時の為だったのかもしれない。
自分の気持ちを隠す技術は誰にも負けないから、―――――――平気なフリをすることだって簡単だ。
これからはもっと自然に接しよう・・・。
きっとその方が変に嘘をつき通すより、ずっと楽で―――――――もっと隠しやすいはずだから。