第246話 「胸の痛み」
リュートからの強い希望により、ミラはリュートが首都へ行くことを許可した。
この世界で青い髪を持つ者は光か闇の戦士しかいない上、リュートは以前にも首都を訪れたことがあったので紹介状がなくても王城内へ通されることをミラが保証している。
本当ならこのまますぐに首都へ向かいたい所であったが、つい先程アギトやザナハに勝手な行動をしないと約束を交わしたばかりだ。
せめて今しばらくの間は約束を守っておかなければいけないと思ったリュートは、ミラと共にアギト達が待機している円卓会議室へと急ぐ。
アビスグランドの様子やルイドの具合などをミラに報告した時、リュートは初めて誰かを騙すという行為を行ったので内心ではかなりハラハラしていた。
ミラがたまに見せていた疑念の眼差しを思い出すとどこか勘繰られている感じに思えたのだが、何も聞き返したりはして来なかったので更に不安が増す。
それでもリュートは平然を装って堂々としていた、ここでいちいち挙動不審な態度を見せていたら余計に怪しまれてしまうことはわかりきっていたので、せめて自分は嘘をついていないんだという態度を少しでもアピールしておかなければいけないと判断したのだ。
自分の前を歩いて行くミラの後ろ姿を見つめながら、色々はことに考えを巡らせているといつの間にか円卓会議室の前に到着していたようでミラが立ち止まり、突然リュートの方を振り向いたので思わず驚いてしまう。
「とにかく、リュート君が首都へ向かっていてもこちら側の計画に変更はありません。
何人かの護衛を手配することは可能ですが、アギト君やザナハ姫と共に行動することは出来ませんけど・・・本当にそれで
構いませんか?」
「あ、はい。
僕の私用でアギト達の計画を妨げるわけにもいきませんし、全然それで構わないですよ。
でも護衛はいらないと思います、首都へはゲダックに頼んで移動するから・・・多分他に人数が増えてしまうと短気なあの人の
ことだし、余計なことで怒らせたりするわけにはいきませんから。」
「―――――――随分とゲダック先生の性格をわかってるみたいですね。」
笑顔もなくミラが言い放つ、一応何かつっこんだことを聞かれるかもしれないと執務室で話をする前から心の準備だけはしていたので、リュートは動揺を見せることなく軽く笑みを浮かべながらミラの問いに答える。
「あの人の性格ってすごくわかりやすいですよ?
初めて会った時からいつもカリカリしていて、ほんの些細なことにでも声を荒らげますから。
あ、ほら・・・そんなことより早くアギト達に知らせてあげないと。
アギトもあまり気が長い方じゃないですから、今頃イライラしてると思いますよ。」
リュートの言葉にミラは多少笑みを見せると会議室のドアを開けて、アギト達に事情を説明し始めた。
当然ながらリュートが別行動を取ることに反対して来るアギトとザナハであったが、元々ルナとの契約に闇の戦士であるリュートは主要メンバーとして数に入れる必要性がないことを話すミラ。
「でも相手は光属性なんだろ!?
だったら属性の相性からいけばルナの弱点は闇属性ってことになるじゃんか。
契約内容がルナとのバトルだったら闇属性を持っているリュートが参戦した方が有利じゃね!?」
属性の相克に関して相当オルフェから指導を受けたのか・・・、自信満々に豪語するアギトであったがミラにあっさりと否定される。
「契約内容がルナとの対決とは限りません、雷の精霊ヴォルトの話にもあったでしょう?
ルナの試練は光の神子に対して深層心理の更なる奥まで問われる、いわば精神面による試練が主だと。
ですから最初に光の塔へ向かった時にリュート君がいなかったままの状態で試練を受けに行きます。
リュート君の方は大佐への報告が済み次第、再び闇の精霊シャドウとの契約を交わす為にアビスグランドへと戻る予定に
なってますから・・・どのみち一緒に行動することは出来ません。
上位精霊との契約を無事に終わらせることが出来れば、もう別行動を取る必要性はなくなってきますから・・・それまでは
我慢して従ってください。」
強い口調でハッキリと宣言するミラに、さすがのアギトも口ごもって目線でザナハに助けを求めるも・・・結局反論する手立ては見つからなかった。
不服そうな顔のままだが、アギトはミラの言葉に承諾せざるを得なくて渋々命令に従った。
リュートは今すぐにでも首都へ向かうことになっているのでこのまま円卓会議室を出て行こうとした時、ふと重要なことを思い出したのでザナハだけ呼び出すリュート。
「そうだ・・・、あの中尉・・・僕少しだけザナハに用事があるんですけど、いいですか?
用事はすぐに終わりますから、ほんの少しだけ待っててください。」
「・・・!?
別に構いませんけど、それじゃ先にアギト君とドルチェだけで話を進めておきますね。
ザナハ姫との用事が終わりましたらここへ戻って来て、その後に見送りを・・・。」
「いえ、見送りは結構ですよ。
あの通りゲダックは人嫌いの節がありますし、用事が終わったら僕はそのまま洋館を出て行きますから。」
「そう、ですか?」
リュートが一応断ると、何の用事があるのかわからないザナハは首を傾げたままリュートと共に会議室を出て行った。
部屋の中に残されたミラ、アギト、ドルチェがそのまま席について作戦会議を始めようとした時、アギトは不可解そうな表情を浮かべながら小さく呟く。
(―――――――――ゲダック?
あいつ、いつの間にあのジジイのことを呼び捨てにするようになったんだ・・・!?)
ジャックが亡くなり、行方をくらまして・・・その後に戻って来たリュートの雰囲気などが以前と少し変わってしまったような、そんな違和感を感じながらもアギトはきっと気のせいかもしれないと思い、特に深く追求しようとしなかった。
どこか胸の奥に何かが引っ掛かるようなもやもやとした気持ちがあったのだが、それでも『すぐ近くにリュートがいる』という安心感から・・・アギトはそんな違和感から視線を逸らしてしまっている。
きっとジャックの死がリュートに何か影響を与えてしまったとしても不思議はないと、大切な人の死を乗り越えたという『強さ』がきっとそんな違和感を生み出しているんだと、アギトはそう思うようにしたのだ。
その甘い考えが、この先取り返しのつかない悪夢へと繋がって行こうとは・・・露とも思わずに。
リュートに突然呼び出されて当然不思議そうにしているザナハに、リュートは回りに誰もいないことを確認してから小さな声で話しかけた。
「あのさ、ルイドから伝言があるんだ・・・ザナハに。」
「―――――――え!?」
ザナハの顔色が変わる、しかしその表情は以前のような喜びや嬉しさとはかけ離れたものだった。
当然ザナハの反応が自分が思っているものとは全く違っていることに疑問を感じたリュートであったが、今はそのことを問いただしている時ではないと・・・あえて何も聞かない。
周囲に誰もいないとわかっていても、リュートは念の為にザナハとの距離を近づけて―――――――目と鼻の先にまで顔を近付ける。
するとザナハはまるで距離を離そうとするように後ずさるが、すぐ後ろが壁になっていたのでそれ以上下がることが出来ないまま顔を引きつらせていた。
「な・・・っ、一体ルイドは・・・あたしに、何て!?」
会話をすることで動揺を隠そうとするザナハであったが、そんなザナハの複雑な感情にも気付かずにリュートは話を続けようとした。
「この後アギト達と作戦会議をする時に中尉から話を聞かされると思うけど、実はルイドは今・・・核による暴走でこれ以上
問題を起こさないようにクジャナ宮に隔離しているんだ。」
「え・・・、ルイドが・・・!?」
不安そうな声を上げるザナハの顔を極力見ないようにしながら、リュートは少し寂しげな表情を浮かべるも・・・殆どザナハの耳元で話をしている体勢になっているので、ザナハからはそんなリュートの表情を読み取ることは当然出来ない。
「うん・・・、ルイドは隔離される前に僕に教えてくれたことがあるんだ。
ディアヴォロを倒す為の鍵のようなものだよ、ずっと昔に・・・ザナハにある物を預けたって言ってた。
それを僕に見せるようにって・・・、それって今もちゃんと持ってるのかな。」
リュートからそう聞かれ、ザナハはすぐにルイドから手渡された物を思い出す。
小さく声を上げるがすぐさまリュートに「しっ」と口元に人差し指を当てられて、大声を出すことすら禁じるような素振りを見せた。
ここはザナハ達の拠点、いくら何でもディアヴォロの眷族が聞き耳を立てているとは思えない状況であるにも関わらずザナハはリュートが自分のすぐ近くにいることで酷く動揺していた為、そんなリュートの素振りを疑問に感じる余裕がなく大人しく従っている。
「えっと・・・、確かにルイドから渡された物があるけど・・・あれがそんなに重要な物だとは思えないわよ・・・?
封印の魔法が施されてはいるけど、見た目には本当にただの懐中時計だし・・・!?」
疑わしそうな口調でザナハが言うと、リュートの心臓が跳ね上がった。
つい先程ザナハに対して声を荒らげないように注意を促したばかりだと言うのに、思わず自分の方が声を出しそうになる。
ぴくりと・・・まるで体が硬直したように強張ってしまったリュートの異変にさすがに気付いたザナハが大丈夫かと尋ねると、リュートは声を震わせながら頷く。
「大・・・丈夫、何でもないよ・・・何でも。
それっていつも持ち歩いてるの? すぐに見せて欲しいんだけど・・・。」
ドクンドクンと心臓の鼓動が速くなり、リュートは焦る気持ちを抑えきれなかった。
―――――――まさかと思う、しかし今となっては有り得ないことなど何もない。
生唾を飲み込みながら頷いているザナハが片手でポケットを探る様子を見つめて、だんだんと呼吸が荒くなっていった。
そして取り出されたのはとても古く汚れてしまっている銀細工が施された懐中時計だった。
あちこちに傷跡が残っているが30センチ程の長さがあるチェーンは付いたままで、ザナハの手の平に収まる程度の大きさである。
「これ、ルイドにもらった時から封印魔法のせいで懐中時計の蓋が開かないのよ。
オルフェが調べて解除しようと色々試してみたんだけど、ルイド本人でしか解除されないようになってるみたいで。
どのみち封印魔法だけでなく丁寧に溶接までされてるから簡単には開かないようになってるわ。
時計盤自体も、もう何年もネジを巻き直してないから時計の針は止まったまま・・・。」
少し寂しげに呟きながら、その古くなった銀時計をリュートに手渡した。
肌身離さず持っていたせいか少しだけザナハの温もりが残ったままの銀時計を手に取って、リュートは溶接された部分を左手の人差し指でなぞるように触れて行く。
すると左の甲に刻まれた土の精霊ノームの紋様と風の精霊シルフの紋様がわずかに光を放ち、溶接加工が消滅していった。
まるで分解して消滅していくように跡形もなく消え去っていくと、蓋と本体の隙間は綺麗さっぱりとした状態になっている。
不思議そうな眼差しで見つめるザナハの存在を忘れてしまったかのようにリュートはそのまま銀時計の蓋を開ける為の突起部分を押した、すると封印魔法が施されているはずの銀時計はリュートを受け入れるように勢いよく開く。
「―――――――そんなっ、オルフェがあれだけ調べても何の反応もなかったのに!?」
もはやザナハが声を上げても注意すらしない。
リュートは銀時計を食い入るように見つめた、そして銀時計を初めて見た時から肩を震わせていたはずがいつの間にか震えは止まっており・・・ただ真剣に銀時計を見つめている。
「・・・なに?
中に何か入ってたりするの?」
「―――――――――ううん、何も・・・。 何もないよ・・・、本当に・・・何も。」
銀時計をじっと見つめたまま、リュートは抜け殻のようにそう繰り返すだけだった。
そして―――――――――。
「はは・・・っ。」
「・・・リュート?」
「くっ・・・、あはは・・・っ!
あっははははは・・・、なんだ・・・やっぱりそうなんだ・・・っ、あははははっ・・・はははっ・・・!」
「リュート、一体どうしたの!?」
突然笑い出したリュートに、不安になったザナハが心配そうに声をかけるも・・・リュートはただ悲しそうに笑うだけだった。
左手にはしっかりと銀時計を握り締めて、そして片方の手で頭を押さえながら笑い続ける。
「―――――――――わかったよ。」
急に笑いが止まって、リュートの両目の色が変わる。
真剣な面差しになって・・・何かを決意する色へと変わると、リュートからは近寄り難い雰囲気が立ち込めて思わずザナハはぞくりと背筋が凍る思いをした。
リュートを今まで覆っていたマナは優しく穏やかな雰囲気を放っていたが、今のリュートからは殺伐とした恐ろしい雰囲気しか感じられない。
「リュー・・・ト、・・・本当に大丈夫なの?」
「あぁ・・・、大丈夫・・・大丈夫だよ。
少し疲れてるだけだから、―――――――――心配いらない。」
しかし抑揚のない声からはやはり『優しさ』が感じられなかった、まるで人が変わったかのように・・・ザナハの知らない人物が目の前にいるようだった。
するとリュートは持っていた銀時計をザナハに手渡すと静かな口調で釘をさす。
「ザナハ、これはずっと君が持ってて。
必要になった時にはまたそれを借りるから・・・、それまでは誰にも見せないで隠し持っていてくれ。」
「・・・でも。」
「頼むから何も言わないで、―――――――――ディアヴォロとの最終決戦には絶対に必要になる物なんだよ。
いいね? それまでは今まで通り、ずっと君が肌身離さず持っているんだ。」
強く、威圧的な眼差しで念を押すリュートの勢いに拒絶することが出来ずにザナハは思わず頷いてしまった。
これで用件は済んだのか、リュートはすっとザナハから離れるとそのまま廊下を歩きだし・・・玄関へと向かって行く。
「ありがとう、ずっと大切に持っててくれて。
それじゃ僕は今から首都へ行くから、・・・ルナとの契約が済んだらまた会おう。」
片手だけ振って・・・。
ザナハの顔を見ようともせずに去って行くリュートの背中を追いながら、ザナハは胸に痛みが走っていることに気がつく。
―――――――――いたい。
・・・痛いよ。
まるでリュートじゃないみたい。
あれはあたしの知ってるリュートじゃない・・・、リュートにそっくりな姿をした別人のよう・・・。
どうしてこんなに胸が痛いんだろう、ズキズキと胸が張り裂けそうに。
リュートのことを考えるとこんなにも苦しくなって来る、―――――――――とても辛いの・・・っ!
なんで・・・? 今までこんなこと、一度だって・・・。
ううん、前にもあった・・・同じ気持ちを感じたことが。
次第に胸が熱くなって、視界が歪んで見える。
両目にたくさん雫が溢れて今にも零れ落ちそうだった、切なくて・・・苦しくて息も出来ない位に。
だんだんと姿が見えなくなって行くリュートの背中を見送りながら、ザナハは手を伸ばしたくてもリュートには届かなかった。
「待って」と声を掛けたくても、喉の奥に何かが閊えて声も出ない。
行かないで・・・。
置いて行かないで・・・、お願いだから。
しかしザナハの声は届かない、・・・想いはリュートに届かない。
そのまま立ち尽くすザナハに・・・涙が止まらないザナハに、リュートは手を差し伸べてはくれない。
たった一人で進んで行くリュートには、ザナハの苦しみは届かなかった。